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〈いのちの翼を ハンセン病を生きる 信仰体験〉 不動の信 ここに立つ 2026年4月6日

  • 第9回 97歳の地区部長
青空を仰ぎ、大地に根を張って立つ長島愛生園の桜(今月3日)。黒々とした幹は、風雪に耐えてきた歳月を物語る。そのたくましさが、大木さんの人生と重なって見える
青空を仰ぎ、大地に根を張って立つ長島愛生園の桜(今月3日)。黒々とした幹は、風雪に耐えてきた歳月を物語る。そのたくましさが、大木さんの人生と重なって見える

 【岡山県瀬戸内市】ハンセン病患者を社会から隔離した「らい予防法」が廃止されて今月1日で30年になった。差別の時代を生きた当事者は歴史の証言者になりつつある。長島愛生園に暮らす大木義成さん(97)=副支部長(地区部長兼任)=もその一人。

やわらかな日差しが、海に注ぐ
やわらかな日差しが、海に注ぐ

 大木さんは1日の大半をベッドに横になりながら、それでもなお「今が幸せや」と断言した。病の後遺症は容赦なく、顔の表情を奪い、手足の自由を奪った。日常の全てに誰かの手を要する。それでもなぜ「幸せ」と言い切れるのか。
 「難を乗り越えたからな」
 静かで揺るぎない大木さんの言葉には、いかなる現実にも屈しない仏法の究極が、確かに刻まれていた。
 小学5年の冬、ふくらはぎに赤い斑紋が現れた。名古屋の病院で告げられる。「ハンセン病です」。難しい説明は分からなかったが、もう戻れないと知った。1940年(昭和15年)5月、長島へ。家族の前で涙を見せない。「泣けば親が苦しむ」。11歳の覚悟だった。
 木造の少年少女舎は冷えた。朝は白い息、夜は布団の中で震えた。だが同じ境遇の子がいる。寂しさは薄れた。翌年、戦争。配給は尽き、入所者の餓死を告げる声が園に響く。畑を耕し、芋汁で生き延びた。「これが戦争じゃった」

花びらが、静かに命の輝きを伝える
花びらが、静かに命の輝きを伝える

 43年、父が迎えに来た。「ここから出るぞ」。三重の実家へ戻った。だが社会は冷たかった。青年学校で兵隊になる訓練を受けたが、「長島から逃げてきた」との視線にさらされる。親戚とも疎遠に。神経痛が悪化し、居場所が失われていく。5年が過ぎた。
 ある日、保健所の職員が自宅に来た。近所の人に通報された。当時、全国の自治体が競ってハンセン病患者を療養所に押し込めていた。「無らい県運動」と呼ばれた。大木さんたちは駅に集められ、歩いた後を振り返った。真っ白になるほど消毒の薬剤がまかれていた。「あれはこたえたな」。20歳で、愛生園へ戻る。
 裁縫場で古着を縫い直す仕事をした。病の後遺症で指は少しずつ曲がり、動かぬ指を無理に動かした。医師が言い放つ。「顔や指の形が変わるくらい、我慢しろ」。人権などない。次第にゆがむ顔。「もう生きとる意味ないやろ」。カミソリの刃を首に突き立て、血を見た。死ねなかった。

長島愛生園から瀬戸内海を望む
長島愛生園から瀬戸内海を望む

 生き地獄の中で、清楚な女性と出会う。7歳年下。大阪の聾学校出身で、言葉を持たない。彼女はいつも独りだった。大木さんが人差し指で、宙にひらがなを書くと、初めて彼女が笑ってくれた。やがて心を通わせ、「けっこんしよう」と伝えた。
 ただ、閉じた社会の掟があった。園内の結婚には、どちらかに不妊手術が課せられる。愛する人と暮らすのなら、子どもをあきらめるしかない。「彼女にこれ以上、つらい思いはさせられん」。大木さんは、「すじ切り」と呼ばれた断種(精管を断つ)を受けた。術後の痛みがジクジクと残るなか、式を挙げた。「子どもがいれば」と、口にすることは一度もなかった。
 転機は1961年(昭和36年)、32歳の時だった。広島県から、一人の男性が幾度となく足を運んできた。耳を傾けると、創価学会の話だった。「どこか、うさんくさかった」。それでも言われた通り、題目を唱える日々を続けると「何かに見守られているような安心感がした」。大木さんは自ら口を開く。「創価学会に入らせてほしい」。キリスト教徒だった妻も一緒に。二人の逡巡は、消えた。

長島の桜が満開に咲いた
長島の桜が満開に咲いた

 入会から2カ月後の7月、師との出会いを刻む。岡山県営体育館(当時)での青年部総会。「心の中をじっと見つめられた気がしたんや」。池田先生のまなざしが、大木さんの心の奥に火をともす。
 同志たちは、仏法対話に走った。その渦中に、大木さん夫婦もいた。笑われようと、蔑まれようとも、歓喜の歩みは止まらない。「味わったことのない充実があったな」。この時代の弘教の広がりを後年、池田先生は「春呼ぶ岡山の躍進」とたたえている。
 大木さんの姿は常に悩む人の隣にあった。推されてマイクも握った。ぴんからトリオの「女のみち」を歌い、場を沸かせた。そんな人柄を友は慕う。
 「地区部長になってくれないか」。大木さんは遠慮した。控えめな性格。「前に立つガラじゃない」。だが皆は口をそろえた。「大木さんだと安心するんだ」。理不尽と苦痛のなかで生きる友のために、走り続けた。「池田先生の視線が忘れられんかった」。あの日のまなざしを思うたび、ファイトが湧いた。
 ハンセン病は「不治の病」と考えられていた。遺伝するとも誤解されていた。差別と偏見に貫かれた半生。宿命に押しつぶされるのではなく、信心によって勝ち越えていく。その歩みにこそ、人間の尊厳は打ち立てられるのだろう。

深く根を張り、歳月を刻んできた桜の幹
深く根を張り、歳月を刻んできた桜の幹

 しかし80歳を過ぎた頃、大木さんは思うように体が動かなくなった。大好きだった縫い物もできない。最愛の妻も他界した。それでも日々、御書を開いた。
 「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ」(新117・全234)
 いかなる大難をも、信心で乗り越えていける。「日蓮大聖人の真実を知ったんや」。境涯が開かれていく。いのちの翼を広げるかのような奥底から湧き上がる、とてつもない生命力を、大木さんは覚知した。根強い偏見や差別も視界に入らない。そして、悟った。
 難に屈する自分は、もはや存在しない――。ベッドの上で、人の手を借りなければ生きられぬ境遇にあって、97歳の信念は大樹となった。
 部屋の壁には、池田先生の似顔絵の色紙が掲げられている。施設のスタッフに描いてもらった。
 「わしは、先生が好きなんや」
 一人の弟子の顔だった。(岡山支局)

長島の夕暮れ。穏やかな光が海を染める
長島の夕暮れ。穏やかな光が海を染める

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