〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第163回 101歳 戦火の記憶
〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第163回 101歳 戦火の記憶
2025年8月23日
- 「命いうもんは永遠なんじゃ」
- 「命いうもんは永遠なんじゃ」
平和への誓いを語る藤田民造さんの透徹した瞳
平和への誓いを語る藤田民造さんの透徹した瞳
【京都府木津川市】いつもはひょうひょうと話すのに、胸の奥で静かに燃える信念を口にするときだけは違った。
まるで堪忍袋の緒を引き絞るような声で、言葉を区切りながら「僕はね、寝る所があって、水が飲めて、何か口に入ったら、それでええ」と。
藤田民造さん(101)=副本部長=の記憶の中で、戦争が占める大きさなのだろう。
18歳で広島の呉海兵団に入隊した。航空母艦の操舵手になった。死こそ誉れ、と信じさせられた時代。60機ほどのグラマン戦闘機を見上げた時は、「この世の見納めだと思った」。機銃弾が真っ赤に燃えて向かってくる。藤田さんの鉄かぶとを貫通し、頭をかすめて血だらけになった。
敗勢が強まる1945年(昭和20年)、水上特攻艦となって沖縄方面へ出撃命令が出たという。8月下旬の予定だった。
しかし何げない会話が運命を分ける。
藤田さんは8月5日の昼から広島市内に上陸することになっていた。一等水兵に頼まれる。「代わってください」。「おう代わったるど」と答えた。
【京都府木津川市】いつもはひょうひょうと話すのに、胸の奥で静かに燃える信念を口にするときだけは違った。
まるで堪忍袋の緒を引き絞るような声で、言葉を区切りながら「僕はね、寝る所があって、水が飲めて、何か口に入ったら、それでええ」と。
藤田民造さん(101)=副本部長=の記憶の中で、戦争が占める大きさなのだろう。
18歳で広島の呉海兵団に入隊した。航空母艦の操舵手になった。死こそ誉れ、と信じさせられた時代。60機ほどのグラマン戦闘機を見上げた時は、「この世の見納めだと思った」。機銃弾が真っ赤に燃えて向かってくる。藤田さんの鉄かぶとを貫通し、頭をかすめて血だらけになった。
敗勢が強まる1945年(昭和20年)、水上特攻艦となって沖縄方面へ出撃命令が出たという。8月下旬の予定だった。
しかし何げない会話が運命を分ける。
藤田さんは8月5日の昼から広島市内に上陸することになっていた。一等水兵に頼まれる。「代わってください」。「おう代わったるど」と答えた。
原爆が落ちた次の日、その一等水兵を捜しに、藤田さんは市内へ入った。
累々と横たわる黒焦げの死体、うめき声、燃えるに任せた街……。吹き飛んだ水交社(海軍の将校クラブ)の跡地に、銀色の腕時計を見つけた。
「これはあいつのじゃ」
一等水兵の故郷に送った。同封した便箋には「姿もない。骨もない。腕時計を永久に残してあげてください」と書いた。
全身の血が逆流する感があったのは8月15日、格納庫で玉音放送を聴いた。
「くそったれ。わしが仇とったる」
出撃して、国のために死のうとした。
復員して鳥取に帰郷する。何をやってもうまくいかない。何度も死にそうになった自分が「なぜか生き残ってしまった」。セミが鳴く8月がつらかった。
歯車が動き出すのは、地獄絵の焼きついた目で、創価学会の姿を見つめた日から。真実の世界に何を発見したのか。人生観がどう変化したのか。
101歳の今、語ってもらった。
原爆が落ちた次の日、その一等水兵を捜しに、藤田さんは市内へ入った。
累々と横たわる黒焦げの死体、うめき声、燃えるに任せた街……。吹き飛んだ水交社(海軍の将校クラブ)の跡地に、銀色の腕時計を見つけた。
「これはあいつのじゃ」
一等水兵の故郷に送った。同封した便箋には「姿もない。骨もない。腕時計を永久に残してあげてください」と書いた。
全身の血が逆流する感があったのは8月15日、格納庫で玉音放送を聴いた。
「くそったれ。わしが仇とったる」
出撃して、国のために死のうとした。
復員して鳥取に帰郷する。何をやってもうまくいかない。何度も死にそうになった自分が「なぜか生き残ってしまった」。セミが鳴く8月がつらかった。
歯車が動き出すのは、地獄絵の焼きついた目で、創価学会の姿を見つめた日から。真実の世界に何を発見したのか。人生観がどう変化したのか。
101歳の今、語ってもらった。
海軍として戦線に立った藤田さん。多くの仲間を見送ってきた
海軍として戦線に立った藤田さん。多くの仲間を見送ってきた
発見したもの
発見したもの
自分でも何を目的で、何を中心に生活してきたんか分からん。とにかく生きてきた。
製材所、缶詰工場、北九州の炭鉱会社……。働いても働いてもゼニが残らん。うちの奥さん、よう結婚してくれたで。
岡山でオート三輪のタクシーしよった昭和35年(1960年)、妻が尾道の知人から、聖教新聞をもらって帰るようになった。「自分のところが作っとる新聞じゃけえ、ええことしか書かんわ」と、わしは相手にしなかった。
自分でも何を目的で、何を中心に生活してきたんか分からん。とにかく生きてきた。
製材所、缶詰工場、北九州の炭鉱会社……。働いても働いてもゼニが残らん。うちの奥さん、よう結婚してくれたで。
岡山でオート三輪のタクシーしよった昭和35年(1960年)、妻が尾道の知人から、聖教新聞をもらって帰るようになった。「自分のところが作っとる新聞じゃけえ、ええことしか書かんわ」と、わしは相手にしなかった。
親子でカラオケを満喫した藤田さん㊧と長男の藤田治幸さん
親子でカラオケを満喫した藤田さん㊧と長男の藤田治幸さん
ある日、社宅の玄関に赤い靴が3足あってな。創価学会のご婦人がおいでだったわ。
妻が「信心やる」と真剣だったから、一緒に座談会に参加すると、「生命の永遠」を説いていた。
そこでわしも考えた。待てよ、生命の永遠……。なるほど、草や木のことを思ったら、草は1年で枯れてしまうけど、土があればどこへでも出てきよる。わしたち人間も、死ぬるいうのはこの体が無くなることじゃけど、その生命はどこをうろうろしとるんかな?
いろいろ考えて、御書を読み始めたわけです。
命いうもんは、死んだら終わりじゃない。永遠なんじゃ!いうのを発見しましてな。特攻で散った仲間に教えてやりたい思うて、わし、泣けてきた。
天を見上げたら、グラマンで覆われとった空が晴れ渡っとる。よし、この青空のように生きていこう!と腹を決めました。
ある日、社宅の玄関に赤い靴が3足あってな。創価学会のご婦人がおいでだったわ。
妻が「信心やる」と真剣だったから、一緒に座談会に参加すると、「生命の永遠」を説いていた。
そこでわしも考えた。待てよ、生命の永遠……。なるほど、草や木のことを思ったら、草は1年で枯れてしまうけど、土があればどこへでも出てきよる。わしたち人間も、死ぬるいうのはこの体が無くなることじゃけど、その生命はどこをうろうろしとるんかな?
いろいろ考えて、御書を読み始めたわけです。
命いうもんは、死んだら終わりじゃない。永遠なんじゃ!いうのを発見しましてな。特攻で散った仲間に教えてやりたい思うて、わし、泣けてきた。
天を見上げたら、グラマンで覆われとった空が晴れ渡っとる。よし、この青空のように生きていこう!と腹を決めました。
101歳とは思えない伸びやかな歌声を響かせる。週2回のカラオケが元気の源
101歳とは思えない伸びやかな歌声を響かせる。週2回のカラオケが元気の源
明らかになった人生観
明らかになった人生観
御書を読んだら、3人の先生のことが、よう分かってくるね。牧口先生、戸田先生、池田先生。創価学会は「師弟」に生きとる。他の組織には絶対ないど。
命の向きが変わりましたな。
戦争中は、国のために死んでいこうだったのが、師弟のために生きていこうになったんですわ。
その時の心境ですか? 自分が自分のね、天下取ったような気がした。ひ弱な自分を征服したいうんかな、わし自身が城主になったような、徳川家康になったような感じがする。信心してから怖いものなしになってしもうたんや。
創価学会という、一つの生命。その生命を傷つける奴がおったら、防いでいかにゃあいけんと思ってね、「旗」を立てたんです。みんなからは見えんけど、おそらく私の背中には、「創価学会」という旗がなびいとるはずや。
御書を読んだら、3人の先生のことが、よう分かってくるね。牧口先生、戸田先生、池田先生。創価学会は「師弟」に生きとる。他の組織には絶対ないど。
命の向きが変わりましたな。
戦争中は、国のために死んでいこうだったのが、師弟のために生きていこうになったんですわ。
その時の心境ですか? 自分が自分のね、天下取ったような気がした。ひ弱な自分を征服したいうんかな、わし自身が城主になったような、徳川家康になったような感じがする。信心してから怖いものなしになってしもうたんや。
創価学会という、一つの生命。その生命を傷つける奴がおったら、防いでいかにゃあいけんと思ってね、「旗」を立てたんです。みんなからは見えんけど、おそらく私の背中には、「創価学会」という旗がなびいとるはずや。
「池田先生のおっしゃることは御書の通り」――自身も徹して学び、人生に一本の筋が通った
「池田先生のおっしゃることは御書の通り」――自身も徹して学び、人生に一本の筋が通った
やっぱり、海軍の特攻隊精神が出るんやな。(藤田さんは町会議員を3期12年、75歳からは老人会の会長を20年務めた)
とにかく、あっちこっち動きました。大地に爪を立てるような気持ちで、埃を吸って、這って回るような気持ちでね。台風来たらカッパ着て、長靴履いて、年寄りのところへ行った。みんなを包んであげたかった。
わしの命は、一等水兵が身代わりになってくれた命や。この命を大事に使わんと、申し訳ない。
日蓮大聖人も言うとられる。「三千世界に満つる珍宝なれども、命に替わることはなし」(新1463・全1075)。これです。わしの命を、みんなに使うてもらおう。それしかないですよ。
やっぱり、海軍の特攻隊精神が出るんやな。(藤田さんは町会議員を3期12年、75歳からは老人会の会長を20年務めた)
とにかく、あっちこっち動きました。大地に爪を立てるような気持ちで、埃を吸って、這って回るような気持ちでね。台風来たらカッパ着て、長靴履いて、年寄りのところへ行った。みんなを包んであげたかった。
わしの命は、一等水兵が身代わりになってくれた命や。この命を大事に使わんと、申し訳ない。
日蓮大聖人も言うとられる。「三千世界に満つる珍宝なれども、命に替わることはなし」(新1463・全1075)。これです。わしの命を、みんなに使うてもらおう。それしかないですよ。
体をよじって笑う藤田さん。その姿に引っ張られ、こちらも頰も緩む
体をよじって笑う藤田さん。その姿に引っ張られ、こちらも頰も緩む
どうも最近、わしの旗が見えるらしい。外出るたんび、みんなが「創価学会の藤田さん」言う。
こりゃあ相当、緊張しますな。立ち小便もできしません。うちの奥さんが、よう支えてくれました。ありがとう、ありがとう。
戦後80年いうても、昨日のような気がします。
学会創立100周年まであと5年。石にかじりついても生きていきたい。
どうも最近、わしの旗が見えるらしい。外出るたんび、みんなが「創価学会の藤田さん」言う。
こりゃあ相当、緊張しますな。立ち小便もできしません。うちの奥さんが、よう支えてくれました。ありがとう、ありがとう。
戦後80年いうても、昨日のような気がします。
学会創立100周年まであと5年。石にかじりついても生きていきたい。
百寿を地区の同志が祝ってくれた。「これが一番うれしいね」
百寿を地区の同志が祝ってくれた。「これが一番うれしいね」
後記
後記
人が誰かを思う気持ちは、言葉を並べることより、言葉を失うことで伝わることもある。
藤田さんの航空母艦には戦闘機「隼」を積んでいた。
「出撃前はね、普段通りの話をして、時間がきたら固い握手をするんですよ。ほんま特攻いうもんは……」
ここで沈黙した。
目を赤くして、続ける。
「みんな死んでいく時、小さい声で『お母ちゃん』言う」
想像してみる。
特攻隊員の握手をほどく瞬間の気持ちを。銀色の腕時計を受け取ったであろう母の泣き腫らした目を。
想像が追いつかない。
人が誰かを思う気持ちは、言葉を並べることより、言葉を失うことで伝わることもある。
藤田さんの航空母艦には戦闘機「隼」を積んでいた。
「出撃前はね、普段通りの話をして、時間がきたら固い握手をするんですよ。ほんま特攻いうもんは……」
ここで沈黙した。
目を赤くして、続ける。
「みんな死んでいく時、小さい声で『お母ちゃん』言う」
想像してみる。
特攻隊員の握手をほどく瞬間の気持ちを。銀色の腕時計を受け取ったであろう母の泣き腫らした目を。
想像が追いつかない。
戦禍を越えて命をつないだその瞳に、平和への誓いがこもる。藤田さんの心の幹に刻むのは、池田先生の和歌。「出獄の 月日忘れじ 関西の 同志の胸に 吾は南無せむ」。第1次宗門事件でも師弟は不動だった
戦禍を越えて命をつないだその瞳に、平和への誓いがこもる。藤田さんの心の幹に刻むのは、池田先生の和歌。「出獄の 月日忘れじ 関西の 同志の胸に 吾は南無せむ」。第1次宗門事件でも師弟は不動だった
寝床があって、水があって、ちょっとの食べ物があればいい。大切なのは命があるということ。これ以上のものはない。戦争を知る人の信念だ。
戦争の風化を憂うことがあるという。
どこぞの誰かが「核武装が最も安上がり」と公言したこと。
はらわたが煮えくり返る、という言葉では足りない。想像力が乏しすぎる。遺骨さえ帰らない人がいるというのに。
忘却への警告なのか、101歳は憤怒の形相だった。(天)
寝床があって、水があって、ちょっとの食べ物があればいい。大切なのは命があるということ。これ以上のものはない。戦争を知る人の信念だ。
戦争の風化を憂うことがあるという。
どこぞの誰かが「核武装が最も安上がり」と公言したこと。
はらわたが煮えくり返る、という言葉では足りない。想像力が乏しすぎる。遺骨さえ帰らない人がいるというのに。
忘却への警告なのか、101歳は憤怒の形相だった。(天)
家の裏の川沿いで藤田さんは話した。「やっぱり題目やなあ。とにかく心を込めて御本尊様にお祈りすること。それが大事です。心です」。若い世代に伝えたいことは「命が一番大事です。生きていけ」
家の裏の川沿いで藤田さんは話した。「やっぱり題目やなあ。とにかく心を込めて御本尊様にお祈りすること。それが大事です。心です」。若い世代に伝えたいことは「命が一番大事です。生きていけ」