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〈人間主義の系譜 仏法の源流を見つめて〉 アジアへ③ 2026年5月5日

 悠久なる大河も、源流の一滴から始まる――釈尊から法華経、日蓮大聖人、そして創価学会へと至る人間主義の系譜。世界に広がる民衆仏法の源流をたどりたい。ここでは、釈尊の入滅以降における教えの継承について見ていく。(教学解説部編。月1回掲載。前回は4月7日付)

鳩摩羅什の翻訳
大衆の呼吸を感じながら

 不朽の名訳である『妙法蓮華経』。その見事な漢訳は、4世紀中葉から中国・五胡十六国時代を生きた訳経僧の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の手によってなされた。
 そこに至るまで、彼は故国・亀茲(〈きゅうじ〉とも読む)を戦火に焼かれ、異国の地で十数年の歳月を過ごすという不遇をかこっている。しかし、彼は試練を耐え抜き、401年12月、後秦の王・姚興に国師の礼をもって長安の都に迎えられた。以降、没するまで10年ほどの間に数々の経典を訳出し、多くの弟子を育成したことが伝わる。
 鳩摩羅什による仏典の翻訳は、国王の要請のもと、国家的な支援を受ける一大事業として進められた。
 といっても、中国における仏典の翻訳は、一人で行うわけではない。ほとんどの場合、翻訳作業をする「訳場」に複数人が集まり、原文を唱える者に翻訳する者、筆記する者など、役割分担しながら行われた。ただし訳場の状況は一定ではなく、時代により、また翻訳者によっても異なった。
 そもそも、鳩摩羅什が翻訳に携わる以前に、中国における仏典の漢訳はすでに行われており、「菩薩」や「天下の博知」などとたたえられるような傑出した翻訳者もいた。
 しかしながら、中国で仏教研究が進むにつれて、仏教者たちの間で、従来の訳経の未熟さや不備が次第に自覚されるようになる。中国仏教界では、より言語と仏教思想に精通した、優れた翻訳者の出現が待ち望まれていたといえよう。
 そうした中で長安に迎え入れられたのが、その当時、比類ない才知で名をはせる鳩摩羅什であった。彼はまず、『大品般若経』の翻訳から始めた。その後、『大智度論』や『維摩経』『法華経』など、大乗の論書や経典を次々と翻訳していったとされる。
 彼の訳場に参加していたのは、名のある学僧だけではない。在家の人々も含めて、数百人、時に数千人もの人々がその場にいた。集まった人数は「三千余人」と伝えるものもある。
 鳩摩羅什の訳場では、彼が経典の意味に解説を加え、講義しながら、参加者と問答を交わしていった様子が、『高僧伝』に記されている。
 釈尊の教えの精髄とは何なのか。経典に示された仏の真意とは――。求道に燃える人々が集まった当時の訳場にみなぎる熱気は、どれほどのものだったろう。
 池田先生は、鳩摩羅什の翻訳の場面について、こうつづる。
 「羅什の翻訳は、一人で書斎にこもり、辞書と首っ引きで、難解な用語を連ねていくような翻訳作業ではなかった。大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場で仏法を展開し、訳出していったのだ。そのなかから、彼の、極めて滑らかで、経文の元意をふまえた、優れた意訳が生まれたのである」

(小説『新・人間革命』の挿絵から。内田健一郎画)
(小説『新・人間革命』の挿絵から。内田健一郎画)
優秀な人材が育つ
教育者であり思想家でもあった

 鳩摩羅什は、サンスクリット(梵語)の経典を漢語に翻訳しながら、仏教教理に関する講義を重ねた。多くの聴衆が集った彼の訳場には、仏教者でもあった後秦王・姚興も出向き、翻訳論議に参加したとされる。こうした中で、『妙法蓮華経』をはじめ数々の漢訳経典が編さんされた。
 鳩摩羅什が訳出した流麗な漢訳文の数々。それに触れた彼の弟子などは、“晴れ渡った崑崙山の上から、下界を俯瞰し得たように喜んだ”と、並々ならぬ感動を伝えている。
 西域出身の鳩摩羅什が、言語の壁を越え、見事な漢訳を成すことができたのは、なぜなのか。
 それはもちろん、彼が幼少期から学問に精励し、初期仏教や大乗の諸経典、インドの中観哲学に通暁していたこともあるだろう。あるいは、とらわれの身で中国・涼州(現在の甘粛省)の地にとどまっていた十数年間、彼は、中国の言語や文化についての教養を深めていたとも考えられる。
 そして、中国の訳経史における鳩摩羅什の多大な功績は、優れた漢訳を成したということだけではない。
 彼のもとからは、後に中国仏教界で名をはせるような英俊が、数多く羽ばたいていった。また、彼が良質な漢訳経典を多く訳出したことで、中国における大乗思想の本格的な探究の道を開くことにもなった。まさしく鳩摩羅什は、経典の翻訳者であると同時に、教育者であり、思想家でもあったのだ。
 とはいえ、鳩摩羅什が訳経史上に輝かしい足跡を残せたのは、単に学識や語学力が優れていただけではあるまい。そこには、経典の真意に肉薄し、仏の心を最も正しく伝える言葉を生み出そうとした、徹底した精神闘争があったはずだ。だからこそ、後世、仏教だけでなく文化・芸術などにも大きな影響を与えるほど、多くの人々の心を動かす見事な漢訳を生み出せたのではないだろうか。
 例えば、法華経の題号の漢訳も、その一つである。
 法華経のサンスクリット原本での題号は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」である。この「サッダルマ」とは「正しい法」という意味で、ゆえに、鳩摩羅什よりも前代に活躍した訳経僧・竺法護は題号の「サッダルマ」を「正法」と訳した。ところが鳩摩羅什は、これを「妙法」と訳したのだ。
 奥深く不可思議であることを示す「妙」の字から、後の時代、さまざまな法理が展開されていく。
 池田先生は洞察する。「もし、鳩摩羅什が『妙法』と訳していなければ、法華経の説く深い宇宙の真理、生命の哲理は、これほど精密に展開されることはなかったかもしれません」
 鳩摩羅什による珠玉の訳文。その一つ一つに深い“言葉の力”を実感せずにはいられない。(続く)

[VIEW POINT]焼けない舌

 鳩摩羅什は臨終の間際、弟子たちにこう言い残したと伝わります。“私の翻訳に誤りがなければ、私の身を焼いても、舌は焼けずに残るだろう”――。果たして、鳩摩羅什の舌はその通り、焼けなかったといいます。この逸話は、鳩摩羅什が訳出した漢訳経典が後世まで不滅であることを、象徴的に表すエピソードともいえるでしょう。
 日蓮大聖人は、この話を踏まえながら、「妄語はやけ、実語はやけぬこと顕然なり」(新1382・全1007)と仰せになり、鳩摩羅什の“名訳”にこそ、釈尊の真意が正しく説かれていることを強調されました。
 その上で、池田先生はこう語っています。「どんなにすばらしい名訳であっても、それを読み、弘める人を得なければ、経典が民衆のものとなることができない」。
 万人成仏を説く法華経には、その慈悲の哲理を全世界に弘めていく誓願が示されています。まさに、法華経に込められた仏の心を、わが心として、不惜身命末法広布を進められたのが大聖人です。そして、その心を正しく現代に継承する創価の同志によって、今や法華経の英知は、全人類が進むべき道を照らす“希望の光源”と輝く時代を迎えているのです。

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