〈リポート〉 聖ウルスラ学院英智で「開示悟入」の視点を取り入れた授業
〈リポート〉 聖ウルスラ学院英智で「開示悟入」の視点を取り入れた授業
2025年6月15日
- 子どもの心を学びへ「開く」教師の関わり
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聖ウルスラ学院英智の校舎
聖ウルスラ学院英智の校舎
法華経方便品に説かれる「開示悟入」を、およそ1世紀前に教育原理として応用した教育者がいます。創価学会初代会長の牧口常三郎先生です。聖ウルスラ学院英智小・中学校(宮城・仙台市)では、2005年頃から今日まで、単元の目標を立てる際に授業づくりのポイントの一つとして、この「開示悟入」の視点を取り入れてきました。同校7年生(中学1年生に相当)の授業リポートと、梶田叡一同学院理事長の声を掲載します。(取材=大宮将之、二階堂哲哉)
法華経方便品に説かれる「開示悟入」を、およそ1世紀前に教育原理として応用した教育者がいます。創価学会初代会長の牧口常三郎先生です。聖ウルスラ学院英智小・中学校(宮城・仙台市)では、2005年頃から今日まで、単元の目標を立てる際に授業づくりのポイントの一つとして、この「開示悟入」の視点を取り入れてきました。同校7年生(中学1年生に相当)の授業リポートと、梶田叡一同学院理事長の声を掲載します。(取材=大宮将之、二階堂哲哉)
「開示悟入」の視点を取り入れた「言語技術科」の授業(先月29日、聖ウルスラ学院英智小・中学校で)
「開示悟入」の視点を取り入れた「言語技術科」の授業(先月29日、聖ウルスラ学院英智小・中学校で)
教材と出合う
教材と出合う
その授業は祈りから始まった。学びが「感謝のうちに終わりますように」――と。
カトリックの教育理念に基づく聖ウルスラ学院英智では、幼稚園から高校まで15年間の一貫教育を行う。ビジョンは「確かな学力の向上と人間的な成長を実現する」。一言で表せば「力のつく元気な学校」だという。
取材した授業は5月29日、小・中学校7年生の「言語技術科」。同校が最も注力をする“世界標準の母語教育”である。「つくば言語技術教育研究所」(三森ゆりか所長)の指導のもと、全ての学習の基礎となる「話す・聞く・読む・書く」力を総合的に鍛える独自のカリキュラムを組む。文部科学省指定の「研究開発学校」としても評価は高い。東西の創価学園と研修交流も重ねている。
その授業は祈りから始まった。学びが「感謝のうちに終わりますように」――と。
カトリックの教育理念に基づく聖ウルスラ学院英智では、幼稚園から高校まで15年間の一貫教育を行う。ビジョンは「確かな学力の向上と人間的な成長を実現する」。一言で表せば「力のつく元気な学校」だという。
取材した授業は5月29日、小・中学校7年生の「言語技術科」。同校が最も注力をする“世界標準の母語教育”である。「つくば言語技術教育研究所」(三森ゆりか所長)の指導のもと、全ての学習の基礎となる「話す・聞く・読む・書く」力を総合的に鍛える独自のカリキュラムを組む。文部科学省指定の「研究開発学校」としても評価は高い。東西の創価学園と研修交流も重ねている。
梶田叡一理事長の著作『言葉の力を育てる』(金子書房)。言語技術教育の重要性や実践例などに言及している
梶田叡一理事長の著作『言葉の力を育てる』(金子書房)。言語技術教育の重要性や実践例などに言及している
今回の授業を担当する早坂愛教諭は、同校の教務部長だ。長年にわたり、「開示悟入」をもとに授業を組み立ててきた。事前に授業設計案を見せてもらう。「教材」にとどまらず、「学年」「小・中学校9年間」にまで展開されていることに驚いた。
今回の授業を担当する早坂愛教諭は、同校の教務部長だ。長年にわたり、「開示悟入」をもとに授業を組み立ててきた。事前に授業設計案を見せてもらう。「教材」にとどまらず、「学年」「小・中学校9年間」にまで展開されていることに驚いた。
この日は「開」「示」に当たるらしい。教材はドイツの作家ペーター・ヘルトリング(1933~2017)の短編小説「人参」である。
すぐ本文には入らない。早坂教諭は、まず問うた。「『人参』っていうタイトルを見て、みんなは、どんな物語だと想像したかな?」
生徒一人一人の名前を呼びつつ、軽快なやりとりを重ねる。
「人参を使ってパーティーする話!」
「楽しそうだね!」
「人参の仲間が食べられちゃう?」
「人参目線かあ!」
「人参への『愛』が語られる!」
「なるほど!(笑)」
だが実際に本文を一読すると――どうやら違う。生徒の捉え方や語り方も、少しずつ違う。「主人公のオットーが少年時代、飢えに苦しんで、家主の畑の人参を盗む話だった」「戦争の悲惨さを知る話だった」等々……。
早坂教諭は笑顔で言う。「これから、この物語の本質――つまり『一番言いたいことは何なのか』に迫っていきましょう」
生徒たちが教材と出合い、課題の世界に心を開いた瞬間である。
この日は「開」「示」に当たるらしい。教材はドイツの作家ペーター・ヘルトリング(1933~2017)の短編小説「人参」である。
すぐ本文には入らない。早坂教諭は、まず問うた。「『人参』っていうタイトルを見て、みんなは、どんな物語だと想像したかな?」
生徒一人一人の名前を呼びつつ、軽快なやりとりを重ねる。
「人参を使ってパーティーする話!」
「楽しそうだね!」
「人参の仲間が食べられちゃう?」
「人参目線かあ!」
「人参への『愛』が語られる!」
「なるほど!(笑)」
だが実際に本文を一読すると――どうやら違う。生徒の捉え方や語り方も、少しずつ違う。「主人公のオットーが少年時代、飢えに苦しんで、家主の畑の人参を盗む話だった」「戦争の悲惨さを知る話だった」等々……。
早坂教諭は笑顔で言う。「これから、この物語の本質――つまり『一番言いたいことは何なのか』に迫っていきましょう」
生徒たちが教材と出合い、課題の世界に心を開いた瞬間である。
授業中、早坂愛教諭が生徒一人一人に積極的に声をかける
授業中、早坂愛教諭が生徒一人一人に積極的に声をかける
筋道を示して
筋道を示して
では、本質に迫るには? 「時代背景に注目する」「主人公の感情を分析する」……生徒は必ず「私は~と思います。なぜなら~」と「主語・述語」「主張」「理由」を明確にして意見を言う。言語技術教育の“型”の一つである。
早坂教諭はその都度、理由付けの根拠を「テクスト(文章)のどこの部分にある?」と尋ねる。教材の分量は400字詰め原稿用紙にして7~8枚だろうか。
主人公オットーは、ドイツ人。時代は第2次世界大戦末期。少年時代の回想である。飢えに苦しむ中、家主の畑にある人参が目に入り、思わず盗もうとしてしまう。だが家主に見つかって首をつかまれ、激しく殴られ……少年オットーが飢えているのを知りながら、どうして家主は人参だけでもくれなかったのか。オットーは“今”も疑問に思う――。
では、本質に迫るには? 「時代背景に注目する」「主人公の感情を分析する」……生徒は必ず「私は~と思います。なぜなら~」と「主語・述語」「主張」「理由」を明確にして意見を言う。言語技術教育の“型”の一つである。
早坂教諭はその都度、理由付けの根拠を「テクスト(文章)のどこの部分にある?」と尋ねる。教材の分量は400字詰め原稿用紙にして7~8枚だろうか。
主人公オットーは、ドイツ人。時代は第2次世界大戦末期。少年時代の回想である。飢えに苦しむ中、家主の畑にある人参が目に入り、思わず盗もうとしてしまう。だが家主に見つかって首をつかまれ、激しく殴られ……少年オットーが飢えているのを知りながら、どうして家主は人参だけでもくれなかったのか。オットーは“今”も疑問に思う――。
生徒同士で意見を交換
生徒同士で意見を交換
生徒は一行一行、丁寧に読み、意見を出し合い、聞き合う。早坂教諭が論理的・多角的な検討を加え、「どう思う?」「なぜ?」と問いを重ねる。時折、「あ! そうか!」と生徒から気付きの声も上がる。
授業の終了時刻だ。早坂教諭が今後の学習の筋道として、分析の観点を示した。「オットーがした盗みについて、あなたはどう考える?」「一方の家主の行動については、どう考える?」
善とは。戦争とは。人間とは……。
生徒は一行一行、丁寧に読み、意見を出し合い、聞き合う。早坂教諭が論理的・多角的な検討を加え、「どう思う?」「なぜ?」と問いを重ねる。時折、「あ! そうか!」と生徒から気付きの声も上がる。
授業の終了時刻だ。早坂教諭が今後の学習の筋道として、分析の観点を示した。「オットーがした盗みについて、あなたはどう考える?」「一方の家主の行動については、どう考える?」
善とは。戦争とは。人間とは……。
学びや気付きを書き留めて
学びや気付きを書き留めて
〈取材後記〉
〈取材後記〉
自分だったら、どう答えるだろう? 授業中、取材のメモを取る手が止まり、つい考えてしまう場面が何度もあった。声をかけ、意見も交わしたい。そんな思いにさえ駆られた(もちろん、していません)。次回以降、生徒それぞれが思考を整理して、論理的に組み立てた文章の執筆に挑戦するという。それも見たい。“記者の仕事”であるなしにかかわらず。ただ学びたいのだ。「教授の目的は興味にあり。智識其物を授くるよりは、これより生ずる愉快と奮励にあり」(『牧口常三郎全集』第7巻)。その通りだと得心した。(大宮)
自分だったら、どう答えるだろう? 授業中、取材のメモを取る手が止まり、つい考えてしまう場面が何度もあった。声をかけ、意見も交わしたい。そんな思いにさえ駆られた(もちろん、していません)。次回以降、生徒それぞれが思考を整理して、論理的に組み立てた文章の執筆に挑戦するという。それも見たい。“記者の仕事”であるなしにかかわらず。ただ学びたいのだ。「教授の目的は興味にあり。智識其物を授くるよりは、これより生ずる愉快と奮励にあり」(『牧口常三郎全集』第7巻)。その通りだと得心した。(大宮)
■聖ウルスラ学院 梶田叡一理事長の声
■聖ウルスラ学院 梶田叡一理事長の声
牧口常三郎先生の先駆的な実践
日本の教育界に今こそ広がりを
牧口常三郎先生の先駆的な実践
日本の教育界に今こそ広がりを
カトリックである私が、牧口常三郎先生の創価教育学と出合ったのは、今から約55年前。国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)に勤めていた頃でした。心理学の恩師・波多野完治先生から紹介されたんです。
その後、公明党の教育政策作りにアドバイザーとして参加したことや、創価学会教育部の方々との交流をきっかけに、法華経の思想も学ぶようになりました。そして、牧口先生が教授法として「開示悟入」に着目していたことを知ったんです。
「開示悟入」とは、仏がこの世に出現した理由なんですね。つまり、衆生をして仏の智慧を「①開かしめんがため」「②示さんがため」「③悟らしめんがため」「④入らしめんがため」――だというわけです。
実は法華経のサンスクリット語の原典には、「開」の部分がありません。“示悟入”だったんです。鳩摩羅什が「妙法蓮華経」として漢訳する際、独創的に「開」を付けたのでしょう。
この「開く」には、あらゆる人々の中に仏の智慧が本来、具わっているという大前提があります。具わっているのだから、開けばいい。けれど凡夫は信じられない。だから仏は、種々の譬喩や物語を通して「信」を起こさせようとしたのです。
カトリックである私が、牧口常三郎先生の創価教育学と出合ったのは、今から約55年前。国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)に勤めていた頃でした。心理学の恩師・波多野完治先生から紹介されたんです。
その後、公明党の教育政策作りにアドバイザーとして参加したことや、創価学会教育部の方々との交流をきっかけに、法華経の思想も学ぶようになりました。そして、牧口先生が教授法として「開示悟入」に着目していたことを知ったんです。
「開示悟入」とは、仏がこの世に出現した理由なんですね。つまり、衆生をして仏の智慧を「①開かしめんがため」「②示さんがため」「③悟らしめんがため」「④入らしめんがため」――だというわけです。
実は法華経のサンスクリット語の原典には、「開」の部分がありません。“示悟入”だったんです。鳩摩羅什が「妙法蓮華経」として漢訳する際、独創的に「開」を付けたのでしょう。
この「開く」には、あらゆる人々の中に仏の智慧が本来、具わっているという大前提があります。具わっているのだから、開けばいい。けれど凡夫は信じられない。だから仏は、種々の譬喩や物語を通して「信」を起こさせようとしたのです。
「開示悟入」が明かされる法華経方便品の箇所(妙法蓮華経並開結121ページ)
「開示悟入」が明かされる法華経方便品の箇所(妙法蓮華経並開結121ページ)
では教育に応用すると、どうなるか。教育者は、初めから大事なことを教えようとするのではなく、まず、その大事なことへの興味・関心を、子どもから引き出さなければなりません。「自分も知りたい!」といった主体的な気持ちを持てるよう、発問や導入に工夫を凝らす――これが「開く」ですね。
こうした下準備の上で、大事なことを話したり、やらせてみたりする段階に進みます。それが「示す」です。
続いて「悟らしめる」。学びの対象の良さや味わいを自分なりに深め、納得できるような体験をさせます。そして「入らしめる」。学びが日常生活に生かされ、行動につながるようにすることと言えるでしょう。
「開示悟入」に着目した牧口先生の先駆的な実践がありながら、日本の教育界においては長らく「開」がなおざりにされ、「示」ばかりが強調されてきました。しかし、子どもの心を開いた上で示さないと、効果はありません。納得も感動も生まれないから、「悟」にも「入」にもつながらないわけです。
「ゆとり教育」の時代には、「とにかく、子どものやりたいことをやらせればいい」「大人は、子ども同士が教え合い、学び合うのを、じっと見守っていればいい」といった安易な教育観も横行しました。その実態、その結果は、どうだったか。
「子どもの無限の可能性を信じよう」と口で言うだけなら、“きれいごと”です。その可能性を開くために働きかけをするのが、大人の責任でしょう。牧口先生が『創価教育学体系』で強調されたことも、全ての子どもに備わる「価値創造力」を開くために不可欠な教師の関わりではないですか。
では教育に応用すると、どうなるか。教育者は、初めから大事なことを教えようとするのではなく、まず、その大事なことへの興味・関心を、子どもから引き出さなければなりません。「自分も知りたい!」といった主体的な気持ちを持てるよう、発問や導入に工夫を凝らす――これが「開く」ですね。
こうした下準備の上で、大事なことを話したり、やらせてみたりする段階に進みます。それが「示す」です。
続いて「悟らしめる」。学びの対象の良さや味わいを自分なりに深め、納得できるような体験をさせます。そして「入らしめる」。学びが日常生活に生かされ、行動につながるようにすることと言えるでしょう。
「開示悟入」に着目した牧口先生の先駆的な実践がありながら、日本の教育界においては長らく「開」がなおざりにされ、「示」ばかりが強調されてきました。しかし、子どもの心を開いた上で示さないと、効果はありません。納得も感動も生まれないから、「悟」にも「入」にもつながらないわけです。
「ゆとり教育」の時代には、「とにかく、子どものやりたいことをやらせればいい」「大人は、子ども同士が教え合い、学び合うのを、じっと見守っていればいい」といった安易な教育観も横行しました。その実態、その結果は、どうだったか。
「子どもの無限の可能性を信じよう」と口で言うだけなら、“きれいごと”です。その可能性を開くために働きかけをするのが、大人の責任でしょう。牧口先生が『創価教育学体系』で強調されたことも、全ての子どもに備わる「価値創造力」を開くために不可欠な教師の関わりではないですか。
牧口先生の大著『創価教育学体系』。発刊日は1930年11月18日となっている
牧口先生の大著『創価教育学体系』。発刊日は1930年11月18日となっている
教育界は今、牧口先生の理念に合致した方向へと向かっています。この流れの中で、「開示悟入」を原理とした実践研究が全国的に広がることを強く期待します。
それとともに、生涯学習を志向する現代においては、社会全体が「人々を知的・精神的な学びに導く『開』の刺激に満ちたもの」になってほしいと、願わずにはいられません。
教育界は今、牧口先生の理念に合致した方向へと向かっています。この流れの中で、「開示悟入」を原理とした実践研究が全国的に広がることを強く期待します。
それとともに、生涯学習を志向する現代においては、社会全体が「人々を知的・精神的な学びに導く『開』の刺激に満ちたもの」になってほしいと、願わずにはいられません。
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〈メール〉kansou@seikyo-np.jp
〈ファクス〉03-5360-9613
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