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〈信仰体験〉 “今再び”光を放つ 凄腕ネジ屋のDNA 2026年5月14日

  • 理想を形にする挑戦
モノ作りへの誇りと躍動感が従業員の士気をかきたてる(最前列右から6人目が野村さん)
モノ作りへの誇りと躍動感が従業員の士気をかきたてる(最前列右から6人目が野村さん)

 【兵庫県西宮市】昨年度をもって、ネジ専門工場「株式会社ノムラ」を後進に託した野村博之さん(55)=副支部長。この4月からは、駆け出しの頃のようなワクワク感に包まれている。長年、陰日向になって支えてくれた妻・幸子さん(54)=支部副女性部長=と手を取り合い、“誰かの喜びのため”の挑戦が始まった。

町工場の雄

 この4月から、「ノムラ ホールディングス」(親会社)の代表に就いた野村さん。
 40年近く身を置いた製造現場から離れたものの、従業員の相談役として、今も皆の奮闘ぶりを見守る立場だ。

 1936年(昭和11年)、大阪・浪速区で祖父が始めた小さなネジ問屋。その後、港区に工場を構えた。今や、他を寄せ付けない圧倒的な技術力は、業界でも群を抜き、広く名を馳せる会社へと成長を遂げた。

 「ノムラに削れない金属はない」のコンセプトのもと、完全オーダーメードの受注で加工や部品製造を行う。
 “看板”の「長尺台形ネジ」は河川の水門、工場のベルトコンベヤー、工作機械の全般、医療用器具など、あらゆる分野で使用され、国内外で暮らしを支えている。

 高品質の特殊加工・二次加工をワンストップで実現できる設備を有し、高い技術力と人材を併せ持つ。

「世代の垣根を越えた風通し。忌憚のない意見交換。全て、理想を形にするための必須条件です」と野村さん(写真中央)
「世代の垣根を越えた風通し。忌憚のない意見交換。全て、理想を形にするための必須条件です」と野村さん(写真中央)

 「従業員それぞれが、『ノムラ』ブランドの“守り人”であろうとの自覚を持っています。どんどん悩んで壁にぶち当たり、力を合わせて打ち破る。彼らの成長していく姿が、僕の一番のエネルギーなんです」

 野村さんは、ネジ製造の現場から離れて、“あったらいいな”を形にするモノ作りへと、挑戦の舞台を変えた。それは、介護ベッドの開発プロジェクトだ。

 顧客の理想を形にする――半生を捧げてきた信念は、今もみじんも変わっていない。
 町工場の舵取りは、孤独との戦いでもあった。

幸子さん㊨と共に、野村さんは新たな使命の道を歩む
幸子さん㊨と共に、野村さんは新たな使命の道を歩む
父の一言と反転攻勢

 野村さんの心の原風景がある。

 汗と油がにじむ作業着に、鉄粉まみれの両の腕。町工場がひしめく地で、創価学会の看板を背負って気を吐く父の背中。
 受注が立て込むと学会活動から戻った後も、父は作業を黙々と続けていた。

 野村さんは18歳で家業に入ったものの、同業者の間で「ノムラは潰れる」とうわさされた時期だった。

 入社2カ月で、自宅兼工場を手放すことに。隣接区で小さなマンションの一室を借り、親子で再出発した。

 どん底に落ちても、不動の一念で、広布の第一線に立ち続ける父。
 「何で信心、やってるんや」。長らく学会活動から遠ざかっていた野村さんが問うと、父は言った。「全て、理にかなっているからや」。斜に構えていた心が動き出した。

 「もっぺん、港区で町工場を構えたる」
 野村さんは学会活動に励むようになると、あまたの「理」に出合う。
 大事は小事の積み重ね。一を尽くせば、万へと開く。誠心誠意で折伏に挑むと顧客の気持ちをくみ取れるようになり、モノ作りの精神が培われた。

 反転攻勢の口火を切ったのは父だった。
 「台形ネジを作ろうと思うんや」。まだ設備投資をする余裕はない。野村さんは猛反対した。
 だが、「昔作ったことがあってん。『ノムラは、こんなんができるんやな』と喜ばれたんや」。その父の一言に思い直した。

 喜ばれる、必要とされるものを作るのが、俺らの使命や――。
 製作機械はリースでまかなった。野村さんは全国各地の商社へ、飛び込みで営業をかけた。

 精巧な技術と製品の希少性から注文はうなぎ上り。7年後、港区でのカムバックを果たした。

 全て自社製造。既製品では応えられない、オーダーメードの商いゆえ、無理難題もあった。数えきれぬほど壁にぶち当たる。

 くじけそうになるたび、本部幹部会の中継行事に参加しては奮い立った。
 池田先生の一言一言が、職人魂を揺さぶる。“先生の言う通りや!”。人生を前へ前へと押し出してくれた。

 ネジ一本であろうと全国各地に届け、クレームがあれば、どんなに遠方であろうと現地に行って事に当たる。高い技術力と誠実さで、ブランドを確立していった。

 やがて、自社の台形ネジが海を渡り、異国の産業を支えるまでになった。

若人と介護ベット開発に乗り出す
工場は職人たちの熱気であふれている
工場は職人たちの熱気であふれている
新世代のモノ作り

 労働環境も改善。“若者が伸び伸びと働く工場”と、何度もメディアで取り上げられた。

 一方で、野村さんはある思いを抱くように。“さらなる飛躍には、若い世代が自ら考えて挑戦し、壁にぶつかり突破する力を養うことが不可欠だ”

 「強敵を伏して始めて力士をしる」(新1285・全957)。そうあるために、55歳で社長職を退くことを決断した。

 “世の中に貢献できる新たな挑戦を始めたい”。祈り、模索していた3年前の秋だった。
 妻・幸子さんが脳出血で緊急手術を受けた。動揺する長女・梨々華さん(25)=女性部員、長男・心源さん(23)=男子部員=に寄り添い、不安を取り除くことに努めた。

 仕事中心の生活を変え、野村さんは幸子さんと共に病に立ち向かう。2年間に及ぶリハビリの末、車椅子生活から自力歩行ができるまでに。
 1ミリでも前へ進もうと励む妻に付き添う中で思い付いたのが、介護ベッドの開発だった。

 リハビリを担当する人から、あるベッドの存在を聞いた。
 寝たまま足を自動で上下運動させ、震動を上体に伝えて柔軟性を高められる。リハビリ・介護を受ける側だけでなく、全ての当事者に喜ばれる。だが、量産化できる技術がない。そんな話だった。

 野村さんは、介護ベッドの開発に乗り出すことを決断した。

介護ベッドプロジェクトの打ち合わせ
介護ベッドプロジェクトの打ち合わせ

 昨年5月、志望する若手4人と社内ベンチャーをスタート。
 野村さんは極力、口を挟まない。企画・設計から交渉ごとまで一切を任せた。

 難題にぶつかるたびに一皮、二皮と少しずつ、むけていく若者の姿。手探りで進む挑戦の躍動感。“これやこれ”。それはネジ製造の現場にも波及した。
 医療認定、試作など完成までの道のりはまだまだ。
 だが、野村さんは、新世代のモノ作りの確かな胎動を感じている。

 「喜ばれるものを作るんや」の気概が生み出した台形ネジ。その物語の第2章の幕開けだ。
 ネジ屋のDNA。それは世代を超えて、“今再び”の光を放ち始めた。

事務を担当しながら介護ベッドプロジェクトに携わる長女・梨々華さん(右端)と、今春から働き始めた長男・心源さん(左端)
事務を担当しながら介護ベッドプロジェクトに携わる長女・梨々華さん(右端)と、今春から働き始めた長男・心源さん(左端)

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