世界一、インクルーシブな合唱団が届ける“目で見える音楽”
世界一、インクルーシブな合唱団が届ける“目で見える音楽”
2025年11月6日
- 〈SDGs×SEIKYO〉 ホワイトハンドコーラス NIPPON 芸術監督 コロンえりかさん
- 〈SDGs×SEIKYO〉 ホワイトハンドコーラス NIPPON 芸術監督 コロンえりかさん
目で見える歌、手でも歌える歌がある――。歌詞から感じた情景を手話などを使って表現する「手歌」。この表現方法を取り入れた合唱団「ホワイトハンドコーラス NIPPON」には、ろう者、難聴、全盲、弱視、車いすユーザーなど、多様なメンバーが所属しています。そんな“世界一、インクルーシブ(包摂的)な合唱団”で、芸術監督を務めるベネズエラ出身のソプラノ歌手・コロンえりかさんに、SDGsの目標10「人や国の不平等をなくそう」を巡ってインタビューしました。(取材=澤田清美、樹下智)
目で見える歌、手でも歌える歌がある――。歌詞から感じた情景を手話などを使って表現する「手歌」。この表現方法を取り入れた合唱団「ホワイトハンドコーラス NIPPON」には、ろう者、難聴、全盲、弱視、車いすユーザーなど、多様なメンバーが所属しています。そんな“世界一、インクルーシブ(包摂的)な合唱団”で、芸術監督を務めるベネズエラ出身のソプラノ歌手・コロンえりかさんに、SDGsの目標10「人や国の不平等をなくそう」を巡ってインタビューしました。(取材=澤田清美、樹下智)
――「ホワイトハンドコーラス NIPPON」を設立した経緯について教えてください。
私たちは、「声」で歌う子どもも、「手歌」で歌う子どもも、誰もが一緒に音楽を楽しむことができる、インクルーシブな合唱団です。手歌で歌う「サイン隊」と、声で歌う「声隊」が心を合わせ、同じ音楽を表現しています。サイン隊が、手の動きを伝えるために白い手袋をすることが、名前の由来になっています。
「ホワイトハンドコーラス」は、ベネズエラの音楽教育プログラム「エルシステマ」の一環として、1995年にスタートしました。エルシステマは、貧困や障がいの有無などにかかわらず、全ての子どもたちに無償で音楽教育を提供し、社会問題の解決を目指すプログラムです。
私の父は作曲家で、このプログラムの設立に関わっていました。ですので、私も昔からよく知っていましたが、本格的に活動に携わるようになったのは、2011年の東日本大震災がきっかけです。
音楽には人の心や魂に寄り添う力があると思い、震災後は、福島の子どもたちに歌を教えに行ったり、演奏会を開いたりしました。そんな中で、「エルシステマ」を日本で立ち上げる手伝いをしました。私自身、19年に一般社団法人「エルシステマ・コネクト」を設立し、20年に「ホワイトハンドコーラス NIPPON」が正式にスタートしました。
――「ホワイトハンドコーラス NIPPON」を設立した経緯について教えてください。
私たちは、「声」で歌う子どもも、「手歌」で歌う子どもも、誰もが一緒に音楽を楽しむことができる、インクルーシブな合唱団です。手歌で歌う「サイン隊」と、声で歌う「声隊」が心を合わせ、同じ音楽を表現しています。サイン隊が、手の動きを伝えるために白い手袋をすることが、名前の由来になっています。
「ホワイトハンドコーラス」は、ベネズエラの音楽教育プログラム「エルシステマ」の一環として、1995年にスタートしました。エルシステマは、貧困や障がいの有無などにかかわらず、全ての子どもたちに無償で音楽教育を提供し、社会問題の解決を目指すプログラムです。
私の父は作曲家で、このプログラムの設立に関わっていました。ですので、私も昔からよく知っていましたが、本格的に活動に携わるようになったのは、2011年の東日本大震災がきっかけです。
音楽には人の心や魂に寄り添う力があると思い、震災後は、福島の子どもたちに歌を教えに行ったり、演奏会を開いたりしました。そんな中で、「エルシステマ」を日本で立ち上げる手伝いをしました。私自身、19年に一般社団法人「エルシステマ・コネクト」を設立し、20年に「ホワイトハンドコーラス NIPPON」が正式にスタートしました。
子どもたちと「手歌」の練習をするコロンさん ©Mariko Tagashira
子どもたちと「手歌」の練習をするコロンさん ©Mariko Tagashira
――芸術監督として子どもたちと接する中で、どんなことを感じていますか。
本当に心が動かされることばかりです。これまで自信を持てなかった子どもたちが、歌の練習を通して自信を持ち、どんどん頼もしくなっていく姿を何度も目の当たりにしてきました。
耳が聞こえないある男子高校生には、海外で働きたいという夢がありました。ところが学校の先生に打ち明けると、「耳が聞こえないから無理だろう」と言われたのです。それでも彼は努力を重ね、英検2級を取得。諦めなければ何事も成し遂げられると実感した彼は、今も夢に向かって挑戦しています。
障がいのないある女の子は、周囲と自分を比べてばかりで自信を持てずにいました。しかし、全盲の子のサポートをするようになり、周囲に何を言われても堂々と自分というものを持って生きる彼女の姿に感化されていきました。その女の子の保護者から、「娘は全盲のお友達をサポートしているようで、むしろ支えられているのは、こちらの方でした」と、感謝と感動の手紙が寄せられました。
子どもたちが変わると、保護者をはじめ、周囲の環境も大きく変わっていきます。インクルーシブな機会に恵まれないというのは、障がいのある子どもたちだけではなく、障がいのない子どもたちにとっても、大きな損失だと思います。
――芸術監督として子どもたちと接する中で、どんなことを感じていますか。
本当に心が動かされることばかりです。これまで自信を持てなかった子どもたちが、歌の練習を通して自信を持ち、どんどん頼もしくなっていく姿を何度も目の当たりにしてきました。
耳が聞こえないある男子高校生には、海外で働きたいという夢がありました。ところが学校の先生に打ち明けると、「耳が聞こえないから無理だろう」と言われたのです。それでも彼は努力を重ね、英検2級を取得。諦めなければ何事も成し遂げられると実感した彼は、今も夢に向かって挑戦しています。
障がいのないある女の子は、周囲と自分を比べてばかりで自信を持てずにいました。しかし、全盲の子のサポートをするようになり、周囲に何を言われても堂々と自分というものを持って生きる彼女の姿に感化されていきました。その女の子の保護者から、「娘は全盲のお友達をサポートしているようで、むしろ支えられているのは、こちらの方でした」と、感謝と感動の手紙が寄せられました。
子どもたちが変わると、保護者をはじめ、周囲の環境も大きく変わっていきます。インクルーシブな機会に恵まれないというのは、障がいのある子どもたちだけではなく、障がいのない子どもたちにとっても、大きな損失だと思います。
ろう学校での経験
ろう学校での経験
――コロンさんは、ソプラノ歌手として長年活躍されています。音楽家を目指したきっかけや、原点は何でしょうか。
私は南米ベネズエラで生まれ、10歳の時に来日し、神戸に移り住み、15歳で阪神・淡路大震災に遭いました。
両親が立ち上げた合唱団の仲間と避難所で歌うと、皆さんが涙を流してくださって……。どんなにつらくても、“明日もまた頑張ろう”という気持ちが湧き上がりました。「音楽には一体どんな力があるんだろう?」と、その時からずっと問い続けるようになりました。
音楽家を志しましたが、共に音楽家だった両親からは、なぜか猛反対されました。大学では教育学を専攻し、学校の先生を目指しました。
そんな中、教員免許を取るための実習の一環で、ろう学校を訪問する機会がありました。聞こえない子どもたちが私に“歌を歌って!”と言ってくれ、皆の前で歌うことになりました。私の目を見つめながら、歌を聴いてくれた子どもたちの姿は今でも忘れられません。その時に、音楽って、音で聞こえる世界だけで完結するものじゃないと感じたんです。
教員として数年働きましたが、“音楽とは何か”という問いの答えを求め、ソプラノ歌手を目指すようになりました。
――コロンさんは、ソプラノ歌手として長年活躍されています。音楽家を目指したきっかけや、原点は何でしょうか。
私は南米ベネズエラで生まれ、10歳の時に来日し、神戸に移り住み、15歳で阪神・淡路大震災に遭いました。
両親が立ち上げた合唱団の仲間と避難所で歌うと、皆さんが涙を流してくださって……。どんなにつらくても、“明日もまた頑張ろう”という気持ちが湧き上がりました。「音楽には一体どんな力があるんだろう?」と、その時からずっと問い続けるようになりました。
音楽家を志しましたが、共に音楽家だった両親からは、なぜか猛反対されました。大学では教育学を専攻し、学校の先生を目指しました。
そんな中、教員免許を取るための実習の一環で、ろう学校を訪問する機会がありました。聞こえない子どもたちが私に“歌を歌って!”と言ってくれ、皆の前で歌うことになりました。私の目を見つめながら、歌を聴いてくれた子どもたちの姿は今でも忘れられません。その時に、音楽って、音で聞こえる世界だけで完結するものじゃないと感じたんです。
教員として数年働きましたが、“音楽とは何か”という問いの答えを求め、ソプラノ歌手を目指すようになりました。
白い手袋をしながら、いきいきとした表情で「手歌」を披露する ©Mariko Tagashira
白い手袋をしながら、いきいきとした表情で「手歌」を披露する ©Mariko Tagashira
――「ホワイトハンドコーラス NIPPON」では、ベートーベン作曲の「第九」を手歌で表現する取り組みに挑戦され、国内外で披露し、反響を呼んできました。
ベートーベンの楽曲を、耳が聞こえる人と聞こえない人が一緒になって合唱するのは、大きな意味を持つことだと思います。
「第九」は大作ですし、歌詞には深い意味が込められています。歌詞の解釈について、何度も話し合いを重ね、手歌にするまで約4年の歳月を費やしました。
完成後、2021年にコンサートで披露しました。舞台袖で、あるメンバーが「ベートーベン、どうか見ていてください!」って祈っている姿を見て、“自分の作品が目に見える形で表現されているのを、きっとベートーベンは見たかったに違いない”と、熱いものが込み上げてきました。
23年3月、私はドイツ・ボンにある「ベートーベンの生家」を訪れました。関係者に、「私たちの『第九』の演奏をベートーベンに届けたいです!」と語ると、そこからどんどん話が進み、多くの方々の協力のもと、24年2月にはオーストリアの国会議事堂や、国連ウィーン事務所での演奏会が実現しました。同年9月には、ボンで毎年行われるベートーベン音楽祭に出演することもできました。
――「ホワイトハンドコーラス NIPPON」では、ベートーベン作曲の「第九」を手歌で表現する取り組みに挑戦され、国内外で披露し、反響を呼んできました。
ベートーベンの楽曲を、耳が聞こえる人と聞こえない人が一緒になって合唱するのは、大きな意味を持つことだと思います。
「第九」は大作ですし、歌詞には深い意味が込められています。歌詞の解釈について、何度も話し合いを重ね、手歌にするまで約4年の歳月を費やしました。
完成後、2021年にコンサートで披露しました。舞台袖で、あるメンバーが「ベートーベン、どうか見ていてください!」って祈っている姿を見て、“自分の作品が目に見える形で表現されているのを、きっとベートーベンは見たかったに違いない”と、熱いものが込み上げてきました。
23年3月、私はドイツ・ボンにある「ベートーベンの生家」を訪れました。関係者に、「私たちの『第九』の演奏をベートーベンに届けたいです!」と語ると、そこからどんどん話が進み、多くの方々の協力のもと、24年2月にはオーストリアの国会議事堂や、国連ウィーン事務所での演奏会が実現しました。同年9月には、ボンで毎年行われるベートーベン音楽祭に出演することもできました。
招へいを受け、オーストリア国会議事堂での特別公演が実現。「手歌」と合唱を交えたパフォーマンスに場内は感動に包まれた(昨年2月) ©Miyuki Hori
招へいを受け、オーストリア国会議事堂での特別公演が実現。「手歌」と合唱を交えたパフォーマンスに場内は感動に包まれた(昨年2月) ©Miyuki Hori
――創価学会にとっても「第九」は特別な楽曲です。1994年に「アジア青年平和音楽祭」(5万人の第九)、2001年には「アジア青年平和文化総会」(10万人の第九)を開催するなど、「第九」の演奏を通じて平和のメッセージを伝えてきました。今月にも福岡市内で、「Asia Peace Festa 2025」(世界平和の第九)を開催する予定です。
それだけ多くの人が一緒に合唱するなんて、すごいことですね!
「第九」は、“もう一度、人間がつながれるんだ”ということを信じさせてくれる作品です。
今も世界では戦火が続いていて、それをニュースで目にすると、心が折れそうになります。それでも“平和は実現できる”と信じ、努力し続けないと、決して平和が訪れることはありません。「第九」も、“全ての人間が兄弟姉妹になる”という、高い理想を掲げています。それを冷ややかに受け止める人もいるかもしれませんが、その理想を信じなければ、何も始まりません。
「第九」を歌う時、この理想が、たった一瞬だとしても舞台の上で実現する。ホワイトハンドコーラスでは、耳が聞こえない人も、車いすの人も、出身国が違う人も、その瞬間だけは、“皆が兄弟姉妹”になるんです。創価学会の皆さんが取り組んでいる「世界平和の第九」も、そうした高い理想を実現する象徴的なイベントになるのではないでしょうか。
「第九」はシラーの詩が使われていますが、バリトンのソロの部分はベートーベン自身が書き加えた歌詞です。“こんな音楽じゃない! もっと喜びに満ちた歌を一緒に歌おう”と、呼びかけている内容です。
その呼びかけに応える形で、「フロイデ(歓喜)」と歌いながら、合唱が加わります。“ベートーベンが掲げた夢を皆でかなえていきましょう”という思いで、「第九」を歌っていきたいですね。
――創価学会にとっても「第九」は特別な楽曲です。1994年に「アジア青年平和音楽祭」(5万人の第九)、2001年には「アジア青年平和文化総会」(10万人の第九)を開催するなど、「第九」の演奏を通じて平和のメッセージを伝えてきました。今月にも福岡市内で、「Asia Peace Festa 2025」(世界平和の第九)を開催する予定です。
それだけ多くの人が一緒に合唱するなんて、すごいことですね!
「第九」は、“もう一度、人間がつながれるんだ”ということを信じさせてくれる作品です。
今も世界では戦火が続いていて、それをニュースで目にすると、心が折れそうになります。それでも“平和は実現できる”と信じ、努力し続けないと、決して平和が訪れることはありません。「第九」も、“全ての人間が兄弟姉妹になる”という、高い理想を掲げています。それを冷ややかに受け止める人もいるかもしれませんが、その理想を信じなければ、何も始まりません。
「第九」を歌う時、この理想が、たった一瞬だとしても舞台の上で実現する。ホワイトハンドコーラスでは、耳が聞こえない人も、車いすの人も、出身国が違う人も、その瞬間だけは、“皆が兄弟姉妹”になるんです。創価学会の皆さんが取り組んでいる「世界平和の第九」も、そうした高い理想を実現する象徴的なイベントになるのではないでしょうか。
「第九」はシラーの詩が使われていますが、バリトンのソロの部分はベートーベン自身が書き加えた歌詞です。“こんな音楽じゃない! もっと喜びに満ちた歌を一緒に歌おう”と、呼びかけている内容です。
その呼びかけに応える形で、「フロイデ(歓喜)」と歌いながら、合唱が加わります。“ベートーベンが掲げた夢を皆でかなえていきましょう”という思いで、「第九」を歌っていきたいですね。
失敗を恐れずに
失敗を恐れずに
――本年、日本では「手話の日」が制定され、今月には、耳の聞こえないアスリートのためのオリンピック「東京2025デフリンピック」が開催されます。SDGsの目標10には、“障がいの有無などにかかわらず、全ての人々が平等に社会に参画する”ことが掲げられていますが、誰も置き去りにしない社会を築くために、私たち一人一人が心がけるべきことは何でしょうか。
「障害者権利条約」が策定される際に掲げられたスローガンは、“Nothing about us without us(私たち抜きに私たちのことを決めないで)”でした。
障がいのない人が気を使いすぎて、障がいがある人に何も聞かずに勝手に物事を決めてしまうケースがあります。それがむしろ、障がいがある人を窮屈に感じさせてしまうこともある。当事者の声を聞かなければ、本当に必要としていることは分からないし、その人その人によって状況は違うので、直接聞くのを恐れないことが大事だと思います。
――コロンえりかさんは、駐日ベネズエラ大使夫人、ソプラノ歌手、また4児の母として多忙な日々を送る中、音楽教育に情熱を燃やしてこられました。最後に、未来を担う子どもや青年へのメッセージをお願いします。
「障害者権利条約」を宣揚する歌を手歌にする過程で、子どもたちが引っかかった手話がありました。日本の手話では、「障がい者」は「壊れた人」と表現されます。これまで何も考えずに使ってきた手話ですが、子どもたちが「耳は聞こえないけれど、私は壊れてません」「どうして私たちは、壊れた人って言われなきゃいけないんですか」って。表現に葛藤を持つようになったんです。
――本年、日本では「手話の日」が制定され、今月には、耳の聞こえないアスリートのためのオリンピック「東京2025デフリンピック」が開催されます。SDGsの目標10には、“障がいの有無などにかかわらず、全ての人々が平等に社会に参画する”ことが掲げられていますが、誰も置き去りにしない社会を築くために、私たち一人一人が心がけるべきことは何でしょうか。
「障害者権利条約」が策定される際に掲げられたスローガンは、“Nothing about us without us(私たち抜きに私たちのことを決めないで)”でした。
障がいのない人が気を使いすぎて、障がいがある人に何も聞かずに勝手に物事を決めてしまうケースがあります。それがむしろ、障がいがある人を窮屈に感じさせてしまうこともある。当事者の声を聞かなければ、本当に必要としていることは分からないし、その人その人によって状況は違うので、直接聞くのを恐れないことが大事だと思います。
――コロンえりかさんは、駐日ベネズエラ大使夫人、ソプラノ歌手、また4児の母として多忙な日々を送る中、音楽教育に情熱を燃やしてこられました。最後に、未来を担う子どもや青年へのメッセージをお願いします。
「障害者権利条約」を宣揚する歌を手歌にする過程で、子どもたちが引っかかった手話がありました。日本の手話では、「障がい者」は「壊れた人」と表現されます。これまで何も考えずに使ってきた手話ですが、子どもたちが「耳は聞こえないけれど、私は壊れてません」「どうして私たちは、壊れた人って言われなきゃいけないんですか」って。表現に葛藤を持つようになったんです。
特別公演を行ったウィーンの国会議事堂の前で(昨年2月) ©Miyuki Hori
特別公演を行ったウィーンの国会議事堂の前で(昨年2月) ©Miyuki Hori
それが皆の心を動かし、いろいろな人たちを介して、手話表現を時代に即した表現に変えていくための意見書を京都市議会から国に提出していただくことにつながりました。大人はつい、これまでの習慣や考えにとらわれてしまいがちですが、子どもたちはフレッシュな感覚を持っていると実感します。
だからこそ、若い皆さんに伝えたいのは、とにかく失敗を恐れないことです。若い皆さんには、大人が考えないような発想を生み出す力があります。
「第九」の歌詞に、“走れ、兄弟よ。君の道を行け”とありますが、とにかく“どんどん行こう!”って、未来を担う若者や子どもたちに伝えたい。もう大人なんか無視していいから(笑)、前に進んでいってほしいです。
合唱に「手歌」があるのが当たり前になって、あらゆる場所がインクルーシブな環境になって、誰もが輝いていく時代が必ずやって来る。ホワイトハンドコーラスの子どもたちを見ていると、そうした希望が胸からあふれ出てくるんです。
それが皆の心を動かし、いろいろな人たちを介して、手話表現を時代に即した表現に変えていくための意見書を京都市議会から国に提出していただくことにつながりました。大人はつい、これまでの習慣や考えにとらわれてしまいがちですが、子どもたちはフレッシュな感覚を持っていると実感します。
だからこそ、若い皆さんに伝えたいのは、とにかく失敗を恐れないことです。若い皆さんには、大人が考えないような発想を生み出す力があります。
「第九」の歌詞に、“走れ、兄弟よ。君の道を行け”とありますが、とにかく“どんどん行こう!”って、未来を担う若者や子どもたちに伝えたい。もう大人なんか無視していいから(笑)、前に進んでいってほしいです。
合唱に「手歌」があるのが当たり前になって、あらゆる場所がインクルーシブな環境になって、誰もが輝いていく時代が必ずやって来る。ホワイトハンドコーラスの子どもたちを見ていると、そうした希望が胸からあふれ出てくるんです。
合唱団のメンバーと手話で言葉を交わすコロンさん㊨ ©Mariko Tagashira
合唱団のメンバーと手話で言葉を交わすコロンさん㊨ ©Mariko Tagashira
コロン・えりか ベネズエラで生まれ、10歳の時に来日。聖心女子大学、同大学院で教育学を学んだ後、英国王立音楽院の声楽科修士課程を修了。2019年、東京国際声楽コンクールにてグランプリ・歌曲両部門で優勝する。ソプラノ歌手として国内外で活動を続けながら、ホワイトハンドコーラスNIPPONの芸術監督を務め、子どもたちに音楽を教えている。4児の母。駐日ベネズエラ大使夫人。
コロン・えりか ベネズエラで生まれ、10歳の時に来日。聖心女子大学、同大学院で教育学を学んだ後、英国王立音楽院の声楽科修士課程を修了。2019年、東京国際声楽コンクールにてグランプリ・歌曲両部門で優勝する。ソプラノ歌手として国内外で活動を続けながら、ホワイトハンドコーラスNIPPONの芸術監督を務め、子どもたちに音楽を教えている。4児の母。駐日ベネズエラ大使夫人。
●ご感想をお寄せください
https://www.seikyoonline.com/intro/form/kansou-input-sdgs.html
●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html
●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html
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●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html