小説「新・人間革命」に学ぶ 第1巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座
小説「新・人間革命」に学ぶ 第1巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座
2018年10月31日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第1巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第1巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
紙上講座 池田主任副会長
紙上講座 池田主任副会長
ポイント
①物語の時代背景
②世界宗教への幕開け
③「一人」への励まし
ポイント
①物語の時代背景
②世界宗教への幕開け
③「一人」への励まし
小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」には、池田先生が執筆を思い立った理由が二つ挙げられています。
一つは「先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたから」(2ページ)であり、もう一つは「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならないとの思いから」(同)でした。
すなわち、池田先生にとって、『新・人間革命』の執筆は、恩師の偉大さを証明し、その精神を未来永遠に伝えゆく弟子の実践だったのです。
前作の小説『人間革命』は、「黎明」の章から始まります。これに対して『新・人間革命』は、「旭日」の章からスタートします。
「黎明」「旭日」は、どちらも太陽が関係する表現ではありますが、意味合いが少し異なります。
「黎明」とは、夜明け。この黎明の後に昇るのが「旭日」です。
『人間革命』では、戸田先生の心の中だけに「黎明」があったと述べられています。つまり、戸田先生お一人の心から始まった「地涌の菩薩」としての自覚と実践が、弟子・山本伸一に受け継がれ、旭日の勢いで、世界へ広宣流布が広がっていったのです。
さて、『新・人間革命』第1巻が発刊されたのは1998年(平成10年)の1月2日。池田先生が70歳の古希を迎えた日です。この2日後の1月4日付の聖教新聞に、第1回となる「随筆 新・人間革命」が掲載されました。その中で先生はご自身の来し方を10年ごとに振り返りつつ、未来を展望されます。
「七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立 八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉 このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」
『新・人間革命』第1巻の「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』を書き続けていくつもりである」(353ページ)。この『新・人間革命』を執筆することによって、池田先生は、創価三代の精神を後世に、また永遠に留めていこうとされたのだと思えてなりません。
小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」には、池田先生が執筆を思い立った理由が二つ挙げられています。
一つは「先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたから」(2ページ)であり、もう一つは「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならないとの思いから」(同)でした。
すなわち、池田先生にとって、『新・人間革命』の執筆は、恩師の偉大さを証明し、その精神を未来永遠に伝えゆく弟子の実践だったのです。
前作の小説『人間革命』は、「黎明」の章から始まります。これに対して『新・人間革命』は、「旭日」の章からスタートします。
「黎明」「旭日」は、どちらも太陽が関係する表現ではありますが、意味合いが少し異なります。
「黎明」とは、夜明け。この黎明の後に昇るのが「旭日」です。
『人間革命』では、戸田先生の心の中だけに「黎明」があったと述べられています。つまり、戸田先生お一人の心から始まった「地涌の菩薩」としての自覚と実践が、弟子・山本伸一に受け継がれ、旭日の勢いで、世界へ広宣流布が広がっていったのです。
さて、『新・人間革命』第1巻が発刊されたのは1998年(平成10年)の1月2日。池田先生が70歳の古希を迎えた日です。この2日後の1月4日付の聖教新聞に、第1回となる「随筆 新・人間革命」が掲載されました。その中で先生はご自身の来し方を10年ごとに振り返りつつ、未来を展望されます。
「七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立 八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉 このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」
『新・人間革命』第1巻の「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』を書き続けていくつもりである」(353ページ)。この『新・人間革命』を執筆することによって、池田先生は、創価三代の精神を後世に、また永遠に留めていこうとされたのだと思えてなりません。
皆がダイヤの原石
皆がダイヤの原石
第1巻について、三つの観点から考えていきたいと思います。
第1のポイントは「時代背景」です。伸一が世界広布の第一歩を刻んだ60年(昭和35年)は、国内外において激動の時代でした。
日本では、日米安全保障条約の改定を巡り、国論は二分していた。世界は冷戦時代の真っただ中で、核兵器の脅威にさらされていました。
アメリカ国内を見ても、人種差別が続いていた。ブラジルでは、日系移住者が数多くの労苦を抱えていました。伸一は、その国や地域の時代背景を踏まえた上で指導しています。
第2のポイントは「世界宗教への幕開け」です。伸一は、恩師から託された世界広布を、どう具体的に進めていくか、人知れず模索していました。
サンフランシスコでは、信心していない壮年を地区の顧問に任命したり、ネバダ州から来ていた夫妻と会うや、ネバダ地区の結成を決めたりします。
これについて、「彼の打つ手の一つ一つは、決して、単なる思いつきではなかった。たとえ瞬時に下された決断であっても、広宣流布のために一念に億劫の辛労を尽くしての熟慮があった」(122ページ)と記されています。
また、「アメリカという新天地に、題目を染み渡らせる思いで、国土の繁栄を祈り念じ、常に唱題を心がけていた」(190ページ)とつづられている通り、伸一は訪問した先々で、友の幸福と地域の発展を胸中で祈りながら、平和旅を続けました。
こうした真剣な祈りと、24日間で3カ国9都市を巡るという激闘によって、2支部17地区が結成され、世界宗教への幕が開かれたのです。
最後のポイントは、世界広布といっても、「目の前の『一人』を励ますことから始まる」ということです。たとえ支部や地区をつくっても、組織を担っていくのは「人」だからです。
サンフランシスコで、“人材がいない”と嘆く同行の幹部に対し、伸一はこう語ります。
「みんな人材です。これから光ってゆきます。純粋に信心を全うしていけば、みんな広布の歴史に名を残すパイオニアの人たちです」(132ページ)
伸一にとっては、一人一人が「ダイヤモンドの原石」でした。その宝の人材を伸一自らが率先して「見つけ」「磨き」「育てる」ことを実践したのです。
シカゴでは、ホテルの廊下に座り込んで、伸一の帰りを待っていた婦人たちと懇談しました。皆、身なりも立派ではなかった。しかし、伸一は「仏」と捉え、全力で激励していきます。
外見や立場などで、決してその人を判断しない。また、信心していなくとも、一つ一つの出会いに心を注ぎ、友情をはぐくんでいく。それが、伸一の信念であり、私たち一人一人が模範とすべき根本姿勢です。
第1巻について、三つの観点から考えていきたいと思います。
第1のポイントは「時代背景」です。伸一が世界広布の第一歩を刻んだ60年(昭和35年)は、国内外において激動の時代でした。
日本では、日米安全保障条約の改定を巡り、国論は二分していた。世界は冷戦時代の真っただ中で、核兵器の脅威にさらされていました。
アメリカ国内を見ても、人種差別が続いていた。ブラジルでは、日系移住者が数多くの労苦を抱えていました。伸一は、その国や地域の時代背景を踏まえた上で指導しています。
第2のポイントは「世界宗教への幕開け」です。伸一は、恩師から託された世界広布を、どう具体的に進めていくか、人知れず模索していました。
サンフランシスコでは、信心していない壮年を地区の顧問に任命したり、ネバダ州から来ていた夫妻と会うや、ネバダ地区の結成を決めたりします。
これについて、「彼の打つ手の一つ一つは、決して、単なる思いつきではなかった。たとえ瞬時に下された決断であっても、広宣流布のために一念に億劫の辛労を尽くしての熟慮があった」(122ページ)と記されています。
また、「アメリカという新天地に、題目を染み渡らせる思いで、国土の繁栄を祈り念じ、常に唱題を心がけていた」(190ページ)とつづられている通り、伸一は訪問した先々で、友の幸福と地域の発展を胸中で祈りながら、平和旅を続けました。
こうした真剣な祈りと、24日間で3カ国9都市を巡るという激闘によって、2支部17地区が結成され、世界宗教への幕が開かれたのです。
最後のポイントは、世界広布といっても、「目の前の『一人』を励ますことから始まる」ということです。たとえ支部や地区をつくっても、組織を担っていくのは「人」だからです。
サンフランシスコで、“人材がいない”と嘆く同行の幹部に対し、伸一はこう語ります。
「みんな人材です。これから光ってゆきます。純粋に信心を全うしていけば、みんな広布の歴史に名を残すパイオニアの人たちです」(132ページ)
伸一にとっては、一人一人が「ダイヤモンドの原石」でした。その宝の人材を伸一自らが率先して「見つけ」「磨き」「育てる」ことを実践したのです。
シカゴでは、ホテルの廊下に座り込んで、伸一の帰りを待っていた婦人たちと懇談しました。皆、身なりも立派ではなかった。しかし、伸一は「仏」と捉え、全力で激励していきます。
外見や立場などで、決してその人を判断しない。また、信心していなくとも、一つ一つの出会いに心を注ぎ、友情をはぐくんでいく。それが、伸一の信念であり、私たち一人一人が模範とすべき根本姿勢です。
「征」の一字の意味
「征」の一字の意味
「旭日」の章に、戸田先生が伸一に語った言葉がつづられています。「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」(14ページ)
ここで注目したいのは、「ゆく」の漢字が「行」ではなく、「征」となっている点です。この「征」の字には「攻めに向かう」といった意味が含まれています。
第1巻の最後には「伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった」(346ページ)と。恩師の「征くんだ」との叫びは、池田先生にとって戸田先生と歩む「平和への遠征」の原点にほかならなかったのです。
学会歌「人間革命の歌」の歌詞の中に、「君も征け 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け」とあります。私たちも小説『新・人間革命』を学びながら、師と共に「平和への遠征」へ出発しようではありませんか。
「旭日」の章に、戸田先生が伸一に語った言葉がつづられています。「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」(14ページ)
ここで注目したいのは、「ゆく」の漢字が「行」ではなく、「征」となっている点です。この「征」の字には「攻めに向かう」といった意味が含まれています。
第1巻の最後には「伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった」(346ページ)と。恩師の「征くんだ」との叫びは、池田先生にとって戸田先生と歩む「平和への遠征」の原点にほかならなかったのです。
学会歌「人間革命の歌」の歌詞の中に、「君も征け 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け」とあります。私たちも小説『新・人間革命』を学びながら、師と共に「平和への遠征」へ出発しようではありませんか。
小説『新・人間革命』第1巻「新世界」の章の舞台となったアメリカ・サンフランシスコ(1993年3月、池田先生撮影)
小説『新・人間革命』第1巻「新世界」の章の舞台となったアメリカ・サンフランシスコ(1993年3月、池田先生撮影)
<名言集>
<名言集>
●幸福の宮殿
●幸福の宮殿
幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が信心なんです。
(「旭日」の章、58ページ)
幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が信心なんです。
(「旭日」の章、58ページ)
●「時」を逃すな
●「時」を逃すな
戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。
(「新世界」の章、114ページ)
戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。
(「新世界」の章、114ページ)
●師子の存在
●師子の存在
いずこの地にあっても、広布を推進していくには、一人立つ師子の存在が不可欠である。いかなる困難にも敢然と立ち向かい、広宣流布の全責任を担おうとする「人」がいなければ、向上も、発展もありえない。
(「錦秋」の章、202ページ)
いずこの地にあっても、広布を推進していくには、一人立つ師子の存在が不可欠である。いかなる困難にも敢然と立ち向かい、広宣流布の全責任を担おうとする「人」がいなければ、向上も、発展もありえない。
(「錦秋」の章、202ページ)
●大木とマッチ棒
●大木とマッチ棒
大きな釣鐘があっても、どんな撞木を使うかによって、音の出方は違ってくる。大木で力いっぱい突けば、大きな音が出るけれど、マッチ棒や割り箸で叩いたのでは、小さな音しか出ないでしょう。これと同じように、御本尊は、無量の仏力、法力を具えていますが、こちらの信力、行力が弱ければ、マッチ棒で釣鐘を叩いているようなもので、大きな功徳を出すことはできない。
(「慈光」の章、237~238ページ)
大きな釣鐘があっても、どんな撞木を使うかによって、音の出方は違ってくる。大木で力いっぱい突けば、大きな音が出るけれど、マッチ棒や割り箸で叩いたのでは、小さな音しか出ないでしょう。これと同じように、御本尊は、無量の仏力、法力を具えていますが、こちらの信力、行力が弱ければ、マッチ棒で釣鐘を叩いているようなもので、大きな功徳を出すことはできない。
(「慈光」の章、237~238ページ)
●誓願の祈り
●誓願の祈り
日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。
(「開拓者」の章、295ページ)
日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。
(「開拓者」の章、295ページ)
●人生の開拓者
●人生の開拓者
人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。
(「開拓者」の章、300ページ)
人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。
(「開拓者」の章、300ページ)
【題字のイラスト】間瀬健治
【題字のイラスト】間瀬健治