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〈Seikyo Gift〉 長男が全国障害者スポーツ大会で3冠〈信仰体験〉 2024年3月3日

  • 挑戦の祈り スタートラインは そこにある
「桜梅桃李でいい」。知的障がいのある長男・陽太さん㊨に合わせ、育んできた母・石松さん。現在、陽太さんは働きながら、健常者と共に走る陸上のクラブチームでも活動する
「桜梅桃李でいい」。知的障がいのある長男・陽太さん㊨に合わせ、育んできた母・石松さん。現在、陽太さんは働きながら、健常者と共に走る陸上のクラブチームでも活動する

 【横浜市港北区】母と子は、それぞれ中学校時代、陸上部に入部した。2人とも、走るのが大好き。長距離より、短距離が得意なのも一緒。ただ“全国1位になる”という夢は、息子だけが社会人になっても抱き続けた。母の石松啓子さん(55)=支部女性部長=は今、応援に徹する。昨年秋、ついに目標を達成する瞬間が。長男・陽太さん(18)=男子部員=が、九州で開かれた大会へ。第23回全国障害者スポーツ大会「燃ゆる感動かごしま大会」。息子には、軽度の知的障がいがある。(1月14日付)

 さっそうと走る姿から、陽太さんに障がいがあるとは分からない。100メートル走の自己ベストは11秒57。とにかく速い。
 横浜市の代表として2年連続で挑んだ、全国の舞台。初出場となった前回は「2位」が最高順位。夢の実現まで、あと一歩及ばなかった。
 “今度こそ1位に”。親子は同じ思いで臨んだ。諦めない。今大会の目標を、出場する3種目での金メダルと定め、リベンジの号砲を待ちわびた。
 「オン・ユア・マークス(位置について)」「セット(用意)」……「パン!」
 
 大会1日目。まずは200メートル走から。
 コースはカーブ内側の第2レーン。外側の選手が前方に多く見えるため、焦りやすい。「自分の走りに集中して、楽しんでおいで」。石松さんは朗らかに送り出した。
 内側の急カーブを陽太さんが上手に曲がると、1番手で直線へ。そのままゴールラインを駆け抜けた。
 タイムは自己ベストを更新する23秒31。念願の金メダル獲得だ。“よし!”。親子共に喜びが爆発。が、すぐに気持ちを切り替えた。“あと二つ!”
 
 2日目は短距離の花形100メートル走。だが初日のレース直後から、左足首に痛みが……。陽太さんはトレーナーらと相談し、ギリギリまで出場を悩んだ。“3日目は団体の大事なリレーがある。100メートルは辞退した方がいいだろうか”
 大会中、観客席から応援する石松さんは、選手である息子と連絡を取らない。判断は本人に任せている。陽太さんの脳裏には、これまで支えくれた母の姿が浮かんでいた――。

 「ママは陽太の応援団だからね」。かつて石松さんは、登校を渋り始めた息子に言った。
 ところが当時、小学校3年の息子から思わぬ一言が。「ママは僕の応援団じゃない」
 石松さんは心のどこかで、子どもは学校に行くのが普通だと思っていた。励ますつもりで言った言葉も、登校を促すように聞こえたのかもしれない。そうした一つ一つが息子を苦しめ、追い詰めていた。
 「もう無理に学校へ行く必要はないよ」。担任教諭とも相談し、登校したい時は送り、下校したい時は迎えに行った。1日に4往復したことも。
 全く通えない時期もあった。学期末には、空欄ばかりの成績表が。わが子の存在が、誰にも評価されないような通知。悔し涙をのみ、御本尊に祈った。“陽太の使命が大きく開けますように!”

 石松さん自身、学校でいじめに遭い、人間関係に悩んだ経験がある。乗り越えられたのは、信心と、中等部の頃に始めた「富士鼓笛隊」の存在だった。池田先生のもとで奏でた、平和の天使の誇り。「課題から逃げない。御本尊の前から挑戦する。そこがスタートラインだ、と教わってきました」
 だから、小学校6年で息子が「知的障がい」と初めて診断された時も帰宅後、すぐ唱題を。結果を素直に受け入れたわけではない。むしろ認めたくなかった。「でも、スタートラインについたら、前を向くしかない。後ろに走る人はいないでしょ。人生は、陸上と同じみたい」

「障がいは個性だからね」と家族の絆も強く(左から父・林義也さん、石松さん、長男・陽太さん、長女・ほのかさん)
「障がいは個性だからね」と家族の絆も強く(左から父・林義也さん、石松さん、長男・陽太さん、長女・ほのかさん)

 陽太さんは、中学校で個別支援学級(特別支援学級)に進んだ。知的障がい等の子どもに配慮されたクラス。理由は「ゆっくり勉強したいから」。石松さんは本人の意思を尊重し、親が決めないことを心がけた。
 そんな中、自ら選んだ部活が、健常者と共に走る陸上部だった。障がいを特別扱いされない環境で、自然と、たくましくなった。
 中学校3年の運動会。持久走に出場した陽太さんは、最前列でスタートを待った。
 「よーい、ドン!」
 その瞬間、後ろからの勢いで倒れ、顔や膝が血まみれに。それでも立ち上がり、ゴールまで走り抜いた。
 石松さんは、夫と共に固唾をのんで見守った。「約30人中、息子は最下位でスタート。でも最後は10位くらいに。痛々しかったけれど、強くなったと感動したものです」

 母から子に受け継がれた、負けじ魂――。
 二つ目の金メダルがかかった大会2日目。陽太さんは100メートル走のレーンに現れた。足首はまだ痛い。向かい風で自己ベスト更新も難しい。「でも、負けられなかった」と。
 スタート直前、選手はジャンプするなど、各人のルーティンがある。陽太さんの場合、それは「祈り」だ。「不登校になった時から毎朝、母が一緒に祈ってくれました。僕にとって一番安心する習慣なんです」
 この日も、いつものように心の中で祈る。“自分に勝つ!”
 結果は、同じ組で唯一の11秒台。ぶっち切りの金メダルだ。

全国障害者スポーツ大会の100メートル走で、1着でゴールする陽太さん(昨年10月、本人提供)
全国障害者スポーツ大会の100メートル走で、1着でゴールする陽太さん(昨年10月、本人提供)

 その勢いのままに迎えた大会3日目。いよいよ、4×100メートルのリレーだ。陽太さんは“エース級”が任されることの多い、2走。長いバックストレートを駆ける。
 最も注意するのは、バトンの受け渡し。30メートルのテイク・オーバー・ゾーン内で行わないと、失格になる。加速した状態でつないで好タイムを狙いたいが、失格になれば皆の努力が“水の泡”だ。
 陽太さんは、1走から確実にバトンを受け取ると、ぐんぐん加速した。ところが3走のスタートが練習時よりも早い。
 その様子は、スタンドの石松さんの目からも明らか。“まずい。陽太が30メートルで追い付かないのでは……”
 次の瞬間、初めて聞く、息子の叫び声が。「待てー!」。3走が気付き、ギリギリのところでバトンパスを。大会新の46秒31。堂々の金メダルだった。

陽太さんが3冠を達成した金メダル
陽太さんが3冠を達成した金メダル

 終了後、陽太さんのもとに仲間が集まる。「ナイス判断!」。皆の笑みが輝いた。
 “太陽のように”と願い、名を付けたが、大声を出せるような子ではなかった。それが今では、チームの勝利のために、苦しくとも叫べるように。
 ここ数年、息子への指針と思って携えてきた、「わが友に贈る」の言葉をかみ締める。
 「いつも笑顔を忘れずに! 心に不屈の太陽を! 負けないことそれ自体が 全ての勝利につながる。焦らず弛まず一歩ずつ!」
 この言葉も、わが子に引き継ごうと思っている。

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