〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第176回 104歳 約束は胸の奥に
〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第176回 104歳 約束は胸の奥に
2026年5月3日
- 「毎日がいっぱい感謝です」
- 「毎日がいっぱい感謝です」
「べっぴんしゃんに撮ってね」と明るい郁子さん。その一言で、ぱっと空気が和らいだ
「べっぴんしゃんに撮ってね」と明るい郁子さん。その一言で、ぱっと空気が和らいだ
【奈良県香芝市】104歳の福田郁子さん=地区副女性部長=から句をもらった。「記者さんへ老婆の話に感謝かな」。うれしくなって、その場で返した。「郁子さん老婆にあらず春の人」。両手で顔を隠すしぐさに、ちゃめっ気がにじみ出ている。
【奈良県香芝市】104歳の福田郁子さん=地区副女性部長=から句をもらった。「記者さんへ老婆の話に感謝かな」。うれしくなって、その場で返した。「郁子さん老婆にあらず春の人」。両手で顔を隠すしぐさに、ちゃめっ気がにじみ出ている。
退屈なんてしませんヨ
退屈なんてしませんヨ
うわー恥ずかしっ。どうしましょ。心がドッキンドッキン。音が聞こえるぐらい。
福田郁子です。おかげさんで元気。もう感謝、感謝ですよ、長生きさせていただいて。何でもおいしいんです。やっぱりお野菜ですかね。かぼちゃ、にんじん、何でも好きです。
そして、俳句も好きです。下手ですけどね、湧いてくるんですね。
道歩いてたら、花がかわいいでしょ。「あら、タンポポ」って見つけると、ぽんと出てくる。えみちゃん(次女の十川恵美子さん、75歳、支部副女性部長)の車で出かけると、雲がね、ほら一緒についてくるじゃない。何か詠みたくなっちゃうから、退屈しない。
感謝、感謝。もう幸せっ。
うわー恥ずかしっ。どうしましょ。心がドッキンドッキン。音が聞こえるぐらい。
福田郁子です。おかげさんで元気。もう感謝、感謝ですよ、長生きさせていただいて。何でもおいしいんです。やっぱりお野菜ですかね。かぼちゃ、にんじん、何でも好きです。
そして、俳句も好きです。下手ですけどね、湧いてくるんですね。
道歩いてたら、花がかわいいでしょ。「あら、タンポポ」って見つけると、ぽんと出てくる。えみちゃん(次女の十川恵美子さん、75歳、支部副女性部長)の車で出かけると、雲がね、ほら一緒についてくるじゃない。何か詠みたくなっちゃうから、退屈しない。
感謝、感謝。もう幸せっ。
毎朝の楽しみは、聖教新聞の切り抜き。のりを指先に付けて、ノートに貼っていく
毎朝の楽しみは、聖教新聞の切り抜き。のりを指先に付けて、ノートに貼っていく
ちょっとお話ししたいことがあるんです。
姉がおったんですよ。亡くなったんですけどね、23歳で。私、弱虫だから、いっつも姉の後ろにくっついてたの。レンゲソウを摘んで頭に飾ってくれたり、自転車も後ろから支えてくれたり、優しかったんですね。その姉が肺を病んじゃったんです。
亡くなる前の晩、蚊帳の中に私を呼んでね、話をしたんです。
「郁ちゃん、もし不思議なことがあったらね、私が守ってると思ってね」
2人とも別れたくないからね、泣いて抱き合ったんですよ。
「約束よ」
次の朝に、姉は目を閉じました。ごめんね、始めからこんな話をしちゃって。
だけどあれから不思議なの。私、病気ひとつしないんです。健康っていうのは、人生で一番ありがたいですね。
ひょっとしたら、姉が守ってくれてんのかな? そない思ってんですよ。
ちょっとお話ししたいことがあるんです。
姉がおったんですよ。亡くなったんですけどね、23歳で。私、弱虫だから、いっつも姉の後ろにくっついてたの。レンゲソウを摘んで頭に飾ってくれたり、自転車も後ろから支えてくれたり、優しかったんですね。その姉が肺を病んじゃったんです。
亡くなる前の晩、蚊帳の中に私を呼んでね、話をしたんです。
「郁ちゃん、もし不思議なことがあったらね、私が守ってると思ってね」
2人とも別れたくないからね、泣いて抱き合ったんですよ。
「約束よ」
次の朝に、姉は目を閉じました。ごめんね、始めからこんな話をしちゃって。
だけどあれから不思議なの。私、病気ひとつしないんです。健康っていうのは、人生で一番ありがたいですね。
ひょっとしたら、姉が守ってくれてんのかな? そない思ってんですよ。
これで生きていけるぞ!
これで生きていけるぞ!
信心したのは昭和39年(1964年)です。えらい反対されました。夜中に座談会から帰るとね、おじいちゃん(しゅうと)が外に立ってんです。
「若いのに、こんな遅くまで何してんねん!」
いっつも怒られて、往生しました。おばあちゃん(しゅうとめ)は私が勤行してるとね、「どっこいしょ」とお布団持ってきて、横っちょで寝たふりするんです。
だけど、あれは不思議ですよね。昔はみんな貧しくて、くたびれた顔の人が多かったのに、なぜか創価学会の会合に行くと、みんなニコニコして出てくる。「これで生きていけるぞ!」という顔してるんですよ。
私も歓喜しましてね、座談会で聞いた話をそのまま持って帰って、一生懸命に話したんです。そしたらね、渋い顔のおじいちゃんもおばあちゃんも、だんだん変わってきて「信心しょーか」になったんですよ。
私の両親も信心したし、ほんとありがたいでーす。
信心したのは昭和39年(1964年)です。えらい反対されました。夜中に座談会から帰るとね、おじいちゃん(しゅうと)が外に立ってんです。
「若いのに、こんな遅くまで何してんねん!」
いっつも怒られて、往生しました。おばあちゃん(しゅうとめ)は私が勤行してるとね、「どっこいしょ」とお布団持ってきて、横っちょで寝たふりするんです。
だけど、あれは不思議ですよね。昔はみんな貧しくて、くたびれた顔の人が多かったのに、なぜか創価学会の会合に行くと、みんなニコニコして出てくる。「これで生きていけるぞ!」という顔してるんですよ。
私も歓喜しましてね、座談会で聞いた話をそのまま持って帰って、一生懸命に話したんです。そしたらね、渋い顔のおじいちゃんもおばあちゃんも、だんだん変わってきて「信心しょーか」になったんですよ。
私の両親も信心したし、ほんとありがたいでーす。
次女の恵美子さん㊨と。多くを語らずとも、笑顔だけで通じ合う2人
次女の恵美子さん㊨と。多くを語らずとも、笑顔だけで通じ合う2人
いつだったかな。池田先生とお会いできたんです。お近くでしたよ。目がすごく大きく感じました。
「どこから来られたんですか」と聞かれて、主人(喜八郎さん)は「神戸です」と慌ててしもーた。大阪なのに。
池田先生はほんと、優しい目でしたよ。お見通しですもんね。一瞬でお分かりになったんだと思います。
25歳の長女を亡くしまして、しっかりせなあかんと思いながらも、私ら泣き虫やから……。
思い返しますとね、先生の言葉、まなざし、ひとつひとつがもうジーンとくるんです。聖教新聞を読んでも、涙が出てきます。たまりませんわ。
「頑張らなくちゃいかんな。よし!」
ものすごい勇気が出てくるんです。
題目より他ないと思います。今でも新聞見てるとね、ほんとにガンバロウと、一日でも長生きさせていただこうと。感謝しています。
いつだったかな。池田先生とお会いできたんです。お近くでしたよ。目がすごく大きく感じました。
「どこから来られたんですか」と聞かれて、主人(喜八郎さん)は「神戸です」と慌ててしもーた。大阪なのに。
池田先生はほんと、優しい目でしたよ。お見通しですもんね。一瞬でお分かりになったんだと思います。
25歳の長女を亡くしまして、しっかりせなあかんと思いながらも、私ら泣き虫やから……。
思い返しますとね、先生の言葉、まなざし、ひとつひとつがもうジーンとくるんです。聖教新聞を読んでも、涙が出てきます。たまりませんわ。
「頑張らなくちゃいかんな。よし!」
ものすごい勇気が出てくるんです。
題目より他ないと思います。今でも新聞見てるとね、ほんとにガンバロウと、一日でも長生きさせていただこうと。感謝しています。
筆圧のある丁寧な文字で、日常の五七調を感激のまま書き留める。表紙には「郁子の俳句ノート」と
筆圧のある丁寧な文字で、日常の五七調を感激のまま書き留める。表紙には「郁子の俳句ノート」と
俳句ノートは100冊以上
俳句ノートは100冊以上
若い頃、広告代理店で働いてました。主人とは社内恋愛。どっちから好きになったか? あっちあっち(笑)。
いつも一緒だったんですよ。いろんな所に信心の話をしに行くのも一緒。だから来世も一緒です。のろけじゃなくて、ほんとーに。
おしゃべりで、やんちゃなひ孫と暮らしてます。幼稚園に行く時に「おばあちゃん、ゆうびんやさーん」言うてね、聖教新聞を渡してくれますから、いつも朝が楽しみです。
新聞のいいところを切って、ノートに貼ってたら、知らん間にね、100冊以上になりました。えみちゃんと勤行し、ご祈念し、もう時間がたつのを忘れてしまいますよ。それが元気の秘訣だと思います。
こないだ、近くを散歩したんです。道端のハナミズキがとてもかわいくってね、句ができたの。
「ハナミズキ今年も感謝の車いす」
毎日がいっぱい感謝です。学会創立100周年を目指すのって、厚かましいかなと思うけど、題目第一に頑張って、生きときたいなと。そない思っておりまーす。
若い頃、広告代理店で働いてました。主人とは社内恋愛。どっちから好きになったか? あっちあっち(笑)。
いつも一緒だったんですよ。いろんな所に信心の話をしに行くのも一緒。だから来世も一緒です。のろけじゃなくて、ほんとーに。
おしゃべりで、やんちゃなひ孫と暮らしてます。幼稚園に行く時に「おばあちゃん、ゆうびんやさーん」言うてね、聖教新聞を渡してくれますから、いつも朝が楽しみです。
新聞のいいところを切って、ノートに貼ってたら、知らん間にね、100冊以上になりました。えみちゃんと勤行し、ご祈念し、もう時間がたつのを忘れてしまいますよ。それが元気の秘訣だと思います。
こないだ、近くを散歩したんです。道端のハナミズキがとてもかわいくってね、句ができたの。
「ハナミズキ今年も感謝の車いす」
毎日がいっぱい感謝です。学会創立100周年を目指すのって、厚かましいかなと思うけど、題目第一に頑張って、生きときたいなと。そない思っておりまーす。
切り抜きを貼ったノートの一部。「部屋にもっとあるのよ」
切り抜きを貼ったノートの一部。「部屋にもっとあるのよ」
●後記
●後記
長い間、家族と語らう場においてさえ、口にしなかったことがあるという。「目に浮かぶ戦いの恐ろしさいつまでも」と詠んだ。
戦中、叔母のいる熊本に疎開した。隣には、年をとった夫婦が住んでいた。本や新聞を読んであげるうち、行き来ができた。「もしB29が来たら、おんぶして逃げてあげる」と約束した。顔をほころばせたおじいさんは半身不随だった。
約束は、守れなかった。
低く迫る戦闘機の音。川辺の石段にしがみついて何度も思った。もうだめだ、と。
翌朝、家に向かった。見渡す限りの焼け野原。隣のおばあさんが泣きながら、おじいさんの骨を探していた。郁子さんは隣にしゃがみ「すいません」と繰り返すしかなかった。
長い間、家族と語らう場においてさえ、口にしなかったことがあるという。「目に浮かぶ戦いの恐ろしさいつまでも」と詠んだ。
戦中、叔母のいる熊本に疎開した。隣には、年をとった夫婦が住んでいた。本や新聞を読んであげるうち、行き来ができた。「もしB29が来たら、おんぶして逃げてあげる」と約束した。顔をほころばせたおじいさんは半身不随だった。
約束は、守れなかった。
低く迫る戦闘機の音。川辺の石段にしがみついて何度も思った。もうだめだ、と。
翌朝、家に向かった。見渡す限りの焼け野原。隣のおばあさんが泣きながら、おじいさんの骨を探していた。郁子さんは隣にしゃがみ「すいません」と繰り返すしかなかった。
玄関まで見送ってくれた郁子さん。「またねー。体大事にねー」。大きく手を振ってくださった
玄関まで見送ってくれた郁子さん。「またねー。体大事にねー」。大きく手を振ってくださった
それでも、歩みは止めなかった。どうにもならない悲しみに押しつぶされそうになるたび、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(新1793・全1361)と繰り返し、まっとうに汗をかいてきた。
そして今。
「できた、できた」と言って、俳句ノートに書き留める。
「取材終えホッとするなり春の空」
楽しい句も並ぶ。
「『食べ過ぎヨ』笑って手を出す塩せんべい」
平素な言葉に味わいがある。「下手なんばっかりでしょ。載せたらあかんよ。げんこつ」と声を立てて笑った。
何でもない日を、何でもないことで記念日だと思える。そんな心を持ち続ける春の人。幸福度は空いっぱいに広がっている。
「感謝」。取材で最も聞いたその一言は、104歳の結晶。(天)
それでも、歩みは止めなかった。どうにもならない悲しみに押しつぶされそうになるたび、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(新1793・全1361)と繰り返し、まっとうに汗をかいてきた。
そして今。
「できた、できた」と言って、俳句ノートに書き留める。
「取材終えホッとするなり春の空」
楽しい句も並ぶ。
「『食べ過ぎヨ』笑って手を出す塩せんべい」
平素な言葉に味わいがある。「下手なんばっかりでしょ。載せたらあかんよ。げんこつ」と声を立てて笑った。
何でもない日を、何でもないことで記念日だと思える。そんな心を持ち続ける春の人。幸福度は空いっぱいに広がっている。
「感謝」。取材で最も聞いたその一言は、104歳の結晶。(天)