「沖縄戦の絵」でフォトランゲージをやってみた
「沖縄戦の絵」でフォトランゲージをやってみた
2026年4月5日
- 一枚に心が動く 知りたくなる
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恩納村の沖縄研修道場にある「沖縄戦の絵」の常設展
恩納村の沖縄研修道場にある「沖縄戦の絵」の常設展
「ありったけの地獄を集めた」戦場と聞いて、どんな光景を想像しますか。81年前の沖縄戦を、アメリカ軍はそう呼びました。その地獄を“住民の目線”で体験者が描いた絵があります。沖縄創価学会が1981年から収集を開始した「沖縄戦の絵」です。その数、約700枚。全国で展示会が開かれ、県内の小・中学校等に貸し出されてきました。戦争を知らない世代が「知ろう」と思うためには、まず「知りたい」と心が動くことが欠かせません。そこで今、「フォトランゲージ」という学びが注目されつつあります。フォト(写真)とランゲージ(言葉)を組み合わせたもので、一枚の写真や絵をじっくり見ながら「どんな場面だろう?」「どう感じた?」等の問いを立て、語り合います。沖縄の小・中・高生4人がやってみました。「沖縄戦の絵」の教材的価値に着目する識者の声も紹介します。(取材=大宮将之、仲地健一)
「ありったけの地獄を集めた」戦場と聞いて、どんな光景を想像しますか。81年前の沖縄戦を、アメリカ軍はそう呼びました。その地獄を“住民の目線”で体験者が描いた絵があります。沖縄創価学会が1981年から収集を開始した「沖縄戦の絵」です。その数、約700枚。全国で展示会が開かれ、県内の小・中学校等に貸し出されてきました。戦争を知らない世代が「知ろう」と思うためには、まず「知りたい」と心が動くことが欠かせません。そこで今、「フォトランゲージ」という学びが注目されつつあります。フォト(写真)とランゲージ(言葉)を組み合わせたもので、一枚の写真や絵をじっくり見ながら「どんな場面だろう?」「どう感じた?」等の問いを立て、語り合います。沖縄の小・中・高生4人がやってみました。「沖縄戦の絵」の教材的価値に着目する識者の声も紹介します。(取材=大宮将之、仲地健一)
進行役の砂川華乃子さん(左端)が冒頭、笑顔で声をかける。
進行役の砂川華乃子さん(左端)が冒頭、笑顔で声をかける。
進行役を引き受けた中学校教諭の砂川華乃子さん(沖縄総県少女部長)は、不安と楽しみが入り交じっていたそうです。
SNSで次々と流れる数十秒のショート動画に慣れ親しむ子が多い中、「一枚の絵に時間をかけて向き合ったら、どんな反応が生まれるだろう」と。
先月末、那覇市の沖縄国際平和会館に集ったのは高校1年の男子と中学校1年の女子、小学校5年の男女児童。緊張をほぐす楽しいおしゃべりの後、砂川さんが沖縄戦の確認をします。
進行役を引き受けた中学校教諭の砂川華乃子さん(沖縄総県少女部長)は、不安と楽しみが入り交じっていたそうです。
SNSで次々と流れる数十秒のショート動画に慣れ親しむ子が多い中、「一枚の絵に時間をかけて向き合ったら、どんな反応が生まれるだろう」と。
先月末、那覇市の沖縄国際平和会館に集ったのは高校1年の男子と中学校1年の女子、小学校5年の男女児童。緊張をほぐす楽しいおしゃべりの後、砂川さんが沖縄戦の確認をします。
一人ずつ自己紹介
一人ずつ自己紹介
太平洋戦争末期の1945年3月26日から、約3カ月にわたった凄惨な地上戦。日米合わせて20万人以上が死亡し、県民の4人に1人の命が奪われました。
太平洋戦争末期の1945年3月26日から、約3カ月にわたった凄惨な地上戦。日米合わせて20万人以上が死亡し、県民の4人に1人の命が奪われました。
沖縄戦の歴史、そして「沖縄戦の絵」について説明する
沖縄戦の歴史、そして「沖縄戦の絵」について説明する
その一場面を描いた絵が掲げられます。実物には手書きの説明も記されていますが、あえて生成AIで文字を消した複製を用意しました。想像を促すためです。
その一場面を描いた絵が掲げられます。実物には手書きの説明も記されていますが、あえて生成AIで文字を消した複製を用意しました。想像を促すためです。
今回のフォトランゲージで使用したワークシートのイメージ。実際には子どもが意見を書き込むスペースもある
今回のフォトランゲージで使用したワークシートのイメージ。実際には子どもが意見を書き込むスペースもある
砂川さんがワークシートの①②の問いを示し、「正解を求めるものじゃないから安心してね」。全員で絵を見つめ、考え始めます。
3分、5分、7分……。中高生同士、小学生同士で語り合った後、その意見を全体で共有しました。
「お母さんっぽい人が頭から血を流して苦しそう」「私は亡くなっていると思う」「子どもが泣いてる?」「左にいる黒い人たちは、安心して座っている感じ」「私は怖がってパニックになっているように見える」
砂川さんがワークシートの①②の問いを示し、「正解を求めるものじゃないから安心してね」。全員で絵を見つめ、考え始めます。
3分、5分、7分……。中高生同士、小学生同士で語り合った後、その意見を全体で共有しました。
「お母さんっぽい人が頭から血を流して苦しそう」「私は亡くなっていると思う」「子どもが泣いてる?」「左にいる黒い人たちは、安心して座っている感じ」「私は怖がってパニックになっているように見える」
小学生同士で。男の子は「血を流している人」が、女の子は「黒い人たち」が気になるという
小学生同士で。男の子は「血を流している人」が、女の子は「黒い人たち」が気になるという
視点の違いが浮かび上がります。言葉数の少ない高校生がポツリと「女の人の頭が大きい」とも。砂川さんは一言一言に「なるほど」「私も気づかなかった」と関心を持って応じます。
実際にこの絵は、何を描いたものなのでしょう。
視点の違いが浮かび上がります。言葉数の少ない高校生がポツリと「女の人の頭が大きい」とも。砂川さんは一言一言に「なるほど」「私も気づかなかった」と関心を持って応じます。
実際にこの絵は、何を描いたものなのでしょう。
絵を見つめ、ワークシートに考えを書く
絵を見つめ、ワークシートに考えを書く
作者は大城梅さん(故人)。沖縄戦当時、18歳。場所は激戦地となった本島南部の糸満市です。
左の黒い人だかりは、防空壕に身を潜める人たち。木にもたれた女性は、梅さんの小学校時代からの親友・ミヨさんです。共に避難をしていました。
作者は大城梅さん(故人)。沖縄戦当時、18歳。場所は激戦地となった本島南部の糸満市です。
左の黒い人だかりは、防空壕に身を潜める人たち。木にもたれた女性は、梅さんの小学校時代からの親友・ミヨさんです。共に避難をしていました。
大城梅さんが描いた「沖縄戦の絵」。手書きの文字で、当時の状況の説明も記されている
大城梅さんが描いた「沖縄戦の絵」。手書きの文字で、当時の状況の説明も記されている
壕の中で、生後2カ月の赤ん坊が泣き出しました。ミヨさんの長男です。こうなると壕から出なければなりません。米兵に見つかる恐れがあるからです。泣きやまない赤子を、日本兵が殺す話も聞いていました。
ミヨさんは外へ。木の下でわが子に乳を含ませていた、その時――米軍の艦砲射撃。爆弾の破片。即死でした。赤ん坊の叫びは火が噴くよう。この木は、住民から「悲しみの泣き声を聞いて育つ木」と呼ばれ、長く残っていたそうです。
壕の中で、生後2カ月の赤ん坊が泣き出しました。ミヨさんの長男です。こうなると壕から出なければなりません。米兵に見つかる恐れがあるからです。泣きやまない赤子を、日本兵が殺す話も聞いていました。
ミヨさんは外へ。木の下でわが子に乳を含ませていた、その時――米軍の艦砲射撃。爆弾の破片。即死でした。赤ん坊の叫びは火が噴くよう。この木は、住民から「悲しみの泣き声を聞いて育つ木」と呼ばれ、長く残っていたそうです。
――ワークシートの問い③④について語らいを重ねます。「考えていたよりも悲しい出来事だった……」「赤ちゃんはこの後、生きていけたのかな」「(梅さんは)つらい経験を思い出して、描いてくれたんだと思う」「戦争は恐ろしい。ろくなことがない」
一枚の絵から想像を巡らせ、言葉を探し、意見を交わした45分。砂川さんが感謝と共に伝えました。「みんなが感じたこと、考えたことを、おうちの人とも話してほしいと思います」
戦争って、何だろう。
平和って、何だろう。
自分にできることって、何だろう……。
――ワークシートの問い③④について語らいを重ねます。「考えていたよりも悲しい出来事だった……」「赤ちゃんはこの後、生きていけたのかな」「(梅さんは)つらい経験を思い出して、描いてくれたんだと思う」「戦争は恐ろしい。ろくなことがない」
一枚の絵から想像を巡らせ、言葉を探し、意見を交わした45分。砂川さんが感謝と共に伝えました。「みんなが感じたこと、考えたことを、おうちの人とも話してほしいと思います」
戦争って、何だろう。
平和って、何だろう。
自分にできることって、何だろう……。
■(株)「うなぁ沖縄」玉城直美代表の声
「学校教育の教材に」
■(株)「うなぁ沖縄」玉城直美代表の声
「学校教育の教材に」
フォトランゲージで講評を担当したのが、株式会社「うなぁ沖縄」代表の玉城直美さんです。「同じ絵を見て、一人一人が違う考え方を持ち、それを一生懸命伝えようとしている姿に、感動しました」
フォトランゲージで講評を担当したのが、株式会社「うなぁ沖縄」代表の玉城直美さんです。「同じ絵を見て、一人一人が違う考え方を持ち、それを一生懸命伝えようとしている姿に、感動しました」
玉城直美さん㊧が講評で皆をたたえる
玉城直美さん㊧が講評で皆をたたえる
沖縄生まれの沖縄育ち。約25年前からNGO(非政府組織)を通し、社会課題の解決を目指す開発教育の取り組みを始めました。
沖縄NGOセンター代表理事や沖縄キリスト教学院大学の准教授を歴任。3年前に「うなぁ沖縄」を設立しました。「うなぁ」とは沖縄の方言で「庭」のこと。人々が集い、語らい、交流を通して社会課題を見つめる“庭づくり”を進めています。
「沖縄戦を体験した『語り部』はもう、数えるほどしかいません。私たちは次世代の『語り継ぎ手』養成事業や教材開発に努めています。沖縄戦を学ぶ資料として映像や写真も残ってはいますが、ほとんど米軍が撮影したもので……」
沖縄の視点を伝える資料として、玉城さんが着目したのが「絵」でした。「県内の資料館の学芸員やマスメディアの方々と話している中で、よく言われたんです。『沖縄戦の絵を一番、持っているのは創価学会さんですよ』って」
沖縄生まれの沖縄育ち。約25年前からNGO(非政府組織)を通し、社会課題の解決を目指す開発教育の取り組みを始めました。
沖縄NGOセンター代表理事や沖縄キリスト教学院大学の准教授を歴任。3年前に「うなぁ沖縄」を設立しました。「うなぁ」とは沖縄の方言で「庭」のこと。人々が集い、語らい、交流を通して社会課題を見つめる“庭づくり”を進めています。
「沖縄戦を体験した『語り部』はもう、数えるほどしかいません。私たちは次世代の『語り継ぎ手』養成事業や教材開発に努めています。沖縄戦を学ぶ資料として映像や写真も残ってはいますが、ほとんど米軍が撮影したもので……」
沖縄の視点を伝える資料として、玉城さんが着目したのが「絵」でした。「県内の資料館の学芸員やマスメディアの方々と話している中で、よく言われたんです。『沖縄戦の絵を一番、持っているのは創価学会さんですよ』って」
昨年6月に那覇市の琉球新報本社で行われた「終戦80年『沖縄戦の絵』展」(主催=沖縄創価学会、共催=琉球新報社)
昨年6月に那覇市の琉球新報本社で行われた「終戦80年『沖縄戦の絵』展」(主催=沖縄創価学会、共催=琉球新報社)
約700枚という数だけではなく、聞き取りをした「体験記」もあり、地域別に分類され、地図もセットになっていて――。「拝見して感銘しました。学校の授業の教材として広く使われていってほしい」
約700枚という数だけではなく、聞き取りをした「体験記」もあり、地域別に分類され、地図もセットになっていて――。「拝見して感銘しました。学校の授業の教材として広く使われていってほしい」
地域別に分類された「沖縄戦の絵」のパネル
地域別に分類された「沖縄戦の絵」のパネル
一枚一枚に、それぞれの悲惨と残酷の物語があり、描き手のメッセージが込められています。それは技術の巧拙を超えるものです。
「フォトランゲージの際に、高校生が『女性の頭が大きいこと』に気づきましたよね。きっと作者が見た沖縄戦の中で、親友の頭から血が流れていた光景が最も鮮明に焼き付いていたから、こういう描き方になったんじゃないでしょうか。戦争の悲しみを一番伝えるには、あの瞬間を描くしかない――と」
メッセージを受け取ったとき、心は動き始めます。
「『一枚の絵が持つ力』を信じることが大切です」
一枚一枚に、それぞれの悲惨と残酷の物語があり、描き手のメッセージが込められています。それは技術の巧拙を超えるものです。
「フォトランゲージの際に、高校生が『女性の頭が大きいこと』に気づきましたよね。きっと作者が見た沖縄戦の中で、親友の頭から血が流れていた光景が最も鮮明に焼き付いていたから、こういう描き方になったんじゃないでしょうか。戦争の悲しみを一番伝えるには、あの瞬間を描くしかない――と」
メッセージを受け取ったとき、心は動き始めます。
「『一枚の絵が持つ力』を信じることが大切です」
■描かれた場所を訪ねて
■描かれた場所を訪ねて
取材する側にも、込み上げる何かがありました。翌日、糸満市へ。絵に描かれた場所は「糸満ロータリー」という環状交差点の近くだそうです。
取材する側にも、込み上げる何かがありました。翌日、糸満市へ。絵に描かれた場所は「糸満ロータリー」という環状交差点の近くだそうです。
糸満ロータリー周辺の街並みを望む
糸満ロータリー周辺の街並みを望む
山巓毛(さんてぃんもう)と呼ばれる丘に立ちました。中央にロータリー、右奥には水平線も見えます。81年前、あの海から、軍艦の射撃が飛んできたのでしょうか。この空に、“鉄の暴風”といわれた爆弾の嵐が吹き荒れたのでしょうか。その下で、母と子が――。
フォトランゲージの最後の問いは、「なぜこの絵は残されているのだと思いますか」。中学生は答えていました。「後世に、こんな恐ろしいことを二度としてはいけないと伝えるため」と。
命どぅ(命こそ)宝。いくさやならんどー(戦争はいけない)。一枚の絵に込められた願いが、過去と現在をつなぎ、未来を生きる世代に「平和のウムイ(思い)」を届けました。
山巓毛(さんてぃんもう)と呼ばれる丘に立ちました。中央にロータリー、右奥には水平線も見えます。81年前、あの海から、軍艦の射撃が飛んできたのでしょうか。この空に、“鉄の暴風”といわれた爆弾の嵐が吹き荒れたのでしょうか。その下で、母と子が――。
フォトランゲージの最後の問いは、「なぜこの絵は残されているのだと思いますか」。中学生は答えていました。「後世に、こんな恐ろしいことを二度としてはいけないと伝えるため」と。
命どぅ(命こそ)宝。いくさやならんどー(戦争はいけない)。一枚の絵に込められた願いが、過去と現在をつなぎ、未来を生きる世代に「平和のウムイ(思い)」を届けました。
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