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不戦の誓い輝く「いくさやならんどー」展 9月13日まで 2026年6月23日

  • 戦争の悲劇を平和の力に

 今月13日から開催中の「No More War! いくさやならんどー 沖縄からのメッセージ」展に、感動の声が数多く寄せられている。ここでは展示の概要と、オープニングセレモニーでの作家・佐藤優氏のあいさつを紹介する。展示会は9月13日まで、創価文化センターで。開館時間は午前10時から午後5時(入館は同4時半まで)。

◆第1部 打ち砕かれしうるま島
『大琉球島航海探検記』 バジル・ホール著/須藤利一訳 第一書房 1982年刊(初版)
『大琉球島航海探検記』 バジル・ホール著/須藤利一訳 第一書房 1982年刊(初版)

 第1部では、15世紀ごろに現在の沖縄の地にあった「琉球王国」や、明治政府によって設置された沖縄県の歴史などを紹介する。
 琉球王国は、床の間に「刀」が飾られることが多い日本の本土とは異なり、「三線」が飾られる慣習があったという。
 1816年、イギリス海軍士官のバジル・ホールは、琉球王国に40日ほど滞在し、その時の模様を『大琉球島航海探検記』にまとめた。同書では琉球を“武器を持たない国”と表している。争いを象徴する武器ではなく、人と人との絆を結び合う文化の力を伝統的に重んじてきた沖縄には、平和の魂が輝く。
 しかし、明治以降は、列強の対立に巻き込まれ、“国内最大の地上戦”といわれた沖縄戦へと突入していくこととなる。
 沖縄戦の真実とは何か――。会場に並ぶ「沖縄戦の絵」を通し、その実相に迫ることができる。

◇沖縄戦の絵
大人も子どもも、そして乳幼児さえも関係なく空からの攻撃を受けた。伊江島で
大人も子どもも、そして乳幼児さえも関係なく空からの攻撃を受けた。伊江島で

 太平洋戦争末期の1945年3月、米軍が慶良間諸島を攻め、翌月、約18万人の部隊で本島に上陸。支援部隊を合わせ、当時の県民数を超える約54万人の勢力で侵攻してきた。
 “ありったけの地獄を集めた”ような、凄惨な戦闘が繰り返され、県民の約4分の1に当たる約12万人が犠牲となった。攻撃開始から3カ月後の6月23日は、日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。

真壁から現在のひめゆりの塔方面への逃避行。人々は死体の山を踏み越えて逃げた
真壁から現在のひめゆりの塔方面への逃避行。人々は死体の山を踏み越えて逃げた

 創価学会沖縄青年部は、81年から沖縄戦の体験者に呼びかけ、「沖縄戦の絵」の収集を開始。体験者にとって当時の悲惨な記憶を呼び起こすことは苦しく、最初は全く集まらなかった。「思い出させないでほしい」との反応もあった。
 それでも、沖縄の青年たちは誠実に足を運び、戦争体験の継承への思いを語り続けた。少しずつその熱意に賛同する人が増えていき、700枚以上の絵が集まった。つらい経験を思い出し、泣きながら描いた人。絵を描いたことがなく、孫にクレヨンの使い方を聞きながら完成させた人。「沖縄戦の絵」は、筆を執った一人一人にとって“不戦の魂を伝える戦い”でもあった。

糸満市米須付近。艦砲射撃の破片で即死した母親の乳を無心に吸う幼児
糸満市米須付近。艦砲射撃の破片で即死した母親の乳を無心に吸う幼児

 本展では、沖縄戦の経過をたどるように、「疎開」「離島上陸」「本島上陸」など七つのテーマに分けて、50点の「沖縄戦の絵」を紹介。それぞれの絵には、作者の言葉が添えられている。
 沖縄戦の記録写真や映像資料は、米軍が撮影したものがほとんどとされる。“住民の目線”で描かれた「沖縄戦の絵」の一枚一枚は、戦争の残酷さを今に伝える重要な記録であるとともに、沖縄戦体験者の平和への誓いの結晶である。

◆第2部 核兵器なき世界を目指して
◆第3部 最も苦しんできた人を最も幸福に
沖縄研修道場を初訪問し、視察する池田先生(1983年3月)
沖縄研修道場を初訪問し、視察する池田先生(1983年3月)

 第2、3部では、広島、長崎への原爆投下以降、世界が核兵器使用の危機に直面した歴史をはじめ、池田先生の平和への行動や沖縄の同志との共戦の歩みなどを展示する。
 1977年2月、恩納村に沖縄研修道場が開所。道場は、米軍の核ミサイル基地があった場所にあり、ミサイルの発射台跡もあった。
 池田先生は、83年3月に同研修道場を初訪問。発射台跡を視察し提案した。「基地の跡は永遠に残そう。『人類は、かつて戦争という愚かなことをしたんだ』という、ひとつの証として」
 翌年、道場内に平和を象徴するブロンズ像とともに「世界平和の碑」が設置。かつてのミサイル基地は“不戦を誓う場所”へと生まれ変わった。

◆第4部 平和の心を未来へ世界へ
沖縄戦の紙芝居
沖縄戦の紙芝居

 第4部のテーマは、創価学会青年部の平和運動。青年部が主催してきた「青年不戦サミット」の模様や、池田先生の提案を受けて行ってきた反戦出版の書籍などが展示されている。
 15歳で沖縄戦を経験した女性の証言をもとに、青年部が2021年に作成した「沖縄戦の紙芝居」も紹介。23年には、この紙芝居を用いて、県内の約500会場で、若い世代による読み聞かせを実施し、「いくさやならんどー(戦争はいけない)」との心を伝え広げた。

【オープニングセレモニーから】 作家・佐藤優氏のあいさつ(要旨)

 「いくさやならんどー」展に並ぶ「沖縄戦の絵」は、非常に重要なものです。
 普通、悲惨な経験をした人というのは、その経験を思い出すことも、話すこともしたくないものです。しかし、沖縄の青年部が“後世に戦争の真実を残したい”との一心で、沖縄戦の体験者に誠実に呼びかけ、「沖縄戦の絵」を集めた。平和を願う青年たちの熱意が、人々の心を動かした証左であると私は思います。

「沖縄戦の絵」を見学する佐藤氏
「沖縄戦の絵」を見学する佐藤氏

 私の母も14歳の時、日本軍に軍属として従事し、沖縄戦を経験しました。米軍にガス爆弾を投げ込まれ、必死で逃げたこと、首里から南部の摩文仁までの道を移動する際、数え切れないほどの犠牲者が至る所に倒れていたことなどを語ってくれました。
 中でも、母にとって消えない心の傷となったのは、摩文仁で身を潜めていた時のことです。母たちの集団が米軍に見つかり、母は意を決して自決を図ろうと、手元にあった手りゅう弾に手をかけました。その時、隣にいた伍長が「死ぬのは捕虜になってからでもできる」と止めてくれたそうです。その後、捕虜になり、結果的に助かりました。もしあの時、早まっていたら、その場にいた皆を犠牲にしたかもしれない――母は2010年に他界するまで、このことを気にしていました。
 こうした当時の残酷な記憶を、憎しみで終わらせるのではなく、不戦の心を育む糧へと転換したのが「沖縄戦の絵」です。本展は、平和を創造しゆく強い思いが込められた素晴らしい内容だと実感します。

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