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〈若人よ、起て――小説『永遠の都』を巡って〉
〈若人よ、起て――小説『永遠の都』を巡って〉
2026年2月25日
- 壁を壊せ。新しいものをつくれ
- ロッシィの如き、革命児となって
- 壁を壊せ。新しいものをつくれ
- ロッシィの如き、革命児となって
池田先生はかつて、世界の識者との語らいの中で、“これまでに読まれた書物の中で最も感銘された一書は?”と問われ、イギリスの作家ホール・ケインの革命小説『永遠の都』を挙げた。それは、75年前の1951年(昭和26年)の年頭、戦後の不況による絶体絶命の逆境の最中、恩師・戸田先生から薦められ、胸に刻んだ一書であった。池田先生は信頼できる同志と共に同書を回し読みし、2月8日、戸田先生を囲んで、この書を通して、皆で誓いを語り合った。これが男子部の人材育成グループ「水滸会」の淵源となり、青年部の結成への出発となった。ここでは、『永遠の都』を巡る師弟の足跡を学ぶ。(『永遠の都』の引用は全て新庄哲夫訳、潮出版社)
池田先生はかつて、世界の識者との語らいの中で、“これまでに読まれた書物の中で最も感銘された一書は?”と問われ、イギリスの作家ホール・ケインの革命小説『永遠の都』を挙げた。それは、75年前の1951年(昭和26年)の年頭、戦後の不況による絶体絶命の逆境の最中、恩師・戸田先生から薦められ、胸に刻んだ一書であった。池田先生は信頼できる同志と共に同書を回し読みし、2月8日、戸田先生を囲んで、この書を通して、皆で誓いを語り合った。これが男子部の人材育成グループ「水滸会」の淵源となり、青年部の結成への出発となった。ここでは、『永遠の都』を巡る師弟の足跡を学ぶ。(『永遠の都』の引用は全て新庄哲夫訳、潮出版社)
『永遠の都』の舞台は、1900年頃のイタリア・ローマ。当時のイタリア王国は、ヨーロッパ列強諸国に絶えず脅かされていた。国内では、軍備強化を進める独裁者の政治権力と、教会権力の二重の抑圧に、国民の生活は極度に疲弊。人々は重税と飢餓に苦しんでいた。
主人公の若き革命家ロッシィは、新しい社会の理想に「人間共和」の旗を掲げ、権力の暴政に敢然と戦いを挑む。ヒロインのローマとのロマンス、無二の盟友ブルーノの同志愛とともに、壮大な革命劇が描かれる。
日本では、英文学者の戸川秋骨氏が翻訳し、1930年(昭和5年)7月20日、『世界大衆文学全集』第39巻として改造社から発刊された。恩師が池田先生に手渡した本もこれである。
30年は、『創価教育学体系』が発刊された年。世界大恐慌の嵐が吹き荒れ、時の総理大臣・浜口雄幸が狙撃されるなど、騒然たる時世であった。「治安維持法」等による思想統制も進んでいた。
戸川氏の『永遠の都』は、原文を一部分省略して翻訳する「抄訳」であった。70年(同45年)に全訳を手がけた新庄哲夫氏は、小説に登場する独裁者の治安取り締まりと、戦前の日本の軍部政府の思想弾圧が酷似していることから、「あの時点で、『永遠の都』の全訳を出せば発禁処分を受けたであろうことは容易に想像されます」と洞察する。
後に池田先生は「当時、満三十歳になったばかりの戸田青年は、この小説を初めて読んだとき、どのような思いを抱いたのであろうか」と恩師を偲んだ。そして、こう述懐した。
「戦後、ただ一人荒野に立ち、民衆救済の無血革命を誓った恩師の雄姿を思うとき、今でも私は、ロッシに思いを馳せ、ブルーノの同志愛に心を運ぶのである」
国家主義が暴走を始めた時代に、牧口先生と戸田先生は教育変革を訴え、やがて、迫害を覚悟の上で、「宗教革命」の道へと進んでいった。
『永遠の都』に、こんな言葉がある。
「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」
『永遠の都』の舞台は、1900年頃のイタリア・ローマ。当時のイタリア王国は、ヨーロッパ列強諸国に絶えず脅かされていた。国内では、軍備強化を進める独裁者の政治権力と、教会権力の二重の抑圧に、国民の生活は極度に疲弊。人々は重税と飢餓に苦しんでいた。
主人公の若き革命家ロッシィは、新しい社会の理想に「人間共和」の旗を掲げ、権力の暴政に敢然と戦いを挑む。ヒロインのローマとのロマンス、無二の盟友ブルーノの同志愛とともに、壮大な革命劇が描かれる。
日本では、英文学者の戸川秋骨氏が翻訳し、1930年(昭和5年)7月20日、『世界大衆文学全集』第39巻として改造社から発刊された。恩師が池田先生に手渡した本もこれである。
30年は、『創価教育学体系』が発刊された年。世界大恐慌の嵐が吹き荒れ、時の総理大臣・浜口雄幸が狙撃されるなど、騒然たる時世であった。「治安維持法」等による思想統制も進んでいた。
戸川氏の『永遠の都』は、原文を一部分省略して翻訳する「抄訳」であった。70年(同45年)に全訳を手がけた新庄哲夫氏は、小説に登場する独裁者の治安取り締まりと、戦前の日本の軍部政府の思想弾圧が酷似していることから、「あの時点で、『永遠の都』の全訳を出せば発禁処分を受けたであろうことは容易に想像されます」と洞察する。
後に池田先生は「当時、満三十歳になったばかりの戸田青年は、この小説を初めて読んだとき、どのような思いを抱いたのであろうか」と恩師を偲んだ。そして、こう述懐した。
「戦後、ただ一人荒野に立ち、民衆救済の無血革命を誓った恩師の雄姿を思うとき、今でも私は、ロッシに思いを馳せ、ブルーノの同志愛に心を運ぶのである」
国家主義が暴走を始めた時代に、牧口先生と戸田先生は教育変革を訴え、やがて、迫害を覚悟の上で、「宗教革命」の道へと進んでいった。
『永遠の都』に、こんな言葉がある。
「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」
創価大学の中央図書館「池田文庫」に所蔵されている『永遠の都』(『世界大衆文学全集』第39巻所収)。巻末の「全集総内容」には書き込みがあり、『永遠の都』に◎が記されている
創価大学の中央図書館「池田文庫」に所蔵されている『永遠の都』(『世界大衆文学全集』第39巻所収)。巻末の「全集総内容」には書き込みがあり、『永遠の都』に◎が記されている
歴史は必ず青年の手で
歴史は必ず青年の手で
敗戦後の日本では、「革命」という言葉が頻繁に使われるようになった。従来の価値観が崩壊し、連合国軍総司令部(GHQ)によって民主化政策が行われた。制度組織の改革が断行されたが、それを扱う人間の精神的な革命こそ喫緊の課題だった。
“「人間革命」の哲理こそ、社会変革をなす根本である”――それが戸田先生の慧眼であった。
51年(同26年)2月8日、戸田先生を囲んで『永遠の都』の感想発表会が行われた。池田先生は、同書に描かれているのは政治革命であり、学会が進めるのはそれより本源的な宗教革命であると感想を述べた。
「即ち、真実の平和革命であり、無血革命なりと」
戦後の不況による窮地の中、戸田先生の焦点は、青年の育成にあった。小説を通して、広宣流布という人類未聞の大業を成し遂げるために重要な「同志の絆」や「不屈の覚悟」を教えた。
そして、学会の目指す宗教革命は、武力や権力による革命ではなく、「おのおの、個々の人間革命を行うことによってのみ、宗教革命が行われる」と強調した。
21日の日記に先生は記した。
「若人よ、起て。若人よ、進め。若人よ、行け。前に、前へ。岩をも、怒濤をも恐れずに。ロッシの如く。ブルーノの如く」
堅固な決意を胸に、先生は恩師を支えた。51年5月3日、戸田先生は第2代会長に就任。その2カ月後の7月、男女青年部が結成された。
さらに9月、戸田先生は「青年訓」を執筆。「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」との絶大なる期待に、青年たちの魂は燃え上がった。
同年11月に行われた学会の総会で、池田先生は「青年の確信」と題し、広宣流布に生き抜く覚悟を述べ、こう師子吼した。
「『永遠の都』の主人公ロッシも、われらと等しく、青年であります。世界は青年と青年との戦いであり、歴史は必ず青年によって新しい世紀は建設されております」
池田先生にとって『永遠の都』は、恩師への誓願の書であった。
10年後の61年10月、先生の姿は、小説の舞台となったイタリア・ローマにあった。フォロ・ロマーノの遺跡で思索を重ね、和歌を詠んだ。
「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」
永遠なる妙法を根本に、永遠なる人類の平和と繁栄を築かなければならない――恩師の後を継いだ愛弟子は、新しき人類史の扉を開く決意を固めた。
敗戦後の日本では、「革命」という言葉が頻繁に使われるようになった。従来の価値観が崩壊し、連合国軍総司令部(GHQ)によって民主化政策が行われた。制度組織の改革が断行されたが、それを扱う人間の精神的な革命こそ喫緊の課題だった。
“「人間革命」の哲理こそ、社会変革をなす根本である”――それが戸田先生の慧眼であった。
51年(同26年)2月8日、戸田先生を囲んで『永遠の都』の感想発表会が行われた。池田先生は、同書に描かれているのは政治革命であり、学会が進めるのはそれより本源的な宗教革命であると感想を述べた。
「即ち、真実の平和革命であり、無血革命なりと」
戦後の不況による窮地の中、戸田先生の焦点は、青年の育成にあった。小説を通して、広宣流布という人類未聞の大業を成し遂げるために重要な「同志の絆」や「不屈の覚悟」を教えた。
そして、学会の目指す宗教革命は、武力や権力による革命ではなく、「おのおの、個々の人間革命を行うことによってのみ、宗教革命が行われる」と強調した。
21日の日記に先生は記した。
「若人よ、起て。若人よ、進め。若人よ、行け。前に、前へ。岩をも、怒濤をも恐れずに。ロッシの如く。ブルーノの如く」
堅固な決意を胸に、先生は恩師を支えた。51年5月3日、戸田先生は第2代会長に就任。その2カ月後の7月、男女青年部が結成された。
さらに9月、戸田先生は「青年訓」を執筆。「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」との絶大なる期待に、青年たちの魂は燃え上がった。
同年11月に行われた学会の総会で、池田先生は「青年の確信」と題し、広宣流布に生き抜く覚悟を述べ、こう師子吼した。
「『永遠の都』の主人公ロッシも、われらと等しく、青年であります。世界は青年と青年との戦いであり、歴史は必ず青年によって新しい世紀は建設されております」
池田先生にとって『永遠の都』は、恩師への誓願の書であった。
10年後の61年10月、先生の姿は、小説の舞台となったイタリア・ローマにあった。フォロ・ロマーノの遺跡で思索を重ね、和歌を詠んだ。
「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」
永遠なる妙法を根本に、永遠なる人類の平和と繁栄を築かなければならない――恩師の後を継いだ愛弟子は、新しき人類史の扉を開く決意を固めた。
1961年10月、ヨーロッパ初訪問でイタリアを訪れた池田先生は、古代ローマ時代の遺跡フォロ・ロマーノを視察した
1961年10月、ヨーロッパ初訪問でイタリアを訪れた池田先生は、古代ローマ時代の遺跡フォロ・ロマーノを視察した
二律背反を止揚したい
二律背反を止揚したい
池田先生は数多くの詩や贈言に、“わが国土に「永遠の都」の建設を”との思いを書き残した。71年(同46年)11月4日には、詩「永遠の都」を発表している。
「平和革命に走るロッシは/暴力を否定した/かれはアナーキストではない/人間主義を至高の権威としながら/すべての人間群が相擁して生きる/人間家族の幸福と/人間共和の繁栄を夢みたのであった」
当時、ベトナム戦争への反対運動が世界的に高まり、国内では学生運動のゲバルト(武力闘争)も激しかった。また、国会では、この年の6月に日米が調印した沖縄返還協定について審議された。同協定は不備・欠陥が多く、議論が紛糾していた。
先生は平和を求める民衆の叫びを、詩に託した。
「いま われらは/現在の血によって/永劫の憂苦を民にのこす/未来の福祉という むごい美名の宿命論を/絶対に許すまい/無気力な現状肯定の道か/また 流血の革命の道か/われらは/その二律背反を止揚したいのだ」
「われらは目ざす/自身の限りなき苦闘の決意を秘めながら/一人の犠牲をも需要しない/無血にして悠遠の革命の方途を撰ぶ」
先生が詩を発表した71年11月、「沖縄国会」と呼ばれる衆議院特別委員会で、「非核三原則」を含まない沖縄返還協定が強行採決された。公明党は捨て身の交渉にあたり、譲歩を引き出す。そして、「非核三原則」を盛り込んだ決議を実現させたのである。
先生は折々に、『永遠の都』の言葉を紹介し、同志を鼓舞した。
2006年(平成18年)3月に行われた壮年部幹部会・九州総会を兼ねた本部幹部会では、「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」との小説の一節を通して訴えた。
「苦難に打ち勝った人が真の勝利者である。これが真実の学会の同志の姿である」
翌07年(同19年)2月に開催された青年部幹部会の意義を込めた本部幹部会。「正義の精神にのっとった大きな憤りは、人種や国家間のあらゆる障害をうちこわした」とのロッシィの言葉を引用し、こう呼びかけた。
「壁を壊せ。新しいものをつくれ! 真実の正義の精神、正義の人間性でいけ!
この心で進もう。ロッシィのごとき、革命児となって!」
自らの人間革命なくして社会の変革も、人類の宿命転換もない。人間共和の「永遠の都」を築く根幹は、自身の壁を破り、変革しゆく行動だ。その「汝自身の生命の門戸」を開く戦いに、弛まず挑み続けることが、私たち池田門下の責務であろう。
池田先生は数多くの詩や贈言に、“わが国土に「永遠の都」の建設を”との思いを書き残した。71年(同46年)11月4日には、詩「永遠の都」を発表している。
「平和革命に走るロッシは/暴力を否定した/かれはアナーキストではない/人間主義を至高の権威としながら/すべての人間群が相擁して生きる/人間家族の幸福と/人間共和の繁栄を夢みたのであった」
当時、ベトナム戦争への反対運動が世界的に高まり、国内では学生運動のゲバルト(武力闘争)も激しかった。また、国会では、この年の6月に日米が調印した沖縄返還協定について審議された。同協定は不備・欠陥が多く、議論が紛糾していた。
先生は平和を求める民衆の叫びを、詩に託した。
「いま われらは/現在の血によって/永劫の憂苦を民にのこす/未来の福祉という むごい美名の宿命論を/絶対に許すまい/無気力な現状肯定の道か/また 流血の革命の道か/われらは/その二律背反を止揚したいのだ」
「われらは目ざす/自身の限りなき苦闘の決意を秘めながら/一人の犠牲をも需要しない/無血にして悠遠の革命の方途を撰ぶ」
先生が詩を発表した71年11月、「沖縄国会」と呼ばれる衆議院特別委員会で、「非核三原則」を含まない沖縄返還協定が強行採決された。公明党は捨て身の交渉にあたり、譲歩を引き出す。そして、「非核三原則」を盛り込んだ決議を実現させたのである。
先生は折々に、『永遠の都』の言葉を紹介し、同志を鼓舞した。
2006年(平成18年)3月に行われた壮年部幹部会・九州総会を兼ねた本部幹部会では、「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」との小説の一節を通して訴えた。
「苦難に打ち勝った人が真の勝利者である。これが真実の学会の同志の姿である」
翌07年(同19年)2月に開催された青年部幹部会の意義を込めた本部幹部会。「正義の精神にのっとった大きな憤りは、人種や国家間のあらゆる障害をうちこわした」とのロッシィの言葉を引用し、こう呼びかけた。
「壁を壊せ。新しいものをつくれ! 真実の正義の精神、正義の人間性でいけ!
この心で進もう。ロッシィのごとき、革命児となって!」
自らの人間革命なくして社会の変革も、人類の宿命転換もない。人間共和の「永遠の都」を築く根幹は、自身の壁を破り、変革しゆく行動だ。その「汝自身の生命の門戸」を開く戦いに、弛まず挑み続けることが、私たち池田門下の責務であろう。
2006年3月9日、池田先生は壮年部幹部会・九州総会を兼ねた本部幹部会に出席。同志の健闘に勝利のVサインで応えた(東京牧口記念会館で)。先生は「青年の育成をどうか、よろしくお願いしたい」と訴えた。「青年にすべてを託す以外にない。未来部に頼むしかない」「そこに、誇り高き『正義の道』『師弟の道』『勝利の道』が、厳然と開かれていく」
2006年3月9日、池田先生は壮年部幹部会・九州総会を兼ねた本部幹部会に出席。同志の健闘に勝利のVサインで応えた(東京牧口記念会館で)。先生は「青年の育成をどうか、よろしくお願いしたい」と訴えた。「青年にすべてを託す以外にない。未来部に頼むしかない」「そこに、誇り高き『正義の道』『師弟の道』『勝利の道』が、厳然と開かれていく」