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〈箱根駅伝〉 創価大学 4年生の“絆物語” 2025年1月6日

  • 努力と挑戦に悔いなし!

 大学駅伝の集大成の場である箱根駅伝は“4年生の大会”ともいわれる。第101回大会(2、3日)で総合7位に入賞した創価大学。“団結のタスキリレー”で、チームの躍進に大きく貢献した4年生の“絆物語”をつづる。

第101回箱根駅伝で総合7位となり、6年連続シード権を獲得した創価大学駅伝部。大会を終え、部員・スタッフが笑顔で記念のカメラに納まった(3日、創大で)
第101回箱根駅伝で総合7位となり、6年連続シード権を獲得した創価大学駅伝部。大会を終え、部員・スタッフが笑顔で記念のカメラに納まった(3日、創大で)

 大会終了後、主将の吉田凌選手は涙をこらえて語った。
 
 「自分たち4年生は入学当時、“弱い世代”といわれていました。それでも、箱根駅伝の総合優勝をずっと言い続けて、努力してきました。結果が出せなかった悔しさはありますが、ここまでついてきてくれた同期や後輩たちには感謝しかありません」
 
 創大は今大会で総合7位に入賞。大学記録を更新する10時間53分35秒で、6年連続のシード権を勝ち取った。
 
 チームの要となったのは、頂点を目指して挑戦を続けた4年生の存在だった。
 
 榎木和貴監督は感謝を口にする。「4年生の結束はとても強いものでした。選手だけでなく、マネジャーたちも意識の高いサポートに努めてくれました」

◆親子の歩み

 マネジャーとして部をけん引したのが、榎木監督の長男で、主務の榎木真央さんだ。
 
 2019年、創大駅伝部に榎木監督が就任すると、チームは箱根駅伝予選会を突破し、翌年の本戦出場を果たす。当時、高校2年生で陸上部に所属していた真央さんは、現地で箱根駅伝を初観戦。多くの声援を受け、力強く走るランナーの姿に胸を打たれた。
 
 “ここで走りたい”――箱根路への思いが心に芽生えた。
 
 だが、けがを負い、競技を続けられなくなる。そんな時、マネジャーとして創大に来ないかと声がかかった。
 
 思ってもみなかった話に、迷うことなく進学を決める。ただし監督からは「親子の縁を切る覚悟で来い」と言われ、入部に当たっての条件を提示された。
 
 「帰省の時以外は『お父さん』と呼ばないこと」
 
 「敬語を使うこと」
 
 「他の部員の模範となる態度で寮生活を送ること」
 
 こうして、箱根に挑む「監督」と「部員」としての“親子の歩み”が始まった。
 
 真央さんは選手が競技に集中できるよう陰に徹し、時には夜中までタイムの集計作業などを続けた。決意が空回りし、失敗することもあったが、下を向くことなくチームのために奮闘した。
 
 大学3年だった一昨年11月、“事件”が起きる。全日本大学駅伝の後、遠征先で次期体制についての意見交換がなされた際、主務の有力候補である真央さんが率先して動かない時があり、任せるには不安だとの声が、一部の部員から上がったのである。
 
 榎木監督は寮で留守番をしていた真央さんに、電話でその事実を伝え、「今のままでは主務は任せられない」と告げた。
 
 “チームに尽くしてきたのになぜ……”
 
 それまでの取り組みが否定されたようで涙が止まらず、ショックのあまり自室に閉じこもった。そんな真央さんに寄り添ってくれたのは、同期の吉田凌選手、小暮栄輝選手、マネジャーの岩本信弘さんだった。「真央が主務じゃないと箱根で優勝はできない」
 
 同期に励まされ、再び立ち上がった真央さん。誰よりも率先して動くことを心がけ、やがて周囲から「真央が変わった」と言われるようになった。
 
 その後、3年生全員で次期体制についての話し合いが行われ、総意を得て真央さんの主務就任が決まった。
 
 「監督は、あえて厳しい口調で主務を担う覚悟を求めたのだと思います。当時はつらかったですが、あの出来事があったからこそ、決意を固めることができました」(真央さん)

榎木監督㊧と主務の真央さんが肩を組み、健闘をたたえ合う(3日、創大で)
榎木監督㊧と主務の真央さんが肩を組み、健闘をたたえ合う(3日、創大で)

 主務として駆け抜けたこの一年、最も大切にしたのは「風通しの良いコミュニケーション」。時には親子の利点を生かし、監督と選手の“橋渡し役”にもなった。
 
 榎木監督は「親子だからこそ遠慮なく意見ができ、チーム運営の中で助けられる部分が多かった」と語る。
 
 集大成として迎えた今回の箱根駅伝。榎木監督と真央さんは一緒に運営管理車に乗り込み、全力で選手を鼓舞し続けた。
 
 2人の様子はテレビ中継でも紹介された。
 
 「2人で運営管理車に乗ることは父と子の夢でした。箱根が終われば親子に戻ります。監督と主務、最後の箱根駅伝。2人の声が選手の背中を押しています」
 
 車内で放送を聞いていた榎木監督は熱くなった目頭を押さえ、真央さんはその後ろ姿を見つめながら、かけがえのない瞬間をかみ締めた。
 
 3日夜に行われた慰労会。真央さんは涙を浮かべながらチームメートへの感謝を述べ、最後に監督への思いを伝えた。
 
 「4年間、父として、監督として支えてくれて、本当にありがとうございました」

◆新たな夢へ

 箱根路を目指した4年生の中には一度も出場できなかった選手が少なくない。濱口直人選手もその一人だ。
 
 高校時代、全国大会に出場し、創大の門をたたいた。
 
 将来、指導者になる夢を抱いていた濱口選手は教職課程を履修。文武両道に挑戦しながら、競技では得意とする800メートルと1500メートルの中距離を中心に鍛錬を重ねた。
 
 2022年の秋、練習での無理がたたり、足を負傷した。だが榎木監督に相談しないまま記録会に強行出場。結果は散々で、けがも悪化させてしまう。
 
 「自己管理ができていないようでは箱根は一生走れない」
 
 監督から叱咤激励され、競技に対する自身の姿勢を改めた。
 
 3年生になった翌年5月の関東インカレでは、その反省が生かされる。1500メートルで8位入賞を決めた後、足に痛みを覚え、翌日の800メートルを棄権。自分と向き合い、最善の判断を下すことを選んだ結果、足は回復。夏から秋にかけてベストコンディションに仕上がり、前回の箱根では初めて16人にエントリーされた。

関東インカレの男子2部1500メートル決勝で3位に輝いた濱口選手㊥(昨年5月、東京・国立競技場で)
関東インカレの男子2部1500メートル決勝で3位に輝いた濱口選手㊥(昨年5月、東京・国立競技場で)

 満を持して臨んだ今シーズン。関東インカレの1500メートルで3位、800メートルでも2位に輝き、日本選手権にも初出場を果たす。しかし、4年間で最も勝負を懸けていた日本インカレ(9月)でまさかの予選敗退。以降も不調が続き、最後の箱根は選外に。憧れの舞台には届かなかった。
 
 「正直、悔しさはあります。でも創大に来たからこそ、人としても競技者としても大きく成長できました。送り出してくれた両親への感謝は尽きません。今後は実業団で競技を続け、その後は指導者としての道を進みたいです」

◆後輩に託す

 出走が期待されながらも、直前のけがでかなわなかった小暮選手は語る。
 
 「一番走りたかった駅伝に出られなかったのは悔しいです。でもそれを超えるくらい、寮生活や日々の練習は楽しかった。総合優勝の目標は力ある後輩たちに託します」
 
 苦楽を分かち合った4年生13人は、創大で結んだ絆を胸に、それぞれの“ネクストステージ”へ進む。

2日間にわたり、箱根駅伝の補助員を務めた創大陸上競技部短距離のメンバー。円滑な大会運営に貢献した
2日間にわたり、箱根駅伝の補助員を務めた創大陸上競技部短距離のメンバー。円滑な大会運営に貢献した

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