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〈信仰体験〉 健康食品の通販会社 ホットでアチチな“おかげさま社長” 2025年11月18日

  • 戦い続ける人生に栄光あり
稗田さんはラジオブースに入ると手元の原稿をほぼ見ることなく、自然体で話していた
稗田さんはラジオブースに入ると手元の原稿をほぼ見ることなく、自然体で話していた

 【大阪市港区】落ち着いた声に、関西弁の音色がまじる。褒められると、ついエヘヘ。ほのぼのと目尻を下げる稗田淳さん(62)=副区長=は、どこか秋の木漏れ日のよう。健康食品を販売する「栄光フーズ」の代表取締役。時にはエッヘンともなりそうなものだが、誰を相手にしても「おかげさまで」と謙虚一徹。愛と正義の“おかげさま社長”である。

丁寧な応対は誰に対しても変わらない
丁寧な応対は誰に対しても変わらない

 経営の根っこに「人のため」を据える稗田さん。始まりは小学校の図書室だった。
 野口英世やガンジーらの伝記に、夢中になった。「人のために生きる人生って、ええなあ」。夢の翼を広げ、学びのペンを握ったが、体の不調に悩まされた。
  
 高校生の時、背中に激痛が走った。病院を回っても原因は分からず。知り合いから題目で病を克服した話を聞き、「医者でもアカンねんから、それしかない」。
 稗田さんは題目を唱えてみた。なんとも言えない爽快感。周りには反対されたが、題目を唱えていくうちに背中の痛みは治まった。
 大学生になった1981年(昭和56年)、稗田さんは創価学会に入会した。
 「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)。人生哲学が定まった。
  
 その後、大学編入で上京。川崎市内の旧・多摩文化会館で池田先生との出会いを結んだ。
 稗田さんが「頑張り抜きます」と決意を叫ぶと、先生はぎゅっと握手をしてくれた。
 その手の厚みとぬくもりを抱き締めながら、社会に飛び出していく。

 現在の通販会社を立ち上げたのは2004年(平成16年)の秋。社名を決めるにあたり、頭をよぎったのは忍耐の日々だった。
  
 大学卒業後、28歳で関西へ。働きがいがあると感じた会社に就職し、「仕事で実証を」と意気込んだ。
 しかし、厳しい売り上げのノルマに追われる毎日。業績が上がらず、居場所を失っていった。“なんで、俺ここにおるんやろ”。仕事がおっくうになった。
 題目を唱えても、出てくるのは、うらみばかり。そんな祈りが変わった瞬間があった。
  
 1993年のとある休日。稗田さんはひたすら御本尊に向き合っていた。
 くしくもその日、関西指導に訪れていた池田先生が、稗田さんの家の前を車で通ったことを先輩から伝え聞いた。先生は関西の同志の幸福を願い、移動中もずっと題目を唱えていたという。
 同じ日、同じ場所で、師匠と題目でつながった。「あの日、僕は“命”で池田先生とお会いしたんです」
 先生はその日、「関西栄光総会」で語った。

「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)の御文が稗田さんの折伏の原動力になっている
「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)の御文が稗田さんの折伏の原動力になっている
●幸福を決めるのは、自分の信心である

 〈幸福を決めるのは、場所ではない。自分である。自分の信心である。信心さえ強く、不動であれば、どんな変化も、全部、よい方向へ、幸福の方向へと変えていける〉
  
 稗田さんの祈りが、目つきが、変わった。
 玄関を出るたび、師が通った道に足音を重ね、胸を躍らせた。折伏にも走った。「俺も今が踏ん張り時。一緒に人生勝とうや」。
 飾らぬ言葉と熱意に友人たちがうなずき、1年で10世帯の弘教が実った。
  
 仕事も回り始めた。業績がグングン上がり、毎日がドンドン楽しくなる。自分に自信が付いた。
 人生の転機となったその年、学会は“栄光の年”を掲げていた。
 「間違いなく、人生の扉が開けた年」。だからこそ社名には、原点回帰の二文字を入れた。

家族あっての“おかげさま人生”。妻・直美さん㊧と長女・美咲さん㊥も一緒に働いている
家族あっての“おかげさま人生”。妻・直美さん㊧と長女・美咲さん㊥も一緒に働いている

 健康ブームに乗って始めた事業。弟の会社と役割を分担し、小さな舟をこぎ始めた。
 娘の美咲さん(27)=総区池田華陽会サブキャップ=は、当時まだ6歳。
 妻・直美さん(57)=支部副女性部長=は不安の中でも、笑顔で仕事を支えてくれた。
  
 夫婦で題目の帆を張り、どんな仕事にも感謝した。仏壇の前の畳には二人の正座の跡が付いた。
 走りだしの会社ながら、ラジオ広告などをきっかけに電話注文が殺到し、うれしい悲鳴となった。
 だが、競合がひしめく業界。すぐに大手の“黒船”が乗り込んできた。
 2008年にはリーマン・ショックもあった。経営は持ちこたえていたが、先を見据えると会社の顔となる商品が必要だった。

自宅で事務作業を行うことも
自宅で事務作業を行うことも

 そんな時、立ち寄った見本市で、稗田さんが引き寄せられた食品があった。にんにくで作るお酢。
 サンプルを飲んでみると、朝の目覚めが格段に良くなった。
 生産地は自らの生まれ故郷である和歌山の老舗醸造会社。運命的なものを感じた。
  
 ただ、醸造元の社長は大手企業の交渉を断ってきた人と聞いた。稗田さんは緊張の面持ちで社長にあいさつに行き、誠心誠意、思いを伝えた。
 「もうけよりも、人のため」を信念とする稗田さんの志に、頑固な大将が相好を崩し、原料として卸してくれることになった。
 こうして、黒にんにくからできた酢のサプリメントは看板商品に。
 また、お客の「健康と笑顔」を揺るぎない信条とする中で、その心に賛同した企業と、美容のジャンルでもヒット商品を生み出していく。

多忙な中でも家庭訪問を大切にしてきた稗田さん㊥
多忙な中でも家庭訪問を大切にしてきた稗田さん㊥
●いのちに寄り添うラジオ番組をプロデュース

 コロナ禍では「心の健康」にも寄り添いたいと、考えたのがラジオ。
 広告宣伝で、特にラジオの手応えを感じていた。そっと語りかけてくる声。孤独な夜にも、そばにいてくれるような温かさ。
  
 21年(令和3年)から稗田さんの会社がスポンサーとなり、ラジオ番組が始まった。
 歌手やタレント、企業のトップなど、ゲストの波乱の人生を通し、いのちの大切さを訴える。
 台本を考えるのは稗田さん。「スポンサー兼プロデューサー」と呼ばれ、スタジオ収録に立ち会っている。
 ゲストの話に爆笑したり、感動でウルウルしたり、時には自分も体当たりで出演。
 放送は、のべ100回を超え、「どんなことがあっても、めげない生き方を学んだ」「生きる励みになった」など、毎回、反響メールが数多く寄せられる。

これからの夢は「海外進出すること」と稗田さん
これからの夢は「海外進出すること」と稗田さん

 採算度外視のラジオも、もう5年。会社の業績は過去最高の更新を続けている。
 「『人のため』に徹すれば、功徳は後から付いてくるんですよね」
  
 これまで38人に弘教してきた稗田さんの折伏精神は、今が一番ホットでアチチ。
 戦う命の根底には、師の魂が脈打っている。
 〈栄光とは何か。戦い続ける、その前進の姿にこそ、栄光は輝いている〉
  
 きょう18日、創業から21年を迎えた。決意と感謝の記念日は、人生の喜びと涙を共にしてきた、直美さんとの結婚記念日でもある。

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