紙上トークライブ タレント・彦摩呂さんが語る仕事と信仰
紙上トークライブ タレント・彦摩呂さんが語る仕事と信仰
2026年5月4日
- いかなる人生劇場においても、出演者たれ
- いかなる人生劇場においても、出演者たれ
創価学会には、ミュージシャンや俳優、画家など、さまざまな文化・芸術の分野で活動するメンバーがいます。ここでは、タレントとして活躍する彦摩呂さんの紙上トークライブを掲載します。入会した動機や、仕事と信仰について語っていただきました。
創価学会には、ミュージシャンや俳優、画家など、さまざまな文化・芸術の分野で活動するメンバーがいます。ここでは、タレントとして活躍する彦摩呂さんの紙上トークライブを掲載します。入会した動機や、仕事と信仰について語っていただきました。
はじめまして! 彦摩呂と申します。私を見て、“デカい”ってつぶやく声が聞こえてきましたが、皆さんに心配されると嫌やので、最初に言うときますわ。こう見えて私、健康なんですよ。病院で検査したら、血糖値、尿酸値、コレステロールの数値、全部正常でした。
その上で今年9月に還暦を迎えるのですが、それまでに2桁の体重を目指してダイエットに挑戦しています。最高体重は135キロでしたが、毎月2キロの減量に挑戦し、現在は108キロ。順調に進んでいますので、皆さん安心して私の話を聞いてください(笑)。
はじめまして! 彦摩呂と申します。私を見て、“デカい”ってつぶやく声が聞こえてきましたが、皆さんに心配されると嫌やので、最初に言うときますわ。こう見えて私、健康なんですよ。病院で検査したら、血糖値、尿酸値、コレステロールの数値、全部正常でした。
その上で今年9月に還暦を迎えるのですが、それまでに2桁の体重を目指してダイエットに挑戦しています。最高体重は135キロでしたが、毎月2キロの減量に挑戦し、現在は108キロ。順調に進んでいますので、皆さん安心して私の話を聞いてください(笑)。
スーパーモデル
スーパーモデル
1966年、現在の東大阪市で生まれました。幼い頃に両親が離婚。母は僕と兄を女手一つで育ててくれました。
住まいは下町の長屋。母は仕事で家を留守にすることが多かったのですが、バリバリの大阪のおばちゃんで、めちゃめちゃ明るかったし、一生懸命に子育てもしてくれました。そんな影響を受けて明るく育った私は、小学校に通い始めた頃には、「テレビタレントになりたい」という夢を抱くようになりました。
高校入学後は、すぐにファミレスでアルバイトを始めました。男子高校生の多くは、洗い場や調理補助を担当していたのですが、私は料理を運ぶホール係を命じられました。それはなぜか。「イケメン」やったんですよ(笑)。
ちょうネクタイをして、ベストを着て、メニューを渡して、料理を運ぶ日々。そんな時、来店したプロのカメラマンに声をかけられ、バイト終わりに写真を撮ってもらう機会に恵まれました。2週間後、その人が再び来店。「連れて行きたいところがあんねん」と言われ、向かったのはモデルクラブの事務所でした。
そこの社長から、「モデルにならないか?」と誘われました。しかし私は170センチしか身長がなかったので、「無理です」と断りました。それでも、社長は「君にピッタリの仕事があるから大丈夫」と言い、約3カ月レッスンを受けることになりました。
その仕事っていうのが、スーパーのチラシに掲載されるような広告モデルでした。なぜ私が選ばれたのか。それは私の服のサイズがMサイズ。もう一回言うで。Mサイズやったんです。今は4Lですが(笑)。私の肩幅、袖丈、股下、全てのサイズが既製品にピッタリで、ちょうどよかったそうなんです。まさに「スーパーモデル」です(笑)。
そこから、モデルの仕事も掛け持つようになりました。
1966年、現在の東大阪市で生まれました。幼い頃に両親が離婚。母は僕と兄を女手一つで育ててくれました。
住まいは下町の長屋。母は仕事で家を留守にすることが多かったのですが、バリバリの大阪のおばちゃんで、めちゃめちゃ明るかったし、一生懸命に子育てもしてくれました。そんな影響を受けて明るく育った私は、小学校に通い始めた頃には、「テレビタレントになりたい」という夢を抱くようになりました。
高校入学後は、すぐにファミレスでアルバイトを始めました。男子高校生の多くは、洗い場や調理補助を担当していたのですが、私は料理を運ぶホール係を命じられました。それはなぜか。「イケメン」やったんですよ(笑)。
ちょうネクタイをして、ベストを着て、メニューを渡して、料理を運ぶ日々。そんな時、来店したプロのカメラマンに声をかけられ、バイト終わりに写真を撮ってもらう機会に恵まれました。2週間後、その人が再び来店。「連れて行きたいところがあんねん」と言われ、向かったのはモデルクラブの事務所でした。
そこの社長から、「モデルにならないか?」と誘われました。しかし私は170センチしか身長がなかったので、「無理です」と断りました。それでも、社長は「君にピッタリの仕事があるから大丈夫」と言い、約3カ月レッスンを受けることになりました。
その仕事っていうのが、スーパーのチラシに掲載されるような広告モデルでした。なぜ私が選ばれたのか。それは私の服のサイズがMサイズ。もう一回言うで。Mサイズやったんです。今は4Lですが(笑)。私の肩幅、袖丈、股下、全てのサイズが既製品にピッタリで、ちょうどよかったそうなんです。まさに「スーパーモデル」です(笑)。
そこから、モデルの仕事も掛け持つようになりました。
不可能を可能に
不可能を可能に
ファミレスでいつものように働いていたある日、ダンサーとして活躍していた地元の先輩がたまたま来店。バイト終わりにコーヒーをごちそうしてくれることになりました。その時、「テレビタレントになりたい」と夢を語ったところ、先輩は「なれるよ」と一言。さらに創価学会員であることを打ち明けてくれ、「日蓮大聖人の仏法は不可能を可能にする信仰なんや」と力強く語ってくれました。
尊敬する先輩の真っすぐな言葉に納得した私は、18歳の時に入会。芸能界への挑戦は“3年間”と期限を決め、必死に祈るようになりました。
信心の力を強く実感したのは、大手コンビニのコマーシャルのオーディションでした。会場には約100人の応募者がいて、圧倒されました。しかも、私がトップバッター。無事に面接を終えるも手応えはありませんでした。
しかし、結果は合格。「君の笑顔を超える人はいなかった」と声をかけてもらうことができました。コマーシャルの放映とともに、全国の店舗に私が写ったポスターが張り出され、友人や同志の皆さんに喜んでいただきました。
そこからさらに猛然と題目をあげました。すると、「南無妙法蓮華経」の題目が「何しとんねん早う東京!」って聞こえてくるようになったんです(笑)。悩んだ末、東京でタレントとして活躍できるか、勝負しようと決めました。
ファミレスでいつものように働いていたある日、ダンサーとして活躍していた地元の先輩がたまたま来店。バイト終わりにコーヒーをごちそうしてくれることになりました。その時、「テレビタレントになりたい」と夢を語ったところ、先輩は「なれるよ」と一言。さらに創価学会員であることを打ち明けてくれ、「日蓮大聖人の仏法は不可能を可能にする信仰なんや」と力強く語ってくれました。
尊敬する先輩の真っすぐな言葉に納得した私は、18歳の時に入会。芸能界への挑戦は“3年間”と期限を決め、必死に祈るようになりました。
信心の力を強く実感したのは、大手コンビニのコマーシャルのオーディションでした。会場には約100人の応募者がいて、圧倒されました。しかも、私がトップバッター。無事に面接を終えるも手応えはありませんでした。
しかし、結果は合格。「君の笑顔を超える人はいなかった」と声をかけてもらうことができました。コマーシャルの放映とともに、全国の店舗に私が写ったポスターが張り出され、友人や同志の皆さんに喜んでいただきました。
そこからさらに猛然と題目をあげました。すると、「南無妙法蓮華経」の題目が「何しとんねん早う東京!」って聞こえてくるようになったんです(笑)。悩んだ末、東京でタレントとして活躍できるか、勝負しようと決めました。
海の宝石箱や!
海の宝石箱や!
20歳の春に上京。期待と不安が入り交じる中、新幹線の車中で、私を折伏してくれた先輩からもらった池田先生の書籍『人生抄』を開きました。
そこに、こんな言葉がありました。「小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ」。短い一節でしたが、この人生の主役は自分自身なんだと思うと、不安が一瞬にして晴れ、涙が止まりませんでした。
東京に出てからも苦労の連続でしたが、テレビ局が主催したコンテストに、仲間と結成したグループ「幕末塾」の一員として出場。準優勝をしたことがきっかけで、芸能界デビューを果たすことができました。入会してから2年半で祈りがかない、改めて信心の確信を深めました。
ただ、デビューしたとはいえ、すぐに多額のお金が手に入るわけではなく、食べるものにも事欠き、空腹に耐えかねて公園の水を飲んでしのいだこともありました。
そんな時も、支えてくれたのは地域の学会員の皆さんでした。レッスンを終え、くたくたになって帰宅すると、男子部の先輩の励ましのメッセージや、婦人部の方の真心こもる差し入れなどが届けられていました。
こうした激励が力となり、信心根本に仕事に励むうち、ドラマや映画に出演させていただけるようになりました。また、人懐っこい性格を生かして情報番組のリポーターの仕事がしたいと願う中、グルメリポーターの仕事をいただけるようになりました。
“どのように商品を紹介すれば視聴者に魅力を伝えることができるのか”――一生懸命に研究しながら腕を磨きました。それでも、彦摩呂といったらコレといった、独自のセールスポイントが見いだせず、悩む時期が続きました。
そんなある時、北海道へロケに行く機会がありました。そこで出てきた海鮮丼のお刺し身があまりにも光り輝いていたんです。サバがサファイア、タイがオパール、イクラがルビーに見えました(笑)。
それで思わず言ったんです。「海の宝石箱やー!」と。食べ物を他のものに例えるなんて、編集段階でカットされるだろうなと思っていたら、字幕スーパー付きで使ってもらえました。それから、いろんなものに例えるようになり、気付けば「グルメといえば彦ちゃん」と言ってもらえるようになりました。
20歳の春に上京。期待と不安が入り交じる中、新幹線の車中で、私を折伏してくれた先輩からもらった池田先生の書籍『人生抄』を開きました。
そこに、こんな言葉がありました。「小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ」。短い一節でしたが、この人生の主役は自分自身なんだと思うと、不安が一瞬にして晴れ、涙が止まりませんでした。
東京に出てからも苦労の連続でしたが、テレビ局が主催したコンテストに、仲間と結成したグループ「幕末塾」の一員として出場。準優勝をしたことがきっかけで、芸能界デビューを果たすことができました。入会してから2年半で祈りがかない、改めて信心の確信を深めました。
ただ、デビューしたとはいえ、すぐに多額のお金が手に入るわけではなく、食べるものにも事欠き、空腹に耐えかねて公園の水を飲んでしのいだこともありました。
そんな時も、支えてくれたのは地域の学会員の皆さんでした。レッスンを終え、くたくたになって帰宅すると、男子部の先輩の励ましのメッセージや、婦人部の方の真心こもる差し入れなどが届けられていました。
こうした激励が力となり、信心根本に仕事に励むうち、ドラマや映画に出演させていただけるようになりました。また、人懐っこい性格を生かして情報番組のリポーターの仕事がしたいと願う中、グルメリポーターの仕事をいただけるようになりました。
“どのように商品を紹介すれば視聴者に魅力を伝えることができるのか”――一生懸命に研究しながら腕を磨きました。それでも、彦摩呂といったらコレといった、独自のセールスポイントが見いだせず、悩む時期が続きました。
そんなある時、北海道へロケに行く機会がありました。そこで出てきた海鮮丼のお刺し身があまりにも光り輝いていたんです。サバがサファイア、タイがオパール、イクラがルビーに見えました(笑)。
それで思わず言ったんです。「海の宝石箱やー!」と。食べ物を他のものに例えるなんて、編集段階でカットされるだろうなと思っていたら、字幕スーパー付きで使ってもらえました。それから、いろんなものに例えるようになり、気付けば「グルメといえば彦ちゃん」と言ってもらえるようになりました。
地域の同志と広布の未来を語り合う彦摩呂さん。副支部長(本陣長〈ブロック長〉兼任)として地道に学会活動に励んでいる
地域の同志と広布の未来を語り合う彦摩呂さん。副支部長(本陣長〈ブロック長〉兼任)として地道に学会活動に励んでいる
人の幸せを祈る
人の幸せを祈る
実は学会に入会して間もない19歳の時、友人との遊びが楽しくて学会を辞めようと思ったことがありました。私を折伏してくれた先輩に素直に伝えると、表情一つ変えずに「分かったよ」と言って帰っていきました。
私は必死に引き留められると思っていたのですが、何の音沙汰もなかったので逆に気になり、4日後、先輩の自宅を訪問しました。玄関を開けると部屋には線香の香りが充満していて、仏前のろうそくがほとんどなくなっていました。それを目の当たりにした時、「先輩は自分のことを、三日三晩祈ってくれていたんだ」と分かりました。
先輩は開口一番、「彦ちゃん、腹減ってるやろ。何もないけど、これでも食べて」と卵かけご飯を用意してくれました。涙を流しながら食べた、その時の味は今でも忘れられません。この先輩のように、人の幸せを祈れる自分になろうと誓いました。
実は学会に入会して間もない19歳の時、友人との遊びが楽しくて学会を辞めようと思ったことがありました。私を折伏してくれた先輩に素直に伝えると、表情一つ変えずに「分かったよ」と言って帰っていきました。
私は必死に引き留められると思っていたのですが、何の音沙汰もなかったので逆に気になり、4日後、先輩の自宅を訪問しました。玄関を開けると部屋には線香の香りが充満していて、仏前のろうそくがほとんどなくなっていました。それを目の当たりにした時、「先輩は自分のことを、三日三晩祈ってくれていたんだ」と分かりました。
先輩は開口一番、「彦ちゃん、腹減ってるやろ。何もないけど、これでも食べて」と卵かけご飯を用意してくれました。涙を流しながら食べた、その時の味は今でも忘れられません。この先輩のように、人の幸せを祈れる自分になろうと誓いました。
存在感のある人
存在感のある人
ありがたいことにデビューから38年、芸能界で元気に仕事させていただいています。
その中で思うことがあるんです。芸能界では「あの人は存在感がある」といった言葉をよく耳にします。ただ、その中には、あえて偉そうにしたり、周囲を威圧したりするような振る舞いをする人も多いんです。
私は、それは間違っていると気付きました。本当に存在感のある人というのは、「この食事会に来てほしい」「この職場にいてほしい」というように、周囲から「そこにいてもらいたい」と信頼される人だと感じています。
私が人生の師匠と定める池田先生は、世界中から「自分たちの国に来てほしい」と言われるような、大きな存在です。私もそんな風に、周囲からいてほしいと言ってもらえる「存在感のある人」になっていきたいと決意しています。
「いかなる人生劇場においても、出演者たれ」との先生の指針を胸に、これからも頑張っていきます。皆さんも、どうか自らの目標の達成に向け、ぜひ信心に励み、挑戦し続けてください。今日はありがとうございました!
ありがたいことにデビューから38年、芸能界で元気に仕事させていただいています。
その中で思うことがあるんです。芸能界では「あの人は存在感がある」といった言葉をよく耳にします。ただ、その中には、あえて偉そうにしたり、周囲を威圧したりするような振る舞いをする人も多いんです。
私は、それは間違っていると気付きました。本当に存在感のある人というのは、「この食事会に来てほしい」「この職場にいてほしい」というように、周囲から「そこにいてもらいたい」と信頼される人だと感じています。
私が人生の師匠と定める池田先生は、世界中から「自分たちの国に来てほしい」と言われるような、大きな存在です。私もそんな風に、周囲からいてほしいと言ってもらえる「存在感のある人」になっていきたいと決意しています。
「いかなる人生劇場においても、出演者たれ」との先生の指針を胸に、これからも頑張っていきます。皆さんも、どうか自らの目標の達成に向け、ぜひ信心に励み、挑戦し続けてください。今日はありがとうございました!
彦摩呂さんの公式YouTubeチャンネル「彦飯」では、各地の飲食店を訪れ、食レポをする模様や、プライベートの様子を紹介。ダイエット企画も配信中!
こちらからアクセスできます
彦摩呂さんの公式YouTubeチャンネル「彦飯」では、各地の飲食店を訪れ、食レポをする模様や、プライベートの様子を紹介。ダイエット企画も配信中!
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