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〈社会・文化〉 水俣病70年――「宝子の叫び」から 加藤タケ子 2026年6月9日

  • 深い悲しみからやさしい眼差しへ
  • 彼らの笑顔に「人間の力強さ」学ぶ
  • 社会に真実告げる作業も

 水俣病公式確認から70年。母の胎内で有機水銀を浴び、生まれた胎児性水俣病患者。5月に発刊された『「宝子」の叫び 胎児性水俣病を生きる』(藤原書店)には、今、60代、70代の年齢を迎えた彼らの生の声が綴られている。共編著者の一人で一般社団法人「きぼう・未来・水俣」代表理事の加藤タケ子さんに聞いた。

『「宝子」の叫び 胎児性水俣病を生きる』(藤原書店)
『「宝子」の叫び 胎児性水俣病を生きる』(藤原書店)
希望を抱き生き抜く

 『「宝子」の叫び』にある「宝子」という言葉には、患者やその家族の重く深い思いが込められています。水俣病患者としての苦しみを背負いながらも希望を失わず、水俣病の事実を語り続ける患者や家族の思いです。さらには化学物質が胎盤を通過し影響することを人類に警告してくれた「宝」の存在であるという意味も込められています。
 本書に収録される座談会には、こうした胎児性患者の方々が経験した苦しみ、自らや家族が受けた差別、その中で生き抜く葛藤が語られています。幼少期には「学校に行く」ことを当然と思い、大人になるにつれ、「仕事をしたい」と彼らは望みました。彼らは人間として当たり前の希望を抱き、水俣病患者としての人生も引き受け、生き抜いてきました。「仕事をしたい」という望みは20代の頃から諦めることなく訴え続け、40代を目前に公的な援助がないなかで支援者の応援を受け、仕事の場である「ほっとはうす」を創設しました。
 人は悲しみや差別の体験を重ねるほどに強くなれるのでしょうか。さまざまな苦悩を心の奥深くに刻み付けながらも彼らは周りの家族や患者、困っている他者に対し、“やさしい眼差し”を返していきました。
 胎児性患者の加賀田清子さんは、同じ患者の半永一光さんの言葉にならない声からその思いを聞き取り、彼の写真集に載せる一文を代筆しました。重度の言語障害がある金子雄二さんが還暦の祝いの席で身体の奥底から力を絞り出すように語った、「お、と、さ、ん、の、ぶん、まで、いきた」というメッセージは、居合わせたマスコミを圧倒し、さざ波のように感動が広がりました。彼が生まれる3カ月前、23歳の若さで水俣病で亡くなり一度も目にすることのなかった父の姿を、金子さんはいつも心に思い浮かべ生き抜いてきたのです。

水俣病から宝物を伝えるプログラム(『「宝子」の叫び』から)
水俣病から宝物を伝えるプログラム(『「宝子」の叫び』から)
宝物を伝えるプログラム

 こうした一つ一つが私たちに深い啓示を与えてくれます。深い悲しみを他者へのやさしい眼差しに変える――その宝のような彼らの存在が、「ほっとはうす」の発足直後から始まった「水俣病から宝物を伝えるプログラム」につながっていったのです。
 「ほっとはうす」は、彼らの夢をかなえる場として1998年に設立した共同作業所です。続いて、多機能施設「みんなの家」(2008年)、グループホーム「おるげ・のあ」(14年)が完成し、胎児性患者が地域で仕事を持って暮らす夢を実現してきました。「ほっとはうす」で始まった共同作業も、創設の理念も今、「きぼう・未来・水俣」に継承されています。
 そんな彼らを水俣病患者というマイナスのイメージでしか捉えられないのは、想像力の欠如だと思います。水俣病は患者から多くを奪ったかもしれませんが、彼らから「生き抜く力」「希望」を奪うことはできなかったのです。
 「伝えるプログラム」に参加し、胎児性患者と出会った中学生は、「水俣に生まれたことに誇りを持ってこれからも生活をしていきたい」と感想を寄せていました。
 子どもたちは胎児性患者と出会うことで、周りの大人たちにはない“力強さ”を知り、「生きる力」を得ているのです。どんなに苦しい中にも光はある、希望はある。人間って意外に強く生きられるんだ――子どもたちはそう感じているのではないでしょうか。
 公式確認から70年が過ぎましたが、目の前の患者さんと関わり続けることが私の役目だと思っています。皆さんも年を重ね、体力も以前にも増して著しく低下しています。それでも、皆さんが「生きていて良かった」と思える日々を私は寄り添っていきたいと思っています。

水俣病から宝物を伝えるプログラム(同)
水俣病から宝物を伝えるプログラム(同)
積み残した課題

 積み残した課題もあります。その一つが補償の問題です。
 患者認定されても、患者さんたちはその障害に見合うだけの補償を受けることができていません。補償金の増額を求め、障害のランクを変更する彼らの申請に対し、国は十分に応えてはくれていないのです。また、昨年4月には、家庭教師派遣グループの教材に「水俣病は遺伝する」という事実と異なる記載があったことが明らかになりました。水俣病に対する誤った理解を目にし、水俣病の真実を社会に正しく伝える作業が欠けていたことに改めて気付かされました。だからこそ「水俣病から宝物を伝えるプログラム」は大切な役割を担っていると思っています。
 「伝えるプログラム」に寄せられた児童の感想の中に「胸を張ることは勇気が出ることだと思いました」とありました。純粋に見たままに感じる子どもたちには、胎児性患者さんの胸を張って生き抜く姿が見えるのです。
 現代社会の中で失われようとしている「人間の力強さ」や「生きることの根本的な美しさ」を、私は胎児性患者の皆さんの“笑顔”からいつも教えていただいています。
 『「宝子」の叫び』には、胎児性患者とともに解決すべき私たち社会の課題、そしてそれを乗り越え、強く生き抜こうとする彼らの姿がちりばめられています。

 かとう・たけこ 東京都生まれ。1988~89年、未認定患者らのチッソ水俣工場前の座り込みに参加。その後、水俣市に移住。胎児性・小児性患者の支援に関わる。98年、共同作業所「ほっとはうす」を患者と共につくり、2003年、社会福祉法人「さかえの杜」を設立。20年、一般社団法人「きぼう・未来・水俣」を設立し、代表理事に。著書に『水俣・ほっとはうすにあつまれ!』(共編)などがある。

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