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〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉20 1984年5月20日 鳥取・倉吉市を訪問
〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉20 1984年5月20日 鳥取・倉吉市を訪問
2026年5月6日
1984年5月20日、池田先生は「鳥取青年平和文化祭」への出席を前に倉吉会館を訪問し、未来部の友に励ましを送った
1984年5月20日、池田先生は「鳥取青年平和文化祭」への出席を前に倉吉会館を訪問し、未来部の友に励ましを送った
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1984年5月20日、池田先生が鳥取・倉吉市を訪問した場面を紹介する。
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1984年5月20日、池田先生が鳥取・倉吉市を訪問した場面を紹介する。
若人よ 平和の空へ羽ばたけ!
若人よ 平和の空へ羽ばたけ!
1984年5月20日、「鳥取青年平和文化祭」が、倉吉市の県立倉吉体育文化会館で開催された。
国鉄(現・JR)倉吉駅は「祝 ’84創価学会鳥取青年平和文化祭」との大きな看板を設置。駅前からの大通りには、「歓迎」という文字と共に、文化祭を祝う垂れ幕が掲げられていた。
商店街にも祝福のポスターが張られた。地域を挙げての祝賀ムード。それは、倉吉と鳥取県の同志の“勝利の証し”でもあった。
倉吉は、第1次宗門事件で学会への激しい中傷が吹き荒れた地域だった。78年4月、倉吉会館が開館。すぐそばには、学会攻撃に狂奔した悪僧がいる寺があった。激しい攻防戦の中、倉吉の友は学会の正義と真実を語り抜いた。
同志の苦闘を知る池田先生は、文化祭の開会前、倉吉会館を訪問。会館にいた友に、「みんな分かっているよ」と包み込むように声をかけ、力強く宣言した。
「倉吉は勝ったね!」
その場には文化祭に出演する未来部の代表もいた。祭典の衣装を身にまとう後継の友に、先生は励ましを送り、記念のカメラに納まった。
文化祭の開幕を飾ったのは、プロローグ「平和への序曲」の「蛍舞」。演目には、鳥取の友の歓喜が込められていた。78年7月、蛍が舞う米子文化会館の前庭で、先生は中国の歌「地涌の讃歌」を推敲し、完成させた。その光景を再現する、幻想的な空間を演出した。
続いて、未来部のダンスや徒手体操が披露された。はつらつとした演技に、「これだけの青少年がいれば、未来は盤石」と目を潤ませる来賓もいた。その後、男子部の太鼓演奏、郷土の民謡、学会歌メドレーや各部の演技が行われ、最後に全員で「地涌の讃歌」を大合唱した。
5台のカメラで文化祭を撮影した、あるテレビスタッフは、「練習の時から撮ってきましたが、最高の出来でした。生き生きとした表情がいい」と感想を語った。
来賓のあいさつなどの後、池田先生はマイクを手に、全参加者に呼びかけた。
「どんなに苦しいこと、嫌なことがあっても、厳然とそびえる大山のごとく、信念の人間として生き抜いてほしい」
「闘魂の生命力をもった怒濤の日本海のごとく、平和のために、一家のために、地域・県のために、また邪悪との戦いのために、まい進してほしい」
「雪に覆われた厳寒の冬が去れば、美しく咲き薫る花々の季節が待っていることを忘れず、栄光の県を担いゆく一人一人として、日本へ、世界へと歩んでいってほしい」
この日、先生は2首の和歌を詠み贈った。
「清らかな 生命つつみて 華麗なる ああ鳥取の 文化の歴史と」
「若人が また若人が 陸続と 平和の空へと はばたくみごとさ」
師弟の前進を阻む障魔を打ち破り、鳥取県の友は勝った。あの日の師の“勝利宣言”は、今も友の心に鮮やかに響いている。
1984年5月20日、「鳥取青年平和文化祭」が、倉吉市の県立倉吉体育文化会館で開催された。
国鉄(現・JR)倉吉駅は「祝 ’84創価学会鳥取青年平和文化祭」との大きな看板を設置。駅前からの大通りには、「歓迎」という文字と共に、文化祭を祝う垂れ幕が掲げられていた。
商店街にも祝福のポスターが張られた。地域を挙げての祝賀ムード。それは、倉吉と鳥取県の同志の“勝利の証し”でもあった。
倉吉は、第1次宗門事件で学会への激しい中傷が吹き荒れた地域だった。78年4月、倉吉会館が開館。すぐそばには、学会攻撃に狂奔した悪僧がいる寺があった。激しい攻防戦の中、倉吉の友は学会の正義と真実を語り抜いた。
同志の苦闘を知る池田先生は、文化祭の開会前、倉吉会館を訪問。会館にいた友に、「みんな分かっているよ」と包み込むように声をかけ、力強く宣言した。
「倉吉は勝ったね!」
その場には文化祭に出演する未来部の代表もいた。祭典の衣装を身にまとう後継の友に、先生は励ましを送り、記念のカメラに納まった。
文化祭の開幕を飾ったのは、プロローグ「平和への序曲」の「蛍舞」。演目には、鳥取の友の歓喜が込められていた。78年7月、蛍が舞う米子文化会館の前庭で、先生は中国の歌「地涌の讃歌」を推敲し、完成させた。その光景を再現する、幻想的な空間を演出した。
続いて、未来部のダンスや徒手体操が披露された。はつらつとした演技に、「これだけの青少年がいれば、未来は盤石」と目を潤ませる来賓もいた。その後、男子部の太鼓演奏、郷土の民謡、学会歌メドレーや各部の演技が行われ、最後に全員で「地涌の讃歌」を大合唱した。
5台のカメラで文化祭を撮影した、あるテレビスタッフは、「練習の時から撮ってきましたが、最高の出来でした。生き生きとした表情がいい」と感想を語った。
来賓のあいさつなどの後、池田先生はマイクを手に、全参加者に呼びかけた。
「どんなに苦しいこと、嫌なことがあっても、厳然とそびえる大山のごとく、信念の人間として生き抜いてほしい」
「闘魂の生命力をもった怒濤の日本海のごとく、平和のために、一家のために、地域・県のために、また邪悪との戦いのために、まい進してほしい」
「雪に覆われた厳寒の冬が去れば、美しく咲き薫る花々の季節が待っていることを忘れず、栄光の県を担いゆく一人一人として、日本へ、世界へと歩んでいってほしい」
この日、先生は2首の和歌を詠み贈った。
「清らかな 生命つつみて 華麗なる ああ鳥取の 文化の歴史と」
「若人が また若人が 陸続と 平和の空へと はばたくみごとさ」
師弟の前進を阻む障魔を打ち破り、鳥取県の友は勝った。あの日の師の“勝利宣言”は、今も友の心に鮮やかに響いている。