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〈信仰体験〉 乳がんの脳転移からの逆転劇 2024年9月5日

  • 信念の力 報恩の命
  • 孫に継ぐ 信心のバトン
孫を見つめる高橋さん㊨
孫を見つめる高橋さん㊨

 【群馬県高崎市】限りなく、心強き人。病で死の淵にあっても、逆転勝利を信じて落ち込まない。高橋美幸さん(74)=県女性部主事=は昨年1月、乳がんが脳に転移したことを告げられた。医師は、手の施しようがなく「余命1カ月」と。自宅療養のベッドの上で思った。“私は池田先生に恩返しができていない!”。彼女の心には、師匠への感謝が脈打っていた――。

「この孫たちに信仰の力を伝えたい。それが生きる力になりました」と高橋さん(左から3人目)。夫・達也さん(左端)、長男の妻・陽子さん(右から2人目)と未来を育む
「この孫たちに信仰の力を伝えたい。それが生きる力になりました」と高橋さん(左から3人目)。夫・達也さん(左端)、長男の妻・陽子さん(右から2人目)と未来を育む

 2022年(令和4年)の初頭、高橋さんは右胸の違和感を確かめた。“やっぱり、硬いものがある……”。だが病院には、すぐに足が向かなかった。
 当時、民生委員として地域住民の相談役を担っていた。公民館で“ふれあいサロン”を開いては、住民同士のつながりも育んだ。
 地域活動に全力投球の日々。「夫と自分のことは後回し」だった。そうこうするうち、胸のしこりが徐々に大きくなった。“そろそろ、病院に行かなきゃ”
 検診を受けたのは、その年の9月。医師は「乳がんです」と。脇の下のリンパ節に転移していて、ステージ3a。だが、高橋さんは動揺を見せなかった。
 夫・達也さん(70)=副県長=は脱帽する。「妻は、信心の確信で全て包み込んでしまうんです」

夫・達也さん㊨
夫・達也さん㊨

 手術は翌年3月に予定された。それまで抗がん剤治療を。副作用は少なかったが、年明けの1月、激しいめまいが……。夫に声をかけられても反応は鈍く、会話はしどろもどろ。「記憶はないけれど、自宅から救急搬送されたみたい」
 意識が戻ると、病院のベッドの上だった。傍らに、目に涙をためた長男・哲さん(38)=男子部副部長=の姿が。“どうしたの?”
 気付くと、自分の顔の右側が垂れ下がっている。家族は打ち明けられずにいた。
 MRI検査の結果を医師が伝えた。「脳に幾つもの腫瘍が見られます。意識障害や顔面まひの症状から、乳がんが脳に転移したものと考えられます」と。
 「余命は?」
 片方の人さし指を上に向けられた。
 「1カ月です」
 それでも、高橋さんは希望を捨てなかった。

乳がんと診断される前に撮った、夫婦のツーショット
乳がんと診断される前に撮った、夫婦のツーショット

 乳がんの進行度はステージ4となり、手術の予定は白紙に。病院での緩和ケアか自宅療養を勧められた。「家に帰ろう」と達也さんが言ってくれた。
 翌2月に退院。自宅の仏間には介護ベッドが用意されていた。要介護5で、自ら寝返りも打てない。
 見慣れた天井を見つめ、そばにあるはずの御本尊との対話を始めた。仏間に響く、師子吼の題目。「顔面まひでも、口だけは達者に動いたので」
 一番に願ったのは、自身の命のことではなかった。子や孫に信心のバトンを渡すこと。“私が疑いを起こして、ブレてはいけない。1ミリでもズレたら、あの子たちの20年後、30年後が大きくズレてしまう”
 仏壇のそばにあった10年以上前の「大白蓮華」を枕元に置いてもらった。そこには、1966年(昭和41年)8月の夏季講習会の様子が記されている。

師との原点となった、高等部時代の夏季講習会について掲載された「大白蓮華」
師との原点となった、高等部時代の夏季講習会について掲載された「大白蓮華」

 「これが、池田先生に初めてお会いした、私の原点です」
 当時16歳。大分で生まれ、母と共に8歳で信仰を始めた少女が、師匠を求めて静岡へ。人生の柱が定まった。
 師の声が今も耳朶にこだまする。「永遠の幸福という財産、財宝は何か。それはただ一つ、御本尊に題目をあげ、折伏をしきった者の会得する境涯こそが、永久の財宝である」
 ベッドで横になりながらでも、題目を唱えられることを喜んだ。「自ら身命を惜しまず」(新1993・全1386)。見舞いに来た友人に、ありのままの姿で仏法対話もした。
 “誰かに勇気と希望を送りたい。ただ顔面まひのせいで、私のトレードマークの笑顔が出ない……”。それでも、師弟の道を歩み抜く姿を、家族に見せたいと心から思った。

わが子を抱っこする長女・真弓さん㊧
わが子を抱っこする長女・真弓さん㊧
長男・哲さん
長男・哲さん

 “信心で治す!”。高橋さんの気迫は、家族に伝わり、闘病を支えてくれた。
 達也さんは、仕事をリモートワークにして三度の“食事係”を。長女・真弓さん(40)=白ゆり長=はおむつの交換を担い、哲さんは仕事の合間を縫って見舞いに訪れた。
 程なく、娘のおなかに新たな孫の命が宿ったことを知る。“何としても生きないと!”
 1カ月たち、体を起こせるようになった。手すりにつかまれば、一人でトイレに行けるようにも。できなくなったことが、ゆっくりとできた。
 そして――ついに御本尊の前に座ることができた。感謝の題目を。「見舞いに来てくれた同志や友人たちの励ましが、私を後押ししてくれたんです」

達也さんが自宅でリモートワークを
達也さんが自宅でリモートワークを

 周囲が驚く回復ぶり。退院から4カ月後の昨年6月、再び、市内の総合病院でMRI検査を受けた。
 主治医は診察室で、以前の検査画像と何度も見比べて、告げた。「最大3センチ弱あった複数の白い斑点が、全て消えています」。腫瘍と言われた部分が消滅していた。
 さらに「まれな経過ですが、消えたのは事実です。原因は分かりません。高橋さんが言う『信念の力』も否定はしません。多くの患者さんを診てきて、メンタルの強さが関係すると感じるところもありますから。とにかく、元気になってくれてよかった」と。
 高橋さんは夫と顔を見合わせ手を取り合った。「やった!」
 翌月、ステージ2となった乳がんの手術が行われ、腫瘍を摘出。寛解に向け、抗がん剤の服用を始めた。

ひと夏の思い出。この日は長女・真弓さん(右端手前)、長男・哲さん(右端奥)の家族が大集合。孫を抱きながら高橋さん(中央右)も幸のしぶきを浴びた
ひと夏の思い出。この日は長女・真弓さん(右端手前)、長男・哲さん(右端奥)の家族が大集合。孫を抱きながら高橋さん(中央右)も幸のしぶきを浴びた

 この夏、5人の孫と水遊びをした。小さな瞳を見つめ、広布の未来を託す。“これからも、池田先生に恩返ししていくから、見ててね”
 後遺症の顔面まひは、まだある。だが報恩に生きる喜びの笑顔が、まぶしいほど未来へと輝いている。

長女の夫・新悟さん(前列左端)も加わり、家族全員で
長女の夫・新悟さん(前列左端)も加わり、家族全員で

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