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池田先生と周恩来総理の会見50周年 総理の姪・周秉徳氏からメッセージ
池田先生と周恩来総理の会見50周年 総理の姪・周秉徳氏からメッセージ
2024年12月5日
病床にあった周総理㊧の強い希望で実現した会見。反対する医師団から説得を頼まれた夫人の鄧穎超氏は「命を縮めても会わなければならない人がいる。それが、今です」と語り、一期一会の出会いは実現した(1974年、北京で)
病床にあった周総理㊧の強い希望で実現した会見。反対する医師団から説得を頼まれた夫人の鄧穎超氏は「命を縮めても会わなければならない人がいる。それが、今です」と語り、一期一会の出会いは実現した(1974年、北京で)
きょう12月5日は、池田大作先生と中国の周恩来総理が1974年の同日に一期一会の会見を果たしてから50年。総理が若き先生に託し、先生が生涯をかけて築いてきた友情の「金の橋」には、後継の青年が続く。この佳節に当たり、総理の姪で北京大鸞翔宇慈善基金会創始会長の周秉徳氏からメッセージが寄せられた。ここでは、その要旨を紹介する。
きょう12月5日は、池田大作先生と中国の周恩来総理が1974年の同日に一期一会の会見を果たしてから50年。総理が若き先生に託し、先生が生涯をかけて築いてきた友情の「金の橋」には、後継の青年が続く。この佳節に当たり、総理の姪で北京大鸞翔宇慈善基金会創始会長の周秉徳氏からメッセージが寄せられた。ここでは、その要旨を紹介する。
青年の手で友好の種子を未来へ
青年の手で友好の種子を未来へ
周秉徳氏
周秉徳氏
本年は、周恩来総理と池田先生の会見から50年の節目に当たります。50年前、偉大なお二人は、それぞれの国で中日友好のために多大な努力と貢献をされました。
1980年代に中国人民政治協商会議主席を務めていた伯母の鄧穎超(=周総理夫人)は、池田先生との出会いを振り返り、「池田会長は中国にとても友好的で、あなたの伯父(周総理)も亡くなる前、病院でお会いしたのですよ」と話していました。
池田先生が北京を訪問されていた74年12月5日、重病を患っていた周総理の強い希望によって会見が行われました。二人は初対面でしたが、旧知のように打ち解けました。
周総理は、「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展はどうしても必要であるということを何度も提唱されている。そのことが、私にはとてもうれしいのです」と述べました。この会見は先生の心に深く刻まれ、中日友好のために心血を注ぐ決意をより一層、固められたのです。
49年の新中国建国以来、周総理は一貫して中日友好に尽力しました。その中で60年代の初めには既に創価学会に注目しており、池田先生が学生部総会の席上で発表した「日中国交正常化提言」(68年)は、国交回復への大きな力になったと高く評価していました。
75年、先生は新中国初の国費留学生6人を、創価大学に迎えました。そして周総理との会見を記念し、また中日友好の思いをとどめて、桜の木を留学生と創価大学生が共に植樹し、「周桜」と名付けられました。
さらに79年には、伯母の鄧穎超が日本を訪問するのに合わせて、創価大学の構内に伯父と伯母をたたえる「周夫婦桜」を植樹してくださいました。
伯母は計8回にわたり池田先生と出会いを重ねました。先生は創価学会代表団を率いて訪中され、民間交流に力を尽くされました。伯母は先生との会見に深い感謝を表し、「皆さんは、中日友好の種子を未来に伝えていく使命を持っている」と語りました。
本年は、周恩来総理と池田先生の会見から50年の節目に当たります。50年前、偉大なお二人は、それぞれの国で中日友好のために多大な努力と貢献をされました。
1980年代に中国人民政治協商会議主席を務めていた伯母の鄧穎超(=周総理夫人)は、池田先生との出会いを振り返り、「池田会長は中国にとても友好的で、あなたの伯父(周総理)も亡くなる前、病院でお会いしたのですよ」と話していました。
池田先生が北京を訪問されていた74年12月5日、重病を患っていた周総理の強い希望によって会見が行われました。二人は初対面でしたが、旧知のように打ち解けました。
周総理は、「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展はどうしても必要であるということを何度も提唱されている。そのことが、私にはとてもうれしいのです」と述べました。この会見は先生の心に深く刻まれ、中日友好のために心血を注ぐ決意をより一層、固められたのです。
49年の新中国建国以来、周総理は一貫して中日友好に尽力しました。その中で60年代の初めには既に創価学会に注目しており、池田先生が学生部総会の席上で発表した「日中国交正常化提言」(68年)は、国交回復への大きな力になったと高く評価していました。
75年、先生は新中国初の国費留学生6人を、創価大学に迎えました。そして周総理との会見を記念し、また中日友好の思いをとどめて、桜の木を留学生と創価大学生が共に植樹し、「周桜」と名付けられました。
さらに79年には、伯母の鄧穎超が日本を訪問するのに合わせて、創価大学の構内に伯父と伯母をたたえる「周夫婦桜」を植樹してくださいました。
伯母は計8回にわたり池田先生と出会いを重ねました。先生は創価学会代表団を率いて訪中され、民間交流に力を尽くされました。伯母は先生との会見に深い感謝を表し、「皆さんは、中日友好の種子を未来に伝えていく使命を持っている」と語りました。
2012年の春、私と家族が訪日した際には「周桜観桜会」に招待していただきました。先生と創価学会が中日友好を大切にしていること、また、伯父や伯母に対する心からの尊敬の念を肌身で感じました。
また、中国建国70周年を迎えた19年には、中国政府の招へいにより北京での記念式典に参加されていた創価学会の原田稔会長とお会いし、先生と周総理の友情や交流について語り合いました。
私が創設した北京大鸞翔宇慈善基金会は22年から23年にかけ、創価学会の協力のもと、日本の8都市で「桜よ海棠よ永遠に――周恩来と日中友好」写真展を開催しました。池田先生が中日両国の友好に尽力された様子や、周総理との会見の様子、先生から贈られた日本の著名な画家・石田閑山作の「周夫妻の肖像画」などを展示しました。
この写真展は日本各地で反響を呼び、多くの若者が中日友好の歴史を学び、先人が築いた両国間の友誼を受け継いでいきたいとの声が寄せられました。
創価学会の後継の皆さんが、池田先生の遺志を継承されていることを大変うれしく思っております。私たちも中日の民間交流に全力を注いでいます。これこそ、周総理と先生への最高の恩返しだと思っています。
中日両国の青年が今後も、「中日友好の種子を未来に伝えていく使命」を果たし続けてくれることを信じています。
2012年の春、私と家族が訪日した際には「周桜観桜会」に招待していただきました。先生と創価学会が中日友好を大切にしていること、また、伯父や伯母に対する心からの尊敬の念を肌身で感じました。
また、中国建国70周年を迎えた19年には、中国政府の招へいにより北京での記念式典に参加されていた創価学会の原田稔会長とお会いし、先生と周総理の友情や交流について語り合いました。
私が創設した北京大鸞翔宇慈善基金会は22年から23年にかけ、創価学会の協力のもと、日本の8都市で「桜よ海棠よ永遠に――周恩来と日中友好」写真展を開催しました。池田先生が中日両国の友好に尽力された様子や、周総理との会見の様子、先生から贈られた日本の著名な画家・石田閑山作の「周夫妻の肖像画」などを展示しました。
この写真展は日本各地で反響を呼び、多くの若者が中日友好の歴史を学び、先人が築いた両国間の友誼を受け継いでいきたいとの声が寄せられました。
創価学会の後継の皆さんが、池田先生の遺志を継承されていることを大変うれしく思っております。私たちも中日の民間交流に全力を注いでいます。これこそ、周総理と先生への最高の恩返しだと思っています。
中日両国の青年が今後も、「中日友好の種子を未来に伝えていく使命」を果たし続けてくれることを信じています。