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〈いのちの翼を ハンセン病を生きる 信仰体験〉 長島でつかんだ生きる哲学
〈いのちの翼を ハンセン病を生きる 信仰体験〉 長島でつかんだ生きる哲学
2025年12月4日
第7回 励ましの往復が刻む20年
第7回 励ましの往復が刻む20年
長島愛生園の入所者を訪ねる中西さん
長島愛生園の入所者を訪ねる中西さん
【岡山県瀬戸内市】「隔離の島」と呼ばれた長島には、二つの国立ハンセン病療養所がある。そこは、創価学会の同志が長年にわたり、途切れることなく足を運び続けてきた地でもある。中西千鶴子さん(68)=圏副女性部長=もまた、入所者と信頼の糸を紡ぎ続けてきた一人だ。(岡山支局)
【岡山県瀬戸内市】「隔離の島」と呼ばれた長島には、二つの国立ハンセン病療養所がある。そこは、創価学会の同志が長年にわたり、途切れることなく足を運び続けてきた地でもある。中西千鶴子さん(68)=圏副女性部長=もまた、入所者と信頼の糸を紡ぎ続けてきた一人だ。(岡山支局)
山の姿から季節の移ろいを感じる
山の姿から季節の移ろいを感じる
赤く色づいた木々が風に揺れていた。先月初旬、中西さんはいつものように長島愛生園を訪れた。部屋に入ると、あいさつが飛び交う。
「来たでー」
「ああ、中西さんかい? また一段ときれいになったなあ」
「そやろ。美容院でカットしたとこやねん(笑)」
折り畳み椅子を広げると、それが合図のように柔らかな笑顔の花が開く。中西さんの気さくさと飾らない物腰が、顔なじみの入所者たちから、深く愛されている。
語らいの輪が30分を過ぎた頃。
「あら、もう時間やわ。ほな、また来るね」
名残惜しそうに見送る壮年が「ほな、待っとるで」と手を振る。
中西さんは照れ笑いを浮かべた。その信頼は、一朝一夕に築いたものではない。
大阪・西成区の生まれ育ち。家庭は優しさとは程遠かった。両親の激しい口げんかから逃れるように、小学生だった中西さんは、3歳下の弟の手を引き、夜の繁華街をさまよった。夜空に流れ星を見つけると、静かに願いを託した。
生きる道しるべを探し、高校では聖書研究会に入ったが、心の渇きは満たされない。父は経営に失敗して、姿をくらました。高校3年生の冬には、借金返済に追われた母が過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
運動が得意だった中西さんの夢は、体育教師。しかし、弟を支えるために進学を諦め、働く道を選んだ。
あえて言うなら、「灰色の青春」。胸の奥に押し込めていた言葉が、口から漏れた。
「どうせ私は幸せになんて、なれへんのや」
赤く色づいた木々が風に揺れていた。先月初旬、中西さんはいつものように長島愛生園を訪れた。部屋に入ると、あいさつが飛び交う。
「来たでー」
「ああ、中西さんかい? また一段ときれいになったなあ」
「そやろ。美容院でカットしたとこやねん(笑)」
折り畳み椅子を広げると、それが合図のように柔らかな笑顔の花が開く。中西さんの気さくさと飾らない物腰が、顔なじみの入所者たちから、深く愛されている。
語らいの輪が30分を過ぎた頃。
「あら、もう時間やわ。ほな、また来るね」
名残惜しそうに見送る壮年が「ほな、待っとるで」と手を振る。
中西さんは照れ笑いを浮かべた。その信頼は、一朝一夕に築いたものではない。
大阪・西成区の生まれ育ち。家庭は優しさとは程遠かった。両親の激しい口げんかから逃れるように、小学生だった中西さんは、3歳下の弟の手を引き、夜の繁華街をさまよった。夜空に流れ星を見つけると、静かに願いを託した。
生きる道しるべを探し、高校では聖書研究会に入ったが、心の渇きは満たされない。父は経営に失敗して、姿をくらました。高校3年生の冬には、借金返済に追われた母が過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
運動が得意だった中西さんの夢は、体育教師。しかし、弟を支えるために進学を諦め、働く道を選んだ。
あえて言うなら、「灰色の青春」。胸の奥に押し込めていた言葉が、口から漏れた。
「どうせ私は幸せになんて、なれへんのや」
長島に暖かな太陽の光が差し込む
長島に暖かな太陽の光が差し込む
総合食料品店で働いていた19歳の時、職場で黙々と働く青年と出会う。後に夫となる天元さんだった。二人の距離は縮まり、中西さんは声をかけられた。
「デートやと思ったら折伏セミナーでしたねえ(笑)」
創価学会に入会していた天元さんから、小説『人間革命』を手渡された。ある一文で、ページをめくる指が止まった。
〈これまでの女性史というものは、一口に言えば、宿命に泣く女性の歴史といってよかった。皆さんは、若くして妙法を持った女性です。もはや宿命に泣く必要はない〉
全身を「稲妻のような衝撃」が貫く。いてついた心に、温かな灯がともった。1978年(昭和53年)3月、中西さんは信心を始めた。
その翌月、関西戸田記念講堂で開かれた大阪女子部合唱祭。池田先生のまなざしとピアノの音色に包まれた瞬間、進むべき道が定まった。
「私は師匠と一緒に生きていくんや」
その誓いのままに、関西魂を胸に春夏秋冬を走ることになる。
総合食料品店で働いていた19歳の時、職場で黙々と働く青年と出会う。後に夫となる天元さんだった。二人の距離は縮まり、中西さんは声をかけられた。
「デートやと思ったら折伏セミナーでしたねえ(笑)」
創価学会に入会していた天元さんから、小説『人間革命』を手渡された。ある一文で、ページをめくる指が止まった。
〈これまでの女性史というものは、一口に言えば、宿命に泣く女性の歴史といってよかった。皆さんは、若くして妙法を持った女性です。もはや宿命に泣く必要はない〉
全身を「稲妻のような衝撃」が貫く。いてついた心に、温かな灯がともった。1978年(昭和53年)3月、中西さんは信心を始めた。
その翌月、関西戸田記念講堂で開かれた大阪女子部合唱祭。池田先生のまなざしとピアノの音色に包まれた瞬間、進むべき道が定まった。
「私は師匠と一緒に生きていくんや」
その誓いのままに、関西魂を胸に春夏秋冬を走ることになる。
生き方の答えが
生き方の答えが
中西さんは語る。「若い頃はつらかったけど、信心のおかげで幸せになった。生きて生きて生き抜くで!」
中西さんは語る。「若い頃はつらかったけど、信心のおかげで幸せになった。生きて生きて生き抜くで!」
岡山へ来たのは93年(平成5年)、夫の転勤だった。ある会合で、一人の女性の信仰体験を聞いた。地獄のような偏見と差別にさらされながらも、勇んで折伏に走る様子を話したのは、長島に暮らす同志だった。中西さんは体中の血が駆け巡るのを感じた。
しばらくして、長島が中西さんの担当の組織となり、天元さんと夫婦で長島を訪れた。
長島の同志は、飾らない笑顔で迎えてくれた。「どうぞ」。お茶を出された。飲み干すと、みんながうれしそうな顔をした。
同じ食器を使うと、病気がうつる――そんな偏見に嫌というほど縛られてきた人たちだ。「池田先生の世界に、偏見の壁なんて何一つない」というのが、中西さんの本心だった。
みんなのためなら何でもしようと決意して、入所者の夫妻と墓参りに広島まで付き添ったことがある。夫妻は伏し目がちにきょろきょろと周囲を見渡し、人目がないのを確かめてから墓前で手を合わせた。「差別の影」を感じた中西さんは、婦人の肩に手を添えた。
それでも長島の同志たちは誰一人、宿命に泣いてなどいなかった。
「仏法対話に行くぞ!」と誰かが声を上げれば、皆が喜んで続いた。小さな島で自転車をこいだ。坂道で転んでも笑顔は消えない。誰にも言えない痛みを抱えたまま、笑い合っている。その姿に、中西さんは長年求めてきた生き方の答えがある気がした。
“人生の幸不幸を決めるのは、環境じゃない。自分の心だ”
「御義口伝」の一節を深くかみ締めた。「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり」(新1099・全790)。長島の潮騒を背に同志を訪れるたび、中西さんは元気をもらった。
「みんなの強さに触れるでしょ。励ますつもりが、こっちが励まされてるんですよ」
励ましとは何かを見つめ直した。自分が元気を届けなければという責任感は、苦しみの中でも冗談を飛ばす同志たちといるうちに、ほどけていった。
「ただ、長島のみんなと一緒にいたいだけ」
中西さんの瞳には、瀬戸内海のきらめきが宝石のように見え始めた。
岡山へ来たのは93年(平成5年)、夫の転勤だった。ある会合で、一人の女性の信仰体験を聞いた。地獄のような偏見と差別にさらされながらも、勇んで折伏に走る様子を話したのは、長島に暮らす同志だった。中西さんは体中の血が駆け巡るのを感じた。
しばらくして、長島が中西さんの担当の組織となり、天元さんと夫婦で長島を訪れた。
長島の同志は、飾らない笑顔で迎えてくれた。「どうぞ」。お茶を出された。飲み干すと、みんながうれしそうな顔をした。
同じ食器を使うと、病気がうつる――そんな偏見に嫌というほど縛られてきた人たちだ。「池田先生の世界に、偏見の壁なんて何一つない」というのが、中西さんの本心だった。
みんなのためなら何でもしようと決意して、入所者の夫妻と墓参りに広島まで付き添ったことがある。夫妻は伏し目がちにきょろきょろと周囲を見渡し、人目がないのを確かめてから墓前で手を合わせた。「差別の影」を感じた中西さんは、婦人の肩に手を添えた。
それでも長島の同志たちは誰一人、宿命に泣いてなどいなかった。
「仏法対話に行くぞ!」と誰かが声を上げれば、皆が喜んで続いた。小さな島で自転車をこいだ。坂道で転んでも笑顔は消えない。誰にも言えない痛みを抱えたまま、笑い合っている。その姿に、中西さんは長年求めてきた生き方の答えがある気がした。
“人生の幸不幸を決めるのは、環境じゃない。自分の心だ”
「御義口伝」の一節を深くかみ締めた。「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり」(新1099・全790)。長島の潮騒を背に同志を訪れるたび、中西さんは元気をもらった。
「みんなの強さに触れるでしょ。励ますつもりが、こっちが励まされてるんですよ」
励ましとは何かを見つめ直した。自分が元気を届けなければという責任感は、苦しみの中でも冗談を飛ばす同志たちといるうちに、ほどけていった。
「ただ、長島のみんなと一緒にいたいだけ」
中西さんの瞳には、瀬戸内海のきらめきが宝石のように見え始めた。
師匠と同志の懸け橋に
師匠と同志の懸け橋に
耳の聞こえにくい同志には筆談も
耳の聞こえにくい同志には筆談も
ある日、長島の壮年から頼みごとをされた。
「俺らを会合に連れて行ってくれんか?」
国の隔離政策により、療養所に住む人々は島の外に出られなかった歴史がある。中西さんのワゴン車で送迎が始まった。岡山市内の会館で、本部幹部会の中継行事に参加した。8人乗りの車が満員になり、車内は笑い声であふれた。
帰りにいつも立ち寄る喫茶店があった。湯気の立つコーヒーを前に言う。
「最高じゃのう」
池田先生とみんなをつなぐ懸け橋になれたことが、たまらなくうれしい。
長い時間をかけ、心と心が結ばれていく。
「長島は、信心を学ぶ地であるとともに、家族の記憶が重なる場所にもなりました」
春は桜の下で夫と語らい、夏には娘と花火を見上げた。6年前に夫が先立ってからも、中西さんは長島へ足を運び続け、20年になった。
長い闘病と偏見をくぐり抜けてきた入所者たちは、人の心に敏感。だからこそ足しげく通ってきた創価の同志への信頼は、ひときわ厚い。
励ましに行く者と励ましを返す者。その境界線さえ、とうに溶けていた。
「来たでー」
中西さんの明るい声に皆の笑顔が花のように広がる。
ある日、長島の壮年から頼みごとをされた。
「俺らを会合に連れて行ってくれんか?」
国の隔離政策により、療養所に住む人々は島の外に出られなかった歴史がある。中西さんのワゴン車で送迎が始まった。岡山市内の会館で、本部幹部会の中継行事に参加した。8人乗りの車が満員になり、車内は笑い声であふれた。
帰りにいつも立ち寄る喫茶店があった。湯気の立つコーヒーを前に言う。
「最高じゃのう」
池田先生とみんなをつなぐ懸け橋になれたことが、たまらなくうれしい。
長い時間をかけ、心と心が結ばれていく。
「長島は、信心を学ぶ地であるとともに、家族の記憶が重なる場所にもなりました」
春は桜の下で夫と語らい、夏には娘と花火を見上げた。6年前に夫が先立ってからも、中西さんは長島へ足を運び続け、20年になった。
長い闘病と偏見をくぐり抜けてきた入所者たちは、人の心に敏感。だからこそ足しげく通ってきた創価の同志への信頼は、ひときわ厚い。
励ましに行く者と励ましを返す者。その境界線さえ、とうに溶けていた。
「来たでー」
中西さんの明るい声に皆の笑顔が花のように広がる。