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〈池田先生が開いた「5・3」への道――戸田先生の第2代会長就任75周年〉 2026年5月1日

  • 新生の朝を告げよう

 5月3日は、「創価学会の日」「創価学会母の日」である。池田大作先生はかつて記した。「5月3日は、永遠に、新たな出陣の日です。一年、また一年を戦い切り、次の民衆凱歌の行進に出発する日です」。75年前の1951年(昭和26年)5月3日、恩師・戸田城聖先生は第2代会長に就任した。この日、創価学会は広宣流布という人類救済の聖業を遂行する、地涌の菩薩和合僧として、新たな前進を開始する。この「5・3」を迎える道は険しかった。戸田先生の事業は絶体絶命の状況に陥り、多くの弟子が去った。池田先生は恩師を守り抜くことを誓い、不惜身命で戦い抜いた。平和のため、民衆の幸福のため――池田先生が開いた、その道程をたどる。

 南北朝時代の武将・楠木正成と息子の正行。父子の絆を歌った“大楠公”は、戸田先生が心から愛し、池田先生が恩師を思い、幾度もピアノで奏でてきた歌だ。
 〽青葉茂れる桜井の……。「桜井の訣別」は、旧暦の5月の出来事といわれている。足利尊氏との覚悟の決戦に臨むに当たり、楠木正成は、その子・正行に後事を託した。
 「(戸田)先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり」
 1951年(昭和26年)1月6日、池田先生は日記に記した。この日、戸田先生は、23歳の池田先生を自宅に呼び、後事の一切を託した。「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう」
 前年、戦後の混乱の影響で、恩師が経営する信用組合が営業停止になる。学会の理事長も辞任し、絶体絶命の苦境が続いていた。池田先生は、戸田先生を最高顧問とする新会社で営業部長を担った。“戸田先生は世界広布を実行されている王者である。その王者をお守りするのが私の宿命である”と、恩師を支えた。
 日々、御書をひもとき、祈りに徹した。御書には「師弟相違せば、なに事も成すべからず」(新1211・全900)と。後に先生は述懐する。
 「『師匠をお守りする』『師匠とともに戦う』『師匠のために勝つ』――この一念の祈りと戦いに徹しゆくときに、仏に等しい力が湧き出ずるのだ」
 状況が好転したのは51年2月。大蔵省(当時)から、組合員の総意がまとまるならば、組合を解散してもよいという通達が来たのである。3月11日、信用組合は解散。債務は戸田先生個人が担うことになった。同日夜の学会の臨時総会で戸田先生は、「広宣流布の秋は今であります」と宣言した。
 戦前、牧口常三郎先生のもと、最後に行われた創価教育学会の総会は、43年(同18年)の「5月2日」であった。先師と共に臨んだ最後の総会の“翌日”を、戸田先生は第2代会長の就任の日に選んだ。後年、池田先生は語った。
 「『5月3日』を、新生・創価学会の『発迹顕本』の出発とするのだ――。私は、戸田先生と同じ巌窟王の心で、誓い定めていた」

縁深き神奈川への励ましを、ピアノの音色に託す池田先生(1997年9月15日、神奈川文化会館で)。父子の心光る調べが、同志の胸に響いた
縁深き神奈川への励ましを、ピアノの音色に託す池田先生(1997年9月15日、神奈川文化会館で)。父子の心光る調べが、同志の胸に響いた
激闘に光る師弟の固い絆

 戸田先生の事業の再建のため、池田先生が足繁く通った地の一つに、神奈川の鶴見がある。空いた時間には、会員のもとを訪ね、激励を重ねた。池田先生を囲んでの自然発生的なミニ座談会が鶴見のあちこちで開かれ、拡大の勢いは加速していった。
 ある時、池田先生は鶴見の同志に、激闘で疲労困憊の中で見た、夢の話をした。「腕時計の中身を地面にばらまいて、それをピンセットで一つ一つ一生懸命に拾っている夢なんだ」
 数日後、その同志は戸田先生が「夢」の話をするのを聞いた。「私の息子がね、夜になると時計を地面にばらまいて、汗をかきかき、それを拾っている夢を見る、と言うんだ」――池田先生を「息子」と呼ぶ恩師の姿に、師弟の固い絆をしみじみと感じた。
 51年4月20日、聖教新聞が創刊。その2面で弘教に先駆する鶴見支部の活躍が紹介された。見出しは「聖火鶴見に炎上」。戸田先生の提案である。記事には池田先生のことは触れられていないが、鶴見の拡大の源には、池田先生の激闘があった。
 後に、夫の病と生活苦のどん底で戦う鶴見の女性から、「この貧乏はいつまで続くんでしょうか?」と尋ねられた先生は、大確信を込めて訴えた。
 「末法の功徳は冥益です。薄紙も毎日一枚ずつ重ねていけば、十年、二十年もすると、見上げるようになります。信心は境涯革命ですよ。必ず幸せになります」
 聖教創刊の頃、学会では、戸田先生を会長に推戴する署名運動が進められていた。署名簿には、池田先生の署名の隣に、静岡・伊東市出身の会員の名前がある。伊東もまた、先生が恩師の名代として足を運んだ地だ。
 交通や通信も今のように発達していない。皆、「今」を生きるので精いっぱいの時代である。会員の中には読み書きができないという人も少なくなかった。にもかかわらず、3000人を超す同志が署名簿に名を連ねた。

戸田先生の第2代会長就任式(1951年5月3日、東京・墨田区で)。広布の歴史は、再び大きく動き出した
戸田先生の第2代会長就任式(1951年5月3日、東京・墨田区で)。広布の歴史は、再び大きく動き出した
人類宗教への旅立ちの日

 5月3日は、平和国家の建設をうたった憲法記念日でもある。50年に朝鮮戦争が勃発すると、日本は後方基地の役割を果たした。51年1月の年頭声明では、GHQ(連合国軍総司令部)の最高司令官が日本の再軍備を強調している。
 こうした社会情勢の中で迎えた同年5月3日、東京・墨田区で第2代会長就任式が挙行された。戸田先生は「75万世帯の弘教」を宣言し、「一対一の膝詰め談判によって、広宣流布は成し遂げられるのである」と訴えた。
 誰もがはるか先の“夢物語”と捉えた。池田先生は恩師の願業を自らの誓いとした。この日の日記にこうある。
 「進まん、法旗を高らかに。広宣流布を目指して。二十億の民ぞ待て、吾が学会の進軍に」
 「二十億の民」とは、当時の世界人口である。戸田先生と共に、池田先生は世界広布を見据えていた。
 恩師の会長就任式に、池田先生は地域の友人と一緒に参加していた。池田先生の信心への大確信に触れた友人は、5月3日、晴れて入会する。
 この日、学会組織の新体制が発表され、それを伝える本紙(51年5月20日付)には、「人類救済の組織成る」との見出しが躍った。先生は述懐する。
 「社会の中で、生活の中で、信仰の根を張りながら、人類宗教への旅立ちが開始された。それから、わずか数十年で、未曽有の世界広布の基盤が築かれた。世界中に幸福の種が蒔かれた。だれが予想したでしょうか。民衆史における『20世紀の奇跡』であることは言うまでもありません」
 恩師の会長就任から50年となる2001年(平成13年)の4月23日、池田先生は長編詩「晴れわたる 我らの五月三日」を発表した。
  
 百戦の大勝利のために
 共に魂を弾ませながら
 金色に染まる
 彼方に向かって
 前進するのだ。
  
 天晴れ 地晴れ
 心も晴れわたる
 五月三日よ!
  
 新しい前進と
 新しい決意の
 広宣流布への魂の
 燃え上がる
 五月三日よ!
  
 長編詩発表から2日後の25日、東京戸田記念講堂で「5・3」記念の本部幹部会が開催された。池田先生は、目標としていた「2001年5月3日」を、全同志の団結で勝利で迎えることができたと述べ、今度は学会創立100周年、2030年の5月3日を目指して前進を開始したいと提案した。広布の険難の峰を登攀し、「5・3」から新たな出発を切ったのである。
 「5・3」は“創価の元朝”だ。池田先生の七回忌となる2029年、そして2030年へ、混迷する時代を転換し、人間主義の“新しい朝”を告げゆく戦いを開始しよう。

まばゆい陽光が雲海に降り注ぐ。かなたには富士山のシルエットが浮かぶ。太陽が地球をあまねく照らすように、今、仏法の英知は世界中に光を送る(2000年11月、池田先生が撮影)
まばゆい陽光が雲海に降り注ぐ。かなたには富士山のシルエットが浮かぶ。太陽が地球をあまねく照らすように、今、仏法の英知は世界中に光を送る(2000年11月、池田先生が撮影)

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