〈SDGs×SEIKYO〉 “おいしい”で広がる夢――クラフトコーラ職人
〈SDGs×SEIKYO〉 “おいしい”で広がる夢――クラフトコーラ職人
2024年2月6日
“名古屋初”のクラフトコーラ専門店「コーノコーラ」を立ち上げた、河野大地さん(37)=区男子部主任部長〈部長兼任〉。無添加・無着色・無香料――全て手作業で作られる安心の“健康コーラ”で、「家族みんなを笑顔にしたい」と語ります。(今回はSDGsの1番目の目標「貧困をなくそう」について考えます。取材=石塚哲也、外山慶介)
“名古屋初”のクラフトコーラ専門店「コーノコーラ」を立ち上げた、河野大地さん(37)=区男子部主任部長〈部長兼任〉。無添加・無着色・無香料――全て手作業で作られる安心の“健康コーラ”で、「家族みんなを笑顔にしたい」と語ります。(今回はSDGsの1番目の目標「貧困をなくそう」について考えます。取材=石塚哲也、外山慶介)
この記事のテーマは「貧困をなくそう」
この記事のテーマは「貧困をなくそう」
大手飲料メーカーが大量生産する「コーラ」と比べ、「クラフトコーラ」はその名の通り、クラフト=手作り。従来のコーラのイメージとは異なり、数々のスパイスとかんきつ類の果汁などを配合した健康的な飲み物として、若い世代を中心に人気が広がっている。
「大のコーラ好きだった息子に、思い切りコーラを飲ませてあげたくて、趣味のスパイスカレーにヒントを得て、『コーノコーラ』を開発しました!」
大手飲料メーカーが大量生産する「コーラ」と比べ、「クラフトコーラ」はその名の通り、クラフト=手作り。従来のコーラのイメージとは異なり、数々のスパイスとかんきつ類の果汁などを配合した健康的な飲み物として、若い世代を中心に人気が広がっている。
「大のコーラ好きだった息子に、思い切りコーラを飲ませてあげたくて、趣味のスパイスカレーにヒントを得て、『コーノコーラ』を開発しました!」
幼い頃、河野さんの家庭は貧しかった。両親は働きに出て、帰宅はいつも深夜。寂しくて、夜中に目を覚ました日に限って、父と母が怒鳴り合っている声が聞こえた。母と過ごせる時間も短く、手伝いをしながら料理を覚えた。
キッチンに立っていると、母の笑顔が見られて、「“空っぽ”のおなかと心が満たされました」。
2007年、河野さんは、先輩の勧めで創価大学に進学する。在学中は奨学金と、掛け持ちのアルバイトの給料で学費と生活費を賄った。
学業とバイトで目が回る忙しさ。それでも、空いた時間を割いて、得意の料理を友達に振る舞うことが喜びだった。
大学3年の時、生活を切り詰めた貯金で、1年間、台湾に留学した。
「小さい頃から人の言葉を信じられなくて、誰かが作ったレールの上を歩く人生にはしたくなかった。異国に行けば、周囲とは“違う自分”になれると思ったんです」
幼い頃、河野さんの家庭は貧しかった。両親は働きに出て、帰宅はいつも深夜。寂しくて、夜中に目を覚ました日に限って、父と母が怒鳴り合っている声が聞こえた。母と過ごせる時間も短く、手伝いをしながら料理を覚えた。
キッチンに立っていると、母の笑顔が見られて、「“空っぽ”のおなかと心が満たされました」。
2007年、河野さんは、先輩の勧めで創価大学に進学する。在学中は奨学金と、掛け持ちのアルバイトの給料で学費と生活費を賄った。
学業とバイトで目が回る忙しさ。それでも、空いた時間を割いて、得意の料理を友達に振る舞うことが喜びだった。
大学3年の時、生活を切り詰めた貯金で、1年間、台湾に留学した。
「小さい頃から人の言葉を信じられなくて、誰かが作ったレールの上を歩く人生にはしたくなかった。異国に行けば、周囲とは“違う自分”になれると思ったんです」
台湾留学中、現地の創価学会の先輩が自宅に招き、日本の家庭料理をご馳走してくれた。異国での不安や悩みを親身になって聞いてくれ、「体だけは、壊さないでね」と。そして余ったおかずで弁当を作り、持たせてくれた。特別なものが入っているわけではない。
しかし、翌日、弁当を口にすると、おなかが満たされる以上に、心までが温かくなった。
先輩は「自分は池田先生の代わりになると決意して、台湾で学会活動しているんだ」と教えてくれた。
思い返してみると、創大在学中、空腹で食べるのに困った時によく、創立者・池田先生から、お菓子の激励が届いた。
「あの“えびせん”は今でも忘れられません。台湾での先輩との出会いを通し、自分が池田先生の名代となり、“食”を通じて、多くの人を励ましていきたいと誓ったんです」
そんな思いに至れたのも、小さい頃の苦労があったから。初めて両親に感謝することもできた。
台湾留学中、現地の創価学会の先輩が自宅に招き、日本の家庭料理をご馳走してくれた。異国での不安や悩みを親身になって聞いてくれ、「体だけは、壊さないでね」と。そして余ったおかずで弁当を作り、持たせてくれた。特別なものが入っているわけではない。
しかし、翌日、弁当を口にすると、おなかが満たされる以上に、心までが温かくなった。
先輩は「自分は池田先生の代わりになると決意して、台湾で学会活動しているんだ」と教えてくれた。
思い返してみると、創大在学中、空腹で食べるのに困った時によく、創立者・池田先生から、お菓子の激励が届いた。
「あの“えびせん”は今でも忘れられません。台湾での先輩との出会いを通し、自分が池田先生の名代となり、“食”を通じて、多くの人を励ましていきたいと誓ったんです」
そんな思いに至れたのも、小さい頃の苦労があったから。初めて両親に感謝することもできた。
大学卒業後、飲食部門のある外資系たばこメーカーに就職。懸命に働いて6年後に退職し、愛知県内で高齢者専門の宅配健康弁当店を始める。
その間、妻・宏美さん=副白ゆり長=と結婚。2人の子どもにも恵まれた。
仕事は順調だった。コロナ禍でも一日も休まず、高齢者に弁当を届け、警察署からも表彰された。
そんな頃、2歳を過ぎた息子が好んで市販のコーラを飲むように。息子の笑顔が見たくて、ついつい与えてしまうが、「健康を考えれば、本当は飲ませたくなかった」。
それなら、「無添加の材料で自分で作れば、安心じゃないか」とクラフトコーラ作りを始めた。
大学卒業後、飲食部門のある外資系たばこメーカーに就職。懸命に働いて6年後に退職し、愛知県内で高齢者専門の宅配健康弁当店を始める。
その間、妻・宏美さん=副白ゆり長=と結婚。2人の子どもにも恵まれた。
仕事は順調だった。コロナ禍でも一日も休まず、高齢者に弁当を届け、警察署からも表彰された。
そんな頃、2歳を過ぎた息子が好んで市販のコーラを飲むように。息子の笑顔が見たくて、ついつい与えてしまうが、「健康を考えれば、本当は飲ませたくなかった」。
それなら、「無添加の材料で自分で作れば、安心じゃないか」とクラフトコーラ作りを始めた。
試行錯誤を繰り返し、21年、クラフトコーラ専門店「コーノコーラ」を立ち上げた。
マルシェなどにも出店し、近隣のカフェやバーで扱ってもらえるよう営業に歩いた。一人一人、一軒一軒、コーラ片手に思いを伝えた。
「子どもも親も笑顔になる、コーラなんです」
次第に、SNSで話題を呼ぶようになり、マスコミでも取り上げられた。
事業を拡大させるため、クラウドファンディング(インターネットを通じた資金調達)に挑戦。見事、目標金額を集め、昨年には、店舗のほかに自宅兼工房を構えることができた。
試行錯誤を繰り返し、21年、クラフトコーラ専門店「コーノコーラ」を立ち上げた。
マルシェなどにも出店し、近隣のカフェやバーで扱ってもらえるよう営業に歩いた。一人一人、一軒一軒、コーラ片手に思いを伝えた。
「子どもも親も笑顔になる、コーラなんです」
次第に、SNSで話題を呼ぶようになり、マスコミでも取り上げられた。
事業を拡大させるため、クラウドファンディング(インターネットを通じた資金調達)に挑戦。見事、目標金額を集め、昨年には、店舗のほかに自宅兼工房を構えることができた。
幼い頃の経験から、物質的な貧しさは“心の貧困”につながっていくと、河野さんは実感している。
だからこそ、「コーノコーラ」を通して、「子どもや大人たちの心を満たし、それぞれが“夢”を広げられる手助けをしたい」と。
目標は大きく、「コーラで世界平和の実現です」と胸を張る。
河野さんのような信念を持った挑戦が、世界中の人たちの“心”を満たし、SDGsの目標の達成へ、つながっていくにちがいない。
幼い頃の経験から、物質的な貧しさは“心の貧困”につながっていくと、河野さんは実感している。
だからこそ、「コーノコーラ」を通して、「子どもや大人たちの心を満たし、それぞれが“夢”を広げられる手助けをしたい」と。
目標は大きく、「コーラで世界平和の実現です」と胸を張る。
河野さんのような信念を持った挑戦が、世界中の人たちの“心”を満たし、SDGsの目標の達成へ、つながっていくにちがいない。
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