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〈本は心の翼――創価の図書贈呈運動〉
〈本は心の翼――創価の図書贈呈運動〉
2025年2月14日
- 未来を創る“希望の種まき”
- 未来を創る“希望の種まき”
池田先生はかつて、「良書は 心の翼となり 生命に光を広げる」と詠った。創価学会はこれまで、山間部や離島、災害被災地などの小・中学校や公立図書館などに図書の贈呈活動を続けてきた。こうした取り組みに対して、多くの行政や教育機関から学会に感謝状が贈られてきた。ここでは、学会の図書贈呈運動に込められた池田先生の思い、世界中で行われている運動の一端を紹介する。
池田先生はかつて、「良書は 心の翼となり 生命に光を広げる」と詠った。創価学会はこれまで、山間部や離島、災害被災地などの小・中学校や公立図書館などに図書の贈呈活動を続けてきた。こうした取り組みに対して、多くの行政や教育機関から学会に感謝状が贈られてきた。ここでは、学会の図書贈呈運動に込められた池田先生の思い、世界中で行われている運動の一端を紹介する。
1974年2月3日、沖縄・西表島の竹富町立大原中学校への図書贈呈式(石垣島で)。池田先生から約1000冊の贈書目録が手渡された
1974年2月3日、沖縄・西表島の竹富町立大原中学校への図書贈呈式(石垣島で)。池田先生から約1000冊の贈書目録が手渡された
創価学会の図書贈呈運動が始まったのは、1974年(昭和49年)のこと。聖教新聞創刊23周年の記念事業として、全国の辺地にある学校25校に、図書を寄贈することが企画された。
その最初の贈呈先が、沖縄の小・中学校である。2月、池田先生の沖縄指導の折、西表島の竹富町立大原中学校(3日)、伊良部島の宮古島市立伊良部小学校(5日)、沖縄本島北部の東村立高江小中学校(9日)への贈呈式が行われた。
大原中学校へは、1009冊の図書が寄贈された。先生は贈呈式で、「未来を担う子どもたちの教育に役立ててほしい」と望んだ。
本土復帰直後の沖縄は、さまざまな面で本土との格差があった。学校教育の分野も同様だった。同校では、それまでの10年間で、725冊を購入・収集するのが精いっぱいだった。
当時、先生から図書を手渡された方は、「新しい本を頂けると聞いたとき、すごくうれしかった」と。その人は、後に教職の道を志し、読書を通して、夢をかなえた。
式典の席上、同校は贈書を「池田文庫」と命名すること、図書館内にコーナーを新設・活用していくことを発表した。
沖縄での贈呈式の折、先生は戦争によって本も買えず、読みたくとも読めなかった自身の青春時代を述懐して語った。「私は本に恵まれない少年少女たちを見ると、自分の体験からもいたたまれなくなるのです」
若き日から読書に親しんできた先生にとって、本は生きる糧だった。戦時中、本を空襲から守るため、防空壕に入れたこともある。戦後は、地元の読書サークルの仲間と会員制の図書室「草水文庫」を運営し、近隣の子どもたちに開放した。
子どもたちの心に「希望の種」を、「精神の滋養」を――先生の心を具体的な形にした図書贈呈運動は、74年以降、本格的に進められていった。
創価学会の図書贈呈運動が始まったのは、1974年(昭和49年)のこと。聖教新聞創刊23周年の記念事業として、全国の辺地にある学校25校に、図書を寄贈することが企画された。
その最初の贈呈先が、沖縄の小・中学校である。2月、池田先生の沖縄指導の折、西表島の竹富町立大原中学校(3日)、伊良部島の宮古島市立伊良部小学校(5日)、沖縄本島北部の東村立高江小中学校(9日)への贈呈式が行われた。
大原中学校へは、1009冊の図書が寄贈された。先生は贈呈式で、「未来を担う子どもたちの教育に役立ててほしい」と望んだ。
本土復帰直後の沖縄は、さまざまな面で本土との格差があった。学校教育の分野も同様だった。同校では、それまでの10年間で、725冊を購入・収集するのが精いっぱいだった。
当時、先生から図書を手渡された方は、「新しい本を頂けると聞いたとき、すごくうれしかった」と。その人は、後に教職の道を志し、読書を通して、夢をかなえた。
式典の席上、同校は贈書を「池田文庫」と命名すること、図書館内にコーナーを新設・活用していくことを発表した。
沖縄での贈呈式の折、先生は戦争によって本も買えず、読みたくとも読めなかった自身の青春時代を述懐して語った。「私は本に恵まれない少年少女たちを見ると、自分の体験からもいたたまれなくなるのです」
若き日から読書に親しんできた先生にとって、本は生きる糧だった。戦時中、本を空襲から守るため、防空壕に入れたこともある。戦後は、地元の読書サークルの仲間と会員制の図書室「草水文庫」を運営し、近隣の子どもたちに開放した。
子どもたちの心に「希望の種」を、「精神の滋養」を――先生の心を具体的な形にした図書贈呈運動は、74年以降、本格的に進められていった。
大原中学校に設置された「池田文庫」のコーナー(1974年、西表島で)
大原中学校に設置された「池田文庫」のコーナー(1974年、西表島で)
教育に懸ける師弟の思い
教育に懸ける師弟の思い
図書贈呈運動の源流は、54年(同29年)にさかのぼる。8月16日、池田先生は戸田先生と共に、恩師の故郷である北海道の厚田へ向かった。
夕方、師弟は厚田の浜辺を散策した。恩師は語った。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには、苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって……」
その日の夜、戸田先生と池田先生は、小・中学校の校長や厚田の主立った名士と歓談。小・中学校で図書が不足していると聞くと、恩師は語った。
「さっそく図書を贈らせてもらいましょう。少年時代の良書との出合いは、人格を形成するうえで、最大の精神の養分になりますからね」
帰京後、恩師は図書を寄贈。その手配を進めたのが、池田先生である。これが学会の図書贈呈運動の淵源となった。その後、贈られた書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と名付けられ、多くの子どもたちに親しまれた。
池田先生はたびたび、厚田の小・中学校に図書を贈呈してきた。第3代会長に就任した60年(同35年)の9月15日、厚田中学校へ、「戸田文庫用図書」として良書を寄贈。厚田小学校にも110冊の本を贈った。その数週間前の8月27日、先生は厚田を訪れ、こう語っている。
「戸田先生の故郷の厚田は、私の第二の故郷です。また、私の世界への旅立ちの舞台です」
71年(同46年)に厚田小学校へ345冊、また73年(同48年)には、厚田中学校に120冊、厚田小学校に190冊の図書が贈られた。
図書贈呈運動の源流は、54年(同29年)にさかのぼる。8月16日、池田先生は戸田先生と共に、恩師の故郷である北海道の厚田へ向かった。
夕方、師弟は厚田の浜辺を散策した。恩師は語った。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには、苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって……」
その日の夜、戸田先生と池田先生は、小・中学校の校長や厚田の主立った名士と歓談。小・中学校で図書が不足していると聞くと、恩師は語った。
「さっそく図書を贈らせてもらいましょう。少年時代の良書との出合いは、人格を形成するうえで、最大の精神の養分になりますからね」
帰京後、恩師は図書を寄贈。その手配を進めたのが、池田先生である。これが学会の図書贈呈運動の淵源となった。その後、贈られた書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と名付けられ、多くの子どもたちに親しまれた。
池田先生はたびたび、厚田の小・中学校に図書を贈呈してきた。第3代会長に就任した60年(同35年)の9月15日、厚田中学校へ、「戸田文庫用図書」として良書を寄贈。厚田小学校にも110冊の本を贈った。その数週間前の8月27日、先生は厚田を訪れ、こう語っている。
「戸田先生の故郷の厚田は、私の第二の故郷です。また、私の世界への旅立ちの舞台です」
71年(同46年)に厚田小学校へ345冊、また73年(同48年)には、厚田中学校に120冊、厚田小学校に190冊の図書が贈られた。
第3代会長に就任した池田先生は、1960年8月27日、北海道・厚田訪問のため、石狩川を渡船で横断する
第3代会長に就任した池田先生は、1960年8月27日、北海道・厚田訪問のため、石狩川を渡船で横断する
人類を結ぶ友情の橋に
人類を結ぶ友情の橋に
図書贈呈は国内だけでなく、世界の大学・教育機関でも行われてきた。
74年5月30日、池田先生は中国への第一歩をしるした。6月4日、北京大学を訪問。日本語書籍をはじめ5000冊の図書目録を贈呈した。
同年9月8日には、ソ連(当時)を初訪問。翌9日、モスクワ大学を訪れ、3000冊の邦文図書が贈られた。
75年(同50年)5月、同大学で、寄贈された本を使ったブックフェアが開催された。この折、先生に第1号の名誉学術称号となる、名誉博士号が授与されている。
各国の日本人会や日本人学校にも、図書贈呈が進められてきた。81年(同56年)2月24日には、パナマの日本人学校に書籍が贈られた。先生は子どもたちと歓談のひとときを持った。
昨年、図書贈呈運動の開始から50周年を刻んだ。贈呈校は累計1378校を数え、贈呈書籍の総冊数は56万冊を超える。
かつて先生は語った。
「一冊の良書は、偉大な教師に巡り合ったのと同じです。読書は『人間だけができる特権』であり、いかなる動物も読書はできない」
図書贈呈という“希望の種まき”は、これまで多くの実を結んできた。これからも、豊かな未来を創造する“新たな芽”が生まれるに違いない。
図書贈呈は国内だけでなく、世界の大学・教育機関でも行われてきた。
74年5月30日、池田先生は中国への第一歩をしるした。6月4日、北京大学を訪問。日本語書籍をはじめ5000冊の図書目録を贈呈した。
同年9月8日には、ソ連(当時)を初訪問。翌9日、モスクワ大学を訪れ、3000冊の邦文図書が贈られた。
75年(同50年)5月、同大学で、寄贈された本を使ったブックフェアが開催された。この折、先生に第1号の名誉学術称号となる、名誉博士号が授与されている。
各国の日本人会や日本人学校にも、図書贈呈が進められてきた。81年(同56年)2月24日には、パナマの日本人学校に書籍が贈られた。先生は子どもたちと歓談のひとときを持った。
昨年、図書贈呈運動の開始から50周年を刻んだ。贈呈校は累計1378校を数え、贈呈書籍の総冊数は56万冊を超える。
かつて先生は語った。
「一冊の良書は、偉大な教師に巡り合ったのと同じです。読書は『人間だけができる特権』であり、いかなる動物も読書はできない」
図書贈呈という“希望の種まき”は、これまで多くの実を結んできた。これからも、豊かな未来を創造する“新たな芽”が生まれるに違いない。
創価大学の中央図書館を、創立者・池田先生が視察(2004年1月)。同図書館には、先生から寄贈された本が多く収蔵されている
創価大学の中央図書館を、創立者・池田先生が視察(2004年1月)。同図書館には、先生から寄贈された本が多く収蔵されている
世界の大学・教育機関への寄贈
世界の大学・教育機関への寄贈
1974年 中国・北京大学
1974年 中国・北京大学
1974年 ソ連・モスクワ大学
1974年 ソ連・モスクワ大学
1981年 パナマ・日本人学校
1981年 パナマ・日本人学校
1984年 ペルー・国立サンマルコス大学
1984年 ペルー・国立サンマルコス大学
1984年 アメリカ・ハワイ大学
1984年 アメリカ・ハワイ大学
1989年 フランス・パリ第5大学
1989年 フランス・パリ第5大学