四肢欠損の講演家 カイル・メイナードさんに聞く
四肢欠損の講演家 カイル・メイナードさんに聞く
2024年11月21日
- 〈SDGs×SEIKYO〉 誰もが輝ける社会へ
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アメリカのモチベーショナルスピーカー(自己啓発の講演家)であるカイル・メイナードさんは、先天性四肢欠損症のため、両腕は肘まで、両足は膝の上までしかありません。しかし、ハンディをものともせず、アスリートとして功績を残し、世界屈指の山々を登頂。各地で自らの体験を語ってきました。SDGsの目標10「人や国の不平等をなくそう」をテーマに、あくなき挑戦の原動力や、平等な社会を築く鍵について聞きました。(取材=田川さくら、木﨑哲郎)
アメリカのモチベーショナルスピーカー(自己啓発の講演家)であるカイル・メイナードさんは、先天性四肢欠損症のため、両腕は肘まで、両足は膝の上までしかありません。しかし、ハンディをものともせず、アスリートとして功績を残し、世界屈指の山々を登頂。各地で自らの体験を語ってきました。SDGsの目標10「人や国の不平等をなくそう」をテーマに、あくなき挑戦の原動力や、平等な社会を築く鍵について聞きました。(取材=田川さくら、木﨑哲郎)
――メイナードさんは四肢欠損の体で生まれました。多くの苦労があったかと思いますが、どのような幼少期を過ごしましたか。
家族は私に、ありったけの愛を注いでくれました。“甘やかされた”という意味ではありません。私が将来、自立した生活を送れるようにと、両親は、私の障がいを決して“特別扱い”しなかったのです。
両親はいつも、「自分の体を嫌ってはいけない」と言いました。義肢装具を付けやすいようにと、医師が足の一部の切除を提案したことがあります。しかし両親は、“息子の体を傷つけたくない”と断ったそうです。このことに、今では感謝しています。
当初は、腕の先がないことで、日常的な動作の習得に、人の何倍も時間がかかりました。食事一つとってもそうです。同世代の子どもたちは、スプーンを上手に使って食事ができるようになった。でも、自分にはできない……。何度も食べ物をこぼし、いらだち、恥じらいを覚えました。
それでも両親は、そばで見守り続けてくれました。“他の人よりもハンディが多い分、これから乗り越えなければならない壁も多い”――だからこそ、私の“諦めない心”を育もうとしてくれたのです。
両親はよく、こう声をかけてくれました。「どこに目を向けるかで、エネルギーの流れは変わる。世界が違って見える」と。
できないことばかりを意識すると、本来できることさえ、できなくなってしまう。できることに目を向ければ、自分の中に秘められた力が発揮できる。そう教えてくれたのです。
こうした両親のおかげで、私はチャレンジ精神が旺盛な少年に育ちました。
――メイナードさんは四肢欠損の体で生まれました。多くの苦労があったかと思いますが、どのような幼少期を過ごしましたか。
家族は私に、ありったけの愛を注いでくれました。“甘やかされた”という意味ではありません。私が将来、自立した生活を送れるようにと、両親は、私の障がいを決して“特別扱い”しなかったのです。
両親はいつも、「自分の体を嫌ってはいけない」と言いました。義肢装具を付けやすいようにと、医師が足の一部の切除を提案したことがあります。しかし両親は、“息子の体を傷つけたくない”と断ったそうです。このことに、今では感謝しています。
当初は、腕の先がないことで、日常的な動作の習得に、人の何倍も時間がかかりました。食事一つとってもそうです。同世代の子どもたちは、スプーンを上手に使って食事ができるようになった。でも、自分にはできない……。何度も食べ物をこぼし、いらだち、恥じらいを覚えました。
それでも両親は、そばで見守り続けてくれました。“他の人よりもハンディが多い分、これから乗り越えなければならない壁も多い”――だからこそ、私の“諦めない心”を育もうとしてくれたのです。
両親はよく、こう声をかけてくれました。「どこに目を向けるかで、エネルギーの流れは変わる。世界が違って見える」と。
できないことばかりを意識すると、本来できることさえ、できなくなってしまう。できることに目を向ければ、自分の中に秘められた力が発揮できる。そう教えてくれたのです。
こうした両親のおかげで、私はチャレンジ精神が旺盛な少年に育ちました。
幼少期のメイナードさん㊨と母のアニータさん(写真は全て本人提供)
幼少期のメイナードさん㊨と母のアニータさん(写真は全て本人提供)
――周囲の人と自分を比べて、体の違いに悩んだことはありますか。
ある日、祖母とスーパーに出かけた時のことです。この日も私は、周りからの視線にびくびくしていました。幼心に、その視線の理由が私の体にあることに気付いていたからです。
とうとう我慢できなくなった私は、祖母に尋ねました。「おばあちゃん、どうして僕は、みんなと違うの?」
すると祖母は、こう言ったのです。「カイル、一人として同じ人はいない。みんな違っていいんだよ。もし誰かがあなたを見て、けげんな顔をしたら、自分から“ハーイ!”とあいさつしてごらん。あなたの元気な声と笑顔に触れたら、みんな、障がいのことなんて忘れてしまうから」
祖母は私をショッピングカートに乗せ、すれ違う人たちに一緒にあいさつをしてくれました。すると驚いたことに、表情が硬かった人も、皆、笑顔になっていったのです。
以来、私はどんな人にでも、自分から声をかけるようにしています。
――周囲の人と自分を比べて、体の違いに悩んだことはありますか。
ある日、祖母とスーパーに出かけた時のことです。この日も私は、周りからの視線にびくびくしていました。幼心に、その視線の理由が私の体にあることに気付いていたからです。
とうとう我慢できなくなった私は、祖母に尋ねました。「おばあちゃん、どうして僕は、みんなと違うの?」
すると祖母は、こう言ったのです。「カイル、一人として同じ人はいない。みんな違っていいんだよ。もし誰かがあなたを見て、けげんな顔をしたら、自分から“ハーイ!”とあいさつしてごらん。あなたの元気な声と笑顔に触れたら、みんな、障がいのことなんて忘れてしまうから」
祖母は私をショッピングカートに乗せ、すれ違う人たちに一緒にあいさつをしてくれました。すると驚いたことに、表情が硬かった人も、皆、笑顔になっていったのです。
以来、私はどんな人にでも、自分から声をかけるようにしています。
「ハーイ! 僕はカイル!」
「ハーイ! 僕はカイル!」
負けてもなお
負けてもなお
――メイナードさんはスポーツが得意ですね。高校時代はレスリングの選手として活躍しました。
レスリングを始めた当初は、散々なありさまでした。なにせ、35試合も負け続けたんですから!(笑)
勝てる見込みは全くない。世の中には報われない努力もある――そう本気で思ったほどです。
ですが、わが家には“家訓”がありました。それは、「ひとたびやると決めたことは、絶対に途中で投げ出さない」というものです。勝つべき相手は、他の誰でもない。自分自身である――。逃げたい気持ちと戦いながら、練習に練習を重ねました。
初めて試合に勝てたのは、レスリングを始めて1年半がたった時のことです。本当にうれしかった。さらに努力を続けると、州レベルの強敵も倒せるようになりました。
そして最終的には、高校の全米大会に出場し、12位に入賞することができたのです。
重量挙げの大会に参加したこともあります。この時は109キロの重りを、両腕で23回連続で持ち上げました。10代としては大きな記録で、賞をもらいました。
――メイナードさんはスポーツが得意ですね。高校時代はレスリングの選手として活躍しました。
レスリングを始めた当初は、散々なありさまでした。なにせ、35試合も負け続けたんですから!(笑)
勝てる見込みは全くない。世の中には報われない努力もある――そう本気で思ったほどです。
ですが、わが家には“家訓”がありました。それは、「ひとたびやると決めたことは、絶対に途中で投げ出さない」というものです。勝つべき相手は、他の誰でもない。自分自身である――。逃げたい気持ちと戦いながら、練習に練習を重ねました。
初めて試合に勝てたのは、レスリングを始めて1年半がたった時のことです。本当にうれしかった。さらに努力を続けると、州レベルの強敵も倒せるようになりました。
そして最終的には、高校の全米大会に出場し、12位に入賞することができたのです。
重量挙げの大会に参加したこともあります。この時は109キロの重りを、両腕で23回連続で持ち上げました。10代としては大きな記録で、賞をもらいました。
思い出のレスリング。鍛え上げた体で相手を押さえ込む(左がメイナードさん)
思い出のレスリング。鍛え上げた体で相手を押さえ込む(左がメイナードさん)
――素晴らしいですね。その後、メイナードさんは自叙伝『No Excuses(言い訳はしない)』を出版しました。そして自身の体験を語り、励ましを送るモチベーショナルスピーカーとして、キャリアをスタートさせました。
どんな状況であったとしても、諦めなければ夢はかなう――そのことを、自身の体験を通して、多くの人に伝えたかったんです。
しかし、いざ講演に回ると、思い描いていた世界とは違いました。数年たつと、忙しさから自分自身を見失っていきました。「こんな生活は、もう終わりにしたい」。家族に弱音を吐いては、一人ぼっちだと感じていました。
そんな中、運命的な出会いがありました。ある日、空港で「カイルさん!」と2人の元軍人に声をかけられたのです。聞くと、彼らはイラクの戦場に派遣され、重度のやけどを負ったとのこと。心身共に限界を感じていた時、偶然、テレビで私のストーリーを目にし、勇気を得たと話してくれました。
「君のおかげで、前を向けた。生き続けようと思えたよ」――その言葉に、ハッとしました。“自分には、とてつもなく大きな使命があるんだ”と。
以来、私は各地を巡り、企業のトップや学生、アスリートや軍人など、大勢の人々に自身の体験を語り続けてきました。
――素晴らしいですね。その後、メイナードさんは自叙伝『No Excuses(言い訳はしない)』を出版しました。そして自身の体験を語り、励ましを送るモチベーショナルスピーカーとして、キャリアをスタートさせました。
どんな状況であったとしても、諦めなければ夢はかなう――そのことを、自身の体験を通して、多くの人に伝えたかったんです。
しかし、いざ講演に回ると、思い描いていた世界とは違いました。数年たつと、忙しさから自分自身を見失っていきました。「こんな生活は、もう終わりにしたい」。家族に弱音を吐いては、一人ぼっちだと感じていました。
そんな中、運命的な出会いがありました。ある日、空港で「カイルさん!」と2人の元軍人に声をかけられたのです。聞くと、彼らはイラクの戦場に派遣され、重度のやけどを負ったとのこと。心身共に限界を感じていた時、偶然、テレビで私のストーリーを目にし、勇気を得たと話してくれました。
「君のおかげで、前を向けた。生き続けようと思えたよ」――その言葉に、ハッとしました。“自分には、とてつもなく大きな使命があるんだ”と。
以来、私は各地を巡り、企業のトップや学生、アスリートや軍人など、大勢の人々に自身の体験を語り続けてきました。
熱弁を振るうメイナードさん
熱弁を振るうメイナードさん
苦しみの先に
苦しみの先に
――2012年には、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山に登頂し、多くの人々に感動を届けました。登山を決めたきっかけについて教えてください。
大きかったのは、ある婦人との出会いです。彼女の息子は軍人で、若くして戦場で命を落としました。
“あの子はキリマンジャロへの登頂を夢見ていたけれど、かなわずして、この世を去ってしまった”――その婦人の思いを聞いた時、私は決意しました。彼の遺灰を持って、自分がキリマンジャロに挑もう、と。
過酷な試練に立ち向かう自身の姿を通して、障がいなど、さまざまな苦難と戦う人々に希望を送りたい、という思いもありました。
実際、キリマンジャロの登頂は想像を超えた厳しさでした。義足を一切使わない、四つん這いでの山登りです。手足に大きな負荷がかかり、先端は真っ赤に腫れました。
自分は、言葉にできない激痛に耐えているのに、登山仲間は笑顔で余裕がある。やるせない怒り、嫉妬を覚えた瞬間もありました。「これ以上、無理だ」と何度、思ったことでしょう。
しかし、そのたびに背中を押してくれるものがありました。あの亡き軍人の存在です。彼は望んでも、自らの足で、この山を登ることはできない。しかし自分は、諦めさえしなければ、登り切ることができる――彼を思うと、何としても登頂しなければと、ふつふつと力がみなぎりました。
果てしなく続く岩肌、土や雪との格闘……。私は自分に言い聞かせました。“生きている限り、やめられない。生きている限り、止まれない”。痛みを感じる隙もないほど、ただ前を見つめて登り続けました。
そして、ついに到達した山頂――。息をのむような眼前の景色は、すがすがしいほどに澄んでいました。それはまさに、苦しみの先に輝く美しさ。1時間ほどでしょうか、その場に座っていました。亡き軍人の遺灰をまいた時、胸に熱いものが込み上げてきました。
その後、16年には、南米最高峰の山、アコンカグアの登頂も成功させました。
登山経験を通して学んだことがあります。それは、果てしない頂上を見上げるよりも、まず「眼前の1メートルを進む」こと。1メートル進んだら、次の1メートルに集中する。その継続で大事は成せるのです。
そして、時には後ろを振り返り、これまでの頑張りを最大にたたえること。
これは、私が人生という“大きな山”を登る上でも大事にしていることです。
――2012年には、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山に登頂し、多くの人々に感動を届けました。登山を決めたきっかけについて教えてください。
大きかったのは、ある婦人との出会いです。彼女の息子は軍人で、若くして戦場で命を落としました。
“あの子はキリマンジャロへの登頂を夢見ていたけれど、かなわずして、この世を去ってしまった”――その婦人の思いを聞いた時、私は決意しました。彼の遺灰を持って、自分がキリマンジャロに挑もう、と。
過酷な試練に立ち向かう自身の姿を通して、障がいなど、さまざまな苦難と戦う人々に希望を送りたい、という思いもありました。
実際、キリマンジャロの登頂は想像を超えた厳しさでした。義足を一切使わない、四つん這いでの山登りです。手足に大きな負荷がかかり、先端は真っ赤に腫れました。
自分は、言葉にできない激痛に耐えているのに、登山仲間は笑顔で余裕がある。やるせない怒り、嫉妬を覚えた瞬間もありました。「これ以上、無理だ」と何度、思ったことでしょう。
しかし、そのたびに背中を押してくれるものがありました。あの亡き軍人の存在です。彼は望んでも、自らの足で、この山を登ることはできない。しかし自分は、諦めさえしなければ、登り切ることができる――彼を思うと、何としても登頂しなければと、ふつふつと力がみなぎりました。
果てしなく続く岩肌、土や雪との格闘……。私は自分に言い聞かせました。“生きている限り、やめられない。生きている限り、止まれない”。痛みを感じる隙もないほど、ただ前を見つめて登り続けました。
そして、ついに到達した山頂――。息をのむような眼前の景色は、すがすがしいほどに澄んでいました。それはまさに、苦しみの先に輝く美しさ。1時間ほどでしょうか、その場に座っていました。亡き軍人の遺灰をまいた時、胸に熱いものが込み上げてきました。
その後、16年には、南米最高峰の山、アコンカグアの登頂も成功させました。
登山経験を通して学んだことがあります。それは、果てしない頂上を見上げるよりも、まず「眼前の1メートルを進む」こと。1メートル進んだら、次の1メートルに集中する。その継続で大事は成せるのです。
そして、時には後ろを振り返り、これまでの頑張りを最大にたたえること。
これは、私が人生という“大きな山”を登る上でも大事にしていることです。
前へ、前へ!(南米最高峰のアコンカグア山にて)
前へ、前へ!(南米最高峰のアコンカグア山にて)
皆に“障がい”が
皆に“障がい”が
――SDGsの目標10では“年齢や性別、障がいなどにかかわらず、皆が参画できる包摂的な社会の実現”が掲げられています。誰もが生き生きと輝ける社会をつくるには、何が必要だと思いますか。
心に刻む両親の言葉があります。それは、「どんな人にも“障がい”がある」ということです。
私たちは、他者がどのようなことで悩み、苦しんでいるかを、なかなか知ることは難しい。
自分にとっては簡単にできるようなことでも、誰かにとっては困難が伴うかもしれない。誰にでも苦手なことはあり、何が苦手かは人によって違うものです。
つまり“障がい”とは相対的なものだということです。その意味では、誰もが何かしら“障がい”を持っている――そう言えないでしょうか。そんな心の持ちようが、他者に対する配慮を生んでいく。それが、包摂的な社会の基盤になるのだと思います。
――意識の変革が鍵ということですね。創価学会も、個人の内面の変革が社会を変える力であると確信し、各地で対話運動などを推進しています。
内なる変革は、“頂のない山登り”と同じです。「私の旅は終わった」と思った瞬間、今以上に広大な景色を見ることはできません。
私は、「アイ・ドント・ノウ(私は知らない)」という言葉が大好きです。“自分にはまだ、知らないことがある”と言える人は、どこまでも伸びていく。
自分の“無知”を受け入れることは、時に勇気がいるかもしれません。しかし、その学びの姿勢こそが、自身の世界を広げるのではないでしょうか。
――最後に、読者へメッセージをお願いします。
人生には、時につらく、大変なことがあります。自分自身では、どうにもできないこともあるかもしれない。それでも、またとない人生を「楽しむ」ことが、私は大事だと思います。
たとえ、次の目標が決まっていなくても、将来が見えなくても大丈夫。がむしゃらでも、生きて、もがき続けた先に、必ず何かが開けてくると信じています。
「生きている限り、止まらない」――その心意気で進みましょう。外に打って出てみないと、自分の可能性は分かりませんから。
――SDGsの目標10では“年齢や性別、障がいなどにかかわらず、皆が参画できる包摂的な社会の実現”が掲げられています。誰もが生き生きと輝ける社会をつくるには、何が必要だと思いますか。
心に刻む両親の言葉があります。それは、「どんな人にも“障がい”がある」ということです。
私たちは、他者がどのようなことで悩み、苦しんでいるかを、なかなか知ることは難しい。
自分にとっては簡単にできるようなことでも、誰かにとっては困難が伴うかもしれない。誰にでも苦手なことはあり、何が苦手かは人によって違うものです。
つまり“障がい”とは相対的なものだということです。その意味では、誰もが何かしら“障がい”を持っている――そう言えないでしょうか。そんな心の持ちようが、他者に対する配慮を生んでいく。それが、包摂的な社会の基盤になるのだと思います。
――意識の変革が鍵ということですね。創価学会も、個人の内面の変革が社会を変える力であると確信し、各地で対話運動などを推進しています。
内なる変革は、“頂のない山登り”と同じです。「私の旅は終わった」と思った瞬間、今以上に広大な景色を見ることはできません。
私は、「アイ・ドント・ノウ(私は知らない)」という言葉が大好きです。“自分にはまだ、知らないことがある”と言える人は、どこまでも伸びていく。
自分の“無知”を受け入れることは、時に勇気がいるかもしれません。しかし、その学びの姿勢こそが、自身の世界を広げるのではないでしょうか。
――最後に、読者へメッセージをお願いします。
人生には、時につらく、大変なことがあります。自分自身では、どうにもできないこともあるかもしれない。それでも、またとない人生を「楽しむ」ことが、私は大事だと思います。
たとえ、次の目標が決まっていなくても、将来が見えなくても大丈夫。がむしゃらでも、生きて、もがき続けた先に、必ず何かが開けてくると信じています。
「生きている限り、止まらない」――その心意気で進みましょう。外に打って出てみないと、自分の可能性は分かりませんから。
努力は必ず報われる! ストイックにトレーニングに励むメイナードさん
努力は必ず報われる! ストイックにトレーニングに励むメイナードさん
Kyle Maynard 1986年、アメリカ生まれ。先天性四肢欠損症のため、両腕は肘まで、両足は膝の上までしかない。2005年、自叙伝『No Excuses』を出版し、ベストセラーに。12年にキリマンジャロ山、16年にアコンカグア山に登頂。アスリート、モチベーショナルスピーカーとして活躍。
Kyle Maynard 1986年、アメリカ生まれ。先天性四肢欠損症のため、両腕は肘まで、両足は膝の上までしかない。2005年、自叙伝『No Excuses』を出版し、ベストセラーに。12年にキリマンジャロ山、16年にアコンカグア山に登頂。アスリート、モチベーショナルスピーカーとして活躍。
●ご感想をお寄せください。
sdgs@seikyo-np.jp
●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html
●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html
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●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html
●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html