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池田先生の青春の思い出の地「森ケ崎海岸」 2026年4月27日

群青の夜空に輝く満月が、池田先生の故郷・大森の海岸を照らす(2020年2月、本紙記者撮影)
群青の夜空に輝く満月が、池田先生の故郷・大森の海岸を照らす(2020年2月、本紙記者撮影)

 入信前の池田先生が、人生と信仰について友と語り合った東京・大田区の森ケ崎海岸。この時の思いをつづった詩は、その後、有志が曲を付け、1973年(昭和48年)4月29日に同区内で行われた記念撮影会で披露された。この曲は半世紀以上たった今でも、日本だけでなく、世界各地で歌い継がれている。詩に込められた池田先生と森ケ崎海岸の歴史を振り返る。

 
「君に幸あれ わが友よ」――詩に流れる不変の心

 詩「森ケ崎海岸」が誕生したのは、戦後の混乱が続く1947年(昭和22年)のことである。敗戦によって、それまでの価値観が崩れ去り、社会全体を空虚さが支配していた。多くの青年が精神の渇きを癒やす何かを求めていた。
 当時、19歳の池田先生は人生と社会の真実を求め、古今東西の名著を開いた。近所の20人ほどの青年と共に、読書サークルをつくり、文学や哲学、経済などについて議論を交わしながら、将来の道を模索した。
 ある夜、先生は一人の友人と東京・大田区の森ケ崎の海岸を歩いた。海辺は磯の香りが漂い、夜空に浮かぶ月光に照らされ、打ち寄せる波は銀色に光っていた。岸辺で、友人はキリスト教の信仰に入る決意を打ち明ける。
 悩みを抱えていた友人の表情には、焦りと悲壮感が浮かんでいた。先生は、友人の意見に同意できなかったが、幸福を願わずにはいられなかった。互いの思いを語り合い、先生は友人の選択を尊重した。
 「君が、そう決めたのなら、それもよいと思う。ともかく、ぼくの願いは、君が幸せになることだ。ぼくが進もうとする道とは異なると思うが、そこから君が何かをつかみ、人生の大空に飛び立ってもらいたい。ぼくも今は結核だし、生活も苦しいが、すべてを乗り越えて、社会のため、人びとのために貢献できる、堂々たる人生を開こうと思う。お互いに頑張ろう」
 二人は握手を交わし、それぞれの道へ歩み出した。この時の情景と、友への誠実な思いをノートに書きとどめたのが、詩「森ケ崎海岸」である。
 先生は詩で「十九の青春 道まよい」と詠んだ。読書に励み、友人たちと語り合ったが、自らが進むべき「道」の模索は続いた。
 だが、森ケ崎での友人との語らいの後、先生の人生を決定づける出会いが訪れる。47年8月14日、先生は小学校時代の同級生に誘われ、大田区内での座談会に参加。そこで、第2代会長・戸田城聖先生と運命的な邂逅を果たす。
 戸田先生は旧知のような親しみを込めて、「いくつになったね」と尋ねた。池田先生は「19歳です」と応じ、質問した。「正しい人生とは、一体、どういう人生をいうのでしょうか」
 戸田先生は誠実に答えつつ、「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と語った。
 池田先生が感銘を受けたのは、戸田先生が日本の軍国主義と戦い、獄中闘争を貫いたこと。それが“この人なら信じられる”と感じる決定的な要因となった。
 10日後の8月24日、池田先生は入信。信仰の道に進むことに不安はあった。しかし、戸田先生の人格から受けた感動に、池田先生は師に学び、共に進むことを誓った。

森ケ崎海岸で友と語り合う若き日の山本伸一(小説『新・人間革命』の挿絵から。内田健一郎画)
森ケ崎海岸で友と語り合う若き日の山本伸一(小説『新・人間革命』の挿絵から。内田健一郎画)
 
友情結ぶ架け橋に

 「森ケ崎海岸」の詩が世に出たのは、1970年(昭和45年)12月。高校新報(当時)で「友人」とのタイトルで発表されたのが最初である。72年(同47年)1月に発刊された詩集『青年の譜』にも収録され、広く読まれるようになった。
 詩は、若者の心に感動を呼んだ。高度経済成長の陰で、人間関係や仕事の行き詰まりに悩んでいた青年たちにとって、入信直前の19歳の池田先生が葛藤を重ねながら真実を求めた姿は、自分たちと同じ等身大の姿として迫り、大きな勇気を与えたのである。
 大田区のある男子部員は仕事の悩みや将来への不安などで、焦燥感を覚えた。その中で読んだ「森ケ崎海岸」の詩は、彼の心を捉えて離さなかった。その感動のままにメロディーが自然に浮かび、曲が完成した。
 73年(同48年)4月29日、大田区内での記念撮影会で、その曲が池田先生の前で披露された。
 会場は自然と歌声に包まれ、調和の響きが広がっていった。
 先生は語った。
 「ありがとう。感動しました。作曲してくださった方を、また、大田の皆さんをたたえる意味から、この歌をレコードにしたいと思いますが、いかがでしょうか!」
 万雷の拍手が起こった。歌は学会歌として全国に広がり、多くの人々に歌われるようになった。
 学会歌「森ケ崎海岸」が誕生して半世紀余り。歌は「不変の友情」を象徴するものとして、民族や文化の壁を越えて、世界で愛唱されている。
 96年(平成8年)6月、先生はキューバを初めて訪れ、ホセ・マルティ文化協会会長だったアルマンド・ハルト氏と出会いを結ぶ。それから20年となる2016年(同28年)1月、SGIの中米訪問団の代表が氏のオフィスを訪れた。
 そこには、先生とカストロ国家評議会議長の会見時(1996年)の写真が飾られ、書蔵庫には「Daisaku Ikeda」のコーナーが設けられていた。
 ハルト氏の夫人であるエロイサ氏は、テーブルに置かれた1台のオルゴールに手を添えた。「森ケ崎海岸」のメロディーが流れた。
 エロイサ氏は、「つらい時、この音色を聴くと心が安らかになり勇気が湧きます。ここから頑張ろうと思えるのです」と。遠い異国の地にあってもこの曲は、両国の友情を結ぶ架け橋となっていた。
 かつての森ケ崎海岸は、埋め立てにより、その姿を変えた。だが、19歳の池田先生が友と語り合い、誕生した詩は、今なお世界の人々の胸中に希望の光を送り続けている。

1973年4月29日に行われた大田の友との記念撮影会。この日、有志が曲を付けた「森ケ崎海岸」が披露された(東京・大田区体育館<当時>で)
1973年4月29日に行われた大田の友との記念撮影会。この日、有志が曲を付けた「森ケ崎海岸」が披露された(東京・大田区体育館<当時>で)
 
森ケ崎海岸(「池田大作全集」第39巻から)

 岸辺に友と 森ケ崎
 磯の香高く 波かえし
 十九の青春 道まよい
 哲学語り 時はすぐ
  
 友は悩めり 貧しけれ
 基督の道 われ行くと
 瞳きびしく 月映えて
 つよき鼓動に 波寄せり
  
 崩れし土手に 草深く
 いかなる虫か 知らねども
 今宵は詩歌を つくらんと
 楽 平安の 念いあり
  
 されども友は 黙しけん
 いかに生きなば わがいのち
 深園の月に 飛びゆかん
 涙を拭い 悲歎あり
  
 友の孤愁に われもまた
 無限の願望 人生を
 苦しみ開くと 誓いしに
 友は微笑み 約しけん
  
 友の求むる 遠き世に
 たがうも吾れは 己が道
 長歌の舞台 涯しなく
 白髪までも 月語る
  
 君に幸あれ わが友よ
 つぎに会う日は いつの日か
 無言のうちの 離別旅
 銀波ゆれゆく 森ケ崎

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