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〈現代考――価値創造の道しるべ〉 信仰と家族③ 心の安全地帯 2026年3月29日

子どもの幸福。その本質とは

 少子高齢化に人口減少、価値観の変容、ライフスタイルの多様化。目まぐるしく変化する社会で、私たちはこれから、どのような未来を展望できるのか――。本連載では、教学の視座から現代を見つめつつ、新たな可能性を紡ぎ出すための“価値創造の道しるべ”を探っていきます。今回のテーマは「信仰と家族③ 心の安全地帯」です。(教学解説部編)

あなたに会いに

 「わが家の子どもが学会活動していなくて、悩んでいるんです」
 最近、そんな声を聞きました。わが子が信心に消極的である。そのことで悩む親は、きっと少なくないでしょう。
 親として“子どもに信心を伝えたい”と願うのは、自然な感情です。その根底に“わが子に幸せになってもらいたい”と望む、慈愛の心があることは言うまでもありません。では、そもそも「子どもの幸福」とは、仏法の視座からどのように捉えられるでしょうか。
 そのことを考えるに当たって示唆に富むのは、池田先生の初訪中(1974年)でのエピソードです。
 子どもたちの輪の中に、自然と飛び込んでいく先生。一人の少女から「おじさんは、何をしに中国に来たのですか?」と問われると、先生は「あなたに会いに来たのです!」と語りかけました。
 先生の誠実さは、相手が誰であれ変わりません。一人の子どもの心にも真正面から向き合い、分け隔てなく友情を結んでいったのです。そうした先生の姿勢には、「子ども」の無限の可能性をどこまでも信じ抜く、仏法者としての信念を感じずにはいられません。
 先生は、「日蓮仏法では、すべての人間は、『仏』の生命を具え、偉大な使命をもって、この世に出現したととらえる。つまり、子どもは、未来を担い立つ、崇高な人格をもった、使命深き鳳雛と見る」と強調しています。
 万人に仏性を見いだす日蓮仏法の哲理。その視座に立脚して見た時、「子どもの幸福」の本質がどこにあるのかといえば、それは、子どもが「自ら幸福をつかむ力」を開くという点にこそあると考えられるのではないでしょうか。
 子どもが自らの内に持っている、そうした力を開くことができるならば、いかなる困難や悩みにも負けずに、人生を力強く生き抜いていくことができます。
 私たちが信心に励むのも、まさに「自ら幸福をつかむ力」を開くためであるといえるのです。

人格で善き感化を

 もちろん親として、子どもが広布の活動に励む中で、福運を積み、幸福な人生を開いていってくれることほど、うれしいことはないでしょう。多くの同志が、そうして世代間の信仰継承を果たしてくる中で、一家の宿命転換を成し遂げてきたという事実は揺るぎません。
 ですが、たとえ子どもが、今すぐに学会活動をするようにならなかったとしても、親はそのことで焦ったり、落ち込んだりする必要は決してないのです。
 御書には「蘭室の友」(新43・全31)という言葉があります。
 蘭の高貴な香りが満ちた部屋にいると、その香りが自然と体に移る。そのように、信心で磨いた香り高い人格の力によって、自然のうちに善き感化を相手にもたらしていくのが、信仰者本来の振る舞いにほかなりません。
 いわば信心を伝える側が、子どもにとって「蘭室の友」という善縁になっているのかどうかです。
 子どもの幸福を真剣に祈り、温かく励ましていく。また、苦難に負けない生き方を示していく――。親が、そうした姿を示すことができれば、子どもはきっと“安心感”や“善き生き方”を自然とつかんでくれるはず。それはまさに、子どもが「自ら幸福をつかむ力」を開くための“確かな羅針盤”となっていくに違いありません。
 だからこそ大切なのは、子どもに向き合う私たち一人一人が、「蘭室の友」となれるよう、自らの人格を高めていくことです。それによって、家庭が、また学会の世界が、子どもたちにとっての、「蘭室の友」という善縁にアクセスできる、絶対に安心できる「心の安全地帯」にもなっていきます。
 そうした信心との“接地面”さえあれば、たとえ子どもが学会から遠ざかるようなことがあっても、仏縁が途切れることはないはずです。
 「心の安全地帯」が築かれていれば、子どもは、そこを支えにして、困難にも立ち向かっていけます。自ら人生を切り開いていけるに違いありません。あるいはいつの日か、自然と信心を求める時も訪れるでしょう。
 家族や学会の世界を「心の安全地帯」であると感じてもらう。その中に、子どもが「自ら幸福をつかむ力」を開いていく道があると思います。そして、実は私たちが日々、広布の活動を進めている中で、その道は着実に築かれているとも感じるのです。

愛情の究極は祈り

 30歳を過ぎてから発心したという男子部員(34歳、男子部部長)がいます。
 彼は学会3世として育ち、小学生の時は学会の会合にも出ていたそうですが、思春期を迎えた頃には「やっても意味がない」と信心から遠ざかるように。それでも両親は彼に仏法を語り、学会の先輩も足しげく訪れ、励ましを重ねてくれていたといいます。
 転機は30歳を目前にして、思わぬ試練に直面した時。悩んだ彼の脳裏に、ずっと励まし続けてくれた両親や、学会の先輩の温かな姿が浮かんだのです。「この信心で、自分も変わりたい」と彼は発心。一番喜んだのは、彼の幸福をずっと祈り続けてきた母親だったそうです。
 その後、彼は信心で困難に立ち向かい、今では先輩や両親と同じ“励ます側”に。折伏や訪問・激励に喜々として率先しています。
 実は、そんな彼の成長を見守るようにして、彼の母親は本年1月、霊山に旅立ちました。
 「母が亡くなった直後、対話した僕の友人が入会を希望してくれて。僕にずっと信心を伝え続けてくれた母には、感謝しかありません。これからは僕自身が、母のように、何があってもぶれない信心を貫いていきます」。彼はあふれる涙を拭うと、決意に輝く笑顔を見せました。
 20年近くも信心から離れていた彼が発心したのは、きっと、彼にとって両親の存在や、学会の世界が、“安心して立ち戻れる場所”であり続けていたからだと思わずにはいられません。
 信心のことを巡り、親子の間にあつれきが生じて悩むこともあります。しかし、子どもの幸せを願う真心は、いつか必ず実を結ぶ時が来るのです。
 池田先生はつづっています。
 「私たちには祈りがある。愛情の究極は祈りである。子どもの幸せを祈って唱える題目が通じないわけがない。大確信の一念で、賢く、おおらかに見守っていくのだ。
 ともあれ、善知識の笑顔に包まれた創価学会こそ、若き生命を正しく健やかに育む安全地帯である。この人類の未来を照らす平和の人材城を、世界の友といよいよ輝かせゆこう!」
 家庭であれ、また学会の世界であれ、子どもに関わる一人一人が、子どもにとっての“最高の善縁”となっていく。愛情をもって子どもの幸福を第一に祈り、温かく関わり抜いていく――。そうした慈愛の心を広げていく中で、“信心が次世代へ受け継がれていく道”も、おのずと続いていくのです。

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