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〈明日を照らす〉 テーマ:立宗
〈明日を照らす〉 テーマ:立宗
2026年4月12日
建長5年(1253年)4月28日の「午時」(正午ごろ)――。日蓮大聖人は、御自身の故郷である安房国の清澄寺において、南無妙法蓮華経こそが末法の全民衆を救済する根本の法であることを高らかに宣言されました(立宗宣言)。この日、この時から、死身弘法の大闘争が開始されたのです。今回の「明日を照らす」のテーマは「立宗」。大聖人の御生涯に刻まれた広宣流布の魂を学びます。
建長5年(1253年)4月28日の「午時」(正午ごろ)――。日蓮大聖人は、御自身の故郷である安房国の清澄寺において、南無妙法蓮華経こそが末法の全民衆を救済する根本の法であることを高らかに宣言されました(立宗宣言)。この日、この時から、死身弘法の大闘争が開始されたのです。今回の「明日を照らす」のテーマは「立宗」。大聖人の御生涯に刻まれた広宣流布の魂を学びます。
民衆への限りない慈愛
民衆への限りない慈愛
【通解】今、日蓮は、去る建長5年4月28日(の立宗の日)から、(本抄を著した)今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切ない。
ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
◇ ◇ ◇
立宗宣言以降、数々の迫害が日蓮大聖人を襲います。しかし、「一度もしりぞく心なし」(新1635・全1224)と仰せの通り、大聖人は全ての迫害を勝ち越えられました。
命に及ぶ法難でさえも、決して止めることができなかった大聖人の歩み。それを支えたものこそ、民衆への限りない慈愛でした。
今回の御文の直後には、「これ即ち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」とあります。
母親はなんの見返りも求めず、赤子に乳を飲ませようとします。それと同じように、ただ一切衆生に、南無妙法蓮華経と唱えさせようとしてきたのだと仰せです。
相次ぐ自然災害、疫病、戦乱……大聖人の眼には悲惨に喘ぐ庶民の姿が、ありありと映じていました。
“苦しむ民衆を救わずにはおくものか!”との大聖人のお心が胸に迫ってきます。
民衆救済の大慈悲こそ、立宗を起点とする大聖人の御闘争の核心の一つと言えるでしょう。
私たちの折伏の実践も同じです。利害でも立場でもない。“悩める友に希望を送りたい”“何としても立ち上がってほしい”――そう祈り、真心を込めて語る。その勇気の挑戦の積み重ねこそ、大聖人直結の実践なのです。
【通解】今、日蓮は、去る建長5年4月28日(の立宗の日)から、(本抄を著した)今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切ない。
ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
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立宗宣言以降、数々の迫害が日蓮大聖人を襲います。しかし、「一度もしりぞく心なし」(新1635・全1224)と仰せの通り、大聖人は全ての迫害を勝ち越えられました。
命に及ぶ法難でさえも、決して止めることができなかった大聖人の歩み。それを支えたものこそ、民衆への限りない慈愛でした。
今回の御文の直後には、「これ即ち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」とあります。
母親はなんの見返りも求めず、赤子に乳を飲ませようとします。それと同じように、ただ一切衆生に、南無妙法蓮華経と唱えさせようとしてきたのだと仰せです。
相次ぐ自然災害、疫病、戦乱……大聖人の眼には悲惨に喘ぐ庶民の姿が、ありありと映じていました。
“苦しむ民衆を救わずにはおくものか!”との大聖人のお心が胸に迫ってきます。
民衆救済の大慈悲こそ、立宗を起点とする大聖人の御闘争の核心の一つと言えるでしょう。
私たちの折伏の実践も同じです。利害でも立場でもない。“悩める友に希望を送りたい”“何としても立ち上がってほしい”――そう祈り、真心を込めて語る。その勇気の挑戦の積み重ねこそ、大聖人直結の実践なのです。
現実社会で輝きを放つ
現実社会で輝きを放つ
【通解】闇であっても灯をともせば明るくなり、濁った水でも月が映れば澄んで見えるものである。明るいことでは、日月(太陽と月)に過ぎるものがあろうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか。法華経は、日月と蓮華のようである。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮もまた、日月と蓮華のようなものである。
◇ ◇ ◇
末法万年の全人類の闇を照らし晴らす!――この思いを込め、日蓮大聖人は、立宗宣言の頃から、「日蓮」と名乗られるようになります。
「日月の光明がよく諸の幽冥を除くように、この人は世間の中に仏法を行じて、よく衆生の闇を滅する」(如来神力品第21)
「善く菩薩の道を学び、世間の法に染まらないのは、蓮華が泥水のなかで華を咲かせるようである」(従地涌出品第15)
「世間」つまり、現実社会の真っただ中で、仏法を弘めていく。それでいて、泥沼のように乱れた社会に決して染まることなく使命に生き抜いていく――これが法華経の行者の生きざまです。
この法華経の経文の通り、大聖人は民衆の中に飛び込んで正法を語り抜き、万人成仏のための御本尊を顕されました。末法の御本仏として、“太陽の仏法”を確立されたのです。
大聖人の御闘争を受け継ぐのが私たち創価学会員です。
信心根本に自己を磨き抜いていく時、その人にしかない生命の光彩が輝きを放ちます。今いる場所で周囲を照らしながら、使命の人生を歩んでいきましょう。
【通解】闇であっても灯をともせば明るくなり、濁った水でも月が映れば澄んで見えるものである。明るいことでは、日月(太陽と月)に過ぎるものがあろうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか。法華経は、日月と蓮華のようである。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮もまた、日月と蓮華のようなものである。
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末法万年の全人類の闇を照らし晴らす!――この思いを込め、日蓮大聖人は、立宗宣言の頃から、「日蓮」と名乗られるようになります。
「日月の光明がよく諸の幽冥を除くように、この人は世間の中に仏法を行じて、よく衆生の闇を滅する」(如来神力品第21)
「善く菩薩の道を学び、世間の法に染まらないのは、蓮華が泥水のなかで華を咲かせるようである」(従地涌出品第15)
「世間」つまり、現実社会の真っただ中で、仏法を弘めていく。それでいて、泥沼のように乱れた社会に決して染まることなく使命に生き抜いていく――これが法華経の行者の生きざまです。
この法華経の経文の通り、大聖人は民衆の中に飛び込んで正法を語り抜き、万人成仏のための御本尊を顕されました。末法の御本仏として、“太陽の仏法”を確立されたのです。
大聖人の御闘争を受け継ぐのが私たち創価学会員です。
信心根本に自己を磨き抜いていく時、その人にしかない生命の光彩が輝きを放ちます。今いる場所で周囲を照らしながら、使命の人生を歩んでいきましょう。
日蓮大聖人御聖誕の地である、現在の千葉・鴨川市から大海原を望む。赫々と輝く太陽のように、大聖人の仏法が人類を照らす時代が到来した
日蓮大聖人御聖誕の地である、現在の千葉・鴨川市から大海原を望む。赫々と輝く太陽のように、大聖人の仏法が人類を照らす時代が到来した