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〈立正安国と民衆の幸福――池田先生の指導に学ぶ〉④
〈立正安国と民衆の幸福――池田先生の指導に学ぶ〉④
2024年8月10日
- 憲法で保障された政治活動
- 憲法で保障された政治活動
〈日本は戦時中、国家神道による思想統制を強め、軍部政府は戦争を遂行するため、その考えにそぐわぬ宗教を弾圧した。まさに国家と宗教が一体となった“政教一致”であった〉
そのなかで創価教育学会への大弾圧も起こったのである。(中略)
牧口(初代会長)も戸田(第2代会長)も、「信教の自由」を守るために戦い抜いた。「屈服」は人間の「魂の死」を意味するからだ。そして、牧口は獄死したのである。
こうした歴史を繰り返さないために、現在の憲法で定められたのが、政教分離の原則であった。日本国憲法の第二十条には、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とある。
そして、それに続いて、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と謳われている。この条文は、「信教の自由」を確保するために、国や国家の機関が、その権力を行使して宗教に介入したり、関与することがないように、国家と宗教の分離を制度として保障したものである。そのために、特定の宗教団体が、国家や地方公共団体から、立法権や課税権、裁判権などの統治的な権力が授けられることを禁止したものにほかならない。
一方、宗教団体が選挙の折に候補者を推薦したり、選挙の支援活動を行うことは、結社や表現、政治活動の自由として、憲法で保障されている。また、そうして推された議員が、閣僚などの政府の公職に就くことも、それ自体は、決して政教分離の原則に反するものではないことは明白である。(小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章)
〈日本は戦時中、国家神道による思想統制を強め、軍部政府は戦争を遂行するため、その考えにそぐわぬ宗教を弾圧した。まさに国家と宗教が一体となった“政教一致”であった〉
そのなかで創価教育学会への大弾圧も起こったのである。(中略)
牧口(初代会長)も戸田(第2代会長)も、「信教の自由」を守るために戦い抜いた。「屈服」は人間の「魂の死」を意味するからだ。そして、牧口は獄死したのである。
こうした歴史を繰り返さないために、現在の憲法で定められたのが、政教分離の原則であった。日本国憲法の第二十条には、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とある。
そして、それに続いて、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と謳われている。この条文は、「信教の自由」を確保するために、国や国家の機関が、その権力を行使して宗教に介入したり、関与することがないように、国家と宗教の分離を制度として保障したものである。そのために、特定の宗教団体が、国家や地方公共団体から、立法権や課税権、裁判権などの統治的な権力が授けられることを禁止したものにほかならない。
一方、宗教団体が選挙の折に候補者を推薦したり、選挙の支援活動を行うことは、結社や表現、政治活動の自由として、憲法で保障されている。また、そうして推された議員が、閣僚などの政府の公職に就くことも、それ自体は、決して政教分離の原則に反するものではないことは明白である。(小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章)
〈宗教団体の政治活動については、国会の場でも、「憲法の番人」と呼ばれる歴代の内閣法制局長官が、憲法に保障されていることを明言している。山本伸一は創価学会と公明党の関係について、正しい認識を促すために、『政治と宗教』の筆を執り、結党の日の1964年11月17日に上梓した。その「はしがき」で、こう訴えた〉
「よく『宗教団体の政治への介入』とか『宗教の絶対性を、妥協の世界である政治の場に持ち込む』等の批判があるが、これがいかに的外れのものであるかは論をまたない。
宗教は宗教の広場で、政治に拘束されることなく、あくまで、その高低浅深の討究をなすべきであり、信教の自由は永久に存続させなければならないことは当然のことである。
そして、政治は、より最大公約数の幸福実現のために妥協せざるを得ないのも当然のことである。しかし、政治がいかに妥協の世界であるからといって、根底に理念のない政治は、なれあいのみの妥協となり、所詮、党利党略におちいり、民主政治を犠牲にする場合が実に多い。
政治は大地に育つ千草万木のごとく変化の世界であり、相対的な世界である。宗教は大地のごとく政治・経済・教育等のあらゆる文化の本源であり、永久不変の哲理である。偉大なる宗教、偉大なる哲学のない政治は根無し草であり、権力の争奪、民衆の不幸をくり返すのみである」(小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章)
◇ ◆ ◇
〈公明党は11月に結党60年を迎える。現在、政権与党の一翼を担う公明党が中道主義を掲げ、日本の政治の安定に寄与してきたことは、多くの識者が指摘する。また国民目線で改革のリーダーシップを発揮し、福祉や教育などが国の中心施策に据えられた。池田先生は、2001年に産経新聞のインタビューに応じ、次のように語った〉
「船には時化などに遭遇しても復元力が働く重し――バラストが備えられている。公明党には、このバラストのような存在になってほしい。常に庶民・大衆と目線を同じにしながら、そこをベースに社会の健全なあり方を模索していく復元力的存在であってほしい。それが中道だ。中道とは道に中るということだ」「結党時の政治状況は、財界・大企業をバックとする保守勢力と、巨大労組に支えられた革新勢力が激しく対峙し、不毛の対決が続いていた。その谷間で日の当たらない庶民・大衆がたくさんいた。その人たちの声を代弁し、地方や国政の場に反映させ、自分たちでもやればできるのだという希望と自信を与えたこと。これが公明党草創以来の勲(=ことを成し遂げた名誉)だ」
〈宗教団体の政治活動については、国会の場でも、「憲法の番人」と呼ばれる歴代の内閣法制局長官が、憲法に保障されていることを明言している。山本伸一は創価学会と公明党の関係について、正しい認識を促すために、『政治と宗教』の筆を執り、結党の日の1964年11月17日に上梓した。その「はしがき」で、こう訴えた〉
「よく『宗教団体の政治への介入』とか『宗教の絶対性を、妥協の世界である政治の場に持ち込む』等の批判があるが、これがいかに的外れのものであるかは論をまたない。
宗教は宗教の広場で、政治に拘束されることなく、あくまで、その高低浅深の討究をなすべきであり、信教の自由は永久に存続させなければならないことは当然のことである。
そして、政治は、より最大公約数の幸福実現のために妥協せざるを得ないのも当然のことである。しかし、政治がいかに妥協の世界であるからといって、根底に理念のない政治は、なれあいのみの妥協となり、所詮、党利党略におちいり、民主政治を犠牲にする場合が実に多い。
政治は大地に育つ千草万木のごとく変化の世界であり、相対的な世界である。宗教は大地のごとく政治・経済・教育等のあらゆる文化の本源であり、永久不変の哲理である。偉大なる宗教、偉大なる哲学のない政治は根無し草であり、権力の争奪、民衆の不幸をくり返すのみである」(小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章)
◇ ◆ ◇
〈公明党は11月に結党60年を迎える。現在、政権与党の一翼を担う公明党が中道主義を掲げ、日本の政治の安定に寄与してきたことは、多くの識者が指摘する。また国民目線で改革のリーダーシップを発揮し、福祉や教育などが国の中心施策に据えられた。池田先生は、2001年に産経新聞のインタビューに応じ、次のように語った〉
「船には時化などに遭遇しても復元力が働く重し――バラストが備えられている。公明党には、このバラストのような存在になってほしい。常に庶民・大衆と目線を同じにしながら、そこをベースに社会の健全なあり方を模索していく復元力的存在であってほしい。それが中道だ。中道とは道に中るということだ」「結党時の政治状況は、財界・大企業をバックとする保守勢力と、巨大労組に支えられた革新勢力が激しく対峙し、不毛の対決が続いていた。その谷間で日の当たらない庶民・大衆がたくさんいた。その人たちの声を代弁し、地方や国政の場に反映させ、自分たちでもやればできるのだという希望と自信を与えたこと。これが公明党草創以来の勲(=ことを成し遂げた名誉)だ」