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〈エール!――新社会人に贈る〉
〈エール!――新社会人に贈る〉
2026年3月25日
- 自分のいる場所でプロになれ 一流と輝け
- 自分のいる場所でプロになれ 一流と輝け
「頑張るか?」「はい! お願いいたします」――戸田先生からの問いかけに、池田先生は即答した。1948年(昭和23年)秋、戸田先生が経営する出版社の採用面接に、池田先生は臨んだ。翌49年(同24年)1月3日に初出社する。恩師のもとで愛弟子は奮闘を重ねた。ここでは新社会人へのエールとして、逆境の日々を勝ち越えた師弟の足跡とともに、池田先生が折々に学会本部の事務局の黒板に記した仕事への指針(一部)を紹介する。
「頑張るか?」「はい! お願いいたします」――戸田先生からの問いかけに、池田先生は即答した。1948年(昭和23年)秋、戸田先生が経営する出版社の採用面接に、池田先生は臨んだ。翌49年(同24年)1月3日に初出社する。恩師のもとで愛弟子は奮闘を重ねた。ここでは新社会人へのエールとして、逆境の日々を勝ち越えた師弟の足跡とともに、池田先生が折々に学会本部の事務局の黒板に記した仕事への指針(一部)を紹介する。
文筆の仕事に憧れていた池田先生にとって、編集の仕事は夢への第一歩であった。人生の師と定めた戸田先生のもとで働けることに、無限の喜びを感じた。毎朝、始業の30分前に出社し、元気いっぱいの挨拶を心がけた。
1949年(昭和24年)5月、池田先生は、少年雑誌「冒険少年」(同年10月号から「少年日本」と改題)の編集長に就任。この年の6月3日の日記には、「自分に、与えられた課題に、真正面から取り組むことだ。なれば、意義ある仕事になる。苦しくとも、実に楽しい。先生の会社を、日本一の会社にしたい」と記した。
しかし、戦後の混乱は、戸田先生の事業にも暗い影を落とした。戸田先生は断腸の思いで出版事業から撤退した。
恩師を支えるため、池田先生は夜学を断念。戸田先生が状況打開のために着手した信用組合の社員となり、編集の仕事を離れた。金融は、文学青年であった先生が、最も苦手とする仕事であった。それでも恩師の再起のために、先生は奔走した。
その信用組合も50年(同25年)8月、業務停止に。戸田先生は、学会の理事長も辞任する。社員は次々と去っていった。この時、戸田先生に大恩ある3人の幹部の言ったことが忘れられないと、後年、池田先生は同志に語った。
2人は恩師の悪口を池田先生に浴びせた。最後の1人は“今こそ題目をあげ抜く時だ”と励ましを送った。先生は3人目の先輩を尊敬し、「きょろきょろと風向きを見ながら右往左往する生き方だけはしたくなかった」と述懐する。
「戸田先生のために、戸田先生とともに戦っていたあのころ、私は幸せであった。一番苦しかったが、一番幸せであった」
50年11月、池田先生は戸田先生を最高顧問とする新会社で営業部長になる。“私が働いて、働いて、働き抜いて、戸田先生に、学会の会長になっていただこう。それが、弟子である私の戦いだ!”と。
師弟の共戦によって、51年(同26年)5月3日、戸田先生は晴れて第2代会長に就任する。
文筆の仕事に憧れていた池田先生にとって、編集の仕事は夢への第一歩であった。人生の師と定めた戸田先生のもとで働けることに、無限の喜びを感じた。毎朝、始業の30分前に出社し、元気いっぱいの挨拶を心がけた。
1949年(昭和24年)5月、池田先生は、少年雑誌「冒険少年」(同年10月号から「少年日本」と改題)の編集長に就任。この年の6月3日の日記には、「自分に、与えられた課題に、真正面から取り組むことだ。なれば、意義ある仕事になる。苦しくとも、実に楽しい。先生の会社を、日本一の会社にしたい」と記した。
しかし、戦後の混乱は、戸田先生の事業にも暗い影を落とした。戸田先生は断腸の思いで出版事業から撤退した。
恩師を支えるため、池田先生は夜学を断念。戸田先生が状況打開のために着手した信用組合の社員となり、編集の仕事を離れた。金融は、文学青年であった先生が、最も苦手とする仕事であった。それでも恩師の再起のために、先生は奔走した。
その信用組合も50年(同25年)8月、業務停止に。戸田先生は、学会の理事長も辞任する。社員は次々と去っていった。この時、戸田先生に大恩ある3人の幹部の言ったことが忘れられないと、後年、池田先生は同志に語った。
2人は恩師の悪口を池田先生に浴びせた。最後の1人は“今こそ題目をあげ抜く時だ”と励ましを送った。先生は3人目の先輩を尊敬し、「きょろきょろと風向きを見ながら右往左往する生き方だけはしたくなかった」と述懐する。
「戸田先生のために、戸田先生とともに戦っていたあのころ、私は幸せであった。一番苦しかったが、一番幸せであった」
50年11月、池田先生は戸田先生を最高顧問とする新会社で営業部長になる。“私が働いて、働いて、働き抜いて、戸田先生に、学会の会長になっていただこう。それが、弟子である私の戦いだ!”と。
師弟の共戦によって、51年(同26年)5月3日、戸田先生は晴れて第2代会長に就任する。
書籍に激励の言葉をしたためる池田先生。“この一瞬があれば”と、寸暇を惜しんで友に勇気を送る(1980年10月26日、千葉文化会館で)
書籍に激励の言葉をしたためる池田先生。“この一瞬があれば”と、寸暇を惜しんで友に勇気を送る(1980年10月26日、千葉文化会館で)
信用が青年の財産
信用が青年の財産
戸田先生の厳愛の指導を、池田先生は折々に紹介してきた。
「戸田先生は、よく言われた。『青年は、財産や名誉などなくとも、信用されることが、最大の誇りであり、勝利である』
信用をつくるものは何か。誠実である。誠心誠意、真心を尽くし、約束を守り、責任を果たす生き方にある」
戸田先生は「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と述べた。この言葉に触れ、池田先生は青年たちに訴えた。
「環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです」
池田先生は仕事が多忙な中で、広布の金字塔を打ち立ててきた。56年(同31年)の「大阪の戦い」の時、ある男子部員に、職場で信頼を得ることの重要性を語った。
“仕事をおろそかにする人は絶対に信用しないし、してもならない。仕事に憂いがあるようでは、思い切った広宣流布の戦いができるはずがない”
後年、仕事が多忙で学会活動ができないと悩む同志には、まず全てをやりきる決意を固めることを強調し、語りかけた。
「仕事、勉強、そして、学会活動と、大変であることは、よくわかっています。しかし、苦労して、それをやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になるんです」
御書には、「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(新1719・全1295)――自分の「仕事」を「法華経」と思って、一生懸命に取り組みなさい――と。学会は草創以来、この御文を生活実践の根本としてきた。今、日本のみならず世界各地で、人格を磨き、社会で信頼を広げる同志がいる。
先生はつづっている。
「仕事をどうとらえるかで、仕事に対する姿勢も、意欲も、全く異なってくる。単調で、つまらないと思える仕事であっても、そこに豊かな意味を見いだしていくところから、価値の創造は始まる」
戸田先生の厳愛の指導を、池田先生は折々に紹介してきた。
「戸田先生は、よく言われた。『青年は、財産や名誉などなくとも、信用されることが、最大の誇りであり、勝利である』
信用をつくるものは何か。誠実である。誠心誠意、真心を尽くし、約束を守り、責任を果たす生き方にある」
戸田先生は「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と述べた。この言葉に触れ、池田先生は青年たちに訴えた。
「環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです」
池田先生は仕事が多忙な中で、広布の金字塔を打ち立ててきた。56年(同31年)の「大阪の戦い」の時、ある男子部員に、職場で信頼を得ることの重要性を語った。
“仕事をおろそかにする人は絶対に信用しないし、してもならない。仕事に憂いがあるようでは、思い切った広宣流布の戦いができるはずがない”
後年、仕事が多忙で学会活動ができないと悩む同志には、まず全てをやりきる決意を固めることを強調し、語りかけた。
「仕事、勉強、そして、学会活動と、大変であることは、よくわかっています。しかし、苦労して、それをやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になるんです」
御書には、「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(新1719・全1295)――自分の「仕事」を「法華経」と思って、一生懸命に取り組みなさい――と。学会は草創以来、この御文を生活実践の根本としてきた。今、日本のみならず世界各地で、人格を磨き、社会で信頼を広げる同志がいる。
先生はつづっている。
「仕事をどうとらえるかで、仕事に対する姿勢も、意欲も、全く異なってくる。単調で、つまらないと思える仕事であっても、そこに豊かな意味を見いだしていくところから、価値の創造は始まる」
池田先生は、宮城県から勇み集った若人たちの輪の中へ(1982年7月、旧・聖教新聞本社で)。青年を信じ、青年を育て、青年と共に歩んできた
池田先生は、宮城県から勇み集った若人たちの輪の中へ(1982年7月、旧・聖教新聞本社で)。青年を信じ、青年を育て、青年と共に歩んできた
職場の第一人者に
職場の第一人者に
70年代のオイルショック、90年代のバブル崩壊と、幾度も日本経済は揺れ動き、不況に陥ってきた。
先生は、社会の荒波の中で激闘を続ける同志に光を送った。75年(昭和50年)9月に行われた社会部の指導会では、激動の時代だからこそ“職場の第一人者に!”との祈りを込めて力説した。
「たとえ、立場は新入社員であっても、あるいは、決して、主要なポジションにいるわけではなくとも、“自分が、この会社を守っていこう! 必ず発展させてみせる! 皆を幸福にしていこう!”という自覚を忘れてはならない。それが、仏法者の生き方であり、学会の精神です」
2009年(平成21年)4月には、前年に発生したリーマン・ショックの影響が続く中、随筆で新社会人に三つの指針を贈った。
①清々しい挨拶
②一日のスタートを勝つこと
③愚痴をこぼさず、前へ前へ! この指針について、先生は「新しい年度の開始に当たり、先輩も初心に立ち返って一緒に確認し合いたい、社会人の基本でもある」とも。そして、結びにつづった。
「自分のいる場所で、プロになれ! 一流と輝け!
若き新社会人の皆さんは、未来の『達人』を目指して、今日も明日も、フレッシュな息吹で、走り進むことだ。私は待っている。君たち、あなたたちが、人生と社会の『勝利の達人』と飛翔しゆく、その時を!
それが、私と皆さんとの『約束』だ!」
70年代のオイルショック、90年代のバブル崩壊と、幾度も日本経済は揺れ動き、不況に陥ってきた。
先生は、社会の荒波の中で激闘を続ける同志に光を送った。75年(昭和50年)9月に行われた社会部の指導会では、激動の時代だからこそ“職場の第一人者に!”との祈りを込めて力説した。
「たとえ、立場は新入社員であっても、あるいは、決して、主要なポジションにいるわけではなくとも、“自分が、この会社を守っていこう! 必ず発展させてみせる! 皆を幸福にしていこう!”という自覚を忘れてはならない。それが、仏法者の生き方であり、学会の精神です」
2009年(平成21年)4月には、前年に発生したリーマン・ショックの影響が続く中、随筆で新社会人に三つの指針を贈った。
①清々しい挨拶
②一日のスタートを勝つこと
③愚痴をこぼさず、前へ前へ! この指針について、先生は「新しい年度の開始に当たり、先輩も初心に立ち返って一緒に確認し合いたい、社会人の基本でもある」とも。そして、結びにつづった。
「自分のいる場所で、プロになれ! 一流と輝け!
若き新社会人の皆さんは、未来の『達人』を目指して、今日も明日も、フレッシュな息吹で、走り進むことだ。私は待っている。君たち、あなたたちが、人生と社会の『勝利の達人』と飛翔しゆく、その時を!
それが、私と皆さんとの『約束』だ!」
“小さくなるな! 友よ、立ち上がれ!”――本部幹部会の席上、学会歌「威風堂々の歌」の指揮を執る池田先生(2001年5月、東京戸田記念講堂で)。「無認識の壁にぶつかったとしても、『あんな人間がなんだ!』『こんな迫害がなんだ!』と笑いとばしながら、誇り高く、胸を張って生きぬいていただきたい」と
“小さくなるな! 友よ、立ち上がれ!”――本部幹部会の席上、学会歌「威風堂々の歌」の指揮を執る池田先生(2001年5月、東京戸田記念講堂で)。「無認識の壁にぶつかったとしても、『あんな人間がなんだ!』『こんな迫害がなんだ!』と笑いとばしながら、誇り高く、胸を張って生きぬいていただきたい」と
【学会本部事務局の黒板に記された指針】
【学会本部事務局の黒板に記された指針】
良い工夫を、良き仕事を
良い工夫を、良き仕事を
朝は元気で、一日の出発なれば
朝は元気で、一日の出発なれば
先ず自分をつくれ 自分を養え
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ 自分を養え
人々の批判をする前に
一つ一つの仕事を
前日によく思索しよう
それが一切の勝利の基なれば
一つ一つの仕事を
前日によく思索しよう
それが一切の勝利の基なれば