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〈Seikyo Gift〉〈世界を結ぶ対話録〉14 池田先生がつづる 実業家 実業家・松下幸之助氏 2026年4月25日

  • “国家”より“人間”を

 日本を代表する実業家・松下幸之助氏は、池田先生との交友を重ね、こう語っている。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」。先生が松下氏についてつづったエッセーを抜粋して掲載する。〈『新たなる世紀を拓く』読売新聞社から〉(2月6日付)

松下幸之助氏と和やかに語り合う池田先生(1983年11月15日、聖教新聞本社〈当時〉で)
松下幸之助氏と和やかに語り合う池田先生(1983年11月15日、聖教新聞本社〈当時〉で)

 「池田先生、やっぱり、若いときの苦労は、買ってでもせな、あきまへんなぁ」
 有名になった、その言葉を言われたのは、創価大学にお迎えした日であった。昭和五十年(一九七五年)の八月四日である。
 大学の一角にある茅葺きの「万葉の家」に、遠くから、若い人たちの歌声が、夕風に乗って、かすかに聞こえてきた。キャンパスでは、全国から高等部の代表が集まって、夏季講習会が行われていた。陽が落ちても、なお昼間の熱気が残っていた。
 その前、松下さんの到着を、鼓笛隊が演奏で歓迎した。
 「よろしゅうおますなぁ」
 「結構ですなぁ!」
 相好を崩して、感嘆しきりである。
 松下さんには、気取りというものがない。
 「庶民の王者」というべきか。お会いしていて、いささかも風圧を感じさせない人徳があった。
 ざっくばらんでありながら、しかも礼節の人である。
 「万葉の家」でも、どんなにお勧めしても、上着を取られない。足も崩さない。この時、八十歳である。
 三十歳以上も年下の私に対し、手を膝の上に置き、背筋を伸ばして端座したまま、いつもの柔和な微笑をたたえて歓談してくださった。
 鋼のように自分を鍛え上げた“見事なる人間”の姿が、そこにあった。
 「日本の大学は、数は、ようけありますが、どれだけ『人間』を育てておるかどうか。きょうは、創価大学に来させてもらって、非常に清らかな電波というか、そういう波を体に感じます。心がきれいになって、元気が出ます。この大学で勉強する人は幸せですな」
 松下さんが言うと、お世辞でなく、心から言われていると感じるのが不思議である。
 ◇ ◇ ◇ 
 昭和四十六年(一九七一年)の初冬のことである。京都にある松下さんの真々庵に、お招きいただいた。
 閑静な庭園を自ら案内してくださり、茶室で松下さんのお点前を楽しみながら、懇談した。
 ◇ ◇ ◇ 
 この時に「松下政経塾」の構想を初めてうかがった。
 「日本は政治が遅れている。いい政治家をつくらなければいけません。それには、いい人を育てなければ……」
 松下さんは「経営という本質においては、企業も国もいっしょ」と見ておられた。
 企業の命運は、経営者の「経営理念」で決まる。それと同じように、「今日のあらゆる混乱は、日本の政治が『国家経営の哲理』を欠いているところから生まれています」と。
 一体、どんな国を、どうやって、つくろうとしているのか。
 「国家百年の大計」なくして、その時々の利害で動いている現状では、「国家の経営」が、うまくいくわけがない。企業だったら、とうにつぶれている――。
 憂国の情は、切なるものがあった。
 ◇ ◇ ◇ 
 私を総裁にとの、もったいないお話もいただいたが、その任ではないので丁重にお断りした。
 その後も、会うたびに、熱心に塾の構想を語られた。意見を求められ、私は、いくつかの教育機関を創設した経験から、率直にお話しした。
 「一期生というものは、集める側の意欲もあって、比較的いい人が集まります。したがって、『毎年、一期生をとる』決心でおやりになってはいかがでしょう。一期生を鍛え抜き、その一期生が母校に帰ってきて後輩を訓練する。そこから人材を
繰り返し広げていって、良き伝統を築いていくわけです。吉田松陰の『松下村塾』も、いわば一期生しかつくっておりません」
 塾の路線について、「“国家”よりも“人間”を前面に主張したほうが、よろしいのではないでしょうか」とも申し上げた。
 ◇ ◇ ◇ 
 松下先生は若き日に「自転車ランプ」を製造した。大正時代、二十代の後半である。
 そのころは「ロウソク・ランプ」が普通で、風のためによく消えた。ガス・ランプは高いし、電池ランプは二、三時間しかもたなかった。そこで工夫を重ねて、三、四十時間ももつ画期的な電池ランプを発明した。「これは、きっと売れるぞ!」
 意気込んで問屋を回ったが、期待に反して、相手にされない。だれもが「電池ランプはダメだ」という先入見にとらわれていたのである。
 電器店でもだめ。自転車屋でも断られた。八方ふさがり。しかし、あきらめきれない。「大衆が求めるものは、必ず売れるはずだ」
 松下青年は、どうしたか。
 ともかく「真価を知ってもらうことだ」と決めて、何と、無料で小売店にランプを置いて回った。
 点灯しっぱなしにしておいてもらって、「説明書の通り、長時間もてば、買ってください。もたなかったら、代金はいりまへん」。こう言って、大阪中を手分けして駆け回り、「実験証明」してみせたのである。
 本来の松下商法は、「当たり前の基本を一歩一歩、重ねる」という常道を重んじる。それから見れば、これはいかにも“奇手”だが、この時は、これ以外に道はなかった。
 そして、ランプの真価が知れるにつれ、爆発的に売れ始め、松下電器の発展の基礎となるのである。
 「知恵は無限だ。人間は王者だ。人生はドラマだ。苦労を惜しまぬ人間に、不可能はないんだ!」
 私は、松下青年が、燃えたぎる情熱で、自作のランプを持って、大阪を駆け回っている姿を思い浮かべる。
 「これがあれば、夜道も明るくなりまっせ!」
 それから六十余年――九十四年の松下先生のご生涯は、まさに「光を灯さん」と走り続けた一生であられた。
 二十一世紀へ光を! 光を! 精神の光を!
 「要は、人間ですね、池田先生。事業は人です。人間をつくらにゃ、どうにもなりません。なんぼ議論したって、自分が命がけで矢面に立つ人間がおらんと、何にもできはしません」
 情味あふれる、先生のあの慈顔が思い出される。

松下幸之助 1894年~1989年。松下電器(現・パナソニック)の創業者、社会活動家。小学校を4年でやめ、火鉢店などで丁稚奉公(でっちぼうこう)した後、関西商工学校夜間部に学んだ。1918年、松下電気器具製作所を創立。卓越した経営手腕で、世界的家電メーカーへと成長させた。46年には「PHP研究所」を、79年には松下政経塾を創設。社会の平和と繁栄のための思想研究、人材育成にも尽力した。

芳名録に記帳する松下幸之助氏(1980年12月20日、東京・創価国際友好会館〈当時〉で)
芳名録に記帳する松下幸之助氏(1980年12月20日、東京・創価国際友好会館〈当時〉で)
交流の足跡

 二人の出会いは、1967年10月、東京で行われた学会の文化祭だった。松下幸之助氏には、阪神甲子園球場で従業員の運動会を開いた経験がある。この日、人々が織りなす演目に驚嘆した。とりわけ心に染みたのは、池田先生の気遣いだった。
 大行事のさなか、担当者を通して何度も「不都合はありませんか」と挨拶があった。氏は「本当に人を大事にし、人間尊重に徹しておられる」「日本の柱ともなる人だと思った」と追想している。
 翌月、氏は来日した歴史家・トインビー博士から尋ねられた。
 「これからの日本にとって一番大切な人は誰か」――氏が挙げた名前は「池田大作」だった。
 “経営の神様”と仰がれた氏の人生。家業の破産があり、肉親との死別、病弱、事業を興した後も、大恐慌、終戦時の財産喪失・公職追放、不況……と苦難の連続だった。そのたびに立ち上がった。「もうあかんと思ったことがない」と語る氏は、物心一如の繁栄による平和と幸福を目指したPHP研究所を発足。問題意識は、日本の「国家の理念」へと向かい、正しい人間観の確立を訴えた。
 その目は、偏見に惑わされず、創価学会の価値を捉えていた。ある社内行事の時。上司が学会員である部下に対して、こうさげすんだことがあった。「この人、南無妙法蓮華経でっせ」と。それを聞いた松下氏はこう返す。
 「この君は信心持っとるやないか。君は何か宗教持っとんのか!」
 さらに皆の前で、この部下に「信心をしっかり勉強して、わしに教えてくれよ」と語った。
 71年2月、氏から人を介して連絡があった。「池田先生に、どうしてもお会いしたい」。当時、氏は76歳。病院で療養中にもかかわらず、「いつでもどこでも行かせていただく」との意気込みだった。4月に対談が実現。氏は、志なき日本社会への憂慮を語った。
 先生は、“人間の心に正しい哲学を打ち立てることで、世界の繁栄と平和を実現する”との「立正安国」の哲理を語った。氏は深く共感した。“根本は人間だ。人を育てなければならない”と、二人の意見は一致した。帰路、疲れをねぎらう同行者に、氏は満面の笑みで語った。「いや、むしろ元気になった。ほんまに楽しかった。先生からは、日本と世界、人類に対する慈愛が感じられるんや」
 二人の交流は続き、会談は30回を超えた。請われて、先生が御書講義をしたこともあった。
 語らいは書簡でも続けられた。「死をどう考えるか」「エントロピー増大の法則」「政治の目的は何か」「人種差別をなくすには」「“愛国心”について」「アジアは共通の基盤にたてるか」等々、人生と社会の本質に迫る鋭い知見の応酬。語り合ったテーマは300を超える。その内容は74年から「週刊朝日」で連載され、翌年、『人生問答』として出版された。
 先生が第3代会長を辞任した翌年の80年。会談を終え、氏は先生の手を固く握った。先生の手に力を感じたという氏。宿舎に戻ると周囲に語った。
 「この法難を乗り切れば学会は十倍にも発展する。かつてない難局は、かつてない発展の基礎になる。今こそ全力で先生をお守りし、学会の基礎を盤石にする時だ」
 激動の世紀を駆けた氏は、生前、何度も強調したという。
 「21世紀になると、池田先生の教えが中心になって、世界が回るようになる。それまで生きて生きて、何としてもこの目で見届けたい。そのためには21世紀まで生きねばならぬ」

【引用・参考文献】松下幸之助/池田大作著『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)、池田大作著『新・人間革命』第22巻、聖教新聞(2005年11月30日付、09年4月7日付、20年6月27日付、22年12月16日付、23年5月6日付)ほか

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