〈Seikyo Gift〉 書いてなんぼの 泣き笑い人生〈信仰体験〉
〈Seikyo Gift〉 書いてなんぼの 泣き笑い人生〈信仰体験〉
2026年4月25日
畑中さん(手前)の明るさは地域に欠かせない。「下向いてても、何も進みませんやろ」。力ずくで笑わせに走ることも
畑中さん(手前)の明るさは地域に欠かせない。「下向いてても、何も進みませんやろ」。力ずくで笑わせに走ることも
投稿歴は半世紀
投稿歴は半世紀
【大阪市平野区】自他共に認める“感動屋さん”。畑中政子さん(74)=女性部副本部長=は、暮らしで起こったこと、出会った一つ一つを、“素通り”しない。悲喜こもごもは全てネタ。オチをつけて面白く。「せやないと、誰も読みとうないでしょ」。新聞、ラジオの投稿を始めて、はや半世紀。「自分の人生、切り売りしてますねん(笑)」。快活に、時に染み入るような筆致が持ち味だ。(2月16日付)
【大阪市平野区】自他共に認める“感動屋さん”。畑中政子さん(74)=女性部副本部長=は、暮らしで起こったこと、出会った一つ一つを、“素通り”しない。悲喜こもごもは全てネタ。オチをつけて面白く。「せやないと、誰も読みとうないでしょ」。新聞、ラジオの投稿を始めて、はや半世紀。「自分の人生、切り売りしてますねん(笑)」。快活に、時に染み入るような筆致が持ち味だ。(2月16日付)
毎日コツコツと。たゆみない錬磨があって、よどみない文章が紡がれる
毎日コツコツと。たゆみない錬磨があって、よどみない文章が紡がれる
元々、書くこととは無縁だった。
母は脊椎カリエス、父は結核を患い、生活はひっ迫。学ぶ楽しみを感じる余裕はなかった。それが1959年(昭和34年)、創価学会に入会するや、両親は見る見る活力を取り戻す。畑中さんは幼いながらも、信仰の力を感じた。
父の逝去を機に、親戚のいる宮崎に身を寄せた。定時制高校に通う。働きながら学ぶ高等部員へ宛てた、池田先生の詩を暗唱した。
「苦しき仕事 深夜の勉強/これも修行ぞ 苦は楽し/君が信念 情熱を/仏は じっとみているぞ」
夏の夜に明かりが浮かぶ教室は、眠気と蚊との闘い。畑中さんが卒業間近につづった一文に担任が涙を浮かべ、卒業生代表に推してくれた。堂々たる答辞。自分なりの言葉が人の心を打つ、初めての経験だった。
集団就職で大阪へ。3畳一間から、毎日のように「箸がこけたような何でもないことまで」、母への手紙に書いた。給与日には仕送りするために、郵便局へ。清貧を誇りとしながら、その後、憧れの電話交換手に。だが社内でのいじめや大失恋も味わう。
女子部(当時)の活動に励みながら、気付けば29歳。結婚願望はなかったが、周囲の勧めもあり、14度のお見合いを重ねていた。
元々、書くこととは無縁だった。
母は脊椎カリエス、父は結核を患い、生活はひっ迫。学ぶ楽しみを感じる余裕はなかった。それが1959年(昭和34年)、創価学会に入会するや、両親は見る見る活力を取り戻す。畑中さんは幼いながらも、信仰の力を感じた。
父の逝去を機に、親戚のいる宮崎に身を寄せた。定時制高校に通う。働きながら学ぶ高等部員へ宛てた、池田先生の詩を暗唱した。
「苦しき仕事 深夜の勉強/これも修行ぞ 苦は楽し/君が信念 情熱を/仏は じっとみているぞ」
夏の夜に明かりが浮かぶ教室は、眠気と蚊との闘い。畑中さんが卒業間近につづった一文に担任が涙を浮かべ、卒業生代表に推してくれた。堂々たる答辞。自分なりの言葉が人の心を打つ、初めての経験だった。
集団就職で大阪へ。3畳一間から、毎日のように「箸がこけたような何でもないことまで」、母への手紙に書いた。給与日には仕送りするために、郵便局へ。清貧を誇りとしながら、その後、憧れの電話交換手に。だが社内でのいじめや大失恋も味わう。
女子部(当時)の活動に励みながら、気付けば29歳。結婚願望はなかったが、周囲の勧めもあり、14度のお見合いを重ねていた。
初めて投稿した頃の畑中さん㊨
初めて投稿した頃の畑中さん㊨
池田先生との出会いは81年3月。
関西友好総会で役員を務めていた畑中さんに、池田先生から激励が届いた。第3代会長辞任の2年後。直接、お礼を伝えたいと自転車を走らせた関西文化会館で、池田先生とばったり。はやる思いで感謝を口にすると、先生は「分かったよ」と包み込んでくれた。不安も迷いも吹き飛び、広布の歩みに拍車をかけた。
結婚して2人の息子に恵まれ、当選した団地に、母を呼び寄せた。地区担当員(当時)となり、12階建ての隅々まで対話に歩き倒す毎日。どの家庭にも泣き笑いがあふれていた。畑中さんは、忘れ去られそうな一つ一つをすくい上げるように、メモに書き留めるようになった。
飼っていた金魚が大量の卵を産んだ。「こんなんどうするん」と嘆く畑中さんに、次男は「これも大切な命やで」と。“なんてすてきな子や”。感動をそのまま一般紙に投稿すると、ごほうびに図書券まで付いてきた。
別の日、チンチン電車に乗った。おじさんからの熱い視線を感じ、“美人なのも、困りもんやわ”とお高くとまっていると、電車賃を払わずに降りたおじさんから指をさされた。「うちの母ちゃんから、もろうてや」。後で“やられた”と気付き、そんなこんなを笑い話にしてハガキに。いつしか投稿にハマっていた。
池田先生との出会いは81年3月。
関西友好総会で役員を務めていた畑中さんに、池田先生から激励が届いた。第3代会長辞任の2年後。直接、お礼を伝えたいと自転車を走らせた関西文化会館で、池田先生とばったり。はやる思いで感謝を口にすると、先生は「分かったよ」と包み込んでくれた。不安も迷いも吹き飛び、広布の歩みに拍車をかけた。
結婚して2人の息子に恵まれ、当選した団地に、母を呼び寄せた。地区担当員(当時)となり、12階建ての隅々まで対話に歩き倒す毎日。どの家庭にも泣き笑いがあふれていた。畑中さんは、忘れ去られそうな一つ一つをすくい上げるように、メモに書き留めるようになった。
飼っていた金魚が大量の卵を産んだ。「こんなんどうするん」と嘆く畑中さんに、次男は「これも大切な命やで」と。“なんてすてきな子や”。感動をそのまま一般紙に投稿すると、ごほうびに図書券まで付いてきた。
別の日、チンチン電車に乗った。おじさんからの熱い視線を感じ、“美人なのも、困りもんやわ”とお高くとまっていると、電車賃を払わずに降りたおじさんから指をさされた。「うちの母ちゃんから、もろうてや」。後で“やられた”と気付き、そんなこんなを笑い話にしてハガキに。いつしか投稿にハマっていた。
暮らしこそ ネタの宝庫
暮らしこそ ネタの宝庫
難しいことは「よう書きません」。高尚な議論とは無関係。ただ人の優しさ、ぬくもりに筆を走らせた。
競走馬の厩務員見習で苦労する長男、荒れた次男の“一人だけ”の卒業式、夫から初めての花束のプレゼント、焼き鳥の串打ちバイトでの交流……。
平坦ではない、山あり谷ありの人生。夫婦で開いたすし店の廃業。パチンコざんまいの夫との2度の離婚。息子が起こすトラブルの数々。体がやつれるような日々も、ちょっとした喜びを大切にした。「プライバシーなんてあらへん」。なんでも書いた。ただ書けなかったこともある。
93年(平成5年)、母が交通事故に遭った。警察から連絡を受けた時はすでに手遅れだった。全身の血の気が引いた。
母ひとり娘ひとり。二人三脚で歩んできた。何げない景色に母の姿を重ねてしまい、布団にふさぎ込んだ。
悲しみに暮れ、人前を避けた。それでも閉ざした心に光を呼ぶ一言があった。「早く出てきてや。寂しいやんか」。自分のことを慕ってくれる同志がいた。悲嘆を抱えたままでいい。人の輪に飛び込んでいこう。人生が一段と味わい深くなった。
難しいことは「よう書きません」。高尚な議論とは無関係。ただ人の優しさ、ぬくもりに筆を走らせた。
競走馬の厩務員見習で苦労する長男、荒れた次男の“一人だけ”の卒業式、夫から初めての花束のプレゼント、焼き鳥の串打ちバイトでの交流……。
平坦ではない、山あり谷ありの人生。夫婦で開いたすし店の廃業。パチンコざんまいの夫との2度の離婚。息子が起こすトラブルの数々。体がやつれるような日々も、ちょっとした喜びを大切にした。「プライバシーなんてあらへん」。なんでも書いた。ただ書けなかったこともある。
93年(平成5年)、母が交通事故に遭った。警察から連絡を受けた時はすでに手遅れだった。全身の血の気が引いた。
母ひとり娘ひとり。二人三脚で歩んできた。何げない景色に母の姿を重ねてしまい、布団にふさぎ込んだ。
悲しみに暮れ、人前を避けた。それでも閉ざした心に光を呼ぶ一言があった。「早く出てきてや。寂しいやんか」。自分のことを慕ってくれる同志がいた。悲嘆を抱えたままでいい。人の輪に飛び込んでいこう。人生が一段と味わい深くなった。
ありし日の母。朗らかな性格を引き継いだ
ありし日の母。朗らかな性格を引き継いだ
言葉は時に刃になる。
だからこそ、読んだ後にどんな気持ちになるか。文章の向こう側にいる人に思いをはせた。
「愚痴は福運を消し、感謝の唱題は万代の幸を築く」
『香峯子抄』の一節を胸に、題目でアイデアをひねり出す。
「石中の火・木中の花、信じ難けれども、縁に値って出生すればこれを信ず」(新128・全242)。御書を繰り、美しい言葉を見つけては刻んだ。
聖教新聞の「声」の欄。ある投稿者を目標にした。大阪の女性。さりげない日常と、仏法の眼を感じる書きぶり。トラブルも、みずみずしい決意に転じる潔さに憧れた。ある時、文章の極意を尋ねた。「とにかく書き続けることよ」。掲載されるかどうかは二の次。意に介さなくなった。
言葉は時に刃になる。
だからこそ、読んだ後にどんな気持ちになるか。文章の向こう側にいる人に思いをはせた。
「愚痴は福運を消し、感謝の唱題は万代の幸を築く」
『香峯子抄』の一節を胸に、題目でアイデアをひねり出す。
「石中の火・木中の花、信じ難けれども、縁に値って出生すればこれを信ず」(新128・全242)。御書を繰り、美しい言葉を見つけては刻んだ。
聖教新聞の「声」の欄。ある投稿者を目標にした。大阪の女性。さりげない日常と、仏法の眼を感じる書きぶり。トラブルも、みずみずしい決意に転じる潔さに憧れた。ある時、文章の極意を尋ねた。「とにかく書き続けることよ」。掲載されるかどうかは二の次。意に介さなくなった。
自分も相手も上機嫌に
自分も相手も上機嫌に
午前4時。ベッドの中でストレッチ体操を済ますと、エンジン全開。息子が使っていた勉強机に向かう。日記に始まり、御書、小説『新・人間革命』と静寂のなかで、わが心を耕していく。「祈っていると、オチが頭の上に降ってきますねん」
昼時にはラジオ「テレフォン人生相談」に耳をそばだて、情報収集も抜かりない。
関西弁をこよなく愛し、モットーは“自分も相手も、上機嫌にすること”。先日は、団地から施設に入所する友人を、たくさんの仲間で送り出した。施設の職員が「こんなにぎやかなん、初めてや」と目を丸くした。
手元には、半世紀にわたる投稿を張ったアルバムが山ほど。「こんなん、残してもしゃあないねんけど」と笑うが、これこそ名もなき庶民の生活闘争の証し。
「高齢化/まだまだ青い/七〇代」。楽しみはこれからである。
午前4時。ベッドの中でストレッチ体操を済ますと、エンジン全開。息子が使っていた勉強机に向かう。日記に始まり、御書、小説『新・人間革命』と静寂のなかで、わが心を耕していく。「祈っていると、オチが頭の上に降ってきますねん」
昼時にはラジオ「テレフォン人生相談」に耳をそばだて、情報収集も抜かりない。
関西弁をこよなく愛し、モットーは“自分も相手も、上機嫌にすること”。先日は、団地から施設に入所する友人を、たくさんの仲間で送り出した。施設の職員が「こんなにぎやかなん、初めてや」と目を丸くした。
手元には、半世紀にわたる投稿を張ったアルバムが山ほど。「こんなん、残してもしゃあないねんけど」と笑うが、これこそ名もなき庶民の生活闘争の証し。
「高齢化/まだまだ青い/七〇代」。楽しみはこれからである。