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〈学生記者インタビュー〉 心理学者の梶田叡一さんが、自らを“人間学者”と語る理由  2026年1月11日

  • 楽観的かつ貪欲に、人生の「ひだ」を味わおう

 心理学者の梶田叡一さんは、自らを“人間学者”とも語ります。このほど、自叙伝ともいえる新著『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』(鳳書院)を出版しました。人々の価値観が多様化する一方、人工知能(AI)に問いかければ、即座に“答え”を提供してくれる――そんな時代に、若者は、何を学び、どう生きていったらいいのか。本社所属のスチューデントリポーター「サントス」(ペンネーム)が率直な思いをぶつけました。

読書に向かう姿勢

 ――新著『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』には、青年時代から積み上げてきた、書物や人々との多彩な出あいが記されています。最近では人工知能(AI)による要約を読むことも流行していますが、書籍全編を人が読むこととは、どんな違いがあると思われますでしょうか。
  
 あまり肩肘を張らなくていいと思います。AIで要約してくれるんだったら「ありがとう」って済ませばいい(笑)。私も同世代の仲間も、スマホやAI、大好きだから。
 ただ、要約の背景にある「ひだ」を味わうことが、人を育むと思います。例えば、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説があります。中世イタリアの修道院を舞台にした、推理小説です。キリスト教とイスラム教は旧約聖書の部分で根がつながっていて、そうした宗教史と文化の摩擦というテーマが彩り豊かに織り込まれつつ、殺人事件が描かれています。AIの活用も結構ですが、要約ではその「ひだ」にたどり着くのは難しいでしょう。

 ――「ひだ」という言葉が、胸に迫ります。梶田さんはどのように、自己を育まれたのですか。
  
 若い時分は、左右の政治イデオロギーに関する著作から、中世キリスト教、日本の親鸞、日蓮など、幅広く本を読みました。そして行動。私はキリスト教カトリックの家庭に生まれ育ち、大学のカトリック研究会で活動しつつ、座禅の修行も行いました。
 また、サルトルやカミュなどフランス実存主義哲学に傾倒しました。そして大学卒業後も心理学を研究する中、高名な心理学者であった波多野完治先生(元お茶の水女子大学学長)との出会いを通じてフランス心理学を掘り下げることができました。こうした流れの中で、「我の世界」と「我々の世界」の統合という、独自の理論構築へと進んできたように思います。
 身になっていると感じるのは、読書にせよ、研究にせよ、人との交流にせよ、自らの実感と納得を大事にし、本音で触れ合っていった体験です。とりわけ本には、何百年、何千年前の先輩たちの、悩んだり考えたりしたもののエッセンスが詰まっています。だから、若い時に貪欲に味わってほしいですね。

人間教育の土台

 ――著作には、長年語られてきた「人間教育」についての対談も再録されています。「人間教育」のために、宗教が果たす役割についての記述が印象的でした。
  
 人間教育とは、簡単に言えば、ヒトが人間になっていくための教育です。「自覚した主人公」として生きていけるようになるための教育であり、その土台には、豊かな情操と教養を持つことが大事になります。
 宗教は、精神の涵養という点で、大きな役割を果たします。1962年に始まった、カトリックの「第二バチカン公会議」では、カトリック教会の外部にも「真理と救い」があることが宣言され、キリスト教各派との対話だけでなく、ユダヤ教やイスラム教、仏教やヒンズー教などとの対話を積極的に進める方向が打ち出されました。
 諸宗教は対立するものではなく、人間の精神を涵養し、人間としていかに生きるかという問いに向き合ってきた点で、目指すところは一致していると考えます。
 私は教育心理学者・教育学者と紹介されることが多いのですが、自分からは「心理学者であり、人間学の研究者」とお伝えしています。自分が人間という形で命を得たわけですから、人間として生きるということについて、少しでも分かりたいのです。

梶田さんの新著『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』(鳳書院)
梶田さんの新著『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』(鳳書院)

 ――人間教育のもう一つの土台となる「教養」とは何でしょうか。
  
 今日、日本の学生は、大学教育を就職のための準備と捉えがちです。しかし大学教育は、人間や社会について深く広く考えるための知識を得るものでもあります。かつて、私がイギリスの大学改革を視察した際、BBC(英国放送協会)のディレクターが案内をしてくれました。彼は取材中、一言も日本語を話さなかった。ところが最後の打ち上げの席で、流ちょうな日本語でこう言ったのです。「私は学生時代、シェイクスピアの『お気に召すまま』が好きでした」と。
 私が驚いて、学生時代に習ったシェイクスピアの有名なセリフを口ずさむと、彼はその続きを完璧に暗唱し、さらに日本の『平家物語』や『徒然草』についても語り始めた。聞くと彼は柔道家でもあり、武道を通じて日本の古典にも精通していたのです。
 歴史、文学、身体・言語感覚など、それら全てを動員して目の前の事象を、深く広い基盤に立って理解できる。この「知的な厚み」こそが教養であると思います。

今を生きる若者へ

 ――受験競争に慣れてきたせいか、私(学生記者)や友人も、“良い企業”“高い地位”を目指すことを考えがちです。
  
 若い頃は地位やお金を求めるのもいいでしょう。心理学者・マズローの「欲求階層説」で言えば、それは「承認欲求」の段階です。でも、年を取ると分かります。社長になった、勲章をもらった、そんなものは人生のほんのエピソードに過ぎないのです。社会的評価や肩書を目的にすると、人生はどこかでむなしくなる。「我々の世界」ではなく、「我の世界」を大事にすることですね。

 ――「価値観の多様化」と耳にする中、何を自分の指標としていいか、判断に迷います。
  
 それには、マズローが晩年に提唱した「至高体験」が参考になると思います。魂が震えるようなワクワク、ドキドキする瞬間。これこそが人生の頂点です。それは芸術かもしれないし、学問かもしれないし、祈りかもしれない。
 今の学生さんは賢すぎて、自分を規制しすぎている気がします。私は学生時代、とても楽観的でした。自分の目指す学問の道が頓挫したとしても、どうにでも食っていけると本気で思っていました。その代わり、知的な関心については貪欲でした。
 「間違った判断をしたらどうしよう」ではなく、「やってみる。大変になっても、どうにかしてやる」というバイタリティー(活力)を持つこと。その楽観性さえあれば、道や軸というものは、おのずと見えていくと思います。
 人間は自由で、深淵な存在です。もっと自分を広げていっていいんです。世界は君たちが思っているよりずっと広く、面白い。ご縁や出会いを大切にし、自分が「ワクワク」を感じた何かへと、飛び込んでいってみてください。

 
〈プロフィル〉
 かじた・えいいち 1941年、島根県松江市生まれ。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。文学博士(京都大学)。京都大学教授を経て、京都ノートルダム女子大学学長、兵庫教育大学学長、環太平洋大学学長、奈良学園大学学長、桃山学院教育大学学長などを歴任。この間、中央教育審議会副会長も務める。現在は、聖ウルスラ学院理事長。『自己意識論集』(全5巻、東京書籍)など著書多数。

 
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