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【本紙創刊75周年記念】〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉19 1991年6月 ドイツで本紙を手に語らう
【本紙創刊75周年記念】〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉19 1991年6月 ドイツで本紙を手に語らう
2026年4月20日
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1991年6月、池田先生がドイツのボンで、聖教新聞を手にメンバーを激励する場面を取り上げる。
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1991年6月、池田先生がドイツのボンで、聖教新聞を手にメンバーを激励する場面を取り上げる。
ヴァイツゼッカー大統領との会談を伝える聖教新聞の記事を見ながら、SGIメンバーを励ます池田先生。その誠実な振る舞いは、誰が相手でも変わらない(1991年6月、ドイツ・ボンで)
ヴァイツゼッカー大統領との会談を伝える聖教新聞の記事を見ながら、SGIメンバーを励ます池田先生。その誠実な振る舞いは、誰が相手でも変わらない(1991年6月、ドイツ・ボンで)
聖教と共に 尊き同志と共に!
聖教と共に 尊き同志と共に!
1991年6月、ドイツを訪問していた池田先生が、ボンの宿舎で聖教新聞の記事に目を通した。12日に行われた統一ドイツ初代大統領のヴァイツゼッカー氏との会見を報じるものだった。
先生は記事を見ながら、その場にいたSGIのメンバーに会見の内容を伝え、「こうした一対一の対話が大事なんだよ」と、対話による民間外交の重要性を語った。
2面には、ドイツ語の通訳・翻訳を担う代表メンバーの集合写真が掲載された。見出しは、“ありがとう、感謝します”。ドイツ広布を陰で支える友への、先生の心でもあった。
きょう、聖教新聞は創刊75周年を迎えた。創価の師弟が苦難の渦中で未来を展望し、本紙は誕生した。
池田先生は随筆に、「聖教の発展を考えない日は、一日たりともない。聖教と共に! 広宣流布の尊き同志と共に! これが、私の毎日のモットーである」と記している。
記者からの要請に応え、記事の書き方や記者としての姿勢についてアドバイスすることもあった。写真についても、さまざまな観点から助言した。ある時、こう語った。
「何も書かれていない原稿用紙というのは、君たちの宇宙なんだ。どんなに良い体験、感動的な話を聞いても、原稿を書く記者に生命力がなければ、いい記事はできないよ」
言論・出版問題が起こり、創価学会への誹謗中傷の嵐が吹き荒れた時には、こう強調した。
“新聞は皆の日記なんだ。後世に残る。何があっても、聖教を死守せよ。批判なんか、いくらでもできる。吠える犬を恐れるな!”
歴史学者のトインビー博士との対談に同行した記者には、言葉をしたためて贈った。
「歴史的対談にあって その対談の美事なる 報道を謝しつつ」
全国の支局長会に出席し、本紙の制作に当たることは、広宣流布の精神を未来にわたって残していく作業でもあると訴えたこともある。
池田先生は、その先頭に立った。自らペンを執り、多忙なスケジュールの中、小説『人間革命』『新・人間革命』を連載し、全国の友に“励ましの手紙”をつづった。
創刊当時、戸田先生は「寸鉄」を書いた。池田先生も筆を執ったことがある。ある年の学会創立記念日には、「『辛くとも歎くな友よ明日の日に広宣流布の…』/牧口会長とともに、戸田会長もこの歌を同志に贈りつつ革命の道に散った。友よ裏切るな」と記した。
「民衆の幸福」と「世界の平和」を願っての、先生の言論の戦いは瞬時もとどまることはなかった。この「戦う心」こそ「聖教の魂」である。
かつて、先生は詠んだ。
黄金の
日記文書を
聖教と
生命につづれや
今日も悔いなく
これからも、聖教新聞は仏法を根幹とした人間主義の哲理を世界中に発信することを、あらためて誓う。
1991年6月、ドイツを訪問していた池田先生が、ボンの宿舎で聖教新聞の記事に目を通した。12日に行われた統一ドイツ初代大統領のヴァイツゼッカー氏との会見を報じるものだった。
先生は記事を見ながら、その場にいたSGIのメンバーに会見の内容を伝え、「こうした一対一の対話が大事なんだよ」と、対話による民間外交の重要性を語った。
2面には、ドイツ語の通訳・翻訳を担う代表メンバーの集合写真が掲載された。見出しは、“ありがとう、感謝します”。ドイツ広布を陰で支える友への、先生の心でもあった。
きょう、聖教新聞は創刊75周年を迎えた。創価の師弟が苦難の渦中で未来を展望し、本紙は誕生した。
池田先生は随筆に、「聖教の発展を考えない日は、一日たりともない。聖教と共に! 広宣流布の尊き同志と共に! これが、私の毎日のモットーである」と記している。
記者からの要請に応え、記事の書き方や記者としての姿勢についてアドバイスすることもあった。写真についても、さまざまな観点から助言した。ある時、こう語った。
「何も書かれていない原稿用紙というのは、君たちの宇宙なんだ。どんなに良い体験、感動的な話を聞いても、原稿を書く記者に生命力がなければ、いい記事はできないよ」
言論・出版問題が起こり、創価学会への誹謗中傷の嵐が吹き荒れた時には、こう強調した。
“新聞は皆の日記なんだ。後世に残る。何があっても、聖教を死守せよ。批判なんか、いくらでもできる。吠える犬を恐れるな!”
歴史学者のトインビー博士との対談に同行した記者には、言葉をしたためて贈った。
「歴史的対談にあって その対談の美事なる 報道を謝しつつ」
全国の支局長会に出席し、本紙の制作に当たることは、広宣流布の精神を未来にわたって残していく作業でもあると訴えたこともある。
池田先生は、その先頭に立った。自らペンを執り、多忙なスケジュールの中、小説『人間革命』『新・人間革命』を連載し、全国の友に“励ましの手紙”をつづった。
創刊当時、戸田先生は「寸鉄」を書いた。池田先生も筆を執ったことがある。ある年の学会創立記念日には、「『辛くとも歎くな友よ明日の日に広宣流布の…』/牧口会長とともに、戸田会長もこの歌を同志に贈りつつ革命の道に散った。友よ裏切るな」と記した。
「民衆の幸福」と「世界の平和」を願っての、先生の言論の戦いは瞬時もとどまることはなかった。この「戦う心」こそ「聖教の魂」である。
かつて、先生は詠んだ。
黄金の
日記文書を
聖教と
生命につづれや
今日も悔いなく
これからも、聖教新聞は仏法を根幹とした人間主義の哲理を世界中に発信することを、あらためて誓う。