〈もうひとコエ〉 一人のために――点訳に携わり30年
〈もうひとコエ〉 一人のために――点訳に携わり30年
2026年3月4日
- 横浜市金沢区 飯田敏子さん
- 横浜市金沢区 飯田敏子さん
「みんなでここまでやってきました」と謙虚な姿勢の飯田さん。終始、笑顔で取材に応じてくれた
「みんなでここまでやってきました」と謙虚な姿勢の飯田さん。終始、笑顔で取材に応じてくれた
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、横浜市金沢区の飯田敏子さん=区副女性部長=です。
飯田さんは「声」の欄に、地域の点訳ボランティアグループに携わってから満30年を迎えたとの投稿を寄せてくれました(昨年10月11日付)。そこには、点訳ボランティアに込める思いや活動の様子がつづられていました。
点訳という労作業を、30年にわたって続けてきたのには、理由があるはず。その答えを探るため、飯田さんの元を訪ねました。
◇
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、横浜市金沢区の飯田敏子さん=区副女性部長=です。
飯田さんは「声」の欄に、地域の点訳ボランティアグループに携わってから満30年を迎えたとの投稿を寄せてくれました(昨年10月11日付)。そこには、点訳ボランティアに込める思いや活動の様子がつづられていました。
点訳という労作業を、30年にわたって続けてきたのには、理由があるはず。その答えを探るため、飯田さんの元を訪ねました。
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パソコンでの点訳が主流となった今でも、点字の基本を学ぶために講習会などで利用している点字盤と点筆
パソコンでの点訳が主流となった今でも、点字の基本を学ぶために講習会などで利用している点字盤と点筆
心を尽くした分だけ“読みやすく”
心を尽くした分だけ“読みやすく”
読みたい本があるのに読めない。パッと見たい情報があるのに見られない――これは、視覚に障がいがある方にとって、ごく日常の一部である。この課題に目を向け、書籍や資料を点字へと訳しているのが、横浜市南区にある点訳ボランティアグループだ。
飯田さんが点訳に関わる最初のきっかけは、視覚障がいへの理解を深める地域の福祉講習会だった。アイマスクを着用し、誘導を受けながら屋外を歩いた。石ころ一つ、足に触れるだけでも恐怖を感じたという。“目に見えないって、こんなにも不安なんだ”。そこには、視覚障がい者の“リアル”があった。
1995年(平成7年)、当時住んでいた横浜市南区で点訳ボランティアグループが立ち上がる話が。以前から“何か地域に貢献をしたい”と考えていた飯田さんは、進んで発足メンバーの一人になり、点筆を握って点字用紙に向かう生活をスタートさせた。
点字の世界で「漢字」は、ほとんど使われない。そのため、難しい漢字や熟語は、意味が正しく伝わるよう、全て平仮名に変換する。「何度も何度も国語辞典を開いて、言葉の意味を調べました」と飯田さん。さらに、単語や文節ごとに区切りを入れる「分かち書き」を行う。ここまでの下準備を経て、ようやく点字を打つことができる。
点訳用のパソコンやプリンターがなかった頃は、全てが手作業だった。小さなマスに針状の点筆で、点を一つ一つ打っていく。作業後、誤字や脱字、空ける間隔に1マスでも間違いが見つかると全てやり直し。作業中はただただ集中力と緊張感が求められた。
「そうして一文字一文字に心を尽くした分だけ、読者にとっての“読みやすさ”に変換されていくんです」
話を聞いているだけでも、それは気が遠くなる作業。それでも飯田さんは、視覚障がいのある方が喜んで点字を読む姿を思い浮かべながら、点筆を握り続けてきた。労苦をいとわない姿勢は「全部、学会活動で培われたのよ」。
読みたい本があるのに読めない。パッと見たい情報があるのに見られない――これは、視覚に障がいがある方にとって、ごく日常の一部である。この課題に目を向け、書籍や資料を点字へと訳しているのが、横浜市南区にある点訳ボランティアグループだ。
飯田さんが点訳に関わる最初のきっかけは、視覚障がいへの理解を深める地域の福祉講習会だった。アイマスクを着用し、誘導を受けながら屋外を歩いた。石ころ一つ、足に触れるだけでも恐怖を感じたという。“目に見えないって、こんなにも不安なんだ”。そこには、視覚障がい者の“リアル”があった。
1995年(平成7年)、当時住んでいた横浜市南区で点訳ボランティアグループが立ち上がる話が。以前から“何か地域に貢献をしたい”と考えていた飯田さんは、進んで発足メンバーの一人になり、点筆を握って点字用紙に向かう生活をスタートさせた。
点字の世界で「漢字」は、ほとんど使われない。そのため、難しい漢字や熟語は、意味が正しく伝わるよう、全て平仮名に変換する。「何度も何度も国語辞典を開いて、言葉の意味を調べました」と飯田さん。さらに、単語や文節ごとに区切りを入れる「分かち書き」を行う。ここまでの下準備を経て、ようやく点字を打つことができる。
点訳用のパソコンやプリンターがなかった頃は、全てが手作業だった。小さなマスに針状の点筆で、点を一つ一つ打っていく。作業後、誤字や脱字、空ける間隔に1マスでも間違いが見つかると全てやり直し。作業中はただただ集中力と緊張感が求められた。
「そうして一文字一文字に心を尽くした分だけ、読者にとっての“読みやすさ”に変換されていくんです」
話を聞いているだけでも、それは気が遠くなる作業。それでも飯田さんは、視覚障がいのある方が喜んで点字を読む姿を思い浮かべながら、点筆を握り続けてきた。労苦をいとわない姿勢は「全部、学会活動で培われたのよ」。
グループに、パソコンやプリンターが導入された頃、慣れるまで電車やバスでも膝の上で見えないキーボードを何度もたたいた
グループに、パソコンやプリンターが導入された頃、慣れるまで電車やバスでも膝の上で見えないキーボードを何度もたたいた
学会活動の薫陶があったから
学会活動の薫陶があったから
1943年(昭和18年)、横浜市南区で生まれた飯田さん。幼い頃は体が弱く、学校を休むことも多かったという。それを心配した近所に住む学会員が父を折伏し、一家で入会した。
内気な性格だった飯田さんは、学会活動にも消極的だったという。それでも、温かく接してくれる女子部(当時)の先輩の姿に心を動かされ、やがて自ら広布に駆けるように。
「蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り、碧蘿、松頭に懸かって千尋を延ぶ」(新36・全26)。この御文の通りに飯田さんは、同志と励まし合い、仏法対話に次ぐ仏法対話の日々を送った。「そのおかげで、いつしか誰とでも心を開いて話せる自分になったんですよ」
そうした歩みが心の土台になったからこそ、「依頼があれば、どんなものでも点訳してきました」と胸を張る。
これまで区の刊行物や防災計画、個人からの依頼では、小説や絵本など、さまざまな情報を届けてきた。今も思い出すのは、将棋入門書を6人ほどで点訳した時のこと。盤上の解説、将棋独特の用語……作業に3カ月以上を費やした。1冊250ページほどの書籍は、作業後、500ページほどまでに膨らんだ。「あれは本当に大変だったねえ」と振り返って笑う。
ある時は、料理のレシピ集の点訳依頼があった。作業を終え、依頼主に届けると「調味料の分量を詳しく知ることができて、健康に気を使うことができます」と。そうした喜びの声一つ一つが次の作業への活力となった。
「視覚障がい者にとって“知る権利”はとても大切なこと。それを守るためにできることは、何でもお手伝いをしたい」
1943年(昭和18年)、横浜市南区で生まれた飯田さん。幼い頃は体が弱く、学校を休むことも多かったという。それを心配した近所に住む学会員が父を折伏し、一家で入会した。
内気な性格だった飯田さんは、学会活動にも消極的だったという。それでも、温かく接してくれる女子部(当時)の先輩の姿に心を動かされ、やがて自ら広布に駆けるように。
「蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り、碧蘿、松頭に懸かって千尋を延ぶ」(新36・全26)。この御文の通りに飯田さんは、同志と励まし合い、仏法対話に次ぐ仏法対話の日々を送った。「そのおかげで、いつしか誰とでも心を開いて話せる自分になったんですよ」
そうした歩みが心の土台になったからこそ、「依頼があれば、どんなものでも点訳してきました」と胸を張る。
これまで区の刊行物や防災計画、個人からの依頼では、小説や絵本など、さまざまな情報を届けてきた。今も思い出すのは、将棋入門書を6人ほどで点訳した時のこと。盤上の解説、将棋独特の用語……作業に3カ月以上を費やした。1冊250ページほどの書籍は、作業後、500ページほどまでに膨らんだ。「あれは本当に大変だったねえ」と振り返って笑う。
ある時は、料理のレシピ集の点訳依頼があった。作業を終え、依頼主に届けると「調味料の分量を詳しく知ることができて、健康に気を使うことができます」と。そうした喜びの声一つ一つが次の作業への活力となった。
「視覚障がい者にとって“知る権利”はとても大切なこと。それを守るためにできることは、何でもお手伝いをしたい」
点訳された書籍。六つの点で1文字を表す点字には、読者を思いやる心が込められている
点訳された書籍。六つの点で1文字を表す点字には、読者を思いやる心が込められている
池田先生ならば必ず……
池田先生ならば必ず……
飯田さんは、2000年(平成12年)からボランティアグループの代表を務めている。
グループでは、地域や小学校などで点字体験の講習会も行っている。「一人でも多くの人が視覚障がいへの理解を深めてもらえれば」との思いで続けている講習会。ある人は、「読みたい本があるが読めない」との盲学校の学生からの声があることを知り、参加したとのこと。その後、その人は、少しでも力になれたらとグループの一員になった。
「地道な労苦がある点訳作業にも、一人の幸福に尽くそうとする一念で祈って動けば、不思議と力を貸してくれる人が現れるんです」
日本での点字利用者は、約3万2000人といわれている。これは、視覚障がいのある方の10%ほど。音声利用者が増える中でも、飯田さんは「一人でも点字を利用する人がいれば続けたい」と点訳活動への思いを率直に語ってくれた。
今でも忘れ得ぬ師の姿がある。会長辞任直後の1979年(昭和54年)6月、地域の功労者宅を訪問した池田先生は、その場にいた飯田さんにも握手の手を差し出してくれた。「心から一人を思ってくださる慈愛を感じた」と飯田さん。先生の手のぬくもり、感触は今も残っている。
“困難に直面している人を見れば、先生なら必ず支えようとされるはず”。その確信が30年間、自らを支えてきた。
決して目立たない点訳の活動。しかし、小さな点の集まりは、きょうも誰かの世界を大きく広げている。(記事・写真=岡田祐太郎)
飯田さんは、2000年(平成12年)からボランティアグループの代表を務めている。
グループでは、地域や小学校などで点字体験の講習会も行っている。「一人でも多くの人が視覚障がいへの理解を深めてもらえれば」との思いで続けている講習会。ある人は、「読みたい本があるが読めない」との盲学校の学生からの声があることを知り、参加したとのこと。その後、その人は、少しでも力になれたらとグループの一員になった。
「地道な労苦がある点訳作業にも、一人の幸福に尽くそうとする一念で祈って動けば、不思議と力を貸してくれる人が現れるんです」
日本での点字利用者は、約3万2000人といわれている。これは、視覚障がいのある方の10%ほど。音声利用者が増える中でも、飯田さんは「一人でも点字を利用する人がいれば続けたい」と点訳活動への思いを率直に語ってくれた。
今でも忘れ得ぬ師の姿がある。会長辞任直後の1979年(昭和54年)6月、地域の功労者宅を訪問した池田先生は、その場にいた飯田さんにも握手の手を差し出してくれた。「心から一人を思ってくださる慈愛を感じた」と飯田さん。先生の手のぬくもり、感触は今も残っている。
“困難に直面している人を見れば、先生なら必ず支えようとされるはず”。その確信が30年間、自らを支えてきた。
決して目立たない点訳の活動。しかし、小さな点の集まりは、きょうも誰かの世界を大きく広げている。(記事・写真=岡田祐太郎)
講習会の参加者にプレゼントしている折り紙。不要になった点字用紙を再利用して、グループのメンバーが作成している
講習会の参加者にプレゼントしている折り紙。不要になった点字用紙を再利用して、グループのメンバーが作成している
◎掲載された投稿(2025年10月11日付)
◎掲載された投稿(2025年10月11日付)
点訳活動を30年 地域貢献に励む
横浜市金沢区 飯田敏子(主婦 82歳)
私は6年前に息子夫婦と同居するまで、横浜市南区に住み、先輩・同志の方々と共に広布に歩んできました。一方、地域貢献のため点訳ボランティアグループの発足メンバーになり、今月で満30年を迎えました。
現在は、パソコンを使っての点訳が主流ですが、当時は手作業で、国語辞典を開きながら編集しました。点訳は、気力・体力を要する地道な作業です。
主な活動は、区の視覚障害者福祉協会と連携しての、広報やバスの時刻表、レシピ集などの点訳です。また、より多くの方に点字を理解してもらうため、地域での点字体験や、小中学校で福祉講座なども行っています。研修のため「日本点字図書館」「ふれる博物館」にも行きました。
1988年(昭和63年)6月10日、池田先生は神奈川の同志に、長編詩「正義の旗 平和の心」を贈ってくださいました。感謝の心で長編詩を点訳し、御礼の手紙と共に先生にお届けできたことは人生最高の喜びです。
現在、仕事や病気などで中途失明された方の多くが、指で読む点字より音声を利用します。しかし、一人でも点字を必要とする方がいる限り、これからも点訳ボランティアを続けていく決意です。
点訳活動を30年 地域貢献に励む
横浜市金沢区 飯田敏子(主婦 82歳)
私は6年前に息子夫婦と同居するまで、横浜市南区に住み、先輩・同志の方々と共に広布に歩んできました。一方、地域貢献のため点訳ボランティアグループの発足メンバーになり、今月で満30年を迎えました。
現在は、パソコンを使っての点訳が主流ですが、当時は手作業で、国語辞典を開きながら編集しました。点訳は、気力・体力を要する地道な作業です。
主な活動は、区の視覚障害者福祉協会と連携しての、広報やバスの時刻表、レシピ集などの点訳です。また、より多くの方に点字を理解してもらうため、地域での点字体験や、小中学校で福祉講座なども行っています。研修のため「日本点字図書館」「ふれる博物館」にも行きました。
1988年(昭和63年)6月10日、池田先生は神奈川の同志に、長編詩「正義の旗 平和の心」を贈ってくださいました。感謝の心で長編詩を点訳し、御礼の手紙と共に先生にお届けできたことは人生最高の喜びです。
現在、仕事や病気などで中途失明された方の多くが、指で読む点字より音声を利用します。しかし、一人でも点字を必要とする方がいる限り、これからも点訳ボランティアを続けていく決意です。