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〈信仰体験〉 91歳で創価大学通信教育部を卒業 2023年7月23日

  • 人生で今が一番若い!
今春、創価大学の通信教育部を卒業した鵜澤さん。「大変だったけれど、皆さんのおかげです。ありがとうございました!」
今春、創価大学の通信教育部を卒業した鵜澤さん。「大変だったけれど、皆さんのおかげです。ありがとうございました!」

 
 【千葉市中央区】今年3月、創価大学の第49回卒業式。2022年度の“最高齢の卒業生”として、一人の壮年が紹介された。鵜澤德之さん(91)=ブロック幹事。「長い間、学問とは無縁だったので……」。向学の志に燃えて5年前、創大通信教育部の門をたたいた。新設された、通教文学部の1期生だ。入学式で周りを見ると、多くは自身の孫世代に当たる若人たち。それでも、「自分が年寄りとは思わなかった」――。

足腰が丈夫。娘の一恵さん㊨との散歩も、スタスタ歩く。「児童の見守りボランティアで鍛えられました(笑)」
足腰が丈夫。娘の一恵さん㊨との散歩も、スタスタ歩く。「児童の見守りボランティアで鍛えられました(笑)」

 
 2018年(平成30年)の春、夢にまで見た創価大学の入学式。当時86歳の鵜澤さんは「キャンパス全体が歓迎してくれているようだった」と振り返る。
 初めて足を踏み入れた池田記念講堂では、檀上を覆う「緞帳」に目がくぎ付けに。古代ギリシャの哲学者である、プラトンとアリストテレスの師弟が語り合う姿が描かれていた。
 「若い頃から哲学が大好きで、私にとって、通教文学部の開設は、まさに朗報。これから存分に学べると思うと興奮しました」

パソコンを使い始めたのは70歳ごろから。リポート作成、学友へのメールなども、今ではブラインドタッチで
パソコンを使い始めたのは70歳ごろから。リポート作成、学友へのメールなども、今ではブラインドタッチで

 
 1、2年次は時間を忘れ、時には深夜まで夢中になって自宅で勉強に打ち込んだ。食事もパソコンの前で済ませながら、リポートを作成。「若い人の何倍も時間をかけて」単位を一つ一つ取得した。
 土日や夏のスクーリングでは、久々に創大を訪ね、教室の最前列に座る。補聴器が必要なほど聴力が弱いからだが、本音を言えば、「講師に自分から質問しやすいように」と。4年間での卒業に意欲をみなぎらせた。
 80代の鵜澤さんが、机にかじりついて懸命に学ぶ姿。同じ教室にいる子や孫世代の通教生は、尊敬のまなざしで見つめた。
 創大の創立精神を学ぶ教材の中で、鵜澤さんが真っ先に線を引いた、創立者・池田先生の言葉がある。「生涯が学習である。生涯が勉強である。それが、人間らしく生きるということなのだ」

 
 6人兄弟の4番目。戦時中の中学校時代は、学徒動員で飛行場の建設に駆り出された。東京の実家は、空襲で焼失。終戦後は父の製塩業を手伝い、汗まみれになって働いた。
 せっかく入った大学も、生活費を稼ぐために中退。働くしかなかったが、「家族を恨まない。みんな、生きることすら大変だったから」。ひとえに「自分には根性がなかった」と言い聞かせた。
 靴下加工の職人として、生計を立て始めたのは、35歳の頃。自宅で朝から晩まで、靴下の爪先部分を縫う毎日。3人の娘を育て上げ、リタイアしたのは2004年(平成16年)、72歳の時だった。
 人生を充実させようと、初めての山登りで富士山を登頂。児童の登下校の見守りや、公園の花壇の手入れなど、ボランティア活動にも励んだ。だが……。
 「若い時に勉強すればよかった……という悔しさが、拭い切れなくて」。学問への探究心は衰えず、やり場のない日々を過ごした。

 一方で、リタイアの前後から、ある変化が。
 親の代から他宗教を信じてきたが、長女の内海一恵さん(60)=支部女性部長=が、創価学会に入会。一恵さん夫婦と、高齢になった鵜澤さん夫婦が同居することになった。
 すると学会員が、長女の激励に訪れるように。「娘が留守で、何度か私が応対するうち、学会への偏見が消えました。皆さんが宗教を真剣に実践していることに気付いたんです」
 やがて座談会に参加することに。機関誌の「大白蓮華」を開くと池田先生が紹介する、戸田先生の指導に目が留まった。「人生は最後が大事だ。最後の数年間が幸福であれば、人生は勝利である」
 それまで人生は、やり直しがきかないものと思っていた。だが、「学会の考えに感銘を受けて」。教学を学ぼうと任用試験に挑み、合格。2008年、76歳で入会した。
 翌年は、さらに求道の心を燃やし、初級試験にも合格。「同志の方々と共に勉強できたことが、私の大切な原点になっています」

地域の同志と共に
地域の同志と共に

 
 “第三の人生”を、仏法の哲学をもって力強く歩み始めた70代後半。鵜澤さんは学問への探究心を、教学の研さんに向かわせた。
 そんな中、2016年に再び転機が……。ホームセンターの駐車場で車にはねられ、ドクターヘリで搬送される事故に遭った。顔面を強打し、頸椎を骨折。右腕をつぶされた。
 当時84歳。検証した警察関係者は「生きていることが不思議」と。幸いにも神経にダメージはなく、3カ月の入院で日常生活に復帰することができた。
 「まさに、九死に一生を得ました。この新たに頂いた命を使って、新しい人生を切り開こうと思ったんです」
 そして事故の翌年、聖教新聞のニュースに心が揺さぶられた。「2018年から創大通教に文学部が開設」
 ふと、あの言葉が頭をよぎる。「最後の数年間」――入学すれば86歳。“果たして卒業できるだろうか……”
 背中を押してくれたのが、長女や壮年部の先輩である。若き日の悔しさをバネに、わが人生の価値を創造する総仕上げだ!と決め、入学の願書を送った。

 1年次、2年次の学修は「英語を除けば順調だった(笑)」。
 ところが3年次に、思わぬアクシデントが起きた。胆のう炎。経験したことのない痛さで、十日ほど入院することに。楽しみにしていたスクーリングを、初めて欠席した。
 “4年で卒業できそうだったのに、やっぱり俺は……”。かつて中退した“大学の壁”が心にのしかかる。
 支えになったのは、キャンパスで出会った学友たちの励ましだ。次々と届いた応援メッセージ。その真心は、今でも忘れられない。「学友は宝です」
 コロナ禍で、オンライン授業などが充実したことも、「体力に不安のある私には幸いでした」と。
 そばで見守る長女は“父は入会して諦めなくなった”と、幾度も目を丸くした。

 「法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし」(新1633・全1124)。鵜澤さんは己の弱さと戦った。
 卒業研究に挑んだテーマも、そう。「昔、難解すぎて挫折した」と笑う、フランスの学者ベルクソンの哲学。創立者の思想と共鳴する“創造的生命”について書き上げた。
 5年の歳月をかけて、ついにつかんだ「卒業」。
 「私の体力的にギリギリの年齢でした。ちゅうちょせず入学して、よかった。人生で今が一番若い!」
 「人生100年。卒業した私も『学は光』と輝くように、平和への祈りと行動を続けます。そのスタートラインに立ったんです」
 “生涯青春”の気概に満ちあふれている。

学位記が授与され、3人の娘と孫が祝福(右から三女・尚子さん、長女・一恵さん、鵜澤さん、次女・徳恵さん、孫・彩加さん)
学位記が授与され、3人の娘と孫が祝福(右から三女・尚子さん、長女・一恵さん、鵜澤さん、次女・徳恵さん、孫・彩加さん)

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認定NPO法人フローレンス会長。2004年にNPO法人フローレンスを設立し、社会課題解決のため、病児保育、保育園、障害児保育、こども宅食、赤ちゃん縁組など数々の福祉・支援事業を運営。厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員会座長

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