〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰⑥
〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰⑥
2026年2月20日
1990年代初頭のバブル崩壊後、日本経済は長い停滞期に入りました。
新卒採用は激減し、正社員の道は狭まり、労働環境も悪化――いわゆる「就職氷河期」です。
転職や再就職も難しく、「自己責任論」がまん延する中で、貧困や孤立に苦しむ人も少なくありませんでした。
そんな冬の時代を耐え、勝ち越えた一人の女性部員の歩みに迫ります。(記事=中谷光昭)
1990年代初頭のバブル崩壊後、日本経済は長い停滞期に入りました。
新卒採用は激減し、正社員の道は狭まり、労働環境も悪化――いわゆる「就職氷河期」です。
転職や再就職も難しく、「自己責任論」がまん延する中で、貧困や孤立に苦しむ人も少なくありませんでした。
そんな冬の時代を耐え、勝ち越えた一人の女性部員の歩みに迫ります。(記事=中谷光昭)
今月23日に、79歳の誕生日を迎える母・さちよさん㊧へ、加藤さんが祝福の花束を。さちよさんは認知症を患い、特別養護老人ホームで暮らしている(長野県松本市内で)
今月23日に、79歳の誕生日を迎える母・さちよさん㊧へ、加藤さんが祝福の花束を。さちよさんは認知症を患い、特別養護老人ホームで暮らしている(長野県松本市内で)
■ドーナツ店で
■ドーナツ店で
加藤亮子さん(松本圏、地区副女性部長)が長野県内の高校を卒業したのは、1997年。この年、日本経済は急速に冷え込んだ。
消費税率の引き上げ(3%から5%へ)やアジア通貨危機などの影響で景気が悪化。さらに銀行や証券会社が相次いで破綻し、金融不安が社会を覆う。
企業は採用を絞り、就職環境は一段と厳しさを増した。
その荒波のただ中に、加藤さんも立っていた。
最初に働いたのはドーナツ店。デフレで物価が下がる中、「1個100円」のドーナツは人気を博したが、労働環境は厳しかった。
「トイレに行く暇もないほど」の忙しさ。サービス残業が続き、家と職場の往復に暮れる日々の中で、心身は静かにすり減っていった。2年後、体調を崩し退職する。
再就職を目指してハローワークに通った。だが「求人はわずか」。仕事を選べる状況ではなく、未経験の分野にも臆せず飛び込んだ。男性職人の多い工場で、工具用カッターの刃を削ったこともある。
加藤亮子さん(松本圏、地区副女性部長)が長野県内の高校を卒業したのは、1997年。この年、日本経済は急速に冷え込んだ。
消費税率の引き上げ(3%から5%へ)やアジア通貨危機などの影響で景気が悪化。さらに銀行や証券会社が相次いで破綻し、金融不安が社会を覆う。
企業は採用を絞り、就職環境は一段と厳しさを増した。
その荒波のただ中に、加藤さんも立っていた。
最初に働いたのはドーナツ店。デフレで物価が下がる中、「1個100円」のドーナツは人気を博したが、労働環境は厳しかった。
「トイレに行く暇もないほど」の忙しさ。サービス残業が続き、家と職場の往復に暮れる日々の中で、心身は静かにすり減っていった。2年後、体調を崩し退職する。
再就職を目指してハローワークに通った。だが「求人はわずか」。仕事を選べる状況ではなく、未経験の分野にも臆せず飛び込んだ。男性職人の多い工場で、工具用カッターの刃を削ったこともある。
長野県内の病院で、介護職員として働く加藤さん
長野県内の病院で、介護職員として働く加藤さん
■工場で汗し
■工場で汗し
2006年、職場で知り合った男性と結婚。工場勤務を続けながら家計を支え、家事も一手に担った。2年後、切迫早産の危機を乗り越え、長男・望光さんを出産する。
退院の日――小さな命を胸に抱き、新しい生活を思い描いて帰宅したその時、夫から突然「離婚してほしい」と告げられる。
言葉を失った。生まれたばかりのわが子を前に、未来が音を立てて崩れていくようだった。
生後間もない子と二人、市営住宅の一室に移った。
前の住人の家具の跡が残る畳。隙間風が吹き込む戸。薄い壁越しに伝わる生活音。夜泣きのたびに「怒鳴られるのではないか」と身を縮めた。
御本尊に向かい、声にならない祈りを重ねる。傍らには、小さな寝息。“健やかに育って”と願った。つらくても「信心」を手放さなかったのは、「母(さちよさん)の姿に学んだから」。
母は、生まれつきの股関節脱臼のため、両足が不自由だった。
祖父母と共に御本尊を抱き締めるように祈り、手術を経て、ようやく歩けるように。結婚後は、蒸発した父に代わり、一家を支えるために身を粉にして働いた。
長年勤めた工場でリストラに遭った際も、悲哀を見せることはなかった。
母の強さの源には、いつも「師への誓い」があった。“池田先生の励ましに応えたい”。毎朝4時に起き、御本尊のもとから聖教新聞の配達に向かった。
母の背中を見て育ち、いつしか加藤さんも、祈ることが日課となった。
2006年、職場で知り合った男性と結婚。工場勤務を続けながら家計を支え、家事も一手に担った。2年後、切迫早産の危機を乗り越え、長男・望光さんを出産する。
退院の日――小さな命を胸に抱き、新しい生活を思い描いて帰宅したその時、夫から突然「離婚してほしい」と告げられる。
言葉を失った。生まれたばかりのわが子を前に、未来が音を立てて崩れていくようだった。
生後間もない子と二人、市営住宅の一室に移った。
前の住人の家具の跡が残る畳。隙間風が吹き込む戸。薄い壁越しに伝わる生活音。夜泣きのたびに「怒鳴られるのではないか」と身を縮めた。
御本尊に向かい、声にならない祈りを重ねる。傍らには、小さな寝息。“健やかに育って”と願った。つらくても「信心」を手放さなかったのは、「母(さちよさん)の姿に学んだから」。
母は、生まれつきの股関節脱臼のため、両足が不自由だった。
祖父母と共に御本尊を抱き締めるように祈り、手術を経て、ようやく歩けるように。結婚後は、蒸発した父に代わり、一家を支えるために身を粉にして働いた。
長年勤めた工場でリストラに遭った際も、悲哀を見せることはなかった。
母の強さの源には、いつも「師への誓い」があった。“池田先生の励ましに応えたい”。毎朝4時に起き、御本尊のもとから聖教新聞の配達に向かった。
母の背中を見て育ち、いつしか加藤さんも、祈ることが日課となった。
「母のように明るく」と語る加藤さん
「母のように明るく」と語る加藤さん
■幼子の頭をなで
■幼子の頭をなで
“人並みの生活を”と、加藤さんは、ひたすら祈った。
生活費を工面するため、産後ほどなく職場に復帰した。当時の保育料は月4万6000円。働いても働いても暮らしは楽にならなかった。
離乳食を買えず、野菜のスープを子に与え、自分は残りを口にした。体力は次第に衰え、母乳が思うように出なくなった。それでも懸命に吸おうとする幼子の頭をなでながら、「ごめんね」とつぶやいた。
痛みをこらえて搾乳し、保育園に届けたこともある。しかし、「母乳の栄養が足りていないかもしれません」と告げられた。
限界を悟った。断腸の思いで退職し、母の住む松本市へ移ることにした。母は一言も離婚の理由を問わなかった。望光さんを慈しみ、温かなまなざしを注いでくれた。
“人並みの生活を”と、加藤さんは、ひたすら祈った。
生活費を工面するため、産後ほどなく職場に復帰した。当時の保育料は月4万6000円。働いても働いても暮らしは楽にならなかった。
離乳食を買えず、野菜のスープを子に与え、自分は残りを口にした。体力は次第に衰え、母乳が思うように出なくなった。それでも懸命に吸おうとする幼子の頭をなでながら、「ごめんね」とつぶやいた。
痛みをこらえて搾乳し、保育園に届けたこともある。しかし、「母乳の栄養が足りていないかもしれません」と告げられた。
限界を悟った。断腸の思いで退職し、母の住む松本市へ移ることにした。母は一言も離婚の理由を問わなかった。望光さんを慈しみ、温かなまなざしを注いでくれた。
女性部の皆さんの励ましが、加藤さん㊥の生き抜く力に(長野・松本平和会館で)
女性部の皆さんの励ましが、加藤さん㊥の生き抜く力に(長野・松本平和会館で)
■転機となった張り紙
■転機となった張り紙
母の近くにアパートを借り、日中は保育園、夜は母や兄夫婦に子を預け、アルバイトにいそしんだ。
レストランで昼夜働いても、月収は11万円。福利厚生はない。より良い条件を求めて工場勤務に転じたが、1年足らずで「派遣切り」に遭った。
正規雇用を求めても「お子さんの具合が悪くなった時、見てくれる人がいないと難しい」と断られた。「もし、インフルエンザや溶連菌などの感染症にかかってしまったら、私には頼るところがありませんでした」
こうした苦境にあったのは、加藤さんだけではない。
当時は「母親が働きたくても子育てしながら働ける仕事は少ない」状況で、「小さい子どものいる世帯が貧困や低所得な状態に置かれていたと見ることができます」と指摘する専門家もいる。〈「POSSE」昨年8月発行〉
「望光のために」――心でそう繰り返せば、歯を食いしばることができた。バイトに汗し、わずかな時間を見つけては、ハローワークに通い、正社員を目指した。
そんなある日、保育士さんに声をかけられた。「望光君、園では一人でいることが多いんです」。胸をつかれた。仕事に翻弄されるあまり、息子の気持ちに十分向き合えていなかったのではないか――自責の念がよぎった。
安定した仕事と、息子との時間。その両立を目指した。転機は、ハローワークで目にした「訓練・生活支援給付金(現・職業訓練受講給付金)」の張り紙。雇用保険を受けられない人に生活費を支給し、職業訓練を支援する制度である。〈公明党が推進し、2009年に施行〉
「これだ」と直感し、介護資格の取得を決意した。「高齢化が進む中で、介護の資格があれば役に立つことが多いし、母を支えられるとも思ったんです」
支援を受けながら、平日は資格試験の勉強に励み、休日は望光さんと水入らずの時を過ごした。
2010年にホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)を取得。デイサービスセンターや宅老所で入浴・食事介助、送迎などを担い、2014年には介護福祉士となった。
望光さんが通う小学校のクラス役員を買って出て、学校行事にも積極的に関わった。ようやく訪れた「穏やかな暮らし」――。だが、思いがけない試練に襲われた。
母の近くにアパートを借り、日中は保育園、夜は母や兄夫婦に子を預け、アルバイトにいそしんだ。
レストランで昼夜働いても、月収は11万円。福利厚生はない。より良い条件を求めて工場勤務に転じたが、1年足らずで「派遣切り」に遭った。
正規雇用を求めても「お子さんの具合が悪くなった時、見てくれる人がいないと難しい」と断られた。「もし、インフルエンザや溶連菌などの感染症にかかってしまったら、私には頼るところがありませんでした」
こうした苦境にあったのは、加藤さんだけではない。
当時は「母親が働きたくても子育てしながら働ける仕事は少ない」状況で、「小さい子どものいる世帯が貧困や低所得な状態に置かれていたと見ることができます」と指摘する専門家もいる。〈「POSSE」昨年8月発行〉
「望光のために」――心でそう繰り返せば、歯を食いしばることができた。バイトに汗し、わずかな時間を見つけては、ハローワークに通い、正社員を目指した。
そんなある日、保育士さんに声をかけられた。「望光君、園では一人でいることが多いんです」。胸をつかれた。仕事に翻弄されるあまり、息子の気持ちに十分向き合えていなかったのではないか――自責の念がよぎった。
安定した仕事と、息子との時間。その両立を目指した。転機は、ハローワークで目にした「訓練・生活支援給付金(現・職業訓練受講給付金)」の張り紙。雇用保険を受けられない人に生活費を支給し、職業訓練を支援する制度である。〈公明党が推進し、2009年に施行〉
「これだ」と直感し、介護資格の取得を決意した。「高齢化が進む中で、介護の資格があれば役に立つことが多いし、母を支えられるとも思ったんです」
支援を受けながら、平日は資格試験の勉強に励み、休日は望光さんと水入らずの時を過ごした。
2010年にホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)を取得。デイサービスセンターや宅老所で入浴・食事介助、送迎などを担い、2014年には介護福祉士となった。
望光さんが通う小学校のクラス役員を買って出て、学校行事にも積極的に関わった。ようやく訪れた「穏やかな暮らし」――。だが、思いがけない試練に襲われた。
同志の励ましに支えられ
同志の励ましに支えられ
■不登校の日々
■不登校の日々
「僕、学校行かない」
望光さんが突然そう打ち明けたのは、小学4年の時だった。
理由を聞いても、話そうとしない。ふと、洗濯かごに置かれたシャツが赤く染まっているのに気づいた。胸やおなかには、無数の引っかき傷。言葉にできない思いが、その傷になっているようだった。
大好きだった絵も、次第に色がなくなり、やがて黒一色で塗りつぶすように。人と会うことを怖がり、家から出られなくなった。
ある日、仕事中の加藤さんの電話が鳴った。「お母さん……」。切羽詰まった様子で助けを求める望光さんの声。胸が締めつけられた。
食事も水も口にせず、こたつに寄りかかったまま、ぼんやりと一点を見つめている。「眠れない」と泣く望光さんを、ぎゅっと抱き寄せた。
息子は学校に通えない。それでも加藤さんは、町会役員の会議で学校に行かなければならない。
校庭で見かける同級生たちの姿、笑い声。その輪に“息子がいたら、どれだけうれしいだろう”と思った。道ばたで、同学年のお母さんにばったり会った時、こらえていた涙があふれてしまったこともあった。
“強くいなくちゃ”“心配されたくない”と、自分にムチを打ち、生きてきた。
“あそこは、ひとり親だから”と後ろ指をさされることを恐れ、「やります」「できます」と、皆が嫌がる地域や学校の活動にも率先した。家族以外には決して頼らず、弱みを見せることもなかった。
そんな加藤さんにとって、唯一といえる「心の避難場所」があった。それは、「温かな学会家族の輪」。
わが子の不登校を経験した女性部の先輩が、話をじっくり聞いてくれた。
声を詰まらせ悩みを打ち明ける加藤さんに、先輩は肩を震わせ頷きながら、一緒に泣いてくれた。「気持ち、分かるよ」「のんちゃん(望光さん)の思いも大切にしてあげたいね」。加藤さんと望光さん、常に二人の気持ちを尊重してくれた。
その場限りの励ましではなく、ずっと見守り、声をかけ続けてくれた。“私は一人じゃない”と心から思えた。
「僕、学校行かない」
望光さんが突然そう打ち明けたのは、小学4年の時だった。
理由を聞いても、話そうとしない。ふと、洗濯かごに置かれたシャツが赤く染まっているのに気づいた。胸やおなかには、無数の引っかき傷。言葉にできない思いが、その傷になっているようだった。
大好きだった絵も、次第に色がなくなり、やがて黒一色で塗りつぶすように。人と会うことを怖がり、家から出られなくなった。
ある日、仕事中の加藤さんの電話が鳴った。「お母さん……」。切羽詰まった様子で助けを求める望光さんの声。胸が締めつけられた。
食事も水も口にせず、こたつに寄りかかったまま、ぼんやりと一点を見つめている。「眠れない」と泣く望光さんを、ぎゅっと抱き寄せた。
息子は学校に通えない。それでも加藤さんは、町会役員の会議で学校に行かなければならない。
校庭で見かける同級生たちの姿、笑い声。その輪に“息子がいたら、どれだけうれしいだろう”と思った。道ばたで、同学年のお母さんにばったり会った時、こらえていた涙があふれてしまったこともあった。
“強くいなくちゃ”“心配されたくない”と、自分にムチを打ち、生きてきた。
“あそこは、ひとり親だから”と後ろ指をさされることを恐れ、「やります」「できます」と、皆が嫌がる地域や学校の活動にも率先した。家族以外には決して頼らず、弱みを見せることもなかった。
そんな加藤さんにとって、唯一といえる「心の避難場所」があった。それは、「温かな学会家族の輪」。
わが子の不登校を経験した女性部の先輩が、話をじっくり聞いてくれた。
声を詰まらせ悩みを打ち明ける加藤さんに、先輩は肩を震わせ頷きながら、一緒に泣いてくれた。「気持ち、分かるよ」「のんちゃん(望光さん)の思いも大切にしてあげたいね」。加藤さんと望光さん、常に二人の気持ちを尊重してくれた。
その場限りの励ましではなく、ずっと見守り、声をかけ続けてくれた。“私は一人じゃない”と心から思えた。
苦悩の時も、歓喜の時も、師の言葉を胸に
苦悩の時も、歓喜の時も、師の言葉を胸に
■毎日ほめる
■毎日ほめる
池田先生は、つづった。
「無理をしてつくろったり、見えを張ったり、人を羨んだりなどする必要は全くないのです。悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証であり、法華経の証明となるのです」(『調和と希望の仏法』)
苦悩を突き抜けることだけが勝利ではなく、苦悩と戦う「今、その姿」が、すでに「勝利の証明」なのであるということを、人生の師匠が教えてくれた。
加藤さんは、懸命に明日を目指した。ひたぶるに祈ったのは〈毎日息子をほめることができますように。前向きで明るい子に育ちますように〉。
息子を感情的に叱らない。「早くして」とせかさない。「頑張ろう」とプレッシャーをかけない。加藤さんは、唱題で自身の心を豊かに広げ、それを励行した。
母の決意の祈りに吸い寄せられるように、周りには、望光さんの成長を温かく見守る人の輪が広がっていった。
デイサービスセンターの上司が「職場に息子さん、連れておいで」と言ってくれた。
「死にたい」とつぶやく望光さんの手を握り、一緒に出勤し、昼食を共にした。施設の職員の方々が代わる代わる、望光さんに声をかけてくれた。その触れ合いが、傷ついた心を癒やしていった。
かかり付けの小児科の医師は、「お母さん、安心してくださいね。望光君が20歳になるまで、僕がしっかり診ますから」と。塾の先生も、「学校に行けなくたって、塾に来られたら良いじゃないですか。家から出られたら、それで良いんです」と温かな言葉をかけてくれた。
「明日」を諦めそうになったこともあった。自分と息子の明るい未来を、信じきれなかった日もあった。
それでも多くの人の真心に包まれ、望光さんは、その澄んだ心に「希望」を抱くようになっていった。
池田先生は、つづった。
「無理をしてつくろったり、見えを張ったり、人を羨んだりなどする必要は全くないのです。悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証であり、法華経の証明となるのです」(『調和と希望の仏法』)
苦悩を突き抜けることだけが勝利ではなく、苦悩と戦う「今、その姿」が、すでに「勝利の証明」なのであるということを、人生の師匠が教えてくれた。
加藤さんは、懸命に明日を目指した。ひたぶるに祈ったのは〈毎日息子をほめることができますように。前向きで明るい子に育ちますように〉。
息子を感情的に叱らない。「早くして」とせかさない。「頑張ろう」とプレッシャーをかけない。加藤さんは、唱題で自身の心を豊かに広げ、それを励行した。
母の決意の祈りに吸い寄せられるように、周りには、望光さんの成長を温かく見守る人の輪が広がっていった。
デイサービスセンターの上司が「職場に息子さん、連れておいで」と言ってくれた。
「死にたい」とつぶやく望光さんの手を握り、一緒に出勤し、昼食を共にした。施設の職員の方々が代わる代わる、望光さんに声をかけてくれた。その触れ合いが、傷ついた心を癒やしていった。
かかり付けの小児科の医師は、「お母さん、安心してくださいね。望光君が20歳になるまで、僕がしっかり診ますから」と。塾の先生も、「学校に行けなくたって、塾に来られたら良いじゃないですか。家から出られたら、それで良いんです」と温かな言葉をかけてくれた。
「明日」を諦めそうになったこともあった。自分と息子の明るい未来を、信じきれなかった日もあった。
それでも多くの人の真心に包まれ、望光さんは、その澄んだ心に「希望」を抱くようになっていった。
使命の道を朗らかに
使命の道を朗らかに
■母子で夢を
■母子で夢を
望光さんは、小学4年の夏から中学校卒業まで、学校には思うように通えなかった。
だが、加藤さんが何げなく貸したパソコンに夢中になり、参考書を開き、独学でプログラミングを始めた。
キーボードを打つ指が、日ごとに迷いを失っていく。周りが驚くほど、みるみる技術を高めていった。
「それなら」と、塾の先生がゲームやプログラミングを学べる通信制の高校を紹介してくれた。親子で見学に行き、望光さんは「ここに入りたい」と瞳を輝かせた。
登校は、スクーリングなど年に数回。自宅のパソコンでリポートの課題を入力し、提出する。
勉強の合間には、「疲れているお母さんを少しでも休ませたい」と、ゴミ出し、食器洗い、洗濯、風呂掃除などにも率先。望光さんの顔に、かつての明るさが戻った。
昨年、ゲーム専攻のある専門学校を受験。合格の知らせを受けた時のわが子のうれしそうな笑顔を、加藤さんは「生涯、忘れない」と言う。
照れながら、「IT系の仕事に就いて、お母さんに楽をさせてあげたい」と語る息子の姿がいとおしかった。
今月8日、18歳の誕生日を迎えた望光さん。専門学校の合格証と、昨年末に取得した「日商PC検定3級」の資格証を手に、お世話になった人へ報告すると、皆、飛び上がるように喜んでくれた。
加藤さんもまた、挑戦の日々を歩んでいる。
現在は県内の病院の介護施設で働きながら、大学の通信教育で学び、「社会福祉士」の資格取得を目指している。
「リカレント教育(生涯にわたって学び続け、必要に応じて就労と学習を繰り返すこと)」の道を歩みながら、仕事の幅や選択肢を広げたいと挑む。
苦境の日々に誓った「親孝行」も、形を成していった。
母・さちよさんは認知症を患い、昨年、特別養護老人ホームに入所した。それまで、兄夫婦と共に母の生活の介助をし、手料理を食べてもらえた日々は、加藤さんの「心の財」となっている。
就職氷河期の課題は、仕事不足や低賃金にとどまらない。数字や統計に表れない場所で、厳しく苦しい現実を突きつけられてきた。
そんな時代を、加藤さんはひとり親として懸命に駆けてきた。だからこそ、「どんな困難にも負けない生命力を、この信心で引き出していける。そのことを、身をもって実感できました」。
加藤さんは今、支えてくれた全ての人への感謝を胸に、一つ一つの出会いを大切にしながら、いつも笑顔で振る舞うよう心がけている。
施設の利用者から「いつも明るくていいね」「あなたに会うと元気になれるよ」と、声をかけてもらうことも。同じ境遇にある知人の話に耳を傾け、共に悩みながら、支え合いの絆を広げている。
「女性部の先輩方がしてくださったように、今度は私が、誰かの『心の避難場所』になりたい」――加藤さんはそう願っている。
望光さんは、小学4年の夏から中学校卒業まで、学校には思うように通えなかった。
だが、加藤さんが何げなく貸したパソコンに夢中になり、参考書を開き、独学でプログラミングを始めた。
キーボードを打つ指が、日ごとに迷いを失っていく。周りが驚くほど、みるみる技術を高めていった。
「それなら」と、塾の先生がゲームやプログラミングを学べる通信制の高校を紹介してくれた。親子で見学に行き、望光さんは「ここに入りたい」と瞳を輝かせた。
登校は、スクーリングなど年に数回。自宅のパソコンでリポートの課題を入力し、提出する。
勉強の合間には、「疲れているお母さんを少しでも休ませたい」と、ゴミ出し、食器洗い、洗濯、風呂掃除などにも率先。望光さんの顔に、かつての明るさが戻った。
昨年、ゲーム専攻のある専門学校を受験。合格の知らせを受けた時のわが子のうれしそうな笑顔を、加藤さんは「生涯、忘れない」と言う。
照れながら、「IT系の仕事に就いて、お母さんに楽をさせてあげたい」と語る息子の姿がいとおしかった。
今月8日、18歳の誕生日を迎えた望光さん。専門学校の合格証と、昨年末に取得した「日商PC検定3級」の資格証を手に、お世話になった人へ報告すると、皆、飛び上がるように喜んでくれた。
加藤さんもまた、挑戦の日々を歩んでいる。
現在は県内の病院の介護施設で働きながら、大学の通信教育で学び、「社会福祉士」の資格取得を目指している。
「リカレント教育(生涯にわたって学び続け、必要に応じて就労と学習を繰り返すこと)」の道を歩みながら、仕事の幅や選択肢を広げたいと挑む。
苦境の日々に誓った「親孝行」も、形を成していった。
母・さちよさんは認知症を患い、昨年、特別養護老人ホームに入所した。それまで、兄夫婦と共に母の生活の介助をし、手料理を食べてもらえた日々は、加藤さんの「心の財」となっている。
就職氷河期の課題は、仕事不足や低賃金にとどまらない。数字や統計に表れない場所で、厳しく苦しい現実を突きつけられてきた。
そんな時代を、加藤さんはひとり親として懸命に駆けてきた。だからこそ、「どんな困難にも負けない生命力を、この信心で引き出していける。そのことを、身をもって実感できました」。
加藤さんは今、支えてくれた全ての人への感謝を胸に、一つ一つの出会いを大切にしながら、いつも笑顔で振る舞うよう心がけている。
施設の利用者から「いつも明るくていいね」「あなたに会うと元気になれるよ」と、声をかけてもらうことも。同じ境遇にある知人の話に耳を傾け、共に悩みながら、支え合いの絆を広げている。
「女性部の先輩方がしてくださったように、今度は私が、誰かの『心の避難場所』になりたい」――加藤さんはそう願っている。
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●ルポ「就職氷河期世代と信仰」の連載まとめページはこちら(https://www.seikyoonline.com/rensaimatome/life-watch.html)から
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〈参考文献〉「POSSE」vol.60〈見捨てられたのは「就職氷河期世代」なのか〉NPO法人POSSE。
〈参考文献〉「POSSE」vol.60〈見捨てられたのは「就職氷河期世代」なのか〉NPO法人POSSE。