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〈インタビュー〉 政治と宗教の健全な関係性とは 2023年1月11日

  • 東京工業大学准教授 西田亮介さん

 旧統一教会問題に関する報道が過熱し、「政治と宗教」が人々の関心をひいている現状をどう見ればいいのか。(「第三文明」1月号から)
 

1983年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は社会学。公共政策の社会学、情報化と政治などについて研究。立命館大学大学院特別招聘准教授などを経て現職。著書に『メディアと自民党』『なぜ政治はわかりにくいのか』『不寛容の本質』『コロナ危機の社会学』『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』など多数
 
1983年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は社会学。公共政策の社会学、情報化と政治などについて研究。立命館大学大学院特別招聘准教授などを経て現職。著書に『メディアと自民党』『なぜ政治はわかりにくいのか』『不寛容の本質』『コロナ危機の社会学』『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』など多数  
「政治と宗教」に対する通俗的な批判

 安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに、メディアでは旧統一教会と政界の関係性が問われ、その矛先の一部が公明党と創価学会にも向けられています。
 
 憲法第20条を根拠とする政教分離の原則は、国内的には、戦中の国家神道と帝国主義体制を省みたところから定められています。国家による特定の宗教の庇護あるいは排除を防ぐものであって、国民の自由な信仰や宗教法人の政治活動を阻害するものではありません。過去の政府解釈や判例によれば、特定の宗教団体に支援された者が公職に就いて国政を担当することも認められています。
 
 「政教分離」と言うと、「政治」と「宗教」の分離を連想しがちですが、厳密には統治機構である「国」と特定の「宗教」の分離、宗教団体による権力行使の禁止を意味しています。
 
 2022年10月の参議院予算委員会で、立憲民主党の議員が旧統一教会との接点があった大臣に対して、同教団の信者かどうかを問いただす場面がありました。信仰はあくまで個人的なものなので、大臣には答弁を拒否する権利があったものの、疑惑を追及されている立場からすれば答えざるを得ない状況でした。答えなければ答えないで、そのこと自体がまた批判の対象になったでしょう。公人の信教の自由を萎縮させかねないという意味で、質問者の品性が疑われる出来事だったと思います。
 

 旧統一教会の問題は、政治家や政党が宗教団体の支援を受けてはならないという話ではなく、反社会的な組織から支援を受けるのは問題がある、という話です。ところが巷間では「政治と宗教」に対する通俗的な批判が過熱し、個人に対して信仰の告白を強要するような向きさえ見受けられます。日本における宗教のタブー性を象徴しているとも言えますし、政教分離の原則があまりにも雑に扱われていて、思想信条の自由の萎縮を懸念します。
 
 マスメディアにも責任があります。かつて統一教会の反社会性が取り沙汰されて以降、マスメディアはどれほどこの問題を取り上げてきたでしょうか。そもそも、マスメディアの人々は信教の自由や政教分離への感度が高いとは言えません。この数十年の間に新聞社もテレビ局もコスト面での余力がなくなり、専門記者が少なくなっていることも理由の一つでしょう。
 

既存の仕組みで対策はできる

 政治と宗教の関係性は、国ごとに異なります。科学の名のもとに宗教を排除しようとする社会主義国もあれば、イスラム教を国教とする国もあります。日本における政治と宗教の関係性を考える際には、欧州やアメリカを参考にするのが通例です。
 
 欧州などでは、キリスト教という多数派宗教に覆われている私的かつ文化的な空間と、ニュートラルな公共空間の両立が社会の前提となっていますが、ドイツやオランダ、ベルギーなどではキリスト教系の政党が与党を構成することが珍しくありません。
 
 さらに、宗教団体は職能団体や地域コミュニティーなどと同様の中間集団と考えられています。組織化されない個人の声は政治に対して大きな影響力を持たないために、人々は集まって行動することで政治的な影響力を行使します。その回路の一つとして、宗教団体は古くから重要視されてきたのです。
 
 欧州においてその状況に変化が起きたのは、イスラム過激派が登場してきた1970年代から80年代にかけてと、アメリカ同時多発テロが起きた2001年以降です。イスラム教に対する忌避感が強まり、社会から排除しようとする圧が高まっていきました。
 

 フランスでは11年に、イスラム教徒の女性が顔全体を覆うベールを公共空間で着用することを禁止する法律が制定されます。欧州人権裁判所は14年にこの法律を支持する判決を下しました。テロの頻発化でやむを得なかった部分はあるにせよ、この判決はイスラム教排除を後押しする結果となりました。
 
 旧統一教会の問題を巡って、日本でもフランスの反セクト法のような法整備をすべきだという意見があります。しかし、01年にフランスで成立した同法は、恣意的に運用できてしまう内容となっており、表現の自由や信教の自由を侵害する可能性をはらんだ法律です。フランスの施策は欧州の標準的なものではなく、むしろ例外的なものと言えるはずです。
 
 日本においては新たな立法の前に、質問権行使などの既存の仕組みにも実効性改善の余地はありそうです。
 

信教の自由の原則を強く発信すべき

 政治と宗教に関する報道が過熱し、社会が浮き足立っているのには、いくつかの理由が考えられます。一つは、きっかけとなった元首相の銃撃事件があまりにもセンセーショナルだったこと。もう一つは、年長世代の人が霊感商法や芸能人の合同結婚式参加等に対する過熱報道を覚えていたことです。
 
 ワイドショーにとって取り上げやすい問題ということもあります。教団と接点があるのかないのか。今後関係を断つのか断たないのか。そうした二者択一の構図は、かつての郵政民営化が争点となったときと似た構図で、劇場型政治の典型例と言えます。
 
 もちろん旧統一教会の反社会性は大きな問題です。ただ、「旧統一教会が自民党を牛耳っていた」との見方には現状、賛成できません。むしろ、その影響力は限定的だったのではないかと推察します。そもそもその影響力について、他の団体との比較もあまりされていません。政権与党の支持基盤の一つである創価学会の影響力の大きさを考えれば、旧統一教会のそれは相対的に小さくなるはずです。
 

 旧統一教会の反社会性が明るみに出た途端に、接点を持っていた議員らはすぐさま関係を断ち切りました。もしも教団が本当に大きな影響力を持っていれば、そうはできなかったはずです。ほとんどの議員は、関係を断ち切ったところで政治生命の致命傷になるわけではないと判断したからでしょう。
 
 自民党の政策形成のプロセスを考えてみても、旧統一教会が意のままにできるとは思えません。有力な業界団体は多数ありますし、政策形成の過程では、専門の委員会で検討し、最後に総務会でコンセンサスが得られて初めて党としての政策になります。
 
 もしも政治と宗教に対する通俗的な批判が今後も続けば、公明党や創価学会に対する風当たりはさらに厳しくなる可能性があります。今のところ創価学会と公明党はこの件に関しての発信は抑制的ですが、むしろ、人々が政治と宗教に関心を抱いているこの機会を、社会に対するコミュニケーション・チャンスと捉えて、信教の自由や政教分離の原則、宗教の社会的機能などについて、もっと積極的に発信していくべきだと思います。

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