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〈写真特集〉 文豪ゲーテと歩く「永遠の都・ローマ」 2026年6月27日


1786年11月。ゲーテがローマへの第一歩を刻んだポポロ門 1786年11月。ゲーテがローマへの第一歩を刻んだポポロ門
<上>ポポロ門の空は雲一つなかった <下>ポポロ広場の中心に建つ古代エジプトから移設された「フラミニオ・オベリスク」 <上>ポポロ門の空は雲一つなかった <下>ポポロ広場の中心に建つ古代エジプトから移設された「フラミニオ・オベリスク」
ローマ市内に突如姿を現すパンテオンは、ギリシャ語で「あらゆる神々を祭る」を意味する。2000年前に建設されたが、ほぼ当時のまま現存する。訪れたゲーテは「その外も内も、その偉大さのために私の心に喜ばしい尊敬の念を起こさせた」と書き残してる ローマ市内に突如姿を現すパンテオンは、ギリシャ語で「あらゆる神々を祭る」を意味する。2000年前に建設されたが、ほぼ当時のまま現存する。訪れたゲーテは「その外も内も、その偉大さのために私の心に喜ばしい尊敬の念を起こさせた」と書き残してる
<上>パンテオンの頂上部に開いた円形の天窓は、ギリシャ語で目を意味する「オキュラス」と呼ばれる。その直径約9メートルあり、差し込む光は神と人間を繋ぐ象徴とされている <下>パンテオンを支える柱は「コリント式」と呼ばれる建築様式 <上>パンテオンの頂上部に開いた円形の天窓は、ギリシャ語で目を意味する「オキュラス」と呼ばれる。その直径約9メートルあり、差し込む光は神と人間を繋ぐ象徴とされている <下>パンテオンを支える柱は「コリント式」と呼ばれる建築様式
朝日に染まるコロッセオ。高さ48m、周囲527m、5万人を収容したとも言われている。ゲーテは「この円形劇場を眺めると、他のものがすべてまた小さく見えてくる」と、その大きさに圧倒された。巨大な規模を誇ったコロッセオは、今のスタジアムの原型とも言われている 朝日に染まるコロッセオ。高さ48m、周囲527m、5万人を収容したとも言われている。ゲーテは「この円形劇場を眺めると、他のものがすべてまた小さく見えてくる」と、その大きさに圧倒された。巨大な規模を誇ったコロッセオは、今のスタジアムの原型とも言われている

ゲーテがローマ滞在中に宿泊していた家は、現在「ゲーテの家」として見学することができる ゲーテがローマ滞在中に宿泊していた家は、現在「ゲーテの家」として見学することができる
<上>館内には、ゲーテゆかりの品々が展示されている。天井の梁は、ゲーテが滞在中の時のまま保存されている <下>ゲーテの家の前はコルソ通りと呼ばれ、ポポロ広場からヴェネツィア広場を結ぶ観光名所 <上>館内には、ゲーテゆかりの品々が展示されている。天井の梁は、ゲーテが滞在中の時のまま保存されている <下>ゲーテの家の前はコルソ通りと呼ばれ、ポポロ広場からヴェネツィア広場を結ぶ観光名所
古代ローマ帝国の政治や文化、宗教の中心地だった「フォロ・ロマーノ」。凱旋門の奥に見えるのは、パラティーノの丘。ゲーテも丘に登り、古代ローマへの思いを寄せた 古代ローマ帝国の政治や文化、宗教の中心地だった「フォロ・ロマーノ」。凱旋門の奥に見えるのは、パラティーノの丘。ゲーテも丘に登り、古代ローマへの思いを寄せた

1961年10月、欧州を初訪問された池田大作先生もフォロ・ロマーノを訪れている 1961年10月、欧州を初訪問された池田大作先生もフォロ・ロマーノを訪れている
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラからの眺め。ゲーテもローマ滞在中、永遠の都を望んだ バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラからの眺め。ゲーテもローマ滞在中、永遠の都を望んだ
サン・ピエトロ広場。教皇選挙(コンクラーベ)のときは、世界中から集まった信者と観光客が訪れる サン・ピエトロ広場。教皇選挙(コンクラーベ)のときは、世界中から集まった信者と観光客が訪れる
サン・ピエトロ大聖堂を望む サン・ピエトロ大聖堂を望む
<上>ラファエロ作「アテネの学堂」は、創価大学・池田記念講堂の緞帳のモチーフにもなっている <下>バチカン美術館にある「地図のギャラリー」は全長120mにもおよぶ。イタリア全土の地図が展示されている <上>ラファエロ作「アテネの学堂」は、創価大学・池田記念講堂の緞帳のモチーフにもなっている <下>バチカン美術館にある「地図のギャラリー」は全長120mにもおよぶ。イタリア全土の地図が展示されている
古代ローマ時代の面影が残る「アッピア街道」。ローマ帝国最盛期には、全長約8万㎞以上の道路網を築き上げ繁栄の象徴となった。「すべての道はローマに通ずる」とは、アッピア街道を指す。「街道の女王」と称され世界遺産にも登録されている。ローマ滞在を終えたゲーテも、アッピア街道を通りナポリへ向かった 古代ローマ時代の面影が残る「アッピア街道」。ローマ帝国最盛期には、全長約8万㎞以上の道路網を築き上げ繁栄の象徴となった。「すべての道はローマに通ずる」とは、アッピア街道を指す。「街道の女王」と称され世界遺産にも登録されている。ローマ滞在を終えたゲーテも、アッピア街道を通りナポリへ向かった

  • 1786年11月。ゲーテがローマへの第一歩を刻んだポポロ門
  • <上>ポポロ門の空は雲一つなかった <下>ポポロ広場の中心に建つ古代エジプトから移設された「フラミニオ・オベリスク」
  • ローマ市内に突如姿を現すパンテオンは、ギリシャ語で「あらゆる神々を祭る」を意味する。2000年前に建設されたが、ほぼ当時のまま現存する。訪れたゲーテは「その外も内も、その偉大さのために私の心に喜ばしい尊敬の念を起こさせた」と書き残してる
  • <上>パンテオンの頂上部に開いた円形の天窓は、ギリシャ語で目を意味する「オキュラス」と呼ばれる。その直径約9メートルあり、差し込む光は神と人間を繋ぐ象徴とされている <下>パンテオンを支える柱は「コリント式」と呼ばれる建築様式
  • 朝日に染まるコロッセオ。高さ48m、周囲527m、5万人を収容したとも言われている。ゲーテは「この円形劇場を眺めると、他のものがすべてまた小さく見えてくる」と、その大きさに圧倒された。巨大な規模を誇ったコロッセオは、今のスタジアムの原型とも言われている
  • ゲーテがローマ滞在中に宿泊していた家は、現在「ゲーテの家」として見学することができる
  • <上>館内には、ゲーテゆかりの品々が展示されている。天井の梁は、ゲーテが滞在中の時のまま保存されている <下>ゲーテの家の前はコルソ通りと呼ばれ、ポポロ広場からヴェネツィア広場を結ぶ観光名所
  • 古代ローマ帝国の政治や文化、宗教の中心地だった「フォロ・ロマーノ」。凱旋門の奥に見えるのは、パラティーノの丘。ゲーテも丘に登り、古代ローマへの思いを寄せた
  • 1961年10月、欧州を初訪問された池田大作先生もフォロ・ロマーノを訪れている
  • バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラからの眺め。ゲーテもローマ滞在中、永遠の都を望んだ
  • サン・ピエトロ広場。教皇選挙(コンクラーベ)のときは、世界中から集まった信者と観光客が訪れる
  • サン・ピエトロ大聖堂を望む
  • <上>ラファエロ作「アテネの学堂」は、創価大学・池田記念講堂の緞帳のモチーフにもなっている <下>バチカン美術館にある「地図のギャラリー」は全長120mにもおよぶ。イタリア全土の地図が展示されている
  • 古代ローマ時代の面影が残る「アッピア街道」。ローマ帝国最盛期には、全長約8万㎞以上の道路網を築き上げ繁栄の象徴となった。「すべての道はローマに通ずる」とは、アッピア街道を指す。「街道の女王」と称され世界遺産にも登録されている。ローマ滞在を終えたゲーテも、アッピア街道を通りナポリへ向かった

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