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〈地球民族主義の時代を〉
〈地球民族主義の時代を〉
2026年2月11日
- 人間という原点に立ち返れ
- 国家主義の倒錯を看破せよ
- 人間という原点に立ち返れ
- 国家主義の倒錯を看破せよ
東西の「冷戦」が激化する、1952年(昭和27年)2月17日、青年部の研究発表会に出席した戸田城聖先生は、「私自身の思想を述べておく」と前置きした上で、それは共産主義でもなければ資本主義でもなく、「結局は地球民族主義であります」と宣言した。“人類は一つの民族として、あらゆる差異を超え、共に平和と繁栄の未来を開いていくべきである”――それが恩師の考えだった。発表当時、多くの人々が夢物語だと笑った。だが、不二の弟子である池田大作先生は、恩師の心を胸に世界を駆けた。ここでは、戸田先生の生誕の日である2月11日を記念して、「地球民族主義」の理念と師弟の軌跡に学びたい。
東西の「冷戦」が激化する、1952年(昭和27年)2月17日、青年部の研究発表会に出席した戸田城聖先生は、「私自身の思想を述べておく」と前置きした上で、それは共産主義でもなければ資本主義でもなく、「結局は地球民族主義であります」と宣言した。“人類は一つの民族として、あらゆる差異を超え、共に平和と繁栄の未来を開いていくべきである”――それが恩師の考えだった。発表当時、多くの人々が夢物語だと笑った。だが、不二の弟子である池田大作先生は、恩師の心を胸に世界を駆けた。ここでは、戸田先生の生誕の日である2月11日を記念して、「地球民族主義」の理念と師弟の軌跡に学びたい。
地球民族主義の信条を語る戸田先生(内田健一郎画)
地球民族主義の信条を語る戸田先生(内田健一郎画)
1952年の2月。池田大作先生が蒲田支部幹事として、75万世帯への突破口を開いた「二月闘争」の最中だった。17日、男女青年部の研究発表会が東京・墨田区内で開かれた。池田先生は男子部の班長として参加している。
代表20人が「信心すると大善生活ができる理由」「宗教と科学の関係」などの設問に5分以内で答えた。講評に立った戸田城聖先生は、初めて「地球民族主義」という信条を明かした。
男女青年部は前年7月に誕生したばかりで、部員数も多くなかった。だが、恩師が青年たちに示したビジョンは雄大だった。
当時、世界では朝鮮戦争など冷戦の対立が激化し、第3次世界大戦の危機さえはらんでいた。池田先生は恩師の思いを深く心に刻み、その実現へ向けて思索を重ねていく。のちに先生は述懐する。
「恩師は、この深刻な対立を止揚する、平和と共生の指標として、“地球民族主義”を提唱されたのであろう。それは、まさに『人間という原点に立ち返れ!』『世界市民の精神に目覚めよ!』との警世の叫びであった」
戸田先生の「地球民族主義」。その背景には、2年間にわたる獄中闘争があった。
太平洋戦争において、「国家のため」という美名のもとに、多くの民衆が犠牲になった。牧口常三郎先生と戸田先生は、その「国家悪」と戦い、牧口先生は獄死した。
池田先生は小説『人間革命』第5巻「驀進」の章で、52年2月17日の恩師の叫びを通し、国家悪について言及。戦争を容認する国家主義の論理を鋭く糾弾する。
「仏法は、人間の原理を根本的に説いたものであって、国家の原理は、いわば従となっている。しかし、これまでの世界の国家観は、国家を主として、人間を従に置いてきた。この倒錯を、戸田は看破したのである。この主従の倒錯の転換は、また、二十世紀から二十一世紀への、最大の課題と、必ずなるであろう」
1952年の2月。池田大作先生が蒲田支部幹事として、75万世帯への突破口を開いた「二月闘争」の最中だった。17日、男女青年部の研究発表会が東京・墨田区内で開かれた。池田先生は男子部の班長として参加している。
代表20人が「信心すると大善生活ができる理由」「宗教と科学の関係」などの設問に5分以内で答えた。講評に立った戸田城聖先生は、初めて「地球民族主義」という信条を明かした。
男女青年部は前年7月に誕生したばかりで、部員数も多くなかった。だが、恩師が青年たちに示したビジョンは雄大だった。
当時、世界では朝鮮戦争など冷戦の対立が激化し、第3次世界大戦の危機さえはらんでいた。池田先生は恩師の思いを深く心に刻み、その実現へ向けて思索を重ねていく。のちに先生は述懐する。
「恩師は、この深刻な対立を止揚する、平和と共生の指標として、“地球民族主義”を提唱されたのであろう。それは、まさに『人間という原点に立ち返れ!』『世界市民の精神に目覚めよ!』との警世の叫びであった」
戸田先生の「地球民族主義」。その背景には、2年間にわたる獄中闘争があった。
太平洋戦争において、「国家のため」という美名のもとに、多くの民衆が犠牲になった。牧口常三郎先生と戸田先生は、その「国家悪」と戦い、牧口先生は獄死した。
池田先生は小説『人間革命』第5巻「驀進」の章で、52年2月17日の恩師の叫びを通し、国家悪について言及。戦争を容認する国家主義の論理を鋭く糾弾する。
「仏法は、人間の原理を根本的に説いたものであって、国家の原理は、いわば従となっている。しかし、これまでの世界の国家観は、国家を主として、人間を従に置いてきた。この倒錯を、戸田は看破したのである。この主従の倒錯の転換は、また、二十世紀から二十一世紀への、最大の課題と、必ずなるであろう」
1972年5月、池田先生がトインビー博士と語らう(イギリス・ロンドンで、齋藤康一氏撮影)。人類の明日を見つめた対談は、『21世紀への対話』(邦題)として結実。博士は述べた。「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
1972年5月、池田先生がトインビー博士と語らう(イギリス・ロンドンで、齋藤康一氏撮影)。人類の明日を見つめた対談は、『21世紀への対話』(邦題)として結実。博士は述べた。「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
人類を一つに結ぶ生命哲学
人類を一つに結ぶ生命哲学
「地球民族主義」を世界の時代精神に――池田先生の行動は、この信念に貫かれていた。
第3代会長に就任した先生は、60年(昭和35年)10月2日、世界平和の旅に出発。以来、民衆と民衆の心を結び、世界中に“対話の橋”を架けていった。
中国とソ連の紛争が深刻化していた74年(同49年)、5月に初訪中すると、9月にはソ連を初訪問し、コスイギン首相と会談。ソ連は中国を攻めることはないとの発言を引き出すと、12月に再び中国へ渡り、首相の意向を中国首脳らに伝えた。さらに、翌75年(同50年)1月の訪米の折には、キッシンジャー国務長官と会談し、中東問題の解決に向けた提言を手渡した。
先生は半世紀以上にわたって世界の指導者・識者と交流を重ねた。欧州統合の父と謳われるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵とは、世界平和が大きな主題になった。先生は強調した。
「国家間の対立を止揚するものがなければ、第3次大戦は阻止できないかもしれません。この、あらゆる対立を超えさせるものを、人類の精神の中に構築しなければならないと思います」
「つまり、地球民族としての普遍的な精神を打ち立てなければならないと思います」
また、20世紀を代表するイギリスの歴史家アーノルド・J・トインビー博士とは、21世紀への課題として、世界統合化への道について論じ合った。
先生は、この統一が決して力の行使によってなされるのではなく、自発的なものでなくてはならないと指摘。そして、統合化のためには人類の一体感が形成される必要があり、「世界の諸民族を一つに結ぶ宗教ないし哲学が必要である」と強調した。
創価の連帯は、異なる価値観の人々を結び、各国・地域で“良き市民”として、社会的使命を果たしてきた。その源流には日蓮仏法という原点に立脚した人間主義の哲学がある。
戸田先生が「地球民族主義」を訴えた当時、池田先生は恩師と共に御書の一節を拝している。
「我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり」(新345・全403)――我が身には、もともと、自分自身の仏界とともに、一切衆生の仏界までも具わっているのである――この日蓮大聖人の仰せのままに、差別を排し、一人一人の尊厳を守り、生かす地道な学会活動こそ、社会を強く、豊かにする王道である。
94年(平成6年)の学会創立記念日に、先生は語っている。
「……日夜、広布のために苦労を重ねている学会員が、どれほど尊いか。どれほど大切な方々か。
この崇高な創価学会さえ盤石であれば、一切が盤石である。広宣流布が進む。平和が進む。文化が進む。教育が進む。ヒューマニズムが拡大し、地球民族主義が拡大していく。国家悪を乗り越えていける」
「地球民族主義」の理念は、激動の時代にあって、ますます光彩を放つ。世界に人間共和の理想郷を築くまで、我らの歩みは続く。
「地球民族主義」を世界の時代精神に――池田先生の行動は、この信念に貫かれていた。
第3代会長に就任した先生は、60年(昭和35年)10月2日、世界平和の旅に出発。以来、民衆と民衆の心を結び、世界中に“対話の橋”を架けていった。
中国とソ連の紛争が深刻化していた74年(同49年)、5月に初訪中すると、9月にはソ連を初訪問し、コスイギン首相と会談。ソ連は中国を攻めることはないとの発言を引き出すと、12月に再び中国へ渡り、首相の意向を中国首脳らに伝えた。さらに、翌75年(同50年)1月の訪米の折には、キッシンジャー国務長官と会談し、中東問題の解決に向けた提言を手渡した。
先生は半世紀以上にわたって世界の指導者・識者と交流を重ねた。欧州統合の父と謳われるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵とは、世界平和が大きな主題になった。先生は強調した。
「国家間の対立を止揚するものがなければ、第3次大戦は阻止できないかもしれません。この、あらゆる対立を超えさせるものを、人類の精神の中に構築しなければならないと思います」
「つまり、地球民族としての普遍的な精神を打ち立てなければならないと思います」
また、20世紀を代表するイギリスの歴史家アーノルド・J・トインビー博士とは、21世紀への課題として、世界統合化への道について論じ合った。
先生は、この統一が決して力の行使によってなされるのではなく、自発的なものでなくてはならないと指摘。そして、統合化のためには人類の一体感が形成される必要があり、「世界の諸民族を一つに結ぶ宗教ないし哲学が必要である」と強調した。
創価の連帯は、異なる価値観の人々を結び、各国・地域で“良き市民”として、社会的使命を果たしてきた。その源流には日蓮仏法という原点に立脚した人間主義の哲学がある。
戸田先生が「地球民族主義」を訴えた当時、池田先生は恩師と共に御書の一節を拝している。
「我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり」(新345・全403)――我が身には、もともと、自分自身の仏界とともに、一切衆生の仏界までも具わっているのである――この日蓮大聖人の仰せのままに、差別を排し、一人一人の尊厳を守り、生かす地道な学会活動こそ、社会を強く、豊かにする王道である。
94年(平成6年)の学会創立記念日に、先生は語っている。
「……日夜、広布のために苦労を重ねている学会員が、どれほど尊いか。どれほど大切な方々か。
この崇高な創価学会さえ盤石であれば、一切が盤石である。広宣流布が進む。平和が進む。文化が進む。教育が進む。ヒューマニズムが拡大し、地球民族主義が拡大していく。国家悪を乗り越えていける」
「地球民族主義」の理念は、激動の時代にあって、ますます光彩を放つ。世界に人間共和の理想郷を築くまで、我らの歩みは続く。
1974年6月、第1次訪中の折、北京市内の中学校で“未来の宝”を激励。「日本の青少年に友情の気持ちを伝えてください」と生徒たち。池田先生は「必ずそうします。皆さんもいつの日か必ず日本に来てください」と応えた
1974年6月、第1次訪中の折、北京市内の中学校で“未来の宝”を激励。「日本の青少年に友情の気持ちを伝えてください」と生徒たち。池田先生は「必ずそうします。皆さんもいつの日か必ず日本に来てください」と応えた