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世界に、たった一つの「中心」はあるのか? 〈スタートライン〉
世界に、たった一つの「中心」はあるのか? 〈スタートライン〉
2026年4月12日
- 写真家 竹沢うるまさん
- 写真集「Boundary|中心」を出版
- 写真家 竹沢うるまさん
- 写真集「Boundary|中心」を出版
世界100カ国以上を訪れ、自然と人間が密接に関わる営みをカメラに収めてきた写真家の竹沢うるまさん。人々との交流を通じて、多様な価値観に触れてきたという。ファインダー越しに世界を見つめてきた竹沢さんの人間観を聞いた。
世界100カ国以上を訪れ、自然と人間が密接に関わる営みをカメラに収めてきた写真家の竹沢うるまさん。人々との交流を通じて、多様な価値観に触れてきたという。ファインダー越しに世界を見つめてきた竹沢さんの人間観を聞いた。
ベナン共和国・サケテ
ベナン共和国・サケテ
ベナン共和国・ドボ
ベナン共和国・ドボ
「今」を生きる人々
「今」を生きる人々
――竹沢さんは「大地」をテーマに写真を撮影されています。
僕が「大地」と呼んでいるものには、自然と密接に関わりながら、その地域の文化や伝統を大切にして生きる人々も含まれています。世界各地を旅してきましたが、特にアフリカに滞在した1年で、それを強く意識しました。
出会った人たちは、経済的な理由もありますが、今日明日を「生きるか、死ぬか」で日々の行動を判断していた。しかも「イエスか、ノーか」と、とてもシンプルなんです。
私たち日本人だと、豊かに生きるために、先の事を考えて、ああだこうだと悩んだりする。それは未来にも命があるのが前提です。でも彼らはそうではない。未来とか過去とかではなく、「今」を生きている。
最初の2、3カ月はそれが分からず、しんどかったのですが、理解できた瞬間、本当に楽しくなって、自然と共に生きる彼らの生きざまが、すごく美しく見えたのです。何かを思い悩んだ表情じゃない。「今」から、「今の環境」から生まれてくる表情で、とても美しいなと。
それで、自然と関係を結びながら文化や伝統を連綿とはぐくむ、その営みに名前を付けるなら、「大地」だと考えたのです。そして、自然の一部として存在している人間の表情は、「大地の表情」と呼べるのではないかと。僕は彼らの中に「大地」を見ていたのです。
――竹沢さんは「大地」をテーマに写真を撮影されています。
僕が「大地」と呼んでいるものには、自然と密接に関わりながら、その地域の文化や伝統を大切にして生きる人々も含まれています。世界各地を旅してきましたが、特にアフリカに滞在した1年で、それを強く意識しました。
出会った人たちは、経済的な理由もありますが、今日明日を「生きるか、死ぬか」で日々の行動を判断していた。しかも「イエスか、ノーか」と、とてもシンプルなんです。
私たち日本人だと、豊かに生きるために、先の事を考えて、ああだこうだと悩んだりする。それは未来にも命があるのが前提です。でも彼らはそうではない。未来とか過去とかではなく、「今」を生きている。
最初の2、3カ月はそれが分からず、しんどかったのですが、理解できた瞬間、本当に楽しくなって、自然と共に生きる彼らの生きざまが、すごく美しく見えたのです。何かを思い悩んだ表情じゃない。「今」から、「今の環境」から生まれてくる表情で、とても美しいなと。
それで、自然と関係を結びながら文化や伝統を連綿とはぐくむ、その営みに名前を付けるなら、「大地」だと考えたのです。そして、自然の一部として存在している人間の表情は、「大地の表情」と呼べるのではないかと。僕は彼らの中に「大地」を見ていたのです。
竹沢さんの写真集『Boundary|中心』(青幻舎)
竹沢さんの写真集『Boundary|中心』(青幻舎)
――今回、写真集『Boundary|中心』を出版されました。どんな思いを込めたのですか。
僕の写真を手に取る人に、「世界の中心とは、一体どこにあるのか」を問いかけたかった。
以前、「境界」をテーマにした写真集を出版しました。私たちが「境界」だと考えている人種や国境、イデオロギーといったものは何だろうという問題意識です。
人はどうして自分や他者の間に「境界」をつくるのか。行き着いた結論は、誰もがそれぞれの「中心」を持っていて、それが衝突するところに「境界」が生まれる、ということです。だからその原因となる「中心」とは何かを考える必要があるんじゃないか。そこから今作は始まっています。
この写真集の意図は問いかけにあって、答えは用意していません。作品を見て、何を感じても構いません。ただ、一度立ち止まって、考えてみてほしいのです。
――いわゆる“へき地”で撮られた写真が多く、印象に残りました。
“へき地”という言葉は、自分たちが住んでいる場所から相対的に遠い場所という意味に過ぎません。そこで暮らす人たちから見たら日本だって“へき地”です。
私たちには私たちの文化や生活様式、いわば「中心」があるように、彼らには彼らにとっての「中心」がある。そう考えると、やはり世界には、たった一つの「中心」なんて存在しない。
自分たちから物理的、文化的に離れた地域に行くほど、そして、より遠い価値観、自分たちの常識の範囲外の価値観を持っている人たちに会うほど、世界に一つの「中心」など存在しないことが、よりはっきりと感じられるのです。
――今回、写真集『Boundary|中心』を出版されました。どんな思いを込めたのですか。
僕の写真を手に取る人に、「世界の中心とは、一体どこにあるのか」を問いかけたかった。
以前、「境界」をテーマにした写真集を出版しました。私たちが「境界」だと考えている人種や国境、イデオロギーといったものは何だろうという問題意識です。
人はどうして自分や他者の間に「境界」をつくるのか。行き着いた結論は、誰もがそれぞれの「中心」を持っていて、それが衝突するところに「境界」が生まれる、ということです。だからその原因となる「中心」とは何かを考える必要があるんじゃないか。そこから今作は始まっています。
この写真集の意図は問いかけにあって、答えは用意していません。作品を見て、何を感じても構いません。ただ、一度立ち止まって、考えてみてほしいのです。
――いわゆる“へき地”で撮られた写真が多く、印象に残りました。
“へき地”という言葉は、自分たちが住んでいる場所から相対的に遠い場所という意味に過ぎません。そこで暮らす人たちから見たら日本だって“へき地”です。
私たちには私たちの文化や生活様式、いわば「中心」があるように、彼らには彼らにとっての「中心」がある。そう考えると、やはり世界には、たった一つの「中心」なんて存在しない。
自分たちから物理的、文化的に離れた地域に行くほど、そして、より遠い価値観、自分たちの常識の範囲外の価値観を持っている人たちに会うほど、世界に一つの「中心」など存在しないことが、よりはっきりと感じられるのです。
インド・ラダック
インド・ラダック
インド・ラジャスタン
インド・ラジャスタン
人間は「共感する生き物」
人間は「共感する生き物」
――世界中で多くの人と出会いを重ねてきた竹沢さんにとって、「人間」とはいかなる存在ですか。
一言で表すなら「共感する生き物」かなと思っています。他者や自然と関わりを持つ相互依存的な存在ですが、一方で、「中心」を持ち、「境界」をつくることからも逃れられない。
それをコミュニケーションを通して理解し、互いの価値観を受け入れれば、異なる者同士、同じ地平に立てるんじゃないでしょうか。相手を許容しなければ、自分も受け入れられないですよね。
そのためにも僕は、どんな人にも「敬意」を持つことを大切にしています。写真を撮る際も、相手を被写体としてのみ認識するのではなく、対等な一人の人間だという敬意を持ち、考えや生き方を尊重します。すると、そこにある壁みたいなものがなくなり、スッと場に入れたり、自然と写真が撮れたりします。
――改めてですが、表現者として写真にこだわるのはなぜですか。
僕は写真家の役割として、「車窓」のような存在でありたいと思っています。僕が訪れた場所を車窓の風景のように見てもらいたい。そこからいろんな気づきが生まれたらいいなと。
写真は現実の世界の一部分だけを切り取る、非常に“不自由な媒体”です。絵画や音楽、彫刻など世界に存在しない何かを生み出せるものと違い、現実にあるものという制約に縛られている。
しかも、写っているものは世界のほんの一部の情報でしかなく、いわば“欠落している情報”です。だから見る人は写っていない部分を想像しないといけない。それもまた、写真の面白いところです。
写っているものと、写っていないものへの想像という両者がつくるメディアであるところに、写真の可能性がある。だから僕の撮った写真を見て、自由にいろんなことを想像して世界を広げてもらえたら、うれしいです。
――世界中で多くの人と出会いを重ねてきた竹沢さんにとって、「人間」とはいかなる存在ですか。
一言で表すなら「共感する生き物」かなと思っています。他者や自然と関わりを持つ相互依存的な存在ですが、一方で、「中心」を持ち、「境界」をつくることからも逃れられない。
それをコミュニケーションを通して理解し、互いの価値観を受け入れれば、異なる者同士、同じ地平に立てるんじゃないでしょうか。相手を許容しなければ、自分も受け入れられないですよね。
そのためにも僕は、どんな人にも「敬意」を持つことを大切にしています。写真を撮る際も、相手を被写体としてのみ認識するのではなく、対等な一人の人間だという敬意を持ち、考えや生き方を尊重します。すると、そこにある壁みたいなものがなくなり、スッと場に入れたり、自然と写真が撮れたりします。
――改めてですが、表現者として写真にこだわるのはなぜですか。
僕は写真家の役割として、「車窓」のような存在でありたいと思っています。僕が訪れた場所を車窓の風景のように見てもらいたい。そこからいろんな気づきが生まれたらいいなと。
写真は現実の世界の一部分だけを切り取る、非常に“不自由な媒体”です。絵画や音楽、彫刻など世界に存在しない何かを生み出せるものと違い、現実にあるものという制約に縛られている。
しかも、写っているものは世界のほんの一部の情報でしかなく、いわば“欠落している情報”です。だから見る人は写っていない部分を想像しないといけない。それもまた、写真の面白いところです。
写っているものと、写っていないものへの想像という両者がつくるメディアであるところに、写真の可能性がある。だから僕の撮った写真を見て、自由にいろんなことを想像して世界を広げてもらえたら、うれしいです。
モンゴル・フブスグル
モンゴル・フブスグル
モンゴル・フブスグル
モンゴル・フブスグル
●プロフィル
●プロフィル
たけざわ・うるま 1977年生まれ。2004年にカメラマンとして独立し、14年に第3回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。21年に「境界」をテーマにアイスランドの「大地」を捉えた写真と、詩人・谷川俊太郎さんの文が掲載された写真集『Boundary|境界』を出版。国内外で写真集や展示会を通して作品を発表している。大阪芸術大学客員教授。
竹沢さんのホームページはこちら
たけざわ・うるま 1977年生まれ。2004年にカメラマンとして独立し、14年に第3回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。21年に「境界」をテーマにアイスランドの「大地」を捉えた写真と、詩人・谷川俊太郎さんの文が掲載された写真集『Boundary|境界』を出版。国内外で写真集や展示会を通して作品を発表している。大阪芸術大学客員教授。
竹沢さんのホームページはこちら
●インタビューを読んだ感想は、
こちらからお寄せください。
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【記事】外﨑拓也
【写真】伊野光、作品は竹沢さん提供
【記事】外﨑拓也
【写真】伊野光、作品は竹沢さん提供