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〈信仰体験〉 チェスで広げる居場所づくり
〈信仰体験〉 チェスで広げる居場所づくり
2026年5月27日
- 勝つことより 楽しむ喜び
- 勝つことより 楽しむ喜び
【埼玉県飯能市】中学校には、ほとんど通わなかった。高校も、2週間で挫折した。ずっと自宅で過ごしていた峯岸清久さん(54)=創価長(ブロック長)=は、18歳のある日、JR上野駅近くの公園に向かった。小脇にチェス盤を携えて――。
【埼玉県飯能市】中学校には、ほとんど通わなかった。高校も、2週間で挫折した。ずっと自宅で過ごしていた峯岸清久さん(54)=創価長(ブロック長)=は、18歳のある日、JR上野駅近くの公園に向かった。小脇にチェス盤を携えて――。
将棋より盤面は狭いが、駒の動きが大きいのがチェスの特徴。「劣勢を覆すチャンスが常にあります」と峯岸さんは魅力を語る
将棋より盤面は狭いが、駒の動きが大きいのがチェスの特徴。「劣勢を覆すチャンスが常にあります」と峯岸さんは魅力を語る
1990年(平成2年)、初夏の過ごしやすい平日の午後だった。峯岸さんはベンチに座ると、おもむろにチェス盤を取り出す。物珍しそうに見てくる通行人の視線を感じつつ、テーブルに駒を並べる。
しばらくすると、外国人が笑顔で近づいてきた。身ぶり手ぶりで、“一局どう?”。
いざ対局。相手は相当の手だれだろう。汗を拭うのも忘れ、盤上をうかがい、一手を放つ。互角の熱戦に、次第に人だかりができる。
勝負は一閃。わずかに届かなかった。峯岸さんは唇をかみ締め、投了の合図に手を差し出す。ぎゅっと握り返されると、いつの間にか旧知の仲のような距離感になる。
無鉄砲のようだが、峯岸さんは笑って振り返る。
「強い相手と戦いたくて、無我夢中でした」
1990年(平成2年)、初夏の過ごしやすい平日の午後だった。峯岸さんはベンチに座ると、おもむろにチェス盤を取り出す。物珍しそうに見てくる通行人の視線を感じつつ、テーブルに駒を並べる。
しばらくすると、外国人が笑顔で近づいてきた。身ぶり手ぶりで、“一局どう?”。
いざ対局。相手は相当の手だれだろう。汗を拭うのも忘れ、盤上をうかがい、一手を放つ。互角の熱戦に、次第に人だかりができる。
勝負は一閃。わずかに届かなかった。峯岸さんは唇をかみ締め、投了の合図に手を差し出す。ぎゅっと握り返されると、いつの間にか旧知の仲のような距離感になる。
無鉄砲のようだが、峯岸さんは笑って振り返る。
「強い相手と戦いたくて、無我夢中でした」
学校に通えなくなった理由は言葉にすると難しい。ただ、同級生に合わせて話すことに、気疲れしていた。
学校に通ってほしいと願う母とは気持ちがすれ違い、会話も減っていった。
ある日、自室のドアの向こうから、母が誰かとしゃべっているような声に気付いた。
どうやら題目をあげているよう。途中、涙をこらえるように声が詰まるのが伝わった。
“俺のこと祈ってる?”。母の気持ちは痛いほど分かった。その日を境に、母子の会話が少しずつ戻っていった。
1年、2年とたち、母は一緒に散歩やトランプをしてくれるように。明るくなった母の姿に、“自分も変わりたい”と、おのずと御本尊に向かうようになった。
その頃、新聞の折り込み広告でチェスのゲーム機を目にした。買ってもらうと、ぐいぐいと引き込まれ、数カ月で、コンピューター相手では物足りなくなった。都内のチェスクラブに顔を出すようになり、朝から晩までチェス盤にかじりつく。
チェスに造詣が深いイランの人たちが、上野公園でしのぎを削っていると聞いた。自宅から、電車で1時間ほど。チェス盤を抱え、相手を探しては対局するように。言語は違っても、一手一手が無言の対話。「武者修行のようでした」
めきめきと実力を付けた峯岸さんは、20歳でユースの国際大会予選に出場。格上を相手に次々と競り勝ち、日本代表チームの一人に。ブラジルでの本大会に出場した。
チームメートは東大生など、優秀な人ばかり。「家にこもっていた自分が肩を並べる。不思議な感じでした(笑)」。この経験が自信となり、信心を深めるきっかけとなった。
学校に通えなくなった理由は言葉にすると難しい。ただ、同級生に合わせて話すことに、気疲れしていた。
学校に通ってほしいと願う母とは気持ちがすれ違い、会話も減っていった。
ある日、自室のドアの向こうから、母が誰かとしゃべっているような声に気付いた。
どうやら題目をあげているよう。途中、涙をこらえるように声が詰まるのが伝わった。
“俺のこと祈ってる?”。母の気持ちは痛いほど分かった。その日を境に、母子の会話が少しずつ戻っていった。
1年、2年とたち、母は一緒に散歩やトランプをしてくれるように。明るくなった母の姿に、“自分も変わりたい”と、おのずと御本尊に向かうようになった。
その頃、新聞の折り込み広告でチェスのゲーム機を目にした。買ってもらうと、ぐいぐいと引き込まれ、数カ月で、コンピューター相手では物足りなくなった。都内のチェスクラブに顔を出すようになり、朝から晩までチェス盤にかじりつく。
チェスに造詣が深いイランの人たちが、上野公園でしのぎを削っていると聞いた。自宅から、電車で1時間ほど。チェス盤を抱え、相手を探しては対局するように。言語は違っても、一手一手が無言の対話。「武者修行のようでした」
めきめきと実力を付けた峯岸さんは、20歳でユースの国際大会予選に出場。格上を相手に次々と競り勝ち、日本代表チームの一人に。ブラジルでの本大会に出場した。
チームメートは東大生など、優秀な人ばかり。「家にこもっていた自分が肩を並べる。不思議な感じでした(笑)」。この経験が自信となり、信心を深めるきっかけとなった。
自ら立ち上げた「飯能チェスクラブ」の会場となるカフェで。「協力してくれる皆さまに、感謝は尽きないです」と峯岸さん㊨
自ら立ち上げた「飯能チェスクラブ」の会場となるカフェで。「協力してくれる皆さまに、感謝は尽きないです」と峯岸さん㊨
大学の特修生制度を経て、92年、創価大学の通信教育部へ。
入学式の席上、創立者・池田先生が呼びかけた。「悲しいこと、つらいこと、いやなことがあっても、その時こそ、自分を大きく、豊かにするための滋養であり、チャンスと受け止めていただきたい」と。
峯岸さんの心は燃え立った。「自分の経験が役に立つのなら」と、猛勉強の末、教育学部に編入。卒業後は、国家資格取得のために専門学校にも通い、創設されたばかりだった精神保健福祉士の資格を取得。病院の精神科に就職した。
いつしかチェスからは遠ざかっていった。
職場の人間関係で苦しんだこともあった。31歳で結婚し、双子を授かった。
だが、不登校に――。
峯岸さんは、かつての母の姿を思い出した。“変わるのは自分の方なんだ”と、祈りを重ねていった。
8年前、思い切って自然豊かな飯能市に転居。すると子どもたちも、自分らしく自立の道を歩み出すようになった。
“チェス熱”が再燃したのは5年前。図書館で、かつてお世話になったプレーヤーが書いたチェスの本に触れたこと。そしてスマホのアプリで、海外ユーザーと対戦したことがきっかけだった。
「やっぱりゲームだけじゃ、物足りなくて」。脳裏には18歳の自分がいた。
「蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」(新43・全31)。自らが善縁となり、上野の公園みたいな場所がつくれたら――。
大学の特修生制度を経て、92年、創価大学の通信教育部へ。
入学式の席上、創立者・池田先生が呼びかけた。「悲しいこと、つらいこと、いやなことがあっても、その時こそ、自分を大きく、豊かにするための滋養であり、チャンスと受け止めていただきたい」と。
峯岸さんの心は燃え立った。「自分の経験が役に立つのなら」と、猛勉強の末、教育学部に編入。卒業後は、国家資格取得のために専門学校にも通い、創設されたばかりだった精神保健福祉士の資格を取得。病院の精神科に就職した。
いつしかチェスからは遠ざかっていった。
職場の人間関係で苦しんだこともあった。31歳で結婚し、双子を授かった。
だが、不登校に――。
峯岸さんは、かつての母の姿を思い出した。“変わるのは自分の方なんだ”と、祈りを重ねていった。
8年前、思い切って自然豊かな飯能市に転居。すると子どもたちも、自分らしく自立の道を歩み出すようになった。
“チェス熱”が再燃したのは5年前。図書館で、かつてお世話になったプレーヤーが書いたチェスの本に触れたこと。そしてスマホのアプリで、海外ユーザーと対戦したことがきっかけだった。
「やっぱりゲームだけじゃ、物足りなくて」。脳裏には18歳の自分がいた。
「蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」(新43・全31)。自らが善縁となり、上野の公園みたいな場所がつくれたら――。
妻・由美子さん㊧と
妻・由美子さん㊧と
2021年(令和3年)11月、「飯能チェスクラブ」を立ち上げる。SNSで参加者を募ると、予想外に大きな反響が。
開催場所はカフェや古民家、エスニック料理店などユニークだ。「チェスを知らない人の目に、少しでも触れたらいいなと思って」。食事を楽しんでいた一般客が対局を覗き込んでくると、心でガッツポーズが出る。
時に、悩みを抱える人が参加してくることもある。
将棋が好きというその男性に、峯岸さんはチェス盤を挟みながら、ルールの違いやゲームの魅力を伝えていった。
最初は無表情だった彼の目に、徐々に光が差すのが分かる。対局を終えると、力強く握手した。後日、彼が元気を取り戻したと、うれしい知らせが届いた。
30年ぶりにチェス盤に向かい、感じる変化があった。「負けても楽しいんですよ」。かつては勝つことが全てだったが、今は対局そのものがうれしい。
だから、対局後の感想戦には時間を使う。互いに盤面を振り返りながら、光る一手が相手から浮かぶことも。思わぬ発想を、惜しみなくたたえ合う。
一人から始まったクラブも、県外、海外の参加者も訪れ、大会で結果を出すメンバーも出始めた。
「ここが誰かの『世界の入り口』になれたらなって」
“チェス愛”が止まらない峯岸さん。誰もがウェルカムな居場所を目指し、新たなチャレンジャーを心待ちにしている。
2021年(令和3年)11月、「飯能チェスクラブ」を立ち上げる。SNSで参加者を募ると、予想外に大きな反響が。
開催場所はカフェや古民家、エスニック料理店などユニークだ。「チェスを知らない人の目に、少しでも触れたらいいなと思って」。食事を楽しんでいた一般客が対局を覗き込んでくると、心でガッツポーズが出る。
時に、悩みを抱える人が参加してくることもある。
将棋が好きというその男性に、峯岸さんはチェス盤を挟みながら、ルールの違いやゲームの魅力を伝えていった。
最初は無表情だった彼の目に、徐々に光が差すのが分かる。対局を終えると、力強く握手した。後日、彼が元気を取り戻したと、うれしい知らせが届いた。
30年ぶりにチェス盤に向かい、感じる変化があった。「負けても楽しいんですよ」。かつては勝つことが全てだったが、今は対局そのものがうれしい。
だから、対局後の感想戦には時間を使う。互いに盤面を振り返りながら、光る一手が相手から浮かぶことも。思わぬ発想を、惜しみなくたたえ合う。
一人から始まったクラブも、県外、海外の参加者も訪れ、大会で結果を出すメンバーも出始めた。
「ここが誰かの『世界の入り口』になれたらなって」
“チェス愛”が止まらない峯岸さん。誰もがウェルカムな居場所を目指し、新たなチャレンジャーを心待ちにしている。
真剣さの中にも、クラブにはいつも楽しさがあふれる
真剣さの中にも、クラブにはいつも楽しさがあふれる