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〈Seikyo Gift〉 スマイル自分らしく ステージ4の乳がん 「完治」を目指し闘う〈信仰体験〉 2022年10月2日

  • 誓願の祈りが病魔を破る

 沖縄県南城市の西原晴野さん(48)=支部副女性部長=が「ステージ4の乳がん」と診断されたのは、2015年(平成27年)2月のことだった。
  
 診断書には「右乳がん 転移性多発肝転移 右腋窩リンパ節転移」。授乳中は乳腺が厚みを増すため、検診で病変を見つけにくくなる。
  
 西原さんは定期的に受けていた人間ドックで肝転移が見つかり、その後の検査で原発が乳がんと判明した。
  
 当時、長女・美樹さんは3歳、長男・英輝君は生後10カ月。
 “この子たちを遺して逝けない”
  
 不安や恐怖を振り払うように、ひたぶるに祈り、夫・ユージン正義さん(42)=壮年部員=と共に病魔と闘ってきた。(8月27日付)

肝臓への転移 HER2陽性乳がん

 〈肝臓に23ミリの影がある〉
 人間ドックで、私の肝臓に腫瘍が見つかった。3カ月後の精密検査の結果、腫瘍は48ミリにまで大きく広がってしまっていた。
  
 お医者さんが「増殖が速すぎる。すぐに全身を調べよう」って……。
 肝臓にある悪性腫瘍は転移したもので、原発のがんを探すため、内科・外科・乳腺外科で調べ、PET検査も受けた。
  
 結果が出るまでの数日間、恐ろしくてたまらなかった。“私のがん、どれほど進んでいるんだろう……”
  
 今になって思えば、少し胸の張りを感じることがあった。
 でも“授乳をしているからだろう”って、深刻に思っていなかった。
 “もしかしたら原発は、乳がんかも……”
  
 インターネットで調べると、出てくるのは「余命」や「生存率」という恐ろしい言葉ばかり。
 考えれば考えるほど不安は募り、胸が張り裂けそうだった。

絶対に「完治」を諦めない

 子どもたちの寝顔を眺めていると、涙があふれて止まらなくなる。
 “もし私がいなくなったら、この子たちを誰が守るの……”
  
 弱い命を振り払いたくて、何度も何度も、池田先生の本を開く。先生の言葉が胸の奥に響いた。
 「誰人も病気との闘いは避けられない。しかし、題目の師子吼は無敵だ。わが色心から師子王の大生命力を奮い起こす究極の力である。いかなる病魔も、広宣流布に進み抜く闘士を絶対に不幸にすることなどできない」
  
 そうだ。私にはお題目がある。医師からどんなに厳しいことを言われようと、病と闘い抜いてみせる。
 検査結果を聞きに病院へ。私は覚悟を決め、夫と診察室に入った。

 原発は「HER2陽性の乳がん」だった。
 医師から「すでに転移しているので、ステージ4です。若いことと、授乳中だったことが、腫瘍の増殖を速めたかもしれない」と。
 手術はできず、標準治療の化学療法を受けることになった。
  
 「完治は難しい」。医師の言葉が胸に重く突き刺さった。
 そんな私の心を、先生の指針が支えてくれた。病魔を倒す大生命力を! 希望を生み出す実証を!
 祈りに祈って、がんに勝つと決めた。
  
 私はすぐ、ご祈念項目に願いを加えた。第一に〈がんの消滅〉。次に〈完治〉と。
 絶対に完治を諦めたくない。娘と息子のためにも、生きて生きて生き抜くんだ。〈子どもたちと共に生き切る〉との願いも記した。
  
 そして、この病を勝ち越えた先の誓いも立てた。
 〈御本尊の偉大さ、仏力・法力を証明する〉
 〈乳がんで悩む方々の希望となる〉
 〈池田先生との沖縄広布の誓いを果たす〉
  
 御本尊を揺り動かすように、一心不乱に、ひたぶるに、祈った。

病と闘う姿を 友に見せたい

 結果を聞いた翌日、私は夫と、創価学会の先輩のもとを訪ねた。
  
 病状を打ち明けると、先輩は確信に満ちた温かい声で「ステージ4のがんを乗り越えて、元気に学会活動している人はたくさんいらっしゃる。お題目と折伏で勝つんです」と励ましてくださった。
  
 それから約5カ月にわたり、通院しながら抗がん剤治療(3週間に1度)を受けることになった。
 深い決意と祈りの中で迎えた最初の抗がん剤の日――。
 点滴の最後の一滴が落ちきるまで、夫がベッドの傍らで、ずっとお題目をあげてくれた。
  
 副作用がひどくて、吐き気がなかなか収まらず、体重もみるみる落ちていった。
 全身の力が入らず、起き上がることもできない日が続いた。体が動かなくても、私は寝ながらお題目をあげた。

女性部の友と
女性部の友と

 4回目の抗がん剤が終わった後は、副作用にも慣れ、元気を取り戻し、学会活動にも復帰できるようになった。
 病気と闘い、打ち勝つ姿を、友人にも見せたいと思い、仏法対話にも励んだ。
  
 その頃、抗がん剤の効果をみる検査を受けることに。“お願い。効いていて”
 結果は医師も驚くほど良いもので、48ミリだった肝臓の腫瘍は12ミリにまで小さくなっていた。
  
 “よし、大丈夫だ。絶対勝てる。次はもっと良い結果を出そう!”
  
 信心の力を確信し、祈りにもますます力が入る。
 女性部の先輩が「病気のことを多くの人に伝えて、皆からお題目を送ってもらいましょう」と励ましてくださった。
 家族や沖縄の同志だけでなく、東京に住む叔母の地域の皆さんや、信心していない友人も、私の回復を祈り続けてくださった。
  
 皆さんの真心のお題目に包まれて、がんを打ち倒す希望が湧き上がった。

同志と共に
同志と共に
念願の職場復帰 使命の道を

 7回目の点滴が終わった後、さらにうれしいことが!
 医師が「腫瘍の痕は残っているけれど、がんが活動している様子が見られない」と。
 そして「完治を目指そう」って、初めて医師から「完治」という目標を示してもらうことができた。
  
 その後は、週に1回、分子標的薬の投与を開始。2016年3月には原発である乳がんの部分摘出手術を受けることができた。
  
 医師は「今だから言えるけれど、最初に西原さんを診た時は“半年もつかな”と思っていたんだ。まさか手術ができるようになるなんて思わなかった」と言ってくれた。
  
 手術は無事に終わり、30回の放射線治療を経て、臨んだPET検査。
 結果は「異常なし」。祈った通り、全てのがんを消すことができた。 

 医師は「もう治療はやめてもいい状態だけど、100%大丈夫とはいえないから治療を続けよう」と。
 これまで6年間、分子標的薬の投与を続けてきた。今は、3週間に1度のペースで打っている。
  
 私は、小学校の音楽教師として、仕事復帰を果たした。
 職場の皆さんの支えもあり、体調に負担がないように働くことができている。
  
 自分が生かされている意味を考え、皆さんの祈りで与えていただいた命を大切にしながら、娘や息子のために、同志の皆さんへの恩返しのために、生きて生きて生き抜いて、使命を果たしていきたい。
  
 そして、何ものにも負けない信心の力を、励まし続けてくださる師匠や同志への感謝を、これからも多くの人に伝えていきたい。

美樹(右から2人目)はくも膜下出血で、英輝(同3人目)は気管支炎で、生後間もなく入院したけれど、二人とも病気に打ち勝った。今では元気に小学校に通い、美樹はバイオリンとピアノ、英輝はピアノの練習に励んでる。5月には、音楽隊の夫(右端)と美樹と英輝の3人が、沖縄吹奏楽団の一員として、うるま市で行われた「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」に出演できた。家族4人、それぞれの使命の花を咲かせながら、広布の道を歩みたい
美樹(右から2人目)はくも膜下出血で、英輝(同3人目)は気管支炎で、生後間もなく入院したけれど、二人とも病気に打ち勝った。今では元気に小学校に通い、美樹はバイオリンとピアノ、英輝はピアノの練習に励んでる。5月には、音楽隊の夫(右端)と美樹と英輝の3人が、沖縄吹奏楽団の一員として、うるま市で行われた「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」に出演できた。家族4人、それぞれの使命の花を咲かせながら、広布の道を歩みたい
夫・ユージン正義さん、長女・美樹さん、長男・英輝君が出演した「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」(本年5月)
夫・ユージン正義さん、長女・美樹さん、長男・英輝君が出演した「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」(本年5月)
夫・ユージン正義さん、長女・美樹さん、長男・英輝君が出演した「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」(本年5月)
夫・ユージン正義さん、長女・美樹さん、長男・英輝君が出演した「シティブラスバンドフェスティバルin沖縄」(本年5月)
美樹さんが撮影しました
美樹さんが撮影しました
英輝君が撮影しました
英輝君が撮影しました

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