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〈名物母ちゃん 信仰体験〉 再会の涙。命は変わる 2023年7月26日

  • しゃべくりバスガイドの珍道中
愉快。痛快。爽快。バスガイドの落付さんは、出発のあいさつの時から、小さな拍手に対して「まあ、気のない拍手をいただき、ありがとうございます」
愉快。痛快。爽快。バスガイドの落付さんは、出発のあいさつの時から、小さな拍手に対して「まあ、気のない拍手をいただき、ありがとうございます」

 【広島県三次市】日帰りのバスツアー。早朝の出発とあって、車内はまだ静かなテンションの中にある。そこへ、落付眞由美さん(69)=副白ゆり長=の落ち着きのないしゃべくりガイドが投下される。
 「皆さん、もしもし。まぶたはお開きのようですが、息はしておいでですか?」

 途切れない放談。声のトーンも上がるので「あんた、地声とマイクの声どうなっとる」なんて聞かれている。
 「これは給料が出る時の限定ボイスです」
 返しがいい。

 途中で経由する牧場に人気のソフトクリームがあると宣伝し、「私も二つ食べようと、晩ご飯を抜いてきました」。
 しかし、牧場に到着すると、なぜかぐったりの落付さん。まさかまさかの車酔い。

 哀愁の面持ちで「ソフトクリームを受け付けません。つわりかしら」。コロナ禍で添乗の間隔が空き、いまだに体の感覚が戻り切っていないという。
 「3年間の堕落生活の成れの果ての姿であります」

 毒舌と自虐の珍道中。バスガイド歴は半世紀。これまでどんな旅をしてきたのか。
 波乱の人生ツアーにご乗車あれ。

    *    *    *

 考えるより先に口が動く。どうも、バスガイドの落付と申します。寡黙な両親のもとに生まれた突然変異のおしゃべり娘。口から先に生まれ出たのでしょう。
 貧しい家庭。奨学金で授業料を払い、夏休み返上で切符切りのアルバイト。そのご縁から備北交通のガイドとなりました。

 過酷な新人時代。ぶ厚いテキストを延々と覚える毎日です。同期入社を出し抜こうと、夜な夜な布団に電灯を引き込んで、必死で頭に詰め込みました。
 涙の特訓もありました。
 「さっきの案内、間違うとるぞ」。運転手からのダメ出しです。お客が降車したバスで居残り練習。涙目で「なにくそ、やっちゃる」。成長の根っことなりました。

 バスガイドもマニュアル通りの一方通行では、すぐにそっぽをむかれます。
 「真面目な歴史を聞きとうて参加しとるわけじゃない。楽しませてくれんか」
 ぐさりと刺さるご指摘です。

 バスが走れば、何もせずとも目的地には到着します。ですが、その距離と等しく、そこでは時間も流れています。
 その空白の時間を彩るのが私どもの仕事であります。試しで盛り込んでみた軽い冗談。今では毒舌へと進化をとげた次第です。

 時には厄介な参加者もおります。
 お酒に溺れ、下品に絡む人。若い時にはぷっちーんとなり、ガイドを放棄し「さようなら」。お恥ずかしい思い出でございます。

 驚く経験もありました。
 集落の催しで参加された高齢の3姉妹がおります。ツアーの最終日。お一人が天寿を全うされました。
 皆が地域の顔見知りで、帰りのバスは沈黙。悩みに悩み、マイクを握りました。

 「皆さん考えてもみてください。温泉に漬かり、美食を堪能し、最後は姉妹に挟まれ、宝塚を観劇しながら、すーっと逝かれた。幸せな旅立ちとは思いませんか」

 そりゃそうじゃと、空気が和らぎました。
 人生の終幕は希望の出発でもある。こう考えられたのは、創価学会で得た人生観があったからかもしれません。

 入会の動機は母の死でした。末期がん。抗がん剤治療はひどい副作用でした。
 嘔吐し、もだえる姿。死に目にも立ち会えず、母の晩年を思うと胸が痛みました。

 そんな折に聞いた宿命転換という言葉。深い意味は理解できずとも、この胸の引っかかりが取れるのならばと、21歳で信心を始めました。
 題目を続けていると、記憶の中の母の表情が、苦悶から笑顔へ変わっていくから不思議なものです。

にこやかな同志との時間
にこやかな同志との時間

 女性部の先輩方が、よーく面倒を見てくれました。勤行を抜かした日に限って「ちゃんと勤行したの?」。なんですか、あの察知力。

 師弟も最初は何のことやらといった感じでした。でも池田先生と奥さまが、全同志の幸せを毎日祈ってくださっていると知り、なんだかうれしくなりまして。
 先輩は「受信機が壊れていたら、先生の題目も届かんよ」って。ちゃんと受信できる清らかな命の自分であろうと思いました。

立ち寄った休憩場所でアジサイを見つけた
立ち寄った休憩場所でアジサイを見つけた

 実のところ、私、バツが二つ付いておりますが、3人目の伴侶(省三さん)との出会い、これが転機となりました。
 10年ほど前です。夫の腎臓機能が悪化し、人工透析を週3回続ける日々が始まりました。
 管につながれる5時間。その後の倦怠感。
 苦しそうな姿を見た時、母の面影がふっとよぎるのです。
 あぁ、これ、私の宿命なんだって。
 そこからです。本気の信心が始まりました。

 「このやまいは仏の御はからいか」(新1963・全1480)。夫は透析とも上手に付き合えるようになり、夫婦の絆も信心もぐっと深まったように思います。
 3年前、眠りの中で旅立った夫。最期の瞬間にも寄り添え、感謝しかありません。

 宿命といえばもう一つ。ずっと伏せてきた負い目がございます。
 20代前半、姑との関係がこじれ、私はそのまま怒りに任せて立ち去ってしまいました。
 それ以来、楽しい日々の中でも、子どもを手放した後悔がずっと心にありました。
 独り善がりで無責任。
 私の最大の宿業でした。

 この未熟者を、あるべき道へと導いてくれたのが同志です。
 すぐに意固地になる私を諄々と諭し、振る舞い一つで人生は変わることを教えてくれました。
 うるせーっと反発し、何度も叱られました。でも最後には「ご飯食べたんか?」「なんかあったらすぐ連絡せえよ」。
 みんながお母さんになってくれ、逃げない心を育ててくれました。

 60代に差し掛かった頃です。電話がありました。「会いたい」。娘からの連絡でした。
 どんな顔をして会えばいいのか。それはそれは悩みました。最初になんて言葉を交わせばいいのか。「久しぶり」は違うし、「はじめまして」もおかしい。再会の時に出た言葉は「こんにちは」。娘には子どももいました。

 「産んでくれてありがとう」
 娘の言葉に、涙があふれそうになりました。でも泣ける資格が私にあるのか。ぐっとこらえました。
 「ごめんね。寂しい思いをさせたね」
 娘は笑顔で「産んでもらったけえ、今の私がある」。あの優しいほほ笑みは忘れません。

 34年の空白。一から親子の時間を紡ぎ始めました。私を「お母さん」と呼んでくれる、ただ一人の存在。最初はぎこちなかった関係も、ちょっとずつ自然な形になっていってるのかなと思います。

娘からもらったアルバムには、幼少期からの成長記録の写真とともに、温かい言葉が添えられていた
娘からもらったアルバムには、幼少期からの成長記録の写真とともに、温かい言葉が添えられていた

 今でもたまに考えます。「もし信心をしていなかったら?」
 あれだけ臆病で独り善がりだった私です。
 娘に会いに行くことさえできなかっただろうと思います。
 それが今じゃ「人は変われる」なんて言えちゃうんですから。心は変わるし、命も変わる。それがこの信心です。

●取材後記

 バスツアーの翌朝。落付さんに呼ばれた場所は広島カープ一色の喫茶店。前日の試合はサヨナラ勝ち。店主も客もすこぶる機嫌がいい。
 取材中も歯切れがいいのだが、なんせカープの話一択。本紙スポーツ欄のカープの扱いについてのご意見もいただいた。

 ずっと黙っていたが、記者自身は阪神ファン。首位を争う両チーム(現時点)。
 隠しごとはならぬと、取材の終盤に告白した。落付さんはバス酔いの時よりも渋い表情をしておられた。 (康)

取材の後も連絡を取るたびに「首位はもらいますから」。熱闘の後半戦が始まった
取材の後も連絡を取るたびに「首位はもらいますから」。熱闘の後半戦が始まった

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