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〈スタートライン〉 愛情が詰まった奇跡のフォント 2023年6月4日

  • 書体デザイナー 高田裕美さん

 私たちの日常は文字にあふれています。社会の多様性や国際化が進む昨今、「ユニバーサルデザイン(UD=より多くの人が利用しやすいデザイン)」の書体制作に、真正面から向き合ったデザイナーがいます。高田裕美さん。ディスレクシア(発達性読み書き障がい)や弱視の人にも読みやすい「UDデジタル教科書体」を生み出しました。ですが開発までの道のりは、平たんではありませんでした。

 ――「UDデジタル教科書体」にはどのような特徴がありますか。


 健常者だけでなく、ディスレクシアや弱視の子にとっても、「見やすく、読みやすく、間違えにくく、伝わりやすいこと」を目指して設計しました。
 
 学校などで文字を教える際、筆の運びや「とめ・はね・はらい」などの特徴がある教科書体が使われます。でもその形状のために、かえって読みにくさを感じる子もいるのです。
 
 そのため、ストレスに感じる先の尖った部分や線の太さの強弱を抑えながらも、画数や運筆が分かりやすいようデザインしました。
 

 ――開発のきっかけは?


 2006年ごろに電車内のデジタル表示パネルに使用する書体を作ってほしいという依頼があり、UDフォントの制作を始めました。
  
 その過程で一つの疑問が湧いたのです。“デザイナーの感性だけで作ったものを「ユニバーサルデザイン」と呼んでいいのか”と。
  
 そこで、ロービジョン研究で有名な慶応義塾大学の中野泰志教授にアドバイスをお願いし、視覚障がいの特別支援学校などへ同行させてもらうようになったのです。
 

これは「社会の穴」だ

 
 ――当事者の元に足を運んだのですね。
 
 
 視覚障がいといっても、形がぼんやり見える子や視野が欠ける子、文字がねじれて見える子などさまざま。拡大読書器を使ったり、机に顔をぐっと近づけたりして必死に読み書きしていました。
 
 ですが、拡大しても書体によっては読みにくさが残ります。教科書体は筆の運びは分かるものの細くて見えづらい部分がある。明朝体も横線が細くて文字の形を捉えられない。ゴシック体は太くていいのですが、字によって画数や形状が、学校で習う手書きの形状と違ってしまう。
 
 ではどうしていたかというと、先生が既成のゴシック体を1文字ずつ修正ペンなどで教科書体風に修正して、文字を教えていました。また当時は、高額な拡大教科書を自費で購入しなくてはならず、親や支援者が教科書の文字を大きく丁寧に書き写し、手作りしていたのです。
 
 私はいたたまれない気持ちになりました。世の中にはたくさんの書体があるのに、適切な書体がなくて困っている人たちがいる。これは「社会の穴」だ。だったら彼らにも使いやすい書体を私が作らなくては! そんな熱い思いが私を駆り立てたのです。

A:ディスレクシアの見え方のイメージ<br>
B:フォントによって形状が異なる例<br>
C:ゴシック体などの印刷書体では、手書き文字の手の動きを表現できない
A:ディスレクシアの見え方のイメージ
B:フォントによって形状が異なる例
C:ゴシック体などの印刷書体では、手書き文字の手の動きを表現できない
子どもたちのために

 ――ただ、リリースまで苦労が絶えなかったと。
 
 
 通常、開発期間は2、3年ですが、この書体には8年かかりました。エビデンス(科学的根拠)を集めたり、当事者や支援者の声を反映したりする必要があったからです。
 
 2000字ほどのサンプルができ、支援者の方に確認してもらったときのこと。「このままでは書体のお手本にはできない」との意見が出ました。「木」の「右はらい」で先端を丸くしたデザインが「はらい」に見えないというのです。直すとなると、「木」を含む文字、右はらいやしんにょうなどを含む文字、そしてそのバランスも全部直さなければなりません。受けるべきか判断に迷いました。

「木」の右はらいの修正
「木」の右はらいの修正

 
 指摘してくださった方も皆、子どもたちのためにいい書体を作りたいとずっと協力してくれた。だから中途半端な書体では意味がない。私は一晩考えて、修正を決断し、他のデザイナーたちにやり直しをお願いしました。でも誰一人、文句を言わず、引き受けてくれました。皆が「何のための書体か」という点を共有してくれていたのです。本当にありがたかった。
 
 他にも、当時の職場が別会社の子会社になり、開発が中断するなど紆余曲折ありましたが、2016年6月、ついにUDデジタル教科書体をリリースできたのです。たくさんの方の熱意に支えられ、子どもたちへの愛情が詰まったこの書体が生まれたことは、まさに奇跡だと感じます。

 
 ――反響は大きかったそうですね。
 
 
 ある障がい者の学習教室では、教材をこの書体に変えたことで、ディスレクシアの男の子が、「これなら読める! オレ、バカじゃなかったんだ!」と顔つきがパッと明るくなったそうです。彼の悔しさを知っていたスタッフはみんなで涙したと伺いました。
 
 また、営業に赴いた展示会では、お話ししていた方が、私が開発者だと知り急に泣き出したのです。どんな書体を使っても「読みたくない」と言っていたお子さんが、「これなら読んでいいかも」って言ってくれたというのです。
 
 書体デザイナーとして32年間、200種類ほどのフォントを開発してきましたが、ユーザーから泣くほど感謝されたことはありません。届くべきところに届いたんだという、うれしさが込み上げました。さらに2017年、マイクロソフトのWindows10に標準搭載されたことで、知名度が一気に広がり、全国の学校現場で使われるようになったのです。
 

 
 ――情熱と執念が実を結びました。高田さんが思う多様性の社会とは?
 
 
 フォントについていえば、UDデジタル教科書体があればいい、ということではないと思っています。この書体が読みにくい子もいます。かといって、選択肢を増やしたからどうぞ選んでください、で終わっては、本当の多様性とはいえません。
 
 障がいは、人ではなく、社会にあると思う。困っている人がいたら、それぞれの立場でできることをして寄り添っていく。小さなことでもいいんです。その中で選択肢が増えて、みんなが生きやすくなる。その温かな流れが大切ではないでしょうか。その意味では、多様性のある社会づくりに終わりはないんですね。
 

 たかた・ゆみ 女子美術大学短期大学グラフィックデザイン科卒業後、ビットマップフォントの草分けであるタイプバンクに入社。同社での32年間の書体デザイナー経験を生かし、2017年からモリサワにて教育現場における書体の重要性や役割の普及に尽力。教育現場と共にUDフォントを活用した教材配信、セミナーやワークショップ、執筆、取材など広く活動中。

UDデジタル教科書体がリリースされるまでの軌跡がつづられた書籍『奇跡のフォント』(時事通信社)
UDデジタル教科書体がリリースされるまでの軌跡がつづられた書籍『奇跡のフォント』(時事通信社)

【記事】安孫子正樹、歌橋智也
【写真】手面香
※フォントの解説図はモリサワ提供

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