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〈もうひとつのブラボーわが人生 信仰体験〉 49年ぶりの再会「あなたのおかげで」 2023年6月3日

再会の瞬間。シェリーさん㊧の胸に飛び込む喜美枝さん
再会の瞬間。シェリーさん㊧の胸に飛び込む喜美枝さん

  
 【福岡県北九州市】「やっと見つけた」。聖教新聞を持つ手が震えていた。今年の2月18日。しばらくの間、伊地知喜美枝さん(94)=支部副女性部長=は、その日の新聞を開いたままだった。「間違いない。私に信心を教えてくれた人……」
  

  
 不遇の半生だった。21歳で結婚した相手は、軍需工場で知り合った人。愛知県の漁師だった。両親から「知らん所に行っても苦労する」と止められたが、下関からトランク一つで列車に揺られた。
 姑に「裸で来た」と皮肉を言われ、クズだ何だとたたかれた。口にできたのは冷や飯と、魚は半身だけ。働け。働け。母親の葬式にも帰してもらえなかった。
 実家に「帰りたい」と手紙を出した。父の返事は「火の中に立ってでも辛抱せえ」。何回も岸壁に立ち、身を投げようとした。
  
 3年がたった。逃げ帰った実家で、もっと苦しんだ。小さい村。おなかの大きい出戻り娘を歓迎する目は、どこにもなかった。
 物陰で小さな命を産んだ。同居の姉に「捨てておいで」とあしらわれた。
 血のにじむような思いで育てた。この子だけは。その誓いもむなしく、息子が3歳の時、父親に言われた。
 「わしが育てるから、おまえは外で働け」
 兄の結婚で、出戻りのおまえがいたら世間体が悪いという説明の前では、どんな抵抗も無力だった。
 荷物をまとめて駆け出した。息子は泣きながら追いすがった。
 「かあちゃん、行かんでー」
  

シェリーさんの到着が待ち遠しい伊地知喜美枝さん
シェリーさんの到着が待ち遠しい伊地知喜美枝さん

  
 喜美枝さんは、北九州のうどん店に住み込んだ。
 息子への仕送りはおろか、その日を生き抜くことで精いっぱい。物がなくなったら喜美枝さんのせいにされた。警察に連れて行かれ、一晩絞られた。
 お釣りの計算ができず、客に冷やかされもした。ずっとひとり。孤独。悲しみが心の奥まで入り込む。
 病院で働いていた40代、タクシーの運転手と知り合う。小川のそばにある小さな借家に身を寄せた。そこが転機の場所となる。
  
 1974年(昭和49年)9月の昼、隣に住む婦人が、橋にもたれて髪をとかしていた。目と目が合った。
 「奥さん、ちょっと」
 下を向いて聞こえないふりをした。
 婦人は玄関までついてきた。「何ですか」といぶかしがると、明るく言われた。
 「これからね、創価学会の座談会があるの。来ない?」
  

タクシーを降りたシェリーさん
タクシーを降りたシェリーさん

  
 喜美枝さんは粗末な服のまま、ついていった。みんなの迎え方が「太陽のように輝いて、きれいだった」。聞いたことのない言葉が飛び交っていた。
 「世界平和」
 「広宣流布」
 なんてすごい人たちなんだ。喜美枝さんは輪の中で婦人の手を握り、「私も信心したい」と切り出した。その婦人、グラント・シェリー・イクヨさん(91)=支部副女性部長=がほほ笑んでくれた。
  
 シェリーさんが勤行を教えてくれるたびに、見慣れた小川がきらめいて見えるようになった。「この御本尊様だけ抱き締めれば、幸せになれるよ。だからもう死ぬとか考えちゃだめ」。身近な人の理解が、何より心強かった。
 シェリーさんが渡米した後も、喜美枝さんは苦労した。夫をみとり、またひとり。大きくなった息子と再会したが、「母親らしいことをしたかい」の一言に、うつむくしかなかった。息子に言い訳するぐらいなら、題目をたくさん送ろう。そう決めた。
  

  
 83年12月、55歳になっていた。
 小倉駅のホームに立っていると、新幹線が入ってきた。目の前の車窓を何げなく見た。
 「スローモーションのようでした」
 窓越しに見えたのは、池田先生と奥さまだった。
 柔らかいまなざしで、会釈をしてくれた。懸命に生きてきたこと、全部分かってるよ。そう言われた気がした。
 喜美枝さんは追いすがる息子を「ごめんよ、ごめんよ」と振り切った自分を、ようやく許せた。そして思った。強く生きよう。
  
 心に深い傷を負った自分だから、誰かの痛みを分かち合える。その信念を貫いて一年また一年。
 「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)
 やがて息子も顔を出すようになり、孫たちの笑い声にも囲まれた。
 生きていて本当に良かった。それを一番に伝えたい人がいる。喜美枝さんは、御本尊の前に正座した。
 どうか、シェリーさんに会わせてください――。
  

喜美枝さんの地元の友も集まってくれた
喜美枝さんの地元の友も集まってくれた

  
 聖教新聞にアメリカの会合の写真が出るたびに、指で一人一人確かめた。10年、20年、30年、40年。恩返しは祈ること。シェリーさんの幸せを祈らぬ日はなかった。
 その日も、いつもと同じように、ポストから新聞を取り、テーブルに広げた。
 2月18日。
 トピックスに「ブラボーわが人生」とあった。新聞をめくる。手が止まった。「サンディエゴの月光」の見出し。昔と変わらぬシェリーさんの笑顔が、そこにあった。
  
 再会の日は5月9日に決まった。
 カレンダーに赤いフェルトペンで大きな丸をつけた。こんなに待ち遠しいなんて。商店街で服を新調し、髪を整えた。鏡の前で、「あなたのおかげで、こんなに幸せになれたのよ」と明るい声で繰り返した。
 当日は朝3時に目が覚めた。
  

  
 青空の午後1時過ぎ、喜美枝さんが家の前できょろきょろしていると、1台のタクシーが路地を曲がって近づいてきた。
 後部座席のドアが開く。
 ゆっくり近づく2人。
 シェリーさんは荷物を置いて両手を広げた。
 喜美枝さんは顔をくしゃくしゃにした。
 2人は抱き合い、そして泣いた。
 あれだけ練習した「あなたのおかげで」のセリフが声にならない。
 49年ぶりの再会に、言葉はいらなかった。
  
 「夢みたい。御本尊様はこんなこともかなえてくれるのね」
 半世紀ほど会わなかったのに、いつもそばにいたかのよう。喜美枝さんが不思議がると、シェリーさんはさらりと言った。
 「だって私、お題目をあなたにずっと送ってたんだから」(天)
  

シェリーさんから扇子が贈られた。「これで夏を乗り切れるわ」
シェリーさんから扇子が贈られた。「これで夏を乗り切れるわ」

 シェリーさんの「ブラボーわが人生」(2月18日付)はこちらからどうぞ。

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