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〈プレイバック信仰体験〉 茂さんの御書講義 2023年3月18日

  • 「御本尊と親しくなる境涯。これが本当の『幸せ』やと私は思います」
安田茂さん
安田茂さん

  
 【大阪市北区】信仰体験の取材に行ったのに、気付けば目の覚めるような御書講義の時間となっていた。
 「難は苦しむために起こるのではなく、御書を身で読むために起こるんです」
 御年91歳。かくしゃくとした、安田茂さん=総区主事=の確信である。
 「絶望の中で題目をあげ抜く以外、信心の確信はつかめないでしょうね」
 記者はノートを開いたまま、その眼力に引き込まれた。(2014年7月3日付)
  

池田先生のスピーチの抜粋や、自身の決意などを、きれいな字でノートにつづっていた
池田先生のスピーチの抜粋や、自身の決意などを、きれいな字でノートにつづっていた
  
「善いことが不思議であり、悪いことが当然と考えなさい」(新1620・全1190、通解)

  
 御書は「なんでや?」って読んだら、一生分かりません。「そうやがな!」と読むから、命に入るんです。
 終戦後。モンゴルから復員した私は、23歳で商売を始めました。わらで包んだ陶器を木の箱に詰めて、三輪オートバイで百貨店に卸す仕事です。人に頭を下げることが大の苦手でしたから、毎日が苦痛でした。
 1955年(昭和30年)の秋。寿司屋の大将が「創価学会の座談会に行く」と言うから、「止めなアカン」と私も参加したんです。
 ところが大確信の声を聞くうちに、「わしもやります」と言うてしもうて。家に帰って妻の鈴子(84)=総区婦人部主事=に勧めると、「あんたがやるのは自由です。私はしませんよ」。
 親に勘当されるわ、友だちと絶交されるわ、そら大変でした。揚げ句は入会100日目。唯一の取引先の百貨店から「あんた創価学会か」と出入禁止になりました。
 貯金を崩して従業員に給料を払い、妻に「心配ない」と強がりました。
 でも、ほんま苦しかった。もう題目しかなかったんですね。
 貯金が底をついたころです。夏季講習会に参加して、この御文と出あいました。「この信心はほんまもんや!」と納得しましたよ。
 腹が決まると、どういう訳か取引先の態度がコロッと変わりましてね。「何しとんねん。早う来い」。電話があったその日から、陶器が売れるわ売れるわ。結局、70歳過ぎまで、その百貨店だけで家族も従業員も、何不自由なく食べさせてもらいました。
  

家族の写真。前列右から長女の孝子さん、次女の信子さん、長男の宏さん、後列右から妻の鈴子さん、茂さん
家族の写真。前列右から長女の孝子さん、次女の信子さん、長男の宏さん、後列右から妻の鈴子さん、茂さん
  
「この御本尊を決して他の所に求めてはならない」(新2088・全1244、通解)

  
 御本尊の前に座るとき、そこそこの覚悟がいるんと違いますか?
 例えばテレビ見てますでしょ。「この番組が終わったら、勤行しよ」と決めたのに、ついタバコを1本。フーッと一息ついたら、次の番組が始まっとる。やっと終わって、「よっしゃ」とタバコをもう1本。結局「御本尊様、今日はごめんなさい」。
 もちろん素晴らしいのは分かってる。しかし、なかなか座れない。それは自分でも気付かない心の奥にある「御本尊への拒絶」のせいやと思います。
 じゃあどうするか。
 結局、御本尊と親しくなる以外ないでしょうね。
 先の仕事もそうですが、私はたくさん悩みを抱えました。そのたびに、御本尊に「どないしましょ」と話しかけました。
 とにかく御本尊と「縁する」んです。そうすれば自然と親しくなれます。私は鈍感や。この年でようやく「自分は御本尊の分身や」と思えるようになりました。
 ですから今は意識せずとも、御本尊の前に座っています。本を読むのも、新聞を切り抜くのもそうです。理由は簡単。そこが一番、居心地がええ場所だからです。
 ところで「幸せ」って何や思います? お金やおまへん。お金に執着すると、お金に未練を残して死んでいきます。
 御本尊と親しくなる境涯――これが本当の「幸せ」やと私は思います。
  

創価大学で
創価大学で
  
「現世では跡を継いでいく親孝行な子どもであり、来世には、また、この子に導かれて仏に成られることでしょう」(新1631・全1123、通解)

  
 信心の継承は結局、親の姿勢なんでしょうね。私には3人の子がおりますが、信心を無理強いしたことはありません。
 長男の宏(61)=副本部長=は2歳の時、ぜんそくで医師から「今夜がヤマ」と言われました。
 完治を懸けて、私は学会活動に励みました。玄関先で宏に「また行くの?」と言われるのは、正直つらい。でも「宏のために頑張るからな」と笑顔でスクーターにまたがりました。
 今思えば、子どもに思い出をつくってやれなかった“だめな父親”なのかもしれません。
 その後、宏は創価大学の1期生になりました。八王子の空気が合ったのか、ぜんそくも治まりました。
 そして公認会計士となりました。長女の孝子(65)=区総合婦人部長=も、次女の信子(55)=婦人部副本部長=もしっかり信心に励んでいます。
 “だめな父親”でも情熱もって歩んだ道なら、子どもは信心を継ぐでしょう。自分の信心は、わが子が評価してくれる。私はそう思います。
 孫ですか? 6人おります。みんな、創価大学を出ました。孫もまた、親をじっと見ていたんでしょうね。
 

茂さんは北区の同志に「熱」を伝えた
茂さんは北区の同志に「熱」を伝えた
  
「生きておられた時は『生の仏』、亡くなった今は『死の仏』であり、生死ともに仏である」(新1832・全1504、通解)

  
 私の最大の関心は「死」です。信心58年。池田先生一筋でやってきました。そんな私は果たして、どんな死を迎えるのでしょうか。
 6人きょうだいの末っ子でした。ミルクのない時代です。母は母乳が出ず、私は病気ばかりしてました。
 だから若いころから「死」に関心があって、座禅を組んだり、念仏を唱えたりしました。
 日本が戦争に突入し、私は兵隊に行きました。
 「死」を否応無しに見てきました。たくさんの仲間が死に、私の実兄も死にました。
 慟哭する母の背中に、何の言葉もなかった……。だから思うたんです。「宗教なんか、ええ加減なもんや」
 ところが創価学会に入って、戸田先生の「獄中の悟達」を学び、価値観が一変しました。それを命で分かりたかった。
 だから私は、学会活動に頑張りました。みんなと一緒じゃないと、つかみ取れないものがある。それが仏法やと思うのです。我流の信心では絶対にあきません。
 結局、「死」とは、信心の最終試験なのかもしれません。つまり自分の人生が本物かどうかを試される瞬間なんでしょうね。
 思わぬ事故や病気で亡くなることもあるでしょう。しかし御書の通り生ききるならば、亡くなってもその人の生命の境涯は大きく開かれていく。すごいことです。三世の生命観で考えなあきません。私の人生は「生老病死を模索する旅」だったのかもしれませんね。
 近い将来、私には「死」が訪れるでしょう。でもそれは、一つの楽しみでもあります。
 ようやく私は、そんな「面白い境涯」になれました。
  

中之島の公会堂の前で。家族と
中之島の公会堂の前で。家族と
  
●後記

  
 最後に尋ねた。
 「毎日、何を祈っていますか?」
 即答だった。
 「私の今すべきことは何ですか?と、御本尊に聞いてます」
 残された命の限り、「生まれた役目」を果たしていきたい。そう御本尊に話しかける。
 池田先生との出会いもさんぜんと輝く。1957年の大阪大会、58年の夏季講習会、60年の第3代会長就任式。師弟のロマンに染まった。
 耳がずいぶん遠くなったが、通院知らずで常備薬もない。
 「御書を学んでますから『年はわこうなり、福はかさなり候べし』(新1543・全1135)ですわ」
 その呵々大笑に人生勝利の証しがある。そんな安田さんを地元の同志は尊敬を込めて、「歩く御書講義」と呼んでいる。(天)
  

妻・鈴子さんの記事は、こちらからご覧ください
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