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「よい変化」をもたらすために 本質を問う「対話」を最優先で――インタビュー㊦ 熊本大学大学院 苫野一徳准教授 2025年4月20日

  • 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉

 多様で互いに異質な存在である私たちが、自分の自由も、相手の価値観も押しつぶされることなく、幸せに生きていくには? 哲学者・教育学者である苫野一徳・熊本大学大学院准教授は、その問いに答える営みを「公教育」から始めることを提唱し、学校や自治体の関係者と協働して「対話の文化」を育んできました。18日付のインタビュー㊤に続き、㊦を掲載します。(聞き手=大宮将之、村上進)
 ※インタビュー㊤の記事はこちらから。

■三つの問いと柱

 ――インタビュー前半で伺ったことは、大きく二つありました。一つは「教育の目的とは、全ての子どもに『自由の相互承認』の感度(価値観・感受性)を育むことを土台として、『自由』に生きるための力を育むこと」。もう一つは「何のための教育か」という本質的な問いを繰り返しながら、その目的の達成に向かって学校の先生や子ども同士、さらには、保護者や地域の方々も対等な立場で語り合う「対話の文化」の重要性です。
  
 ここで、さらなる問いが三つ立ちます。それは――
  
 ①現代において「自由」に生きるための力とは何か?
 ②その力は、どうすれば育めるのか?
 ③「自由の相互承認」の感度は、どうすれば育めるのか?
  
 それぞれの答えは、私が「学びの構造転換」の“三つの柱”として提唱し、進めている次の内容です。
  
 ①「言われたことを言われた通りに学び取る力」ではなく、自分(たち)なりの問いを、自分(たち)なりの仕方で、自分(たち)なりの答えにたどり着く「探究する力」である。
  
 ②その「探究する力」を育むには、人それぞれの学び方や学びのペースを尊重した「学びの個別化」と、困った時に誰かの力を借りられる・自分も誰かの力になれる“ゆるやかな協働性”に支えられた「学びの協働化」を融合させることが大事。そして「探究する力」を育むプロジェクトを、カリキュラムの中核にしていく。
 また、子どもたちが、校則や行事はもちろん授業のあり方も含めて、「自分たちの学校は、自分たちでつくる」営みを思う存分、経験できるようにしていく。
  
 ③「みんな同じ」から「みんな違う」へ、「分ける」から「混ぜる」へ――学校を、同じ年に生まれた子どもたちだけが集まって学ぶ場ではなく、「多様性がごちゃ混ぜ」になりながら学び合うラーニングセンターにしていくこと。幼保・小・中・高・大、お年寄りも社会人も、障がいの有無も関係なく。

■広がる取り組み

 ――具体的な事例を教えてください。
  
 長野県の伊那市立伊那小学校は、何十年も前から、総合学習を中心にした実践に取り組んでいます。ここの「子ども観」が素晴らしくて、「子どもは、自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている存在である」と掲げています。先生たちは、この子ども観を軸に「今の学びは『自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す』ものになっているか?」と、しょっちゅう議論しているんです。それがまた、とても楽しそうなんですよ。
  
 近年は「自治体単位」で取り組む所が、一つまた一つと生まれています。おそらく日本教育史上初の現象でしょう。広島県は10年以上前から「学びの変革」に着手していて、私も毎年、県教育委員会主催の“教員たちとの対話会”にお招きいただいています。
  
 名古屋市も2020年度から、幼稚園から高校まで400校を超える教育現場において、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実を推進する「ナゴヤ・スクール・イノベーション」に取り組んでいます。
  
 石川・加賀市や、私の故郷である兵庫・芦屋市も、新たな教育ビジョンを策定して「学びの構造転換」を進めています。
  
 岐阜市と奈良・生駒市の教育大綱には、それぞれ、「自由の相互承認」の感度(感性)を育むという文言が明記されました。

■地域に居場所を

 ――岐阜といえば、本巣市ではこの一年、子どもたちの手による「こどもの権利条例」策定に挑戦されてきたそうですね。
  
 そうなんです。私も監修や対話会に携わってきました。市内の小・中学校や義務教育学校の児童・生徒たちが、児童会や生徒会サミットなどで「自分の大切にしたい権利」を自分の言葉で語り合うんですね。
  
 本年2月、子どもたちの代表が市議会議場に立ち、関わった2514人の願いが含まれた大切な権利を「自分の学校は自分がつくる~『自分』を認めてもらえる権利」と訴えました。
  
 また、原発事故で一時、全町避難となった福島・大熊町には、こども園、小・中学校に加え、大学のサテライト機関、教員研修機関などが一つになった「学び舎ゆめの森」があります。大熊町の復興のため、0歳から15歳までが一緒に学ぶ「ごちゃ混ぜのラーニングセンター」を、地域のハブ(中核)に据えたんですね。施設の真ん中には吹き抜けの大きな図書広場があって、地域の人も日常的に出入りしています。
  
 「学校は、ちょっとしんどいな」と思う子でも、地域のさまざまな世代の人とつながることで、「自分の居場所」を見つけられるんですよ。「地域」というキーワードは今後、ますます重要になるでしょう。この「学び舎ゆめの森」の魅力と可能性に引かれ、移住を決めた方も少しずつ増えていると伺っています。

「学び舎ゆめの森」にある「本の広場」。すり鉢状のこの図書館を中心に、園と学校がゆるやかにつながっている
「学び舎ゆめの森」にある「本の広場」。すり鉢状のこの図書館を中心に、園と学校がゆるやかにつながっている

 ※「学び舎ゆめの森」の校長・園長へのインタビューを掲載した本紙記事(本年3月8日付)は、こちら
  

■ごちゃ混ぜこそ

 ――創価学会においても近年、会館を「子どもの居場所」として開放する試みが広がりつつあります。また、地域ごとにあらゆる世代が集い、自由に語り合う「座談会」を伝統としてきました。さらに「仏法入門」と呼ばれる仏法哲学の試験が行われる時には、下は中学・高校生、上は80代・90代の方々までが一緒に励まし合い、学び合うんです。
  
 そう、それなんですよ。さまざまな世代の多様な人たちが、ごちゃ混ぜになって学び合う場って、同質性の高い場所では生まれないダイナミズム(活力)が生まれるんです。私の大学のゼミでも、中学生から50代の社会人の方までいろんな人が出入りしていて「幸せって何だろう?」「人間って何だろう?」「◯◯って何のため?」といった「本質」を問う対話をよくしています。不登校の子が参加していた時もありますね。
  
 とにかく、「よい変化」が生まれている所には例外なく「対話の文化」があります。自分たちの実践が「そもそも何のためなのか」という本質を共有していて、「今やっていることって、その目的にかなっているかな」等とみんなが安心して率直に語り合い、確認し合える文化です。

愛知・津島文化会館で行われている「みらいプラザ」。テーマは「遊びに来られる会館」――未就学児から高校生までを対象にしたゲームや工作などの“楽しむ”ものから、学習ルーム、子育て世代の親が語り合える場などを提供する。今月の開催で通算15回を数えたという(写真は昨年3月)
愛知・津島文化会館で行われている「みらいプラザ」。テーマは「遊びに来られる会館」――未就学児から高校生までを対象にしたゲームや工作などの“楽しむ”ものから、学習ルーム、子育て世代の親が語り合える場などを提供する。今月の開催で通算15回を数えたという(写真は昨年3月)
学会伝統の座談会(本年3月、神戸市中央区で)
学会伝統の座談会(本年3月、神戸市中央区で)
■青くさい話から

 ――「対話」が大事だと分かっていても、「忙しくてそんな時間がとれない」という声もありますよね。
  
 その気持ちはよく分かります。けれど、その「何のため」を問う対話こそ改革の“一丁目一番地”。「対話をせずに、他に何に時間を使うんですか?」というくらい大事なもので、対話以外のことを優先させるのは、本末転倒です。
  
 私がご一緒した福岡県のある小学校では、3年間、対話ベースの校内研修に取り組んだことで、学校の文化が大きく変わりました。
  
 まず始めたのは、“青くさい根っこの話”をすること。先生同士が少人数のグループに分かれて、「なぜ先生になったのか」「どんな学校にしたいか」「子どもたちのどんな姿を見た時に、うれしくなるか」等々と語り合うんです。
  
 お互いの“根っこ”を知り、掘り下げることで、何が生まれるかというと「相手への尊重」なんですね。たとえ教育的な信念が違っても、相手のやり方を全否定することがなくなって、「こんなやり方ができるかも」というアイデアや「共通の了解」も出てきます。
  
 おかげで新しいことにチャレンジする先生が、どんどん増えました。その結果を校内研修でフィードバックする。この繰り返しによって、お互いを認め合い、応援し合える文化が根付きました。研究主任の先生が交代した今も、続いているそうです。

■魔法の言葉

 ――1に「対話」、2にも3にも「対話」ですね。
  
 私のゼミを卒業して、社会に巣立っていく学生たちに毎年、伝えていることがあります。職場や地域で、なんか行き詰まっているなと感じた時に「対話が生まれる“魔法の言葉”があるよ」って。
  
 それこそが「そもそもこれって『何のため』でしたっけ?」なんです。“過去形”にするのがポイントですね。「何のためですか?」って聞くと、なんか角が立ちますから(笑)。
  
 若い人だからこそ、気兼ねなく、こうした問いを発しやすい。面白いもので、人間というのは「問われる」と「思考が回り始める」んですよ。
  
 「何のため」と本質を問い合う「対話の文化」こそ、民主主義を成熟させる土台です。「皆が共に生きていくための対話」を、まず若い世代から広げてほしいと願わずにはいられません。私も、そうします。

とまの・いっとく 1980年生まれ。哲学者・教育学者。熊本大学大学院教育学研究科准教授。2児の父。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書に『親子で哲学対話』『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『「エミール」を読む』(岩波書店)など多数
とまの・いっとく 1980年生まれ。哲学者・教育学者。熊本大学大学院教育学研究科准教授。2児の父。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書に『親子で哲学対話』『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『「エミール」を読む』(岩波書店)など多数

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 ファクス 03-5360-9613
  
こちらから、「危機の時代を生きる」識者インタビューの過去の連載の一部をご覧いただけます。

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