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〈インタビュー〉 虚偽の中傷を乗り越えて――純然たる典礼法人として、社会に根差すフランスSGI 2022年9月21日

  • フランス 宗教法の権威 グザヴィエ・デルソル弁護士

 昨今の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題について、メディアがこぞって取り上げ、議論百出の相を呈しているが、確かな知見に基づかない扇情的な論調に終始するケースも少なくない。
 
 とりわけ、同問題にこと寄せて、虚偽の事実を前提に、学会のイメージダウンを目論んだ一部週刊誌の悪質な報道も出るに至った。
 
 その中身といえば、フランスの「国会報告書」(2006年)で、創価学会には“いかなる逸脱・違法行為も存在しない”と明記されているにもかかわらず、あたかも学会がセクト視されているかのような極めて悪質な内容の記事で、学会は同記事に対して、厳重抗議した。
 
 ここでは、フランスでも指折りの宗教法の権威であり、長年にわたって、フランスSGI(創価学会インタナショナル)の発展を見守り続けてきたグザヴィエ・デルソル弁護士へのインタビューを掲載する。(創価新報2022年9月21日付)
 
 

 〈フランスにおいて、元来、「セクト」とは、どのような意味を持つ言葉だったのでしょうか。〉
  
 もともと「セクト」という言葉は、英語圏やアジア各国ではニュートラルな定義の言葉ですが、フランス語圏ではそれとは全く異なり、ラテン語の「セクターレ」、すなわち、「分離する」という意味から派生したという含みを持っています。
 
 本来、「セクト」とは「根源の教会」、つまり、多数派の教会から自らを分離・独立することを望む人々の集まりを意味する言葉なのです。
 
 この区別は、極めて重要です。
 
 というのも、フランスにおいて多数派はカトリックの信仰で、それは王権神授説の国王の信仰であり、故に権力の側にある宗教こそがカトリックであったからです。
 
 大変に永い間、そうした体制であったのです。
 
 さらに読者の理解を深める一助として、前述したフランス語圏と他言語圏との語義の違いについて、一例を挙げたいと思います。
 
 現在、フランス語で「セクト」とは「淫祠邪教」を指す大変な蔑称ですが、英語では「スクール(宗派)」程度の意味でしかありません。
 
 昔からフランス語と英語は、「偽りの友達」といわれていて、字面が似ているが語義が全く違う(笑い)。そうしたコノテーション(含意)の違いも、「セクト」を語る上で、理解しておく必要があります。
 
 〈多数派のカトリック教会から“分離した人々”を指す言葉であった「セクト」が、どのようにして蔑称的な意味へと変わったのですか。〉
 
 大きく分けて4つの理由が挙げられます。第1の理由として、1960年代末、フランスにあって、「セクト」は大変に重要な問題として惹起しました。この頃より、“信仰実践離れ”が加速し、殊にカトリック信仰の顕著な退潮が明らかになりました。
 
 第2の理由は、カトリックの信仰を捨て、もはや神を信じることができなくなったフランス人が、“どの宗教をも信じることができなくなって無神論者になるか”、そうでなければ、“全く新たな新宗教運動へと向かっていくか”のどちらかとなり、フランスで支配的な宗教であるカトリックとの関係で、「分離派の人々」、すなわち、後に「セクト」といわれる運動・教団の数が、実際に増大しました。
 
 それにより、“カトリック離れ”に伴うセクト運動・教団への加入者数も増大していきました。
 
 第3の理由は、「1968年5月革命」と呼ばれる学生運動世代が社会を実際に揺るがした事例です。この運動の影響は、若者だけにとどまらず、多くの労働者たちまでが、既存のあらゆる権威に対して疑問を付す、という動向が勃興していきます。
 
 企業の管理職であれ、教会権力であれ、聖職者・典礼執行者であれ、あらゆる権威が、彼らの攻撃対象となったのです。
 
 その結果、政治的な領域でも、反体制運動、既存の権威に異議を申し立てる運動に全てが道を譲るようになり、やがて哲学的、宗教的な領域へと広がりをみせ、セクト的団体が、数多く誕生していったのです。
 
 それ以来、もはや、カトリックという伝統的な宗教の中に真理を見出すことができなくなった人たちにとって、セクトが「逃げ場」や「隠れ家」として目前に現れました。
 
 いわば、カトリックに代わって“安らぎ”を与え、“自分たちこそが真理を保持している”と主張したのが、セクトだったのです。
 

ライシテの変容で従来の語義が変遷

 
 フランスにおいて、セクト的な運動・教団の増大を引き起こした第4の理由は、「1905年法」成立を通して確立されたフランス式の厳格な政教分離原則である「ライシテ」概念の変容であります(別掲参照)。
 
 それは1960年代頃より、始まりました。
 
 この変容により、その後、「ライシテ」は、全ての宗教は個人的・私的な領域の中でのみ実施されるべきものであり、公的な場では示されてはならないものとして、国家によって、ある一つの宗教が保護されることがあってはならない原理として、みなされるようになったのです。
 
 実際には、カトリックのような、より伝統的な諸宗教は、国家から他の宗教よりは保護されながら残りました。なぜならば、依然として文化的には“カトリックのフランス”であり、国民の大部分にとって、その社会環境としての存在感は今なお現存しているからです。
 
●「ライシテ」とは
 フランス独自の共和国の基本原理である「ライシテ」(国家の宗教的・中立による諸宗教の共存確保のための、公的領域における非宗教性の厳守)は、政教分離法である「1905年法」の制定により、もたらされたもの。
 
 「ライシテ」とは、その根源において、いかなる宗教も他の宗教の上に位置付けられてはならず、同時に全ての宗教は等しく保護されなければならない、さらに、どのような信仰であれ、フランス市民の信仰者が望む通りに、自由に、それぞれの宗教の実践をすることを保障しなければならないということを意味する。
 
 この「1905年法」は、現在、誤解が喧伝されており、イスラムのスカーフの(公立校での)禁止など、「規制」のための法律ではないかと論争の端緒になる傾向がある。しかし、この意味するところは、現在、喧伝されているものとは全く「真逆」のものであり、正しくは「信仰の自由」を保障する寛容な法律なのである。
 

衝撃的な事件により危機感が急速に拡大

 フランスのセクト問題を語る上で避けては通れぬ、いくつかの衝撃的な事件があります。
 
 一つは1978年、南米ガイアナで起きた「人民寺院」の集団自殺事件です。918人が犠牲となりました。そして、1994年から1997年にかけて、カナダやスイスで起こった、教団「太陽寺院」による集団自殺事件です。特に「太陽寺院」事件は、犠牲となった信者にフランス人も含まれており、フランス国内での危機感は、より切迫して感じられたのです。
 
 セクトに対する国民の不安感は、こうした衝撃的な事件が“引き金”となり、どんどんと膨れ上がっていきました。
 
 日本の皆さんが、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)で世論が騒然となったのと同様の現象です。
 
 それ以来、多くの人々が新しい宗教運動団体のことを「危険なセクト」と同一視するようになりました。
 
 〈1970年代の事件に端を発したセクト問題への危機感は、フランス社会において、どのような影響をもたらしたのでしょうか。〉
 
 この危機感は政治の分野にまで影響をもたらし、国会では「セクト報告書」が作成されるに至りました。
 
 1983年、嚆矢となる第1次国会セクト報告書が提出されました。これは、アラン・ヴィヴィアンという国会議員を中心に超党派で作成されました。
 
 まさに正体がよく分からない運動体、伝統的な宗教に対して攻撃的な態度を取ると見なされたセクト的集団の増加、信者数の増加に対するフランス社会で高じた不安感に応える形で提出されたのです。
 
 しかしながら、この報告書はセクトを「定義する明解な基準」など全く存在せず、拙速かつ性急に作成された、まるで“生煮え”の、いい加減な代物でした。
 
 このことは、のちにフランス国内で大きな批判に晒されました。
 
 伝統的ではない宗教運動体は、全部セクトとされてしまいました。まさに、カトリックという伝統的宗教と異なっている何らかの「オリジナリティー」がわずかでもあれば、“一緒くた”にセクトと決めつけるという安易な手法に基づいた信憑性に乏しい報告書だったのです。
 
 したがって、フランス人にとって見慣れぬアジア発の宗教運動体のみならず、アメリカの文化的な運動体でさえもセクトと扱われ、それらと同様の扱いを創価学会も受けたというだけのことです。
 

付け焼き刃の報告書に便乗した仏マスコミ

 この“付け焼き刃”の「国会セクト報告書」が提出されたが故に、多くのフランス市民の中で、問題の本質をよく理解しない人々や、殊に数多くのジャーナリストたちが、ろくに調査もせず、あろうことか、“国会報告書だから、さぞ信用性があるのだろう”などと余りにも短絡的な手法で便乗し、創価学会を含めた多くの団体に対して完全なる蔑称である「セクト」として扱ったのです。
 
 〈第1次報告書の中にある学会への言及部分は、一人の脱会者による狂言を検証することなく鵜呑みにし、引用したものであり、のちにそれを無批判に取り上げたメディアも裁判で断罪されたと聞いています。〉
 
 全くその通りです。
 
 脱会者ダニエル・レオナール・ブランなる人物は、「フランス仏教協会」(ABF)という団体を一人で立ち上げ、自ら会長を名乗りました。要するに彼は、実際に存在するフランス仏教徒を代表する団体である「フランス仏教連盟(UBF)」と似通った紛らわしい団体名をわざと用いて、あたかもフランス仏教徒コミュニティー全体が、創価学会を仏教と認めていないかのように思わせようと目論んだのでした。
 
 後に、この目論見を知った「フランス仏教連盟」は、ダニエル・レオナール・ブランによる「イカサマの仏教代表の詐称行為」を厳しく糾弾しています。
 
 そもそも、私に言わせれば、国会議員らがダニエル・レオナール・ブランの目論見に“まんまと騙された”ということです。これほどまでに、報告書の学会に関する言及部分は、“裏を取る”作業を疎かにし、慎重さを欠いた付け焼き刃で、デッチあげられたものでした。
 

学会への中傷記事で複数のマスコミを断罪

 これには、客観的な明快な証拠があります。
 
 第1次国会セクト報告書の発表以降、フランス国内で多くの日刊紙や週刊誌などが、学会に言及した報告書を引用し、何も裏取りも検証もせず、そのまま“垂れ流す”形で学会への中傷報道を行いました(1991年~1995年に至るまで)。
 
 報道の中には日本の週刊誌などによる、創価学会への事実無根のデマ記事まで拾い集めて、悪質な中傷を書き立てたものもありました。
 
 直ちにフランスSGIは、各社を相手に一つ一つ名誉毀損裁判を提訴し、次々と勝訴を重ねていったのであります(8件で勝訴)。
 
 マスコミとの訴訟において、これほど多くの勝訴を勝ち取った事例は、フランスでは極めて希なことです。というのも、「表現の自由」、なかんずく、「報道の自由」を手厚く保護してきたのが、フランスの伝統だからです。
 
 これら一連の裁判の判決文では、第1次セクト報告書における学会への言及部分について、「いかなる真面目な調査もなされてはおらず」「十分な具体的事実を指摘できてはいない」等、極めてその信憑性が乏しいことを、何度も糾弾しています。
 
 そして、記者や新聞社の首脳に対して、訂正記事を命じたり、損害賠償命令を下したりしています。
 
 このように創価学会に対する中傷は、虚偽の情報に基づくものにすぎないということを、フランスの裁判所が、明快に宣言したのです。
 

パリ郊外のシャルトレット創価仏教センター
パリ郊外のシャルトレット創価仏教センター

 
 〈世論の批判に晒された第1次国会セクト報告書の発表以降、新たにセクトに関する報告書の中で「10の基準」が提示されましたが。〉
 
 1995年に、第2次国会セクト報告書が編まれました。
 
 第1次報告書に対する批判を受けたことで、ジャック・ギヤールという国会議員から提出された同報告書では、客観的な基準を設け、セクトである団体と、そうでない団体を推定できるよう、試みました。
 
 セクトへの不安感に覆われたフランス社会に安心感を与えたいという思惑と、批判に晒された第1次報告書と違って今回は真っ当な報告書であると喧伝しようと意図し編まれたものの、結局、その中身は総花的なものであり、170を超える団体がリストアップされてしまいました。
 
 しかし、またもや、信憑性の乏しさが浮き彫りになりました。
 
 リストアップされた教育機関(シュタイナー学校)が、ギヤール議員を名誉毀損で提訴。裁判所は、「まともにセクト調査を行ったと弁護することはできない」「一貫性に欠けている」等、報告書の信憑性の乏しさを糾弾。議員側が敗訴しています。
 
 一方、この報告書で新たに「10の基準」なるものが示されました。
 
 といっても、それは最初から10個があったのではなく、さまざまなセクト団体を調査しているうちに、一つから二つへ、二つから三つへと増え、「10の基準」へとなったのです。
 
 しかし、その「基準」なるものは、セクトと判定する「指標」と言うには程遠いものでした。せいぜい、セクトと「推定する為の参考」にすぎなかったのです。
 
 ある未知の教団を「セクト」だと見なすには、なお不十分なものでした。「10の基準」の項目を客観的に当てはめて、断定できることといえば、せいぜい、「宗教と名乗っているが、その教団は場合によっては、セクトと見なされる可能性があるかもしれない」という“推定できる”程度にすぎなかったのです。
 
 当然のことながら、フランスSGIは、「10の基準」のどれ一つをとっても、当てはまりません。
 
 とりわけ、フランスSGIは、「日蓮仏法の典礼(キュルト)」を保持した純然たる典礼(宗教)法人であります。セクトと呼ばれる団体には、これらの典礼がありません。
 
 その後、第3次報告書も作成されましたが、2005年には、当時の首相が社会的混乱を引き起こした「セクト」のブラックリストについて、「信頼性がないので使ってはならない」と宣言しました。
 
 そして、2006年、最後となった第4次国会セクト報告書で、ついに、「創価学会は、その教義においても、事実関係においても、いかなるセクト的逸脱に該当する行為は存在しない」と断言されるまでになったのです。
 
 この点は本質的に重要です。というのは、創価学会には、何ら批判できるような教義を含んでいないと「議会」が認めたという点であります。
 
 その後は、学会に関して、いかなる国会の報告書でも言及されなくなり、「セクト」と同一視される教団と見なされていません。
 

公的機関会長が3度SGIへ公式の書簡

 フランス政府が設置したミビリュード(省庁間セクト的逸脱行為監視取り締まり委員会)があります。同委員会の歴代の会長が、2008年、2011年、2013年と、3度一貫して、SGIへの公式の書簡で、「創価学会にはセクト的逸脱行為で提訴されたようなことは一度もない」と明言しているのです。
 
 もちろん、学会に対して、さまざまな批判はあるかもしれません。
 
 むしろ、単なる「批判」は健全な社会にあっては“あってしかるべき”なのです。
 
 なぜならば、ジャーナリストも含めた全市民には、自由に意見を表明し、批判する権利を認められているからです。
 
 しかし、中傷や名誉毀損となると、健全な批判とは全く次元が異なり、峻別されなければなりません。
 
 〈最近、日本でもフランスの「反セクト法」について、度々、言及されることがありますが、法律の具体的な内容とは?〉
 
 2001年6月12日法である「反・セクト法」ですが、実は、かなり限定された法律で、それまでフランス国内でなされた対応に特別なものを付加するものではありません。
 
 セクトとみなされる団体や、その指導者に対する刑罰を強化する法律にすぎません。
 
 セクト団体の指導者が一般の刑法で有罪を2回受けた場合に、その法人に司法が解散を命令できるという法律であり、あくまで一般の刑法に準じたものにすぎません。
 
 つまり、“誰がセクトであり、誰がセクトではないか”を判定することができるかのような基準を備えた法律などでは全くないのです。
 
 ですから、フランスにおける、いかなる団体・法人も、その幹部も、フランス法を完全に遵守してさえいれば、何ら問題はないのです。
 
 たとえ、フランスのマスコミが批判を書き立てたとしても、その運動体をセクトであると決めつけることはできないのです。
 

より一層の透明性をもたらした法人改革

 〈誤解や無認識に基づく批判は、いつの世も、つきものです。それらを極力、回避・低減させるためにフランスSGIに対して、デルソルさんを中心とする弁護団(チーム・デルソル)が大切にされてきたことは何だったのでしょうか。〉
 
 まず大事にしたのは、フランスSGIという運動体が、あらゆる領域においてフランスの法体系を尊重し、遵守し、履行しているということを明確な形で示すことでした。
 
 そのために着手したのは、私どもに御信任いただいた2006年以前からも努力してきた法人機構の透明性を、より一層、進める改革でした。
 
 すなわち、フランスSGIを3つの法人機構に整理・統合したのが、私どもの手がけた第一点目の改革です。
 
 3法人とは、日蓮仏法の典礼(キュルト)の実施だけを統括する法人であるACSBN(日蓮仏法・創価学会)。社会活動や文化活動を担う文化法人であるACSF(フランス創価・文化協会)。仏具や書籍を取り扱う営利協会法人・ACEP(文化平和教育のための営利社団法人)。
 
 さらに、フランスの、どの主たる宗教団体もが置いている宗教的権威(長老会議)を置き、日本の世界教団本部との関係を明快にしました。
 
 これらは非常に重要でした。
 
 全てをシンプルにし、法人・組織の透明性を確立し、ジャーナリストや国家、行政当局から見ても、あらゆる疑惑を抱かせることのない体制となったからです。
 
 なぜならば、フランスにおける一般論ですが、あまりにも複雑な法人機構の編成のまま放置しておいた場合、“不透明な団体”であるとセクト視されてしまうのです。
 
 第二点目の改革は、フランス社会にあって、SGIが、日蓮仏法による「典礼」を備えた典礼法人であることを歴然と示すことにありました。
 
 この典礼の保持と実践は、純然たる宗教の証しであり、典礼を保持していれば、その団体はもはや、「セクト」ではあり得ません。
 
 実際、フランスでは、典礼法人という用語は、“宗教典礼を実施する団体”であるということを意味しております。
 
 フランスSGIでは、法人を3つに整理・統合した同年の2007年に、フランスSGIが運動体の本部を置くオードセーヌ県・県庁によって、この典礼法人の資格が認められました。
 
 この承認は、5年ごとに更新が可能であり、フランスSGIは、既に3回にわたり更新を受けておりますので、この15年にわたり、典礼法人としての承認を享受しているのです。
 
 このほかにも、フランスSGIの皆さまにアドバイスした事案はありますが、この点だけは、はっきりと明言させていただきます。
 
 私どもが行ったのは、フランスSGIの皆さまが他のフランス人と何ら変わることのない、同じ生活を営む普通の人々だと示しただけであり、その上であくまで“外形的”な法人の改革を行ったのであって、フランスSGIが行ってきた信仰実践は何一つ変わってはいないのです。
 
 フランスSGIの皆さまが、実際に行っている信仰実践と、それを継続している事実について、透明性をより鮮明にし、しかるべく、提示したにすぎないのです。
 
 すなわち、昔から創価学会の実践が、日蓮仏法の典礼を執行する純然たる宗教であることを証明し得る内実を持ち続けており、地道に実践を貫いてきたからこそ、それを私どもは明示することができたのです。
 

仏国営テレビでもSGIを正当に評価

 〈2015年、フランス国営放送の情報番組「テレ・マタン」で、有名キャスターが、“創価学会はかつてセクト視されたこともあったが、今は違う”と発言しましたが、こういう正しい認識が国営テレビで放送されたことをどう思われますか?〉
 
 御指摘の通り、2015年、フランスで最も重要なチャンネルの一つであります国営第2チャンネルで、イタリア創価学会の、欧州最大の会館(ミラノ池田平和講堂)のオープニングのルポルタージュのなかで、明快に、フランスSGIを、他の主要な宗教と同じように扱い、イタリア国家にも認められていると報じました。
 
 このことは、かつてのフランスSGIに対する批判が、臆測に基づいた明らかに根拠のないものであったということの証左です。
 
 〈最後になりますが、フランスSGIが地域・社会に一層、貢献していくために期待されることは何でしょうか。〉
 
 日蓮仏法・創価学会の素晴らしい信仰と、その実践者としての姿を、これまでと同様、国民はじめ共和国政府や行政当局に対して理解してもらう努力を惜しまないことです。
 
 つまり、SGIメンバーは、他のフランス人と同じように信仰を実践しながら、フランス社会に完全に溶け込んで、貢献しているのだということを示していくことです。
 
 たとえ、それぞれの社会的、哲学的、政治的、宗教的な差異があったとしても、共にフランス社会に生きる同じ市民なのだということを示し切っていくことです。
 
 今後の、SGIの皆さまの素晴らしいご活躍と発展を心から期待しております。
 

プロフィル

 弁護士。パリ、リヨンの2都市で「デルソル弁護士事務所」を共同創設。歴史学、法学、政治学で国家博士号取得。弁護士として活動する傍ら、パリ第1大学はじめ複数の大学で20年間にわたり教鞭を執った。法曹専門誌はじめ複数の雑誌を創設するなど論説・執筆活動にも従事。2011年よりブリュイラン・ラルシエ出版の叢書(法と社会経済と連帯)の編纂局長に就任。
 

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