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“弱い”チームの方がうまくいく理由とは――「アトリエ インカーブ」代表 今中博之さんに聞く㊤ 2023年4月13日

  • 〈Switch――共育のまなざし〉

  
 知的に障がいのある現代アーティストたちが創作活動を行っている「アトリエ インカーブ」(大阪市平野区)。代表の今中博之さんは、「実は“弱い”ものにこそ、社会を変える力がある」と語ります。多様性のある社会に向けて、親たちにできること、子どもたちに望まれることは何か――。上下2回で聞いていきます。
 (聞き手=掛川俊明、㊦は後日掲載)
  

■「普通なしあわせ」――社会を変えるためには“怒り”が必要

  
 ――2002年に社会福祉法人を立ち上げ、アトリエを開かれました。事業の哲学として「普通なしあわせ」を掲げています。
  
 アトリエ インカーブには現在、29人の知的に障がいのあるアーティストが所属しています。当たり前のことを、当たり前に行えること。それを「普通なしあわせ」と定義して、アーティストの生活基盤と誇りを構築するのが、私たちの使命です。
 05年、ニューヨークで開催されたアートフェアに出品して以来、海外や国内の美術館やギャラリーで展覧会を開いています。同時に、文化・福祉施設や地域との連携、障がい者の文化芸術活動を推進する法律づくりにも関わってきました。
  
 実は、こうした事業を始めるきっかけには「怒り」がありました。
 もともと私には、100万人に1人といわれる、偽性アコンドロプラージアという先天性の両下肢障がいがあり、階段は上れず、短い移動は杖、長くなれば車いすを使っています。
 ある時、デザイナーとして働く中で、知的に障がいのある方と出会いました。彼は「絵を描いて生計を立てたい」と言いました。
  

アーティストの作品が表紙に載る社会福祉法人「素王会」のパンフレット
アーティストの作品が表紙に載る社会福祉法人「素王会」のパンフレット

  
 倉庫を借りてアトリエ代わりにしたら、私の周りに、彼の友人が次々に集まりました。それは、知的に障がいがあるというだけで、マイノリティー(少数者)とされ、社会の隅に追いやられた人たちでした。
 その作品は、思わず「参った!」と、うならされるほどのアートでした。それなのに、なぜ作品は、二束三文の扱いを受けるのか。なぜ同じ人間なのに、マイノリティーとして、カテゴライズされなあかんのか。
  
 私の中で、障がいを取り巻く社会に、怒りが湧きました。それは、デザイナーとしての魂と障がい者としての魂が結び付いた瞬間でした。
 「並みに日が通る」と書くと「普通」という言葉になります。当たり前に太陽が昇って、沈んでいく。けれど、障がいがある人の置かれた立場や、彼ら彼女らに対する社会のありさまは、全く普通ではない。その作品が、純粋な現代アートとして評価されず、“障がい者の”作品としてしか見られないのは、おかしい。
  

知的に障がいがあるアーティストが集まる「アトリエ インカーブ」
知的に障がいがあるアーティストが集まる「アトリエ インカーブ」

  
 そうした社会的課題を解決するための意図的な“企て”を「ソーシャルデザイン」と呼びます。そこから私はソーシャルデザイナーとして、社会福祉法人を立ち上げ、多くの活動に取り組んできました。
 哲学者の三木清は、単なる憤りを否定しつつ、「公憤」という公共の正義から生まれる怒りを肯定しました。より良い社会を目指すソーシャルデザインは、「怒り=公憤」がなかったらできないと思うんです。
  

■「弱くなくっちゃ生き残れない」――ソーシャルデザインの基盤に仏教的な思想を

  
 ――「デザイナーとして働くうちに、そもそも働くこと、生きていくことに迷いが生じてきて仏教に助けを求めました」とも書かれています。仏教の思想にも、共鳴するものを感じているのでしょうか。
  
 知的に障がいのあるアーティストたちと出会った頃も、私の障がいは進行して、体は弱ってきていました。そんな時、子どもの頃におばあちゃんが子守歌代わりに聞かせてくれた、いろんな仏教の話を思い出しました。そこで40代で大学に入り直して、仏教を学びました。
 仏教は、生老病死という弱さを抱えた人間の苦悩をテーマにしています。だから、目の前の困りごとを解決するのが仏教の役割。
 その意味で、ソーシャルデザインにも、弱さを強さに変える仏教的な思想が基盤にないと、単なるカタカナワードで終わってしまうと思いました。
  

  
 ここ数年、私の関心は「弱い」ものにあります。変化の激しい現代では、「弱くなくっちゃ生き残れない」と思っているんです。
 それはなぜか。小学校などで講演をする時、「あなたは強い人を助けようと思いますか?」と問いかけます。強い人なら「自分で何とかするだろう」と思うんちゃうかな。
  
 そもそも動物としての人間は、弱い存在。けれど、弱さを自覚すれば、助け合うチームが組まれます。結果的に生き残るのは、誰も助けてくれない強い人ではなく、皆で助け合う弱い人の方です。
 歴史を見ても、弱いものを中心に置いた共同体は、長く存続しています。聖徳太子が6世紀につくったという「四箇院の制」によって、共同体の中に四つの施設が建てられました。それは寺院、薬局、病院、そして身寄りのない人や高齢者などのための社会福祉施設です。力を競い合うだけでは、個人も共同体も長くは続かない。中心に弱いものが組み込まれた共同体が、大事やと思います。
  
 「弱さ」には、良くないイメージがありますが、実は弱さを自覚することが、変化の中で生き残る強さにつながる。
 弱さを見つめることは、「自分のつま先を見ること」でもあります。半歩先でも、半歩後ろでもなく、今立っている自分の地点を見つめること。講演会などの機会があるたびに、子どもたちには、そうした自覚を持ってほしいと伝えています。
  

  
 それは、いきなり共同体やチームのような、大人数の集団でなくても大丈夫です。
 あるアメリカの研究では、たった一人でも、心から信頼できる人がいれば、「人間は幸福で健康」になれると結論されました。その一人の存在は、自分を救ってくれる「太い一本の糸」になる。これは、仏教でいう「善知識」のようなものではないでしょうか。
  

■本当の「自立」とは、依存先を多く持つこと

  
 ――誰かに助けてもらうことは、社会で生きていくために必要なんですね。ただ、一般的には、大人になったら自立しなければならない、というイメージもあると思います。
  
 学校での感想文などを見ると、「自立できるように頑張ります」と書く子どもたちが多くいます。
 しかし、本当の「自立」は、依存しないことではありません。むしろ、たくさんのものに少しずつ依存できる状態。多くの依存先を持つのが、本当の「自立」やと考えています。
  
 アトリエの理念でもある「普通なしあわせ」は、己一人だけで実現できるものではないんです。むしろ、自分一人で幸せになれると考える方が、不自然ではないでしょうか。
 例えば、私は車いすを押してもらわないと長距離の移動はできないし、エレベーターに依存しないと違う階に行けません。多くの人やものに依存しているから、自立して生活できているし、社会福祉の分野で多くのチームのメンバーやリーダーを務めてくることができました。
  

今中さんの著書
今中さんの著書

  
 競争の社会では、「私の方がうまい」「自分の方ができる」と肩ひじを張りがちです。
 けれど、人間ですから、皆どこかに弱みがある。だから、依存先がたくさんある人ほど、幸せです。なぜなら友が多いから。強い人、依存しない人は、きっと孤独を感じるのではないでしょうか。
  
 例えば、野球でも、選手一人一人の個人の能力は大切です。けれど、それだけでは勝てない。個々の能力をもとにした上で、打線を組んで、チームとしてプレーします。
 アトリエ名の「インカーブ」は、野球の用語で、内角を鋭くえぐるカーブという変化球のこと。障がい者を取り巻く社会の状況に、鋭く食い込む一球を投じる思いで、つけた名前です。
  
 弱い部分もある人間が、自立していくためには、たくさんの人やものに依存しながら、助け合うチームをつくるしかない。結局、依存先を多く持っている人は強い。逆説的ですが、弱い人の勝ちやと思います。
  

■「負のスパイラル」を断ち切るために、まずやってほしいこと

  
 ――頼れる多くの人がいることは、多様性にもつながりそうですね。
  
 そうなんです。私は、多様性とは「バラツキの幅を広く取る」ことだと考えています。
 例えば、川辺には、雑草がたくさん生えています。咲くのが早かったり遅かったり、背丈も茎の太さも違います。日照りや大雨など、環境が変化した時に、もし1種類の花だけしかなかったら、全滅してしまいます。種のバリエーションがあるから、自然環境が変わっても、生き残ることができる。
  
 ただし、多様性があるというのは、しんどいことです。障がいがある人など、マイノリティーとして追いやられてきた人のことも考える社会になるのは、大変なことです。
  

  
 そんな時、子どもたちには、まず「知る」ことから始めてほしいと伝えています。マイノリティーを取り巻く社会の状況には、「負のスパイラル」があるんです。それは、次のような循環です。
  
 ①無知(知らない)→②無理解(分からない)→③誤解→④偏見→⑤差別→⑥排除→①無知……
  
 「知らない」ことが、負のスパイラルの起点です。それなら「知る」ことで、そうしたスパイラルを断ち切ることができるはずです。マイノリティーとされた人たちの存在を「知る」ことで、無理解や誤解、偏見、差別へと続く流れが解消されます。
  
 ――創価学会では、座談会やさまざまな活動を通して、老若男女を問わず、多くの人と接します。皆で一緒に活動する中で、どんな人とも自然に触れ合っています。
  
 そうした活動をしていれば、差別は生じにくいでしょう。それが「知る」ことの大切さだと思います。
 私の娘は、生まれたばかりの頃から、私と一緒に重度の障がいがある方たちの施設に行ったり、アトリエに来たりしています。彼女は、障がいがある方たちとも自然に接しています。そこには差別がありません。
  
 生活を通して、多様な人と一緒にいること、そばにいること。それが“共育”だと思います。学校で教わったり、本で読んだりすることも大切ですが、同じ場にいることで、自然に彼ら彼女らのことを「慮る」ことができるようになります。
  

今中さんのオフィス
今中さんのオフィス

  
 他者のことを「慮る」というのは、「教える」ことではなく、自ら「学ぶ」ことによってできるようになります。大人の役割は、そうやって子どもたちが学べる環境を提示することだと思います。
 「慮る」とは、相手の気持ちや考えていること、感じていることに、思いをはせる行為です。気持ちや考えは「目には見えない部分」だからこそ、寄り添うことが難しい。それでもなお、他者を思う。私は、「見えない部分」に思いをはせるという意味で、宗教の持つ役割は、大きいと思っています。
  
 ――インタビューの㊦(後日掲載)では、多様性のある社会に向けて、私たち一人一人ができることは何か、さらにお話を伺います。
  

  
【プロフィル】
 いまなか・ひろし 1963年生まれ。ソーシャルデザイナー。社会福祉法人「素王会」理事長。「アトリエ インカーブ」代表。空間デザイン会社に勤務した後、知的に障がいのあるアーティストが集う「アトリエ インカーブ」を設立。著書に『なぜ「弱い」チームがうまくいくのか』(晶文社)など。
  

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1976年、福井県生まれ。名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は教育社会学。ブラック校則や教員の過重労働など「学校リスク」を研究。また各地の教員研修やインターネットでの情報発信にも努め、「ヤフーオーサーアワード」(2015年)を受賞。著書に『教育現場を「臨床」する』(慶應義塾大学出版会)など多数。本人X(旧ツイッター)@RyoUchida_RIRIS
 

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