• ルビ
  • シェア
  • メール
  • CLOSE

〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「水俣に生きる」を巡って㊦ 2023年3月30日

  • 東京大学大学院 開沼博 准教授

 ※寄稿の㊤(29日付)はこちらから。

 学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」。29日付に続いて、社会学者の開沼博氏がルポの現場を訪れ、“新しい水俣”をつくるために奮闘する、学会員の原動力を考察した寄稿「『水俣に生きる』を巡って」の㊦を掲載する。

被災地から世界へ

 「公害発祥の地」として語られがちな水俣は、一方で、世界に誇れる価値を多く発信してきました。徳富蘇峰・蘆花や石牟礼道子に代表されるような、世界に誇れる文芸が生まれたのも、環境先進地として社会に有為な知見と知識を提供してきたのも、水俣の現実です。
 
 宮本謙一郎さんは、信仰を原動力として、学術の世界で生きてきた一人です。
 
 <宮本さんは国立水俣病総合研究センターに勤務していた時に研究者を志し、苦闘の末、2002年に医学博士号を取得した。研究は、水俣病解明の糸口をつかむ重要な成果として、世界保健機関(WHO)でも紹介されている>
 
 社会学者のマックス・ウェーバーは、『職業としての学問』の中で、学問を仕事としていくのは「僥倖に支配されたもの」である、つまり、運であり、賭けであるとの有名な言葉を述べています。学術界で生き抜いていくことは、それほど険しく不確実なわけです。
 その中で、学歴だけ見れば決して優位ではない立場からスタートした宮本さんが、大学の担当教員から「博士号は99・9%無理」とまで言われながらも、世界から注目される研究成果を上げてきたことは、学術の世界で生きる・生きようとする人たちに、希望を与えるものでしょう。
 
 しかし宮本さんが積み上げてきた、これまでの実績は必ずしも、運や賭けだけではなかった。学会活動に熱心に取り組むと、不思議と自分を助けてくれる人が現れたと、宮本さんは振り返ります。
 確かに、学問の世界では、どれだけ実力があったとしても、思い通りになるとは限らない。良きタイミングで良き人に出会うことが、その道を開いていく上で不可欠です。宮本さんにとって、それをたぐり寄せたのが祈りであり、信仰だった。近代合理的な学問が、合理的ではないように思える信仰によって支えられてきたという話でもあり、非常に印象的でした。
 
 宮本さんの研究は、メチル水銀中毒によって神経細胞死が起こる原因に迫るものです。その研究が評価され、ブラジルのアマゾンに7度派遣され、金採掘に伴う水銀汚染調査にも携わってきました。
 “水俣のために何かをしてもらう”のではなく、水俣から世界に発信していく。東日本大震災の被災地でも、「For 被災地」(~のために)から「From 被災地」(~から)への転換が大きな課題であり続けてきました。周りから何かしてもらった分、周りに何かを生み出していく。これは、宗教的信念のもとで、宮本さんが実践してきたことともつながるでしょう。

多田雄哉さんと
多田雄哉さんと
学会活動も研究も

 宮本さんが勤務していた研究機関に、2018年にやって来たのが、多田雄哉さんです。
 
 <兵庫出身の多田さんは、29歳で博士課程を修了。北海道大学や神奈川の海洋研究機関を経て水俣へ。水銀が海中でメチル化(猛毒化)するメカニズムを研究している>
 
 共に研究者ではありますが、水俣出身の宮本さんとは違い、多田さんは“よそ者”として水俣に赴任しました。ゆえに当初は、水俣病は「過去の歴史」、水俣は「公害の街」という先入観を持っていたといいます。
 しかし実際に住んでみると、海も山もきれいで、人が優しいといった、水俣の魅力をすぐに発見することができた。同時に、水俣病で多くの患者やその家族が苦しんでいることは、過去の歴史ではなく、今なお続く話であることを実感をもって理解した。
 
 水俣に対するイメージが変わっていくきっかけとなったのが、学会活動だったといいます。会合に行くと、胎児性水俣病患者の女性部員が、明るく、生き生きと振る舞い、周囲の人たちが、同じ目線で彼女に寄り添う。その様子に、感銘を受けつつ学会の素晴らしさを再確認した、と。
 “よそ者”の多くが抱く、偏った水俣のイメージ。それは現地を訪れ、生活をしていくうちに、修正されていく部分も、もちろんあるでしょう。そして同時に、水俣を知ろう、水俣について学ぼうという強い思いもまた不可欠でしょう。多田さんは、「創価学会の中で、水俣でしか学べないものを教えてもらっています」と語っていました。先入観を打ち破り、“ありのままの水俣”を見つめる入り口として、学会があった。
 
 学会活動に励むと、研究にも力が入っていったという話も印象的でした。「学会活動をせずに研究だけをしていたら、水俣病のことを肌で感じることはなかった」と多田さんは言います。
 水俣をどう盛り上げ、いかに世界へと発信していくか。信仰を通して、それを自分の「使命」と捉えるようになったからこそ、多田さんは、ともすれば抽象的で日常生活とのつながりが分かりにくい理系の基礎的研究において、地域を見つめつつ、国際学会でも高く評価されるような実績を残すことができているのでしょう。

「環境モデル都市」づくりを進める水俣市。水俣湾の埋め立て地には「エコパーク水俣」が広がる(時事通信フォト)
「環境モデル都市」づくりを進める水俣市。水俣湾の埋め立て地には「エコパーク水俣」が広がる(時事通信フォト)
現実と社会的現実

 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、“20年後、50年後、百年後に水俣がどう変わっていくのかを見つめていこう”と呼びかけたのは、1974年。それからほぼ半世紀がたった今、“変わった水俣”の象徴の一つが、石飛高原にある「天の製茶園」でしょう。
 
 <天の製茶園では80年代から無農薬栽培に取り組み、天野茂さんが緑茶から紅茶に切り替え、長男・浩さんが水俣を代表するブランドへと発展させた。長女の山本美咲さんは、結婚を機に水俣を離れたが、2020年に帰郷し、製茶園で働く>
 
 製茶園の挑戦は、水俣に眠る可能性を引き出していく戦いでした。
 水俣には2万数千年前の旧石器時代から、人類の祖先が住んでいた。その時間軸の中で見れば、水俣病の歴史はもちろん大きな出来事だったけれども、そこにとらわれないさまざまな、水俣という地域の可能性にも気付かされます。また、天野家が製茶する山間地域は、平野部との温度差や寒暖の差が大きく、土壌は火山灰由来の赤土。世界に打って出ていける、良いお茶が育つ条件を備えています。
 
 外から持ち込まれたイメージとは異なる、水俣に土着の魅力。それをどう育て、発信していくのか。
 社会心理学に、「リアリティー(現実)」と「ソーシャル・リアリティー(社会的現実)」という対概念があります。自然現象など、誰がどのように見ても変わらないのが「現実」である一方で、「社会的現実」は、人それぞれで異なる見方、信じ方によってかたちを変えていく。私たちは普段、「現実」を認識しているように思っていても、ほとんどの場合では「社会的現実」を認識し、それに影響を受けながら動いていくという考え方です。
 
 一例として、学校の教員が、一部の子どもたちが「成績が伸びる子どもたち」であると伝えられたことで、期待をかけて育てた結果、その他の子どもたちと比べて、本当に成績が上がったとされる「ピグマリオン効果」が、よく知られます。
 これは「予言の自己成就」とも呼ばれます。例えば、「あそこの銀行は倒産する」と根拠のない風評を流したら、うわさを聞いた預金者が殺到して、取り付け騒ぎが起こり、結果として本当に倒産してしまう。「社会的現実(=風評)」が先に動いたことで、「現実(=倒産)」が付いてきてしまうことがあるわけです。
 
 水俣に生きてきた学会員の方々は口々に、「座談会など学会員同士が集う場には、水俣病を巡る分断と外から呼ばれるようなものはなかった」と言います。
 他方、水俣が、“人々が分断された”“患者が虐げられている”といった「社会的現実」の上に置かれてきた地域であることも事実です。もちろんそうした側面はある一方で、その文脈が必要以上に、一面的に誇張されてきた側面や、それが、分断や差別を再生産し続けてきた側面も存在します。
 
 強い「社会的現実」に、「現実」が引っ張られていく。この車の両輪のような連動を、「ずらす」ことによって、「現実」が、「社会的現実」の影響を受けないようになる。その「ずらす作業」を、天野家をはじめとする、水俣の学会員の方々が担ってきたことを実感しました。
 同じ信仰を共有している学会員同士のつながりは、「家族以上」とも表現していた山本さん。利害がぶつかり合い、互いの真意を探り合うような場面が多く存在してきた水俣にあって、「学会では、相手が言ったことを、素直に安心して受け取れる」と言っていたのが印象的です。
 
 彼女のように、相手をありのまま受け入れ、信じて頼ろうとできる学会員のつながりが、水俣に眠る価値の再生に向けた、ほかにはなかなかない土壌となっていることがうかがえました。

1月21日に行われた第50回「水俣友の集い」(水俣文化会館)。登壇しているのが山本美咲さん
1月21日に行われた第50回「水俣友の集い」(水俣文化会館)。登壇しているのが山本美咲さん
水俣の「これから」を捉え直す

 水俣の現場を歩き、見つめ続けた石牟礼道子氏は、学会員の家も多く訪れています。今回取材した中にも、彼女と交流した方や、「一緒に虫取りをしたのが石牟礼さんだった」と証言してくれた方もいて、身近な存在だったことが分かります。
 
 寄稿の㊤でも触れた、「今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった」との一文の前段で、石牟礼氏は、国家や行政、裁判制度というように、支援のあり方が「システム化」され、それでは患者の魂の行きどころがないと述べています。
 患者をひとくくりにする既存のシステムでは、拾いきれず、救いきれない一人一人の苦しみに、個々に向き合うことができたのは学会だけであったと、評価していたのだと推察します。
 
 あらゆる不条理に共通することですが、経済成長にも科学技術にも、なし得ないことはある。政治も、司法も、大企業も、大きな力を持っているとしても、万能ではない。解決できない問題は、必ず残る。例えば、司法というシステムにおいて、どれほど裁判を重ねて、支援者が大勢集まり、思う通りに勝訴をしたとしても、水俣病患者やその家族の苦しみを、完全に取り除くことはできません。
 だからこそ、システムが提供し得る支援を最大限に活用した上で、一人一人の個人が、互いに支え合いながら、目の前の事実に向き合い、受け止め、自分の内で消化していけるか。それを石牟礼氏は、「恨まず、ゆるす」ことだと表現し、緒方正人氏は、「チッソは私であった」と語ったわけです。
 
 同じように、水俣病の歴史、それを前に苦闘し乗り越えてきた水俣のこれからを、自分の中で捉え直し、「いかに生きるか」を見いだしていく。水俣に生きる学会員にとって、学会の人のつながりと活動とが、その経験の現場となってきた。社会の制度からもれていく人を見つけ出し、生きる活力を送っていく。学会の強じんなネットワークを再確認する取材でした。

 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

動画

創価大学駅伝部特設ページ

創価大学駅伝部特設ページ

SDGs✕SEIKYO

SDGs✕SEIKYO

連載まとめ

連載まとめ

Seikyo Gift

Seikyo Gift

聖教ブックストア

聖教ブックストア

デジタル特集

DIGITAL FEATURE ARTICLES デジタル特集

YOUTH

劇画

劇画
  • HUMAN REVOLUTION 人間革命検索
  • CLIP クリップ
  • VOICE SERVICE 音声
  • HOW TO USE 聖教電子版の使い方
PAGE TOP